2017年05月23日

性悪説を考える

昔から、孟子の性善説よりも、荀子の性悪説の方を信じている。

というか、人間は努力して善である様に勤めるべきだと思っているので、性悪説の考え方の方が受け入れやすい。

そして、残酷な人が存在しても、元々の性が悪なら仕方ナイと諦めも付く。


人間は努力して、性を善ならしめる努力をするべきであると考える。

そもそも、そうでなければ国連のプライバシー権に関する特別報告者がプライバシーが侵害される恐れに配慮した措置を整える必要性をあらためて強調した「共謀罪」に対して、「日本政府はいったん立ち止まって熟考し、必要な保護措置を導入することで、世界に名だたる民主主義国家として行動する時だ」と訴えているというのに、官房長官が記者会見で抗議したと明らかにした日本政府の対応を理解するコトが不可能。

平気で嘘を言い続けて、法律まで通そうとする人々が政府の重要な地位にあるなど、性善説ではとても理解しきれないので‥‥  

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2016年11月23日

道を極める

というのは、本当に難しいものであると思うけれども、だからと言って平気で他人を騙してても、自分が何かを得ようとする卑劣な輩より、難しい問題。

本日の本は、


あまりに深い見識なので、凡人には理解し難い部分もあるけれども、

他者の尊厳を傷付けず、何事にも安寧の気持ちになるというコトの大切さが伝わります。

何物にも囚われるコト無く、自然体で生きるという意味を考えさせられます。

上手く整理して書くのは、とても難しいのですが、世の中に対する考え方を見つめ直すにはとても良い本だと思います。  
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2007年12月01日

悪いやつは誅殺する

フィブリノゲンによって肝炎になった問題も、責任があいまいで終わりそうだが、本当にこれでイイのだろうかと思う。

再び、「三略」から引用すると
一つでも間違った命令を下せば、百の命令が実行されなくなる。一つの悪事でも見逃せば、百の悪事が行われるようになる。

怨みを抱かれている者が怨みを抱く者を治める、これを天に逆らうという。また、敵とつけ狙われている者がつけ狙っている相手を治めようとしても、うまくいくわけがない。

人民を治める者が公平で、しかも、無私に徹してこそ、人民は生業にいそしむことができて天下も泰平になるのである。

上の命令に逆らう人間が高位につき、貪欲な人間が恵まれた生活をしているなら、どんなすぐれた君主でもうまく国を治めることができない。命令に従わない人間は誅殺し、貪欲な人間は引っ捕える。そうあってこそ教化がゆきわたって、もろもろの悪が姿を消すのである。
と書かれているのを読むと、今の官僚や政治家のしているコトは、どうだろうか?

現代なので、「誅殺」するコトは出来ないが、少なくとも「職を辞して頂くコト」は可能だろう。

「疑わしきは被告人の利益に」というのは裁判の鉄則だが、社会的に高い地位にある人々を「疑わしきはそのまま」というコトを続けていたならば、社会は崩壊する。

子供達をビシビシと教育したがる前に、まずは自らが襟を正さなければ、教育が上手く行くハズはナイのだ。

「一つの悪事でも見逃せば、百の悪事が行われるようになる」というコトを我々は、繰り返し繰り返し世の中に知らせるべきだ。

「エライ人になったら、無法者になっても罰せられない」という様な、悪しき風潮を改めない限り、日本に未来は存在しないと思うし、我々の生命も脅かされ続けると思う。  
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2007年11月30日

見習うべきコトは見習おう

中国の古典の話をしたり、日本の戦時中の誤りを正そうと書くと、時々、「中国びいきだ!」とイヤガラセする人が存在するのだが、何も今の中国を見習うべきだと述べているワケではナイ。人権問題もあるし、衛生面での問題も在るコトは、当然知っている。CNNで昨日読んだニュースには、「HIV感染者が増加して約70万人も」というコトだ。とはいえ、HIVの問題を読んでも他国のコトと考えるのは甘い。何故なら、中国に行って不埒なコトをする日本人が存在しないというコトは考えられないし、オリンピックなども控えているので、これから十年間位の内に、中国に行って感染した人々が国内で感染させる可能性は高まると思うからだ。

ともあれ、海を挟んでいるとはいえ、隣国であり、昔から文化や直接交流している人数は、かなり沢山ある国なのだから、目の敵にするのは如何なモノか。学ぶべきは、謙虚に学ぶべきだというのが、ワタシの考え方だ。

正直、どの宗教にも、どの政党にも入る気がナイのは、全てを同じ等間隔で理解したり、批判したいからだし、それと同じで、どの国とだけ日本は仲良くすべきだとは思わない。全ての国々と友好的に共存共栄を図るべきだと思う。

昨日の続きになるが、天下を取る人だけでナク、全ての人が知るべき文章を少し引用しておく。
相手の心を確かめるには、表側だけではなく、裏側も見きわめなければなりません。意向を確かめるには、外側だけではなく、内側も見届けにければなりません。また、実情を確かめるには、どんな人物を遠ざけ、どんな人物を近づけているかを知る必要があります。

病を同じくする者が助け合い、心を同じくする者が協力し合い、憎しみを同じくする者がかばい合い、好みを同じくする者が手をたずさえて進むのです。

大智は智をひけらかしませんし、大謀はことさら計らわないもの。また、大勇はやたら勇を誇示しませんし、大利は始めから利を念頭におかないもの。これらをもって天下に利益をもたらす者が天下への道を切り開き、害をもたらす者はその道を閉ざされてしまいます。
こういう言葉の重みは、幾多の歳月を過ぎても少しも旧くは感じません。日本の古典もそうですが、『古典』の良さは、幾多の著作の中で永らえて来ただけのコトはあるモノです。

故人の知恵を拝借して、これからの時代をより良くするというコトは、決して無意味ではナイと考えています。  
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2007年11月29日

トップに必要なのは‥‥

本日の新聞に宮崎県知事の東国原知事が、「徴兵制はあってしかるべきだと思っている。若者は一年か二年ぐらい自衛隊か、ああいうところに入らなければならないと思っている」と座談会で発言し、報道陣に「徴兵制や軍隊とは言わないですけど、若者にはある時期、規律がきちんと身につくような教育が必要だと思う。そういったものの欠落が、今の社会の道徳や倫理観の喪失につながっている気がする」と発言の真意を説明したそうだが、ハッキリ言って、防衛疑惑のこの時期に、こんな発言するなんて、『何にも判ってナイ人なのか???』と思う。

自衛隊に入っただけで、道徳や倫理観が身に付くのならば、今、こんなに大騒ぎしてナイと思わないのだろうか?

