2015年11月07日

性格は変えられる

昨日の後半は、サラッと流してしまいましたが、何故かといえば、本日のアドラー心理学の本をしっかり書きたいと思ったから。


例え、親に問題がある育てられ方をしたとしても、『だから、自分は‥‥』と落ち込んでしまうか、それとも『だから、自分は‥‥』と前向きになるかで、人生は全く逆になります。

困難な事があった時に、それを言い訳にしてしまえば、苦境を乗り越えられません。

建設的に物事を考える時には、「たとえそうだとしても」と、困難な状況を解決するすべを見つければ何とかなります。

困難を克服する勇気を持って、短所を長所として受け止め、劣等感を跳ね除けるコトが出来れば、人生は違って来ると、アドラーは説きました。

興味がある方は、是非、一読してアドラー心理学を学んで頂きたいものです。  

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2014年09月15日

嫌われる勇気

娘が忙しくて買っただけで、読んでいる暇が無かったからと、何冊もの面白そうな本を何冊も持って来てくれたのですが、その中の一冊。


タイトルを聞いただけでは、何の話と思いそうですし、違うタイトルの方が良さそうにも思いますが、あえて挑発的なタイトルを付けたのだろうと思います。

このブログでも、過去に何度も紹介しているアドラー心理学の本です。

この本の中でも、アドラー心理学を学び出して、学ばなかった人生の半分を過ごせば、アドラー的な考え方が出来ると書かれていて、考えてみれば丁度アドラー心理学を学んでからその前の人生の半分を過ぎました。

未だに、完全に行動出来ているとは言い切れませんが、かなり考え方が自然にアドラー的になって来てるのだなと感じました。

その為か、若い頃より自由になってますし。

ベストセラーなのだと聞きましたが、アドラー心理学がより日本に広まればイイなと思います。  
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2007年10月09日

「リフレイム」という考え方

さて、今どきの子供達について、嘆いてばかりでも困るので、こんな本も読んでみました。「アドラー博士の 子どものEQの高め方―頭のよさ(IQ)より、賢さ(EQ)が子どもを伸ばす」これは前に書いた、
EQ―こころの知能指数
を日本の子供の行動について、判りやすく書いた本とも言えます。

この中で、心理療法の「リフレイム」というコトが説明されています。カメラとかのフレームで見た景色を考えると、カメラの位置を変えると同じフレームで見える風景は違うというコトでしょう。つまり、物事に対する見方の枠組みを変えると、全然違って見えるということです。

月も夜見ている輝いている部分は平面ですが、実際は球形ですし、見えない裏側も当然存在しているのです。

要するに「イイ子」というのは、子供の見える部分だけを平面的に見ているに過ぎません。その部分だけを強調されてばかりいると、子供は身動きが取れずに、陰の部分も見て欲しいと爆発するコトもあるのだというコトなのでしょう。

ともあれ、本を読んだ時に、そのまま鵜呑みにするコトもおそらく問題なのだと思います。必ず、『本当にそうかな?』と自問自答して読まないと、オウム真理教に傾倒した青年になってしまう可能性も示唆しています。

ちなみに、この本の中で、
ある女性の体験談ですが、どこかの学校へ行って女性の校長先生と面会したとき、男性の教頭先生がお茶を入れて出してくれたのです。彼女はいたく恐縮してしまったのですが、校長先生にいわせると、それは教頭の役目だということでした。なんだかとても落ち着かない気分で、私が代わってあげましょうかといいたい気持ちだったといいます。
人によっては考え方はいろいろあるでしょうが、いまの日本社会のあり方でいえば、飲みたい人には基本的にセルフサービス、しかし外部からの来客のときには、手のあいている女性が入れて出すというのが、無難なところではないでしょうか。
というくだりについては、首を傾げてしまいます。別に、女が入れるべきというトコに反応しているのではナクて、もうすぐ90歳になろうとしている父親は、自分で紅茶を飲みたいと思えば自分でやるだけでナク、ワタシにも「飲むなら入れてやろうか?」と言うからです。ワタシは、「自分でやるからイイ」と遠慮しますが、父にとってみれば、どうせやるのだから、一人でも二人でも大した違いはナイと考えているだけで、男女の役割分担という発想自体がナイのです。

