知っている様で、全く知らなかったというコトに気付くのは、とても面白い。
大老というのは、必ずしも存在しているとは限らないが、老中は同時に4〜5人同時に存在する。
老中は、豊臣時代の五奉行の様なモノで、実務を取り仕切っているのだとか。
故に、格式高い親藩大名や外様大名ではなく、徳川家に昔から使えて来た家来が選ばれるので、彼等は譜代大名であって、さほど禄高は多く無かったという。
それは、全く知らなかったのだが、歴史も興味を持って掘り下げると、実に色々なコトが判る。
中には、親がしっかりしていても、ダメダメな子孫が居たりして、取り潰されたりとかという江戸時代を調べると、今の世襲政治の行き詰まりに似たモノを感じたりする。