結局、『道徳や倫理観』というモノは、力で身に付くモノじゃないんですよね。当然ですが‥‥

一昨日の「全訳 六韜・三略の兵法」の話に戻ると、将たる者の条件として、「五材と十過」というコトが言われている。

「五材」とは、勇、智、仁、信、忠であり、「十過」とは十の欠点だというのだ。
一、勇にはやって死を軽んずる者
一、短期でせっかちな者
一、欲が深くて利益を好む者
一、仁がありすぎて厳しさに欠ける者
一、智はあるけれど臆病な者
一、どんな相手も軽々しく信用する者
一、清廉であって人にもそれを要求する者
一、智がありすぎて決断できない者
一、意志が強くなんでも自分で処理する者
一、意志が弱くなんでも人任せにする者
というコトで人間にはバランスが必要だというのだが、本当に世の中のトップに立つべき人は、賢人じゃないと無理なので、今の世の中、期待し過ぎてもダメなのかもしれない。  
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2007年11月27日

これでは国を滅ぼしてしまう

香川の事件は、義理の弟の犯行らしいというニュースで、報道もその内に収束していくのだろうが、それにしてもこの話題は連日連夜TVで取り上げられている。

こうした報道に先鞭を付けたのが、「ロス疑惑」だったのだが、あれから数十年、マスマス大事な問題は報道されにくくなっているのではないだろうか?

来年の春からは、高齢者からも健康保険の徴収が行われるのだというコトを正確に知っている人々はどれ位なんだろうか? しばらくは猶予される予定だが、マスマス世の中の景気を減速させる可能性は高いというのに。

日本の将来を憂うのに、中国の古典というのも変な話なのだが、太公望ゆかりと言われている(成立年代が違い過ぎるので本当は関係ナイらしいのだが)「六韜・三略」という兵法の名著がある。日本では、「大化の改新」に功績があったと言われている中臣鎌足の愛読書として有名な書物である。全訳 六韜・三略の兵法
という本を書いた守屋さんという名字は、防衛省疑惑で有名になった方と同じである。

しかし、本で述べている話は、当然ながら疑惑とは真逆な話で、政治のあるべき姿を述べている。ともあれ、どういう政治が良いかという前に、「三略」の中の「これでは国を滅ぼしてしまう」という章の部分を引用してみよう。
「人民が少ないのに役人の数ばかり多く、尊卑のケジメもない。強者と弱者がいがみ合っているのに、それを止めようとしないばかりか、君子のような立派な人物までその風潮に巻き込まれている。こうなったのでは、国まで滅ぼしてしまうかもしれない」
「善だと知りながら実行しようとせず、悪だと知りながらやめようとしない。賢者がいても登用せず、不肖者ばかり任用している。こんなことをしていたのでは、国まで滅ぼしてしまう」
「根幹よりも枝葉のほうが強大で、グルになって勢力を張り、下位の者が上位の者を押しのけてのさばり、いよいよその傾向が強くなっているのに、君主は目をつむって改めようとしない。こうなると、国まで危うくなる」
厚生労働省や、独立行政法人などなどを思い浮かべてしまうと、何だか、今の日本にピッタリじゃないかと思ってしまうのだが‥‥  
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2006年11月15日

教育には、教養が大事

「教育基本法」が無理やり改正されようとしている、今こそ、『やっぱり教養は、大事だよな』などと思って、心静かに中国の古典を読んでいます。
寒山拾得―座右版
国文専攻ですが、日本の文学にしか興味が無かった時代もあり、漢文はどちらかというと苦手なのですが、読み下し文や現代語訳があるので、李白や杜甫の詩はそれなりに読んではいましたが、正直な話、「寒山拾得」は森鴎外の小説や、水墨画の題材としか思ってなかったので、世俗を脱した詩を読んだ人々だったとは、恥ずかしながら知りませんでした。

考えてみれば、森鴎外の時代には、当然素養として読まれていたハズで、今思うと、コレを読まずして、鴎外の小説を読んで感銘を受けても、真の理解には程遠かったのですね‥‥

世の中の喧騒を離れた漢詩の数々を読んでいると、何だか本当にバカバカしい時代に生きている感じがします。

ともあれ、俗事を全て捨て去ってしまうワケにもいかないので、時々はこういうモノを読んで、世俗の垢を捨て去ろうとしなければいけないなと思いました。

人間の命は有限なのに、どうして他者を押し退けようする人々が多いのだろうかなどと、厭世観すら浮かんできます。

どうせ、縁あって、この世に生まれて来たのですから、なるべくならば皆で仲良く生きれないものかと思います。

誰かを憎んでばかりの人生よりも、自然と戯れる人生の方がず〜っと素晴らしいのに‥‥

「老子」を読んだ時も思いましたが、政道が優れていれば、おのずと世の中は良くなるモノです。乱れた政治をしておいて、下々を変えようとしても、下々まで乱れるばかりです。

「自らを省みて何事も行うべきだ」と自戒の意味でも、この本を買おうかと、本気で思っております。一度読んでしまうと、あんまり、そう思える本には出会えないものなのですが‥‥  
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2006年05月31日

無用の用

明日は、いよいよ県立図書館が開館します。で、返す前に書くべき最後の本がこれ。
飲食男女―老荘思想入門
他にも、借りた本はありますが、読んだ本の全てを書くよりも、ゼヒ、というモノに絞込みたいので。

老子と荘子について、トルストイや仏教、親鸞やキリスト教、源氏物語や夏目漱石、松尾芭蕉から聖徳太子、福沢諭吉の考え方と、リンクして説明してくださってます。正に、老荘思想の入門書と呼ぶにフサワシイ本です。

ちなみに、≪無用の用≫とは、荘子が唱えた思想で、「曲がりくねっていて使い物にナラナイ木がある」と尋ねられた時に、「世間から無用というレッテルを貼られたからこそ、マサカリや斧によって切り倒されるコトもナク、天然の齢(よわい)を全うしている。そこには、つきることのナイ彷徨の歓喜がある。世間的に無価値とされたとて、何も気に病む必要はナイ」と答えました。世俗の実利的・功利的な考え方だけに捕らわれると、見えなくなるものがあります。でも、本当に大切なモノは、目に見えない(「星の王子さま」の有名な言葉ですけど)し、お金があれば、99パーセントの欲しいモノは買えると思いますが、残りの1パーセントのお金ではどうしても買えないモノの中に、本当に欲しいモノがあったりするのです。

無論、お金がナイゆえに、大変な暮らしを強いられる人々もいるのですから、金銭を軽んじているワケではありませんが、お金だけあれば、何もかもウマクいくワケではないのです。

あればあったなりに、近付いてきた人々の求めるものが、自分なのか、それとも自分のお金なのかの心配をしなければならなくなるコトもあり、猜疑心に捕らわれ、他人に心を開かないので、人との間に壁を作ってしまう場合もあります。

生きるタメに必要なお金は、働きさえすれば、それなりに手に入ります。それを人生に活かして使うか否かで、人生の深みが違ってくるコトだけは、間違いないでしょう。  
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2006年05月27日

負けない秘訣は争わないコト

≪臥薪嘗胆≫という言葉を学生時代習った方も多いかと思いますが、タキギの上で寝てまで再起を誓った越王が、呉王に復讐するコトに成功したのは、第三十一計、「美人の計」あればこそです。西施(せいし)という美女を献上し、美女に惑わされた呉王は、骨抜きにされてしまいました。クレオパトラなど、勇者を腰抜けにした美女は数知れず、「綺麗なバラにはトゲがある」というコトです。