そういう父親に育てられていると、別に女の校長先生に面会に行って、男の教頭先生がお茶を入れてくださるコトは、教頭先生がお茶を入れてくださったというコト自体には恐縮しても、男性が入れてくれるというコトには反応しないと思います。逆に校長先生に入れて頂くなら、もっと恐縮してしまうだろうと思うので。

ジェンダー教育というモノも、全て親が子供に仕込むのだというコトを考えさせられたという意味では、ワタシも「育てられた様に子は育った」というコトなんでしょうね。  
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2006年05月10日

自分の意見をしっかり持つ

おはようございます。書いていた記事が、変なボタンにうっかり触っただけで、全部消えました‥‥(泣)

仕事もアルので、今回の記事は時間ギリギリまで書きますが、二回に分かれる可能性が大になりました。

  第12章  価値観

\犬ることの意味とは?‥‥哲学者や神学者は、生きる意味について膨大な著作を残しているのだが、一般の人は、自分の必要や欲望が満たされれば求めていた人生だし、そうでなければ生きる意味はナイと思いかねない。人生の意味を決めるのはアナタ自身なのだから、物質的満足だったとしても構わない。タダシ、崇高な理念を抱いているかの様に振舞うべきではナイ。生きる目的が、空腹を満たすだけだったとしても、堂々としていた方がイイ。

何を支持するか見極めよう‥‥何でも反対するコトが好きな人もいる。闘争的な人と、思慮深い人とを混同してはイケナイ。誠実に、理念を持った人は、守るべき自分の立場があり、無闇に騒ぎ立てたりしない。自分の立場の裏づけとなる理由や、信念のナイ人ほど、些細な理由を付けて、何かと議論を吹っかけてくる。身近な問題に、黙々と対処する思慮深い人にこそ、注意を払おう。

真実の価値を大切にする‥‥タテマエと本音の様な≪ダブル・スタンダード≫は太古の昔から存在する。個人的利害は人の価値判断を左右するからと言って、利害を敵視すべきではナイ。ただ、自分の利益をひたすら守ろうと、真実や正当性を偽装してはイケナイ。自分の判断基準は、時々、自分の立場と他人の立場を入れ替えて確認する作業が必要だ。さもなければ、自分の利益に目がくらみ、一時的に利益を上げたとしても、長いコト、良心の呵責に悩まされるかもしれないからだ。良心を悪魔に売り渡した様な人物が居なくもナイが‥‥

じに出してハッキリ言う‥‥匿名を隠れミノにして無責任な発言をするべきではナイ。投票は無記名でも構わない。それは報復などを排除して、民主主義を発展させるだろうから。しかし、意見を述べる際には、信念を持ち、それを持ち続ける不屈の精神に支えられていなければならない。

やっぱり、ココで時間切れです。全部書き込めたのにゴメンナサイ。夜、ゆっくり書き込みます。間違いがあったら、アトで編集して訂正します。  
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2006年05月03日

アドラーの遺産

遅くなりました。加えてパソコンの調子が悪く、ローマ字入力してるので大変です。

短いかもしれませんが、許してください。

アドラーの一番弟子ともいうべき、ルドルフ・ドライカースは『勇気づけて躾る』という著作でベストセラーを出した。

《不完全である勇気》を唱え、無理に完全であろうとしないコトを薦めた。

紛争解決の四原則は、

〜蠍濛嵯

⊇侏荵の原因を正確に把握する

A蠍瀑碓

だ嫻い鯤かち合う

と述べている。

その妻は、芸術療法で、絵による療法の中にアドラーの諸原理を用いた。

ロゴセラピーのヴィクトール・フランクは、彼自身の心理学を発展させ、逆説的指示を用いた。不眠症の人にベットに入り意識して起きているように指示したら、寝てしまったというように。

