2018年11月22日

孤独だと無差別で殺す

どんなに大変な事件でも、当事者以外は日々に記憶が薄れやすいモノだけれど、流石に全ての事件を忘れ去るコトは難しい。

特に、印象的だった事件の一つに挙げられると思うのが、秋葉原無差別殺傷事件。

それについて書かれた本がこちらなのだが、

その中で、犯人の印象的な言葉として、「人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別で殺すし、難しいね」という発言は、自分とは関わり合いのナイ人に対する殺人事件の動機として、犯人で無ければ思い付かない言葉だろうと感じる。

ともあれ、確かに犯人の成育歴は気の毒であったのだけれど、その一番の元となった母親も、類似の育てられ方をした可能性もある。

だとするならば、ダメダメな親に育てられた人間は、全てダメな人間になってしまうというのでは、救いようがナイという結論になってしまう。

確かに、そういう可能性が有るにせよ、それを社会が防ぐ努力をしなければ、無関係の人々が犠牲になっても仕方がナイと言っている様なモノであろう。

日産自動車が、今、注目を集めているけれど、グローバル・スタンダードになる前の、日本型経営の時は、会社が疑似家族みたいになっていた。

おそらく、そうした絆が無差別殺人などの抑止力になっていたとは考えられナイだろうか。

経営者が多額の金額を手にする代償として、労働者が非正規になり、連帯感を失わされている現在の社会では、犯罪予備軍の人々を止められるだろうか。

確かに、幼少期の愛着も大切に違いないけれど、大きくなってからでも、他人の愛に包まれれば、多少なりとも社会との接点を持って、馴れあって行く人の方が多いのではないか。

おそらく、そうで無ければ、無差別殺人はもっと頻繁に起きているに違いナイ。

より安価な人手を、安易に外国人に求める様なコトをすれば、より日本の労働者の生活が苦しくなる可能性が高い。

そして、その結果として、不遇な人々を犯罪に走らせ、世の中の治安が悪化してしまえば、元も子もナイのではないか。

我々は、無理に世界標準なる言葉に騙されて、古き良き日本の価値観を捨て去ろうとしている可能性が高い。

そして、それを勧めたがる人々が、「日本に誇りを持て」と強制しているけれど、愛される国にまずなってこそ、母国を誇れるのではなかろうか。

本末転倒な思考しか出来ないのでは、短期的に好転した様に見えても、長期的にホボ全ての自動車メーカーで不正が存在し、より車離れが進みそうな、今後の社会の先行きに不安を感じてしまうのだけれど。
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Posted by seitaisikoyuri at 22:32│Comments(2)
この記事へのコメント
こんばんは

犯人の言葉、強烈ですね
夢に出てきそうな言葉です

貧困の連鎖と同様にダメな子育ての連鎖も、解決すべき国家の課題だと思います

凸凸!
Posted by k-hirata at 2018年11月22日 23:03
k-hirataさん、何事も当事者で無ければ判らない部分もあると思います。

子育ては難しいモノですが、正しい方法はまだ確立されているとは限りません。

親が育てた様に、次世代に受け継がれて行くにしても、より良い子育てが可能になるには、社会の力はとても大事だと思います。
Posted by koyuri at 2018年11月23日 19:35
 
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