第三十二計、「空城の計」は、城をもぬけの殻にして、逆に疑心暗鬼にさせる方法です。諸葛孔明がその策を用いたトコロ、「何かありそう」と思った敵は、アワテテ引き上げました。あまりに無防備過ぎると、かえって二の足を踏みたくなるものです。高校時代、剣道が体育の授業にあり、友人が「やりたくないからドコでもイイから早く打って終わりにして」と剣を下げた時には逆に打つのが怖くてナカナカ打てませんでした。ワタシも剣道は当たると痛いので、やりたくはナカッタのですが、面や小手狙いと見せかけて、胴打ちなら、相手も痛くなかろうと思いっきり打ち込めたので(ホボ勝ちました)、サスガにその時はスキがありすぎて全然打てないのです。もしかして、気楽に打っていって、スキを狙われるのではないかと思えて仕方なかったのです。でも、確かに打たせてくれて八百長試合だったのだと思います(負けたら覚えているだろうから)とにかく、その時の打てなかった気持ちだけは今でも覚えています。

第三十三計、「反間の計」は、敵の間者を利用してウソの情報を流させるコトです。故意に偽りの情報をつかませる方法と、買収する方法があります。

第三十四計は、「苦肉の計」で、部下に自分の身体を思い切り打たせ、仲違いして逃亡して来たと相手方に思わせて、見方のフリをして敵に近付き、火を放った将軍が呉国にいました。

第三十五計の「連環の計」は上の火を点ける前に、相手の艦隊を鎖で縛って、動けなくしておいたのです。鮮やかな一本勝ちを狙うのではナク、二の矢、三の矢と幾つもの策略を張り巡らせてこそ、戦国の世を生き延びられたのです。

そして、その最後が「走為上(そういじょう)」つまり、≪走(に)ぐるを上となす≫、つまり「逃げるが勝ち」というコトです。戦えば死ぬ可能性はゼロにはなりません。でも、戦わなければ死ななくて済みます。無理に戦わないコト。それこそが最上の策であるというコトは、戦って莫大な死傷者や損失を出した経験から生まれたものです。「愛と哀しみのボレロ」という映画を学生時代に見た時に、心に残ったのは、「腰が痛くなるホド長い映画の末の感想が、人間死んだら終わりだな。生きていてこそだなというコトだけだったとは‥‥」というコトだけでした。長過ぎてストーリーはヨク理解しにくかったタメかもしれませんが、本当にそれだけしか思えず、映画館をアトにしたコトだけは、覚えています。

負けそうになった時は、敗戦を恐れず、最小の手傷に抑えて、再起を期して、サッサと逃げるコト、それがやっぱり一番です。玉砕した人々の子孫はこの世に存在してないかもしれませんが、生きて捕虜としての屈辱を受けても生還さえ出来れば、その子孫はこの世に生まれて来ます。遠い昔のコトではアリマセン。今、生きている日本人の半分くらいはそうして生き残った人々の血を受け継いでいるのです。戦争は決して過去のコトとばかり、水に流せるものではありません。虐げられた人々の心の中には、今も脈々と屈辱の歴史が染み付いているのです。それを考え違いするのは、アサハカな人間のするコトです。  
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勝負は時の運と割り切る!!

おそようございます。さて、早くこの本を書き上げないと、休みで困っていた図書館ももうじき開館して、返却期日が迫ってきてしまいます。既に何冊もの本が、書かれるコトなく待っているというのに‥‥と贅沢な悩みが。しかし、早く新しい本も借りたいし、人間というものは、ワガママなものです。

第二十八計、「屋に上げてハシゴを外す」日本の「二階に上げて‥‥」というのと一緒です。甘い罠と深い読み、周到な準備で相手をハメるのです。逆に考えれば、世の中、そんなに甘い話はアリマセン。本当に儲かる非上場株をワザワザ電話代をかけて、赤の他人に売ってくれる奇特な人がいると思いますか? ワタシだったら、本当に儲かるなら全部独り占めにして、そのお金で人生働かずに遊んでいようとか思っちゃいますね(笑)儲かる投資話とかと電話が掛かって来た時は、忙しいのでとスグに電話を切ります。どう考えても、夢ような話を聞いてられるホド暇ではありませんから。「必ず儲かるのなら、もう既にお金持ちになっていて、電話を掛けるなんて仕事しているハズないだろ!!」とツッこむのもバカバカしいので‥‥

第二十九計、「樹上開花」お花をパッと咲かせましょではないですが、劣勢の時にコソ、ハナバナしく見せかける方法です。そう言っては失礼ですが、サホド裕福ではナイ方ほど、自分を金持ちに見せたがるものです。本当のお金持ちは見栄など張らずに堅実です。堅実だから、お金持ちになったのかもしれませんが‥‥

第三十計、「客を反(かえ)して主と為す」招かれた客人の立場から、主人になろうとするコトです。くれぐれも人選は、慎重にというコトでしょうか。

ともあれ、勝負は時の運なのですから、利あらずして敗れるコトは常にあります。その時に、最期まで諦めずに、わずかな勝利の可能性を見つけ、起死回生しようとするかで、人間の価値が決まります。三十六計の締めは敗戦しそうな時にどうするかという計が書かれています。

アト、六計、有名な「逃げるにしかず」までもう少しです。玉砕するよりも、再起するコトの方が絶対大事なんだと、必ずや思うハズです。  
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2006年05月26日

人間の考えるコトは、昔も今も大差ナイ

ミクシィで、何匹もの子猫がビニール袋に詰められて、捨てられていたのをタマタマ通りがかった高校生が、奇跡的に生きていた一匹の子猫を助けたい一心で、動物病院に助けを求めたので、ソコの獣医師の方も、心優しい高校生の力になって、なんとか子猫は助かり、調子が悪いと再び親に連れられて来たので、その高校生の親と会ったら、やっぱり親も心優しい感じの方だったそうです。やっぱり、優しさも連鎖するのですね。虐待の連鎖よりも、ずっとイイと思います。

で、イイ話で心を潤したトコロで、続きに参ります。

第二十三計、「遠交近攻(えんこうきんこう)」です。現代もこういう政策を取っていますよね。遠くの国と仲良くして、近くの国を攻めるという意味です。

第二十四計、「道を仮りて虤(かく)を伐(う)つ」小さい国の窮状に付け込んで、大義名分を損なわずに、併合するチャンスを狙うのです。イヤな話ですが、こんなコトもやっぱり今もありますよね。

第二十五計、「梁を偸(ぬす)み柱を換(か)える」つまり、屋台骨を盗むのですが、現代の企業の乗っ取りなどにも似た手口が使われています。あくどいと非難することは簡単ですが、そういうコトにならない様に注意するコトも大事でしょう。

第二十六計、「桑を指差して槐(えんじゅ)を罵る」Aを批判したくても、それがイロイロな情況から難しい時には、Bを怒鳴って、間接的にAを批判したと同じ様な結果を得る時に使います。坑校代の川上監督は、チームに活を入れたいと思った時には、ミスタージャイアンツの長嶋茂雄氏をナインの前で叱り、全員の気を引き締めたそうです。陽気なミスターなら、叱られても後を引かない性格だと見込んでいて、このようにしたのだとか。やはり、名監督と呼ばれる人は、それなりの作戦を練っているものです。