認知療法や神経言語プログラミング、戦略的セラピーと統合的心理療法もアドラーへの恩義に敬意を払ってないが、派生したものであると言って差し支えないであろう。

アドラーの考え方は、アドラーの名前は遺されなくても、脈々と様々なところで息づいているのである。  
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かのように振る舞い、目的に達成する

おそようございます。連休だと思うと先月の疲れがドッと出て、しっかり寝てました。

「自分が望んではいるものの、出来るとは思っていないことを、あたかも本当に出来るかのように」演じてみる。そうすれば、違った自己像と新たな自信が与えられる。

最終目標を明らかにし、その到達に向かう中で、人生は開けていくとアドラーは考える。

基本的な目標

|輒棔邸伝瓦討了匐,話輒椶気譴燭い抜蠅辰討い襦9猟蠹に注目が得られないとすれば、否定的、破壊的で罰をまねこうとも、注目を得られるのであれば、罰すら一つの報酬として求めることもある。

⇔蓮邸伝瓦討了匐,蓮⊆分が価値があることを証明するタメに、力強いと感じたがっている。肯定的に感じる子供は、勉強などに向かうが、勇気をくじかれた子供は、反抗的で自己中心的になる。罰は意味をなさず、コントロールの力を入手するタメに否定的方法にのめり込むだけである。

I讐‥‥親に気付いてもらえなかった子供は、自分の影響力が残っていることを感じたいがタメに復讐に訴える。

ぬ亀の蓮邸徒亀の呂瞥輿蠅垢蕕癲∈把磴兵圓箸靴討涼輒椶鯑世襦2燭發靴覆韻譴仄最圓發靴覆い掘多くを失ったと感じない。ある種心理的安定は得られるが、時として精神的崩壊に至る。

幼年期に始まり、大人になってもしばしば展開される。

我々は、大人という巨人の中に赤子としてこの世にやって来る。劣等な位置から出発し、無意識に「マイナスに感じる」境遇から、「プラスに感じる」境遇へと向かおうとしているのだ。

暴力的な犯罪者は攻撃欲動の暗黒面によって作られるのだが、裁判や法制度は明るい側面から来る。それは世の中にヒトラーやスターリンを与えもするが、逆にマルチン・ルーサー・キングなどを与えもする。

フロイトは性の絶対的優位性を唱えたが、アドラーは人間の全体の一部分に過ぎないと唱えたので、フロイト派に異端視され攻撃された。それでも信念を曲げなかったのである。  
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2006年05月02日

アドラーの教育論

今朝の話の、母親を殺し、無関係の姉妹を殺した男性は、人生の何処かで間違った教育を受けてしまったのでしょう。ただ、これだけは申し上げておきます。両親だけに責任があったかというと、それは疑問です。モチロン、責任の大部分は親なのですが、ヨク言われるコトは、親や兄弟と素質、学校や地域の環境ナドナドの全てのカードが裏目に出た時にのみ、凶悪な犯罪は発生するコトが多いのです。周囲に居た誰かが、彼を支えていたならば、悲惨な状況にはならなかったハズです。だからといって、その逆境に負け、何の罪もナイ姉妹を殺した罪は許されるものではありません。人間は、どんなにツライ境遇にあろうとも、未来を信じて、他者と協力するコトはあっても、傷付ける行為は慎むべきです。子供は親の鏡です。「お前みたいな子供は‥‥」となじる前に、自分の行動を振り返って見るべきなのです。人間の心は幾つになっても進歩していけるのです。その気になりさえすれば‥‥

