若い時というのは、それだけで美しいと思うのは、老いて来たからだろうか。
ある程度の歳になると、無理に作った美しさよりも、気持ちの良い顔の方が好まれる気がするけれど。
無論、若い頃もあったので、自分の顔が気になるという気持ちも判る。
タダ、結局は自分の中にある漠然とした不安の投影が顔というコトだったのかもしれないと思ったのが、こちらの本。
ともあれ、秋葉原の通り魔事件の犯人も、自分の顔が悪いから、彼女が出来ないという様なコトを言ってたけれども、少なくとも平均より上ではなかったか。
醜形恐怖というのは、並以上の人に多いというが。
上記の本は、昔読んだ本の復刻版なのだけれど、例えば整形手術によって綺麗になったとしても、本当の私ではナイとか、綺麗な顔も歳と共に皺が出来たりするというコトを考えれば、無理に綺麗であるというコトを追求しても難しい。
アンチエイジングというのもそうだが、歳よりは若く見えるコトは出来ても、本当に若かった時代に戻るのは無理。
顔には、その人の状況も表れてくるので、にこやかな人の方が、むっつりしている人などより、他人は気持ち良く受け入れてくれるだろう。
昔と違い、離婚も簡単に出来る様になった時代だからこそ、あまり美醜に一喜一憂するのは無駄だろう。
綺麗な人だから結婚するというのでは、何度でも若い人と結婚しなくては無理だと思うが、実際には自分も老けるので、それも難しい話。
それでも、気になるという人なら、上記の本を読んで自問してみるのも良いと思うけれど、残酷かもしれないが、ホトンドの人は自分が思っている程、他人の美醜などに無関心。
だって、人が一番気にするのは、自分自身であって、他人への関心など、さほどでもナイという人の方が大半なのだから。