第二十七計、「痴を仮(いつわ)るも癲(てん)せず」とは、「利口ぶって軽挙妄動するよりは、わざとバカの振りをして行動を控え、したたかな計算を外に表さない」つまり、赤穂浪士の大石内蔵助の様に≪昼行灯≫のフリをというコトである。

老子の言葉にも、「指導者たるものは、知謀を奥深く秘め、愚人の様に見えるが、それが理想のあり方」という一文がありますが、今の日本では、ナイ才能を在る様に見せかけている人々がイッパイの様に感じますけど‥‥  
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上に立つ資格のナイものが‥‥

おはようございます。実にクダラナイ人間が、日本の首長になれるもんだと、ワイセツ苫小牧市長の会見を聞くと思います。

以前から多少なら触らさせてもらっていた関係だったと言い訳するにしても、日本は一夫一婦制なのですよ。TVで放映するにも係わらずワイセツな行為をベラベラしゃべるコトに対する倫理観の欠如には、あきれ果ててしまいます。

とにかく、山拓さんの時も奥さんが構わないと言うと、奥さんが「エライ!!」で話が終わってしまうのですからね。ビル・クリントンさんが「不適切な関係」と呼んだホドの羞恥心すらナクて、信じられませんね。

酔ってたら、何でも許されると思ったら間違いなんだよ!!

酔うかもしれないと自覚して飲むコトを制限出来ないコト自体が、既に公職に就く資格がナイと思うのに、反省せずに堂々と日本中に恥をサラセルこと自体が信じられないのですが、あまりにバカバカしいのでこれ以上、そんなコトに関して書きたくありませんので、ヤメにします。

第二十二計、「門を関(とざ)して賊を捉(とら)える」弱小な敵は、包囲して殲滅(せんめつ)せよというコトです。十六計の「追い詰めすぎるとなりふり構わず反撃してくるから、逃げ道を残して置いてやれ」というのと矛盾しますが、臨機応変、その場その場での使い分けが必要だというコトです。

しかし、マタ、最初に戻る様なコトを書きますが、追い詰められたとはいえ、自ら招いた失敗になりふり構わず反論するのは見苦しい、としかどうしても思えませんね。

日本人には、「恥」を避けようとする美学が存在していました。それが失われたというコトは、本当に悲しいコトです。子供達に精神教育をさせようとする前に、政治家の皆さんにコソ、精神の浄化をお願いしたいと何時も願っております‥‥

怒りで冷静な書き込みが出来ないので、今朝はこれで失礼します。日本人であるコトが、こっちまで恥ずかしくなってしまう‥‥  
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2006年05月25日

難しいのは攻めるよりも退くコト

次に、素敵な本が控えてますので、テンポを上げないと、その紹介が遅れてしまいますね。でも、切り上げるのも惜しいので続けます。

第十七計、「レンガを投げて玉を引く」です。紛らわしいものを使って、判断を惑わし、思考を混乱させてスバラシイものを得る。逆の立場になると、目先の利益に釣られて、裏に潜む害を思いやるだけの心の余裕が必要になるというコトです。日本では、≪詐欺罪≫の罰則がそんなに重くないのは、詐欺に合う人の心の中には、儲けたいと思う気持ちがあるからと見なされてしまいます。歳をして、判断力が鈍くなっている人を狙う犯罪も多いので、それもどうかと思いますが、上手い話には、眉にツバを付けてよく考えてからにしてくださいね。

第十八計、「賊を擒(とら)えるには王を擒えよ」つまり、急所を攻めて解決すべきというコトなのです。織田信長が今川義元を負かした戦いを想像してください。交渉や説得も、人の泣き所を付けば、スムーズに解決出来る場合もあるでしょう。

第十九計、「釜の底より薪(たきぎ)を沖する抽(ぬ)く」補給路を断って、やる気を減らすというコトです。

第二十計、「水を混(かきま)ぜて魚を模(さぐ)る」混乱させて、勝機を探るという意味です。

そして、第二十一計、「金蝉、殻を脱す」日本人は桜が好きですが、「パッと咲いて、パッと散る」のは花だから美しいのです。負けると判って玉砕するのは、バカげています。キスカの撤退作戦は、アメリカ軍が踏み込んだ時は、子犬三匹だけで、アトはもぬけの殻でした。それなのに、日本の玉砕戦法に怯えていたアメリカ軍兵は影に脅かされて同士討ちをして、多数の死傷者を出したそうです。

ヨク戦うタメには、素早く退く決断も必要です。詐欺にあった時に、ズルズル行く人は、前に出したお金や時間が惜しいからと、ドンドンつぎ込んでしまう場合もケッコウあるものです。失敗したと思った時は、さっさと損切りするクライの心構えが必要です。最初から、高額を出そうとする人はメッタにいません。なのに、徐々に深みにハマってしまうと、考えられないホドの大金を思わず出してしまうモノです。

人生は決断が大事です。グズグズしてチャンスを逃して損をしない様に、時には損も覚悟してコトに当たるべき場合もあります。そういう時は、損をしても構わないだけの額を冷静に判断してから、チャレンジしてください。

前向きの失敗と、後ろ向きの失敗では、今後の人生に対する糧となるのと、重荷になるクライの違いがあります。リスクは前向きに取るべきであって、決してリスクに流されるべきではありません。  
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交渉や説得をスムーズにするには‥‥

おはようございます。人生を楽しく生きるには、無用な争いを避けなければなりません。だからこそ、兵法の書物を読んで、平和に生きる智恵を得るべきなのです。

「彼を知り己を知れば、百戦してアヤウからず」と言いますが、平和を語ってさえいれば、平和を手に入れられるワケではありません。愛せと強制して、心の底から愛して貰えないのと同じです。それが、判らない人々は「国を愛せ!」と叫んでいますが、国民を愛して政治を行えば、国民も心から国を愛するでしょう。方法論が逆ばかりだと思うのは、ワタシだけでしょうか?