アドラーの教育論

 邸纏匐,論犬泙譴覆らにして善や悪ではナク、どちらの方向にも「影響されうる」白紙のような存在である。

◆邸顛祐屬旅堝阿倭瓦討北榲がある。それは、大人であろうと子供であろうと違いはナイ。

‥‥子供は経験から学ぶのがイチバンで、何が上手く行き、何が上手く行かないかを子供自身が発見することが大事である。賞罰制度ではないのだ。

た銅身の行いは一貫していなくてはならない。

ネΦど佞韻篭砲瓩堂礎佑ある。

進歩したいと望むなら、意識して行動を計画し、危険がナイかを注意し、行為に目的を持たせなければならない。心と体の両面で行動するので、行動は個人にとって私的で応々にして無意識的なものであり、心理的身体的な行動パターンを観察すれば、その人の未来を予見することも可能になる。無論、社会のあらゆる人々に共通する「身体言語」も存在する。

最終的に、自分を活かせる職業を見つけ、協力し合う仲間達の中で居場所を見つけ、人類の存続は私達の愛によって継続されるコトが幸せに暮らすタメの基本だと理解していきましょう。

では、マタ明日この続きを‥‥  
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前進して進化する

おはようございます。大阪の浪速区のマンションで何の落ち度もナイ姉妹が刺殺された事件で、「過去に実母を殺した時の快楽が忘れられずに殺した」という検察側の冒頭陳述を聞き、悔しさ一杯の姉妹の父親の無念すぎる言葉に打たれて、前から書こうとしていた「アドラー心理学」の話をやっぱり書こうと思いました。マタマタ、連載しないといけませんが、今度はその日とかにあったコトとかと関連付けて、ナカナカ心そそられる心理学なのだというコトをお伝え出来ればと思っております。
初めてのアドラー心理学
この本からです。

アルフレッド・アドラーはフロイト門下でしたが、後に袂を別ったタメ、フロイト派の攻撃を受けたので、日本ではそんなには有名ではありませんが、彼の理論を発展した療法が、アドラーの功績とはあまり認められていない(著述が得意でなかったのと、フロイト派との問題を引きずっているタメ)コトもあり、出来ればもっと皆さんに知って頂きたい人物です。何故なら、人間は過去がどうであれ、教育によって矯正されるという希望を与えてくれるからです。(タダシ、全てが上手くいくホド、世の中は甘くありません。本人の強い意志が当然ながら必要です)

マイナスからプラスに移るために、人生で獲得しなくてはならない三つの重要な領域があり、

仕事、友情、親密さ

とアドラーは言います。家族の中の自分の位置も、人間の性格に生涯に渡って影響を与えるのですから、家庭環境も物スゴク大事にします。ということから、教育の重要さも教えてくれています。

ヨク言われるコトですが、コップの水が半分なのを見て、「私の水は半分しかない‥‥」と途方にくれるのか、「私の水は半分ある」と喜ぶのか、それが人生を楽しめるか、楽しめないかの分岐点になります。

同じ一生だったとしたら、悲観的な人生を送るよりも、楽観的な人生を送りたいと思いませんか?

そして、理不尽な目に遭わないタメにも、全ての子供が正しく(厳しいしつけをヨシとするのではナク)教育されるようになりさえすれば、世の中はもっと明るくなると思います。自分に満足してナイ人も、心配ありません。アドラーの著作を読み、理解し、前向きになろうとさえすれば、未来は必ず開けて行きます。タダシ、自分を変えるのさえ大変なのですから、簡単に他人を変えれるなどという希望は捨ててください。貴方が変われば、もしかしたら、それに影響されて他人も変われるかもしれないという程度なのです。例え、そうだとしても、タダ手をこまねいているのか、一歩踏み出すのかの決断を迫られていると考えてください。今回の本も、皆様の人生に少しでも明るい希望を灯せるならば、ウレシイ限りです。  
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2006年01月24日

ウソの見抜き方・2

おはようございます。
で、昨日の続きです。

ウソを見抜くにも三つのポイントがあります。

一つ目が直感。
なんだかアヤシイと思うコトです。

二つ目が時系列で見た変化。
いままでと比べてどう変化したか、ということです。
この変化は、言葉よりも行動に注目してください。
行いのなかに、いままでやっていたこととちがうことが出てきたときは、何らかの問題を感じているからかもしれないのです。

最後はウソを見抜くのは、とてもカンタンです。「明らかにわかるウソ」です。

どうでしょう、この三つを考えると、今までマスコミ等々が持ち上げていた人物を、手のひらを返したように叩く様子を見ていると、逮捕された人物だけでナク、マスコミ自身も何だかウソっぽく思えてきませんか?

