本当に珍しく、専門的な本をブログに書きます。
卒論は中世で、「藤原定家」の研究をしたというモノの、一人一人の歌人にについては、あまりにも知らずに生きて来たと改めて感じてしまった。
俊成は定家の父であり、藤原俊成女は俊成の孫なので、定家の姪に当たる。
大納言源通具の妻でありながら、その歌人としての才を後鳥羽院に認められ、妻や母の座を捨てて、歌人として後鳥羽院に仕えた。
しかも、後鳥羽院の息子である土御門天皇や順徳天皇の時代を過ぎ、土御門天皇の息子である御嵯峨天皇の歌壇まで活躍したという。
八十歳を超えても、まだ歌人として生き、播磨の国には自分の荘園を所持していたというから驚きである。
平安朝末期から鎌倉時代を自立して生き抜き、人生を誇り高く生きた藤原俊成女に感服すると共に、その人生をコンパクトに纏めて研究された教授の成果に改めて感謝したいという気持ちになった。
閑話休題、学術会議の任命拒否で、味噌を付けた感じの政府だが、「単に、税金を使っているから」何でも政府に従えというのでは、日本の研究は先細りになりかねない。
既に、最近の政府の方針は、人文学は理系と違って役に立たないという考えすら、如実になっているのではないか。
研究に税金を投与せずに、アメリカとか中国への頭脳輸出が続くのであれば、日本という国はダメになるだろう。
戦後の反省を生すコト無く、将来的に軍事の道を目指そうとしても、学術の道がある程度自由でバラ色で無ければ、若者が人生を掛けると思うだろうか。
大学院は出たけれど、というコトになるのであれば、優秀な人材は散逸してしまう。
学問を志す人が、安心して進める様にしなくては、狭い国土であるだけに、一度、後進国になってしまったら立ち直れるのかどうか、将来を類推して、国民も自分の頭で良く考えてみるコトが必要だろう。