戦争の方法は、現代では交渉事や説得の場において活用出来ます。世の中には、≪わからずや≫が大勢います。その人々を真っ向から説得しようとしたならば、一生かけても終わらないでしよう。名を捨てても実を取って生きた方が楽です。人生はそんなに長いものではありません。地球の誕生してからの悠久の時間と比べたら、人の一生なんて塵(ちり)みたいなものです。でも、だからといって人生を投げずに、大事に生きるしかスベはありません。

第十三計、「草を打って蛇を驚かす」というのは、相手の動きを把握して、強引に行かずに、探りを入れてじっくり相手を観察せよというコトです。マタ、主目的である蛇を捕獲したければ、周囲からジワジワ攻めよという意味もあり、用意周到な計画こそが、攻めるに際して重要というコトなのです。

第十四計、「屍(しかばね)を借りて魂を還(かえ)す」コレは、世の中に見捨てられているものの中から価値があるモノを掘り出して、活用すべきというコトです。今をときめく、大したコトのナイ人よりも、野に埋もれた賢人を利用した方がズッとイイのは、昔も今も変わりません。

第十五計、「虎を調(あしら)って山を離れさせる」虎は山の中にあれば無敵でも、平原におびき出せば鉄砲などで仕留めやすくなります。相手の土俵に乗らずに、こちらの土俵に連れて来なくてはイケマセン。

第十六計、「擒(とら)えんと欲すれば姑(しばらく)縦(はな)つ」である。つまり、捕らえたければ、しばらく自由にしろというコト。完全に逃げ道を断てば、相手も必死で反撃する。それでは、こちらも怪我をしかねない。心からの服属を願うならば、許して放す度量の広さコソ大事なのである。恋人だって、浮気をするのではないかと束縛してばかりでは、逆に自由を求めて羽ばたきたくなってしまいます。愛するというコトは束縛ではありません。心というものは、捕らえ所のナイものです。自由に伸びやかにしていればコソ、本当の感情と向き合えるものだと思います‥‥  
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2006年05月24日

果報は寝て待て!!

タイトルの言葉は、ワタシ好みのです。タダ、何もしないで寝て待っていてイイよという意味では、モチロンないですけどね。(このブログを何度も読んで下さっている方なら言わなくても判ってらっしゃると思いますが‥‥)

第八計は、「暗(ひそ)かに陳倉に渡る」で、正面突破と見せかけて迂回した作戦から付けられた。近くは、「史上最大の作戦」と呼ばれたノルマンディー上陸作戦もこれに当たり、第六計に似ているのだが、一歩誤れば形勢が一気に逆転する可能性もあり、史上最大の作戦は、史上最大の賭けになりやすい。

第九計の「岸を隔(へだ)てて火を観る」の様に、静観して、敵の内輪もめを待ち、自滅を待った方が得策というものだ。これぞ、「果報は寝て待て」というコトである。万全の準備、味方の結束、それがナクては、逆にこっちが自滅してしまう。

第十計は「笑いの裏に刀を蔵す」で、フトコロに刀を忍ばせておきながら、上辺はニコヤカに振る舞う策略である。斉藤道三が美濃一国を乗っ取った手口でもあるが、その最期を見ても判る様にあまりアクドイことをして、何かを手中にすると恨みを買うので、あまりオススメ出来ない。

第十一計の様に、「スモモ、桃に代わって倒る」という言葉は、局部的な損失を捨石として、より大きな利益を得るコトをススめているのだが、相手にもそれなりの成果を与えつつ、自分が目当ての利益を得ようとした方がイイ。全てを自分のモノにしようと欲張るよりも、互いに必要なモノを分けて得る方が、将来に禍根を残さない。戦国時代と、現代では違うのだから、お互いが「ギブ アンド テイク」するようにしなくてはイケナイ。無益な戦いを戒めているのは、戦国時代でもモチロンのことなのだから、現代においては当然のコトだ。

第十二計は、「手に順(したが)いて羊をひく」というもので、無理をしないでも手に入る利益なら、遠慮しないで全部貰っておけというコトだが、目先の利益に捕らわれて無理をしない範囲でと書かれているコトに注意しよう。地道に些細な利益を重ねる方が、ズッといいのだ。

欲望をコントロールするコトこそが、何事につけても大事というコトである。  
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人間心理の分析は損失を回避できる

おはようございます。グッスリ寝ました。晴れ晴れとした気持ちです。では、続きを

第四計は、「逸を以って労を待つ」相手に勢いがある時は、味方は余裕を持って守りを固め、敵の疲れを待って戦うというコトである。タダ、運を天に任せて待っているだけではダメで、敵に攻撃の糸口を与えぬ様に、打つべき手はキチンと打ち、味方の鋭気を養っておいて、イザという時には、スグ動ける状態にしておくコトは言うまでもナイ。

第五計は、「火に付け込んで押し込みを働く」浮き足立っている時は、一気に攻めよというコトで、火事場泥棒のようにしろというコトである。相手の隙に付け込んで攻めれば、息の根を止めやすい。負けてもイイと思うなら、カッコをつけてろというコトです。

第六計は、「東に声して西を撃つ」。ココかと思わせといて、アチラを攻める。だが、相手もこっちも少なからず兵力が分断するので、決まれば上手くいくが、裏の裏をかかれると全滅の危険もある。常道とは違う方法である。

ここまでで、「勝戦の計」は終わり、次は「敵戦の計」です。

第七計は、「無の中に有を生ず」つまり、初めにウソで相手をダマし、ウソと真を変えて裏をかく。虚々実々の戦いです。城内で、矢も尽き果ててしまった時に、千体ものワラ人形を作らせて、それを夜中に縄で城壁に下ろし、敵と勘違いさせて、ワラ人形に刺さった矢をせしめ、しかる後に、本物の守備兵を縄で下ろして、ワラ人形で矢をせしめると思わせておいて、無傷で相手方を急襲して打ち破る。有名な「安禄山の反乱」を鎮圧した手法です。

人間の心理をよく読んで策略を巡らせば、最小の犠牲を払うだけで、勝利を手にいれられるというワケです。

現在は、とりあえず日本では今のトコロ戦争がナイから何の役に立つのと思うのもゴモットモなのですが、些細な感情のもつれによる心理戦はそこかしこに存在します。もつれを大きくして、激戦とするのか、もつれをほぐして打ち解けるのか、全然違ってきます。無駄なトコロでエネルギーを浪費してもつまりません。自分を活かす最大のチャンスのタメに、エネルギーは温存すべきなのです。争わなければ、精神的にもくつろいで充実して、イザという時に実力を発揮できます。我々は、全ての事柄から、自分に有益なモノを見つけ出して、人生の糧にするコトは出来ます。

野に咲く一輪の花から優しさを貰うだけでナク、兵法書からも争わぬコトによる精神の鍛錬や集中力そして人に対する思いやりの大切さや真の優しさを学ぶコトすら出来るのです。優しさも、度を過ぎれば、単なる優柔不断になってしまいます。確固とした核があってコソという場合もあるのです。  
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2006年05月23日

『三十六計』の全てを知ってますか?