まぁ、そんなモノだと前々から判ってましたけど‥‥

ヒットラーなんか、この典型だったと思います。
それを鋭く見抜いたのがチャップリンです。
アトになって言うのなら、誰でも何でも言えます。
ウサン臭いと思ったら、すくなくとも「マス」「コミニュケーション」なんですから、取り上げない、少なくとも現在の時点において反省すべきはまず己からでしょう。ウサン臭いと見抜けなかっただけでも‥‥
おそらくそれを信じた大衆も多いのでしょうから。

選挙で応援したりしてもらった自民党しかりです。
道義的責任を感じるべき人々は大勢いると思うのですが、とにかく自己批判する人は少ない。

反省だけなら「サル」でもできるとは言うものの、『反省』すらできない人々が増殖し過ぎていると思うのは、ワタシだけでしょうか?  
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2006年01月23日

ウソの見抜き方

更新が遅くなりました。
一応ライブドアのブログなのでTVのニュース見てました‥‥ま、消えたら消えた時のコトだと思ってます。
場合によっては、一からやり直しですけどね。
それも人生でしょう。
行けるトコまで行くつもりです。

ホリエモンが好きだからココで始めたワケではありませんが、彼が気にはなっていました。
「波乱万丈」という番組に出演した時に、自分の子供時代を「不幸だった」と言い切っていたからです。

親の愛情を受けた自覚があまり無かったのでしょう。

タイトルは、ごま書房から出ている星一郎さんの「子どものウソの見抜き方」からです。

ウソには三種類のパターンがあるそうです。

第一は「結果的なウソ」
ほんとうに実行するつもりだったのに、結果としてウソになってしまった場合です。
約束したのに、忘れてしまったみたいな感じです。

第二は「その場しのぎのウソ」
その場の苦しさから逃れるためについたウソです。
プレッシャーに耐え切れず思わずついてしまったみたいな感じです。

第三は「意図して積極的につくウソ」
自分の利益のタメにつくウソです。
これは、積極的につくウソと言えるでしょう。

第三のウソをつくのは、特に親の関心をひこうとしてウソをつくのだそうです。
子どもの場合。
でも、良好な生育環境にないと、前に御話したと思いますが、アダルトチルドレンになる可能性があるので、体は大人になっていても、心は子どものままだったりするのです。

お母さんの関心を引こうとすると、喜ばせるか、困らせるに限ります。
嫌がることや困ることをしても関心は得られます。
負の感情の方が、仕返しになるかもしれません。

ただ、子どもは親を困らせるからといって、親に恨みをもっているとか、傷つけようというわけでなく、親子の関係を強めたいという願望の裏返しの行動なのです。

意識的にやってる場合もありますが、無意識にやっている場合も多いのです。

ウソを殺人に置き換えたら、池田小学校の児童を殺傷した宅間の気持ちも判るでしょう。

親は子どもに、心から優しく接しないとアトで大変なコトになりかねません。

親は良かれと思ってしたコトでも、子どもに愛情が伝わらなければ一緒です。

こういう結末になるのだとは、もしかしたら、ウスウス気付いてたのかもしれません。
それでもイイと思ってた節があります。

彼等が更正するには、内なる子どもをバランスがとれたトコロまで引き戻さなければムリでしょう。

折角の才能をお金儲けだけに使ったのでは、もったいありません。
若いのですから、罪を償って、再起して欲しいと思います。
モチロン、結審するまでは推定無罪なのは承知してますけど‥‥  
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