≪三十六計逃げるにしかず≫という言葉を知っていても、その全てを読んだコトはありませんでした。

中国流兵法の基本は「戦わずして勝つ」コトなので、人間の心理を巧みに利用して効率ヨク勝つコトがその理想です。武力でナクて、知略で勝つコトが大事なので、現実に即して、極めて柔軟かつ合理的に書かれている。

タダ、人生には思いがけない偶然というモノもあるので、定石ばかり学んでも仕方ナイのですが、さりとて定石を全然知らないのは考えもの。

と、書いたものの、今日の昼休みに出掛けた時には、ドクターの奥さんである友人と、数年振りに横断歩道の真ん中で偶然会ったのには、本当に驚きました。

ナント、彼女とは十年間に三度、偶然のみで出会ったコトになるからです。一度目は動物園で、二度目はスーパーで、そして今度は路上で‥‥偶然も三度も重なると、少し怖い気もする。娘の保育園の友達とその母親に、保育園と小学校の最初の時は、ヨク偶然に会ったけど、最近は全く会わなくなった。出会うというコトは、場所と時間の軸が一致しないとダメなので、会わない人とは会わないモノなのに‥‥

だが、偶然などを計算していたら、「待ちぼうけ」の歌みたいになってしまう。≪勝ちにまさかの勝ちナシ。負けにまさかの負けあり≫というコトで、何の用意もせずに勝ちを拾うコトはナイのだが、万全な準備をしても時あらずして負けるコトはあるものだ。

では、まず第一計から、≪天をあざむいて、海をわたる≫つまり、普段見慣れて安全だと思ってしまうと、疑問や警戒心を抱かなくなる。そうした心理の盲点を付けば、信じられないほどの幼稚なトリックにハマってしまう。オレオレ詐欺とか、振り込め詐欺はその辺に付け込むから、未だに引っ掛かる人がいるのだろう。

第二計は、≪魏を囲みて、趙を助く≫助けを求められた時に、助ける相手を攻めている敵の弱点を攻めて助けたことから、強大な敵は分断せよというコトです。

第三計は、≪刀を借りて、人を殺す≫自分の手を汚さずに、邪魔者を他人に始末させるというコトである。確かに、「戦わずして勝つ」のだが、現代においては薦められない方法ではある。

というコトで、三十六計を全て一度には書き込めないので、本日はココまで。昨日の疲れが、今日になって出て来たようで、眠くなったので寝ます。ワタシの一番の健康法は、≪疲れたら寝る≫という実にシンプルなモノなので‥‥  
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平凡に徹すれれば非凡になる

おはようございます。人間関係と健康はそんなに関係ナイんじゃと思うかもしれませんが、人間関係の悪化こそ、ストレスになり、リンパ球が活動しにくくなりますし、時として命を狙われないとも限らないのですから、物事はなるべく多面的に考えてください。

今日のネットのニュースの中に、小学校や中学校も出席停止に出来るとの方針が出されたと載っていました。では、出席停止になった問題行動をする子供はどうするのでしょう? 出席停止にして、学校外で悪さをするかもしれないのですよ。そういう子供にこそ、矯正するためのチームを編成して、社会によりよい人間になるよう努力して、犯罪の芽を摘むべきだと思うのですが、どうもそうは考えられないようで‥‥居場所がナクて、暴れたい子供に、学校以外の別の場所を提供するというような積極的な出席停止ならともかく、ただ学校から締め出したところで問題は何も解決しないと思うのですが‥‥

不正に年金を納めなくてもイイように改竄して、未納付率を上げようとした社会保険庁と似たような発想ですよね。問題を隠蔽しても、問題は消えて無くなるワケではないのに‥‥

『諸葛亮集』は諸葛孔明(孔明は字≪あざな≫)に関連して書かれた清の時代の張澍《ちょうじゅ≫が編集したモノです。

諸葛孔明は『三国志』の立役者で、知謀の軍帥として描かれていますが、実際は小国で凡庸なトップを支えて、手堅く生きた人物だったようです。

政治にあたる者は、まず身近なところに思いを致し、ついで遠い将来のことまで対策を考えておかなければならない。遠いところを見通して対策を考えなければ、近いところで足をすくわれることになる。

感情に左右されてはイケナイ。万全の作戦計画を練り上げた者は敵を恐れず、争いの前に勝利を不動にしようとする。愚かな人間は勝つ見込みがナクても、やみくもに争いたがり、その後で活路を見出そうとする。道なりに進んで勝つべきなのに、近道ばかり選ぼうとして敗れる。やるべきコトが反対だからだ。

上に立つ者が威厳を保ち、下はそれぞれが持ち場で尽力する。それでこそ、無理がナク、立ちふさがる全てのモノをなぎ倒すことができる。

何とウンチクのある言葉でしょう。石橋を叩き過ぎてはいけませんが、石橋を叩いてヨシとなったら果敢に渡るような決断をし、実行するコト。平凡かもしれませんが、それ以外に正道はない様です‥‥  
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2006年05月22日

柔よく剛を制す

タイトルの言葉は、皆さんヨク知っていると思いますが、なんと出典は『三略』という、太公望と呼ばれた人物の兵法書で、『六韜(りくとう)』と一緒に『六韜・三略』と一まとめに呼ばれるコトが多いのだそうですが、前に『六韜』については書きましたので、今回は『三略』について書きます。

周の文王に語った、太公望の上に立つ者の条件は、

 天下を包容する大きな度量

 国民の信頼を勝ち得る深い信義

 国民に慕われる深い愛情

 国内に行き渡る恩恵

 国を一つにまとめる権力

 果敢に政策を実行する強い信念

一方マイナスの条件として避けたいものは、

 血気にはやり失敗を軽んずる者

 せっかちで早飲み込みな者

 欲が強く、利益ばかりを重視する者

 思いやりがあり過ぎて、決断が鈍る者

 知恵はあるが、怯えを抑えられない者

 人を信じ過ぎる、オメデタイ者 

 清廉潔白を推進し過ぎる者

 判断力はあっても、臨機応変に対応出来ない者

 自信過剰で、自分で全てしたがる者

 自分に自信がナク、他人頼みな者

「柔よく剛を制し、弱よく強を制す」に続いて、「柔のみ、弱のみでは何の意味もナイ。柔と剛、弱と強の四つを兼ね備え、時々の情勢に応じて、柔軟に対応する」コトこそが、大事なのだそうです。  
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トップに立とうと思ったら‥‥

おはようございます。休み明け、今日も忙しい一日が始まります。しっかり休んだら、しっかり働かないと‥‥

『孫呉の兵法』と呼ばれるように、『孫子』と並んで『呉子』も中国の代表的な兵法書です。

「呉」と書いてクレと読んだり、「越」を付けて「越前」「越中」「越後」という国名があったり、「秦野」と呼ぶ地名や人名があったり、「斉藤」さんという名前もあるなど、日本の国と中国の群雄割拠していた時代の名前は関係が深いものがあり、ネィティブ・アメリカンは太陽をあがめて信じているのは、古代日本の天照大神の信仰と相通じるものがあり、偏西風を利用して人類が東へ東へと流れて行った可能性は高く、人類の祖先は一つの可能性だけでナク、日本とアジア諸国との間には、古くからの血縁関係は存在しているのは明白だと、本とは関係ありませんが、そういう言葉を目にする時は必ず思います。無理にどちらが一番などと争わなくてもイイのではないかと‥‥

ともあれ、『呉子』に書かれている、トップに必要な要素は四つ。

 ‥‥小手先の芸に走らず、基本原則を守る

 ‥‥人から非難される様なコトをしない

 ‥‥卑怯で浅ましくならず、けじめを心得る

 ‥‥相手の気持ちや立場を思いやる

というコトである。

≪将≫たるには、理・備・果・戒・約を心し、威・徳・仁・勇が資質として大事だという。

気持ちをマトメずして勝つ道理はナク、物心両面の万全の準備が必要で、果敢に行動して最後まで幾多の困難にもたじろがすに機敏にやり抜き、楽観を戒めて慎重に物事を情況の変化に対応しつつ油断せずに、簡素で判りやすい行動の指針を出し、威厳を持って気を引き締め、謙虚にして信頼を得て、思いやりを持ち、決断はスパッとするコトである。

一度にこうなろうとしてもムリだが、こうあるべきという明確なビジョンを胸にしているのと、イナイのとでは将来大きな差がでると思う。理想を胸に抱いて、地道に一歩一歩前進するコトを考えてこそ、道は開けるものなのではナイだろうか‥‥  
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2006年05月21日

急がば回れという考え方

兵法の代表的な古典、『孫子』です。これは、ソコソコ読んだコトが過去にあります。

  勝算なきは戦うなかれ

  戦わずして勝つのが上の上

自分の力を無視して、闇雲に戦うのは、相手の思う壺にはまりやすいというコトですね。

玉砕してはダメだというコトです。

頭を使い、犠牲を少なくして勝つコトが大事なのであって、多大な犠牲を出して勝つのは最低の勝ち方なのです。

水の様に、変幻自在に柔軟性を利用して、相手の抵抗の少ないトコロを突き、時として奥底に秘めたエネルギーを使って、ココぞという時には、一気呵成に成就しなくてはいけません。

こじれた人間関係を修復するには、時間が必要になりますし、交渉ごとも、アワテテ攻めるのではナク、周りからやんわりと持ちかけるコトが有効だったりする。

こういうのを≪迂直の計≫と呼び、急がば回れというコトだったりします。

相手に非があったとしても、責め立てて逃げ場を無くしてしまえば、≪窮鼠猫を噛む≫ではナイですが、逆に捨て身になって抵抗される場合もあります。

真の勇気とは、勝てる見込みのナイ時には、即座に撤退する勇気なのです。

情況を読み、決断力を持ち、嘘をつかず、約束を守り、毅然とした態度で、相手の立場になって考える。

  智・勇・信・厳・仁

その全てのバランスが取れてコソ、イイのであって、そのどれかに偏ってしまうと、オカシクなってしまいます。

我々は、そんなにウマク人生を乗り切るコトは出来ないのですが、でも、そういうバランス感覚が大事なんだというコトだけは、頭に入れておきたいモノです。  
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できぬ堪忍、するが堪忍

おそようございます。

タイトルの言葉は、幼い頃サトされ続けた親の言葉です。なので、大抵のコトは許しますが、程度を越すと逆にキレてしまいます。我慢は身体にヨクナイと思います。許し続けると、増長する手合いが多すぎるので‥‥

その言葉の出典が『十八史略』とは、全く知りませんでした。戦前の修身の教科書に載ってたコトは、聞いてたかも‥‥ともあれ、中国の言葉を引き合いにしつつ教えながら日本が一番と洗脳するのは矛盾していたと、戦前を省みて思うのですが、今も似た様な人がいるのですから、仕方ないかもしれませんね。ちなみに、中国の歴史教科書も図書館で借りて読んだコトがありますが、やたら「世界で一番最初に‥‥」といった記述があり、中華思想イッパイでしたから、政府の考えるコトも五十歩百歩ではありますが‥‥

 権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する。

という言葉がありましたけど、何時もその通りだよなと思います。

ともあれ、韓信の「股くぐり」は、馬鹿を相手にするのは馬鹿というコトで、忍従のみを薦めている訳ではナイようです。

ヤクザにカラマれて、股をくぐって命拾いするコトは、企業舎弟に法律を犯して金を払うコトとは違います。その辺を、はき違える人もいるみたいですが‥‥

定石を頭に入れていても、臨機応変であってこそ将軍になれます。

二十万の敵に、一万で勝利した韓信はタダの臆病者ではナカッタというコトです。

ともあれ、へつらい者や無能な者が登用されるようになると、国の政治の根本は揺らぎ、崩壊する歴史書を読んでいるならば、「偉大なるイエスマン!!」などと、自分を誇る様な人がトップに近くなったら危ないと思わないとイケナイんだと、ワタシは思ってるんですけどね。

 和して同せず。小人は同して和せず。

出典は違うと思いますが、そういうコトだと思います。  
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2006年05月20日

勝つコトよりも負けない努力

『史記』に続くは、四番目の正史である『三国志』です。

魏・蜀・呉の三カ国の本の総称なので、魏のことを書いたのが、『魏書』で、その東夷伝に卑弥呼が登場するのです。

今回は卑弥呼は関係ないので割愛しますが、卑弥呼の国は冬でも食べられる草が青々していると書かれています。『大和はどうかな?』と何時も思ってます。

「死せる孔明、生きる仲達を走らす」という言葉がありますが、実際の孔明は、小国の宰相だったゆえに、イヤでも負けない戦いを余儀なくされたのです。

兵力の差が大きい時は、勝つ可能性はナイに等しいのですから、勝たずとも負けなければヨシとしなければイケマセン。

現代においても、大企業と零細企業で力比べなんかしても、結果は見えています。でも、零細企業には、零細企業の生き残る方法はあり、それを実践する零細企業は生き残り、 大企業といっても油断すればツブレル。

企業と国の違いはあっても、歴史を学べば、現代にも通じるのです。

マタ、人間関係だって、勝ってやろうと力みすぎると、負けてしまいますが、負けまいとすれば勝つチャンスを見つける場合もあります。

確か『徒然草』にも、すごろくの名手だったと思うのですが、そんなコトを言っている段があった様な気が‥‥

人生は、負けても次があると思えるコトが一番大事だと思います。勝ち続ける人生なんてそんなにありません。負けても、負けても、次があるとさえ思えれば、何時か勝つ時もあります。その時にこそ、今までの失敗を活かして、負けない戦いに徹してください。失敗は、そのタメにあるのだと思うコトです。  
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歴史とは何なのか

おはようございます。『史記』の話です。

中国の『正史』と呼ばれるモノの中で、最も早く書かれ、最も古い時代のコトが書いてあります。司馬遷は、王から庶民、無類の徒に至るまで、あらゆる人間を登場させ、成功と失敗の膨大なエピソードを混じえながら、様々な人間模様を描いています。

范蠡(はんれい)という名前は、御高齢の方々なら知っているのだとは思いますが、建武の中興の時の後醍醐天皇が足利氏によって隠岐に流配された時、桜の木に「天、勾践(こうせん)を空しうするなかれ、時に范蠡なきにしもあらず」(御心配しなくても、范蠡のような忠臣がおります)と書かれていたという忠臣のモデルなのです。

ちなみに、ワタシは後醍醐天皇は才能はあったモノの人心の掌握術には欠けていた人物だったと思います。(日本史となると俄然、力が入った批評になってしまいますが‥‥)

ともあれ、范蠡なる人物が『史記』に登場するとは知りませんでしたし、その人となりも全く知りませんでしたが、ナカナカの人物です。

越王の勾践が呉の国に負け、会稽山にて屈辱的な講和を結び、「会稽の恥」をすすごうと苦節二十年、呉を滅ぼして恨みを晴らした立役者が范蠡である。

しかし、范蠡が並みの人でナイのは、大将軍の任命を『得意の絶頂の勾践に仕えるのは危険だ。苦労は共に出来ても、楽しみを分かち合うタイプではナイ』からと、何も言わずに辞意を表明して、翻意させたがった気持ちも振り切って、全ての地位を投げ打ち、斉(せい)の国に移住してしまう。

斉の国で、息子達と事業を経営し、巨万の富を築いた彼は、斉でも宰相就任を要請される。しかし、そこでも『栄誉が長く続くのは禍のモト』とばかり、申し出を断り、財産を村人に分け与えて、陶(とう)に移り住む。

陶でも、事業で巨万の富を築き、波乱万丈な人生を生きるのだが、≪保身≫というと、悪い意味に捉えられてしまうコトが多いけれども、≪明哲保身≫という言葉があるように、深い洞察力を持って身を守るコトは決して悪いコトではナイ。名は残るとも、楠正成の様に討ち死にしてしまっては、それで終わりだ。生き延びて、何かを為すコトこそが、やっぱり大事なのだと、この歳になって思う。  
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2006年05月19日

『共謀罪』で、世の中は平和になるの?

今朝の予告は『史記』でしたが、少し飛ばして『六韜(りくとう)』にします。何故ならば、国会で『共謀罪』なる法律が成立しそうになってるからです。

『六韜』は、藤原鎌足の愛読書として、昔から名前だけは知っていたが、ココに釣り人の代名詞として使われている「太公望」と呼ばれた名参謀によると、政治の要諦は「民を愛するのみ」と述べられている。

 国民のためにならないことはしない

 刑罰を簡略にする

 税金を軽くする

 浪費を抑制する

人民が腹を空かしていたり苦労していたりするのを見たら、心を痛める。賞罰を加えるにあたっては、我が身に加えるような気持ちで加え、税金を課すにあたっては、自分に課すような気持で課す。これが国民を愛する政治に他ならない。

つまり、国民の気持になって事に当たれというコトである。

『老子』も、「天下を治めるには、無為に徹すべきである。禁令が増えれば増えるほど、人民は貧しくなり、技術が進めば進むほど、社会は乱れているではないか。人間の知恵が増せば増すほど、不幸な事件が絶えず、法令が整えば整うほど、犯罪者が増えているではないか」と述べている。

悪いコトをしようとする人は、地下に潜って悪質化するだろうし、本当に怖い暴力団だとしたら、チクって仲間を裏切った時にどんなに恐ろしいかを理解しているだろうから、密告なんてするのだろうか?

机上の空論によって、世の中が悪化する可能性が逆にあります。共謀罪自体に問題もありますが、法律を強化するだけで、世の中が浄化されるというあまりに楽天的な発想にマズ呆れてしまいます。

少年法の罰則を強化したけれども、不条理な世の少年犯罪が無くなったのでしょうか?

犯罪は、罰則だけでナク、償いを伴って断罪すべきではありますが、罰則の強化だけで犯罪が消えて無くなるホド、甘くないのです。

『六韜』の太公望の様な施策をする政府だったら、おそらくその方が世の中は良くなると思うワタシは理想主義者ですか?

どうしても、そうとは思えないのですが‥‥  
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かけひきも時には必要

おはようございます。本日は『戦国策』からです。世渡り上手になるのと、健康とに何の関係があるのだろうと思われる方々も、いらっしゃる方もおられると思いますが、「私は不器用な生き方しかしたくない人間なのだ!!」と割り切っていて、そのタメに傷付いたとしても、全然平気なタフな思考の持ち主ならともかく、テキト〜に争わずに済むコトは争わないでやり過ごした方が精神的には、ヨロシイとワタシは思います。

「かけひき」は汚いと一刀両断してしまえば、それは簡単なコトだけど、激しい実社会で打たれ強くなるよりも、打たれにくく生きた方が、「楽」というモノです。人生の求道者の方々には、オススメしませんが‥‥

司馬遷が、次に紹介する『史記』にココから多くを採用しているらしいので、「漁夫の利」の話(カラス貝とシギが争ってたので、両方漁師が捕まえた)とか、「まず隗(かい)より始めよ」という話(駿馬を探す時に、死んだ駿馬を高く買い、それを聞いて続々と生きた駿馬を楽々と集めた話をして、その話を王に教えた隗を士官させたら続々と人材が集まった)は有名ですが、コレはオモシロイと思ったのは、次の話。

各地を転々として策を売り物にしている「説客」と呼ばれた中で有名な張儀という人物が若かりしコロ、誰にも意見を聞き入れられず、楚(そ)という国を去ろうとした時のコト、王に別れの挨拶をして、「これから晋(しん)の国に行きますが、何か欲しいモノがありますか?」と聞くと、王は「我が国には全て揃っているので、何もイラナイ」と答えた。
女好きな王の性格をヨク知っていたので、「女性もですか?」と聞くと、王は食指を動かした。さぁ、王のお気に入りの美女二人は気が気ではナイ。スゴイ美人を連れて来られたら、王の寵愛は薄れる心配もある。一方が、大金をハナムケとして持って来れば、もう一方も「ヨロシクね」と大金を張儀に渡す。
フトコロが温かくなった張儀は、王に別れの宴会の席でお気に入りの美女二人に酌をして貰って、王に言う。「これほど美しい方々がいらっしゃるのでしたら、美女を手配する必要はナイと思います」と。
王も、「気にするな、この二人ほどの美女はいないと思っていた」と言うので、美女を紹介する手間も省け、二人の美女からも大金は貰った上に喜ばれて楚の国を後にしたのである。

こういう「かけひき」は、誰も傷付かず、皆喜んでいる。ナカナカ、こうはイカナイものだが、「ダマす」にしても、後味がイイようにしないと後で恨まれてしまう。応対辞令の宝庫である、この様な本を読んで、人間関係をじっくり考えるのもイイかもしれない。  
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2006年05月18日

驕りて亡びざる者は‥‥

まずは、『左伝』です。一瞬、『左伝』?と聞いて考えたのですが、『春秋左氏伝』または『左氏春秋』の略と聞いて、≪あぁ、そんな本の名前を世界史で聞いたコトあるかも‥‥≫と思いました。世界史は、人の名前を覚えにくいので、社会科は日本史、一本に絞って勉強したので‥‥(暗記モノは苦手です。御話として中で覚えれば何とか頭に残りますが)

『春秋』を孔子が書いて、あまりの簡潔さに、左丘明という人がエピソードを加えて読み物にしてくれたのが『左伝』なのだと、おそらく初めて認識したのです。(ワタシも、素養に欠けております)

タイトルの言葉は、「いまだあらざるなり」と続くそうです。『平家物語』の世界だなぁとスグに思ってしまうホド、純日本人なので‥‥おそらく、この言葉が念頭にあってこそ、「祇園精舎の鐘の声‥‥」という冒頭部分が書かれたのでしょうね。

ともあれ、この本は「プレジデント社」が発行してますので、リーダーたるには、というのが先に出て来ます。すると、『原本読みたい〜でも、閉館中だし〜』とマタマタ悩ましくなったりします。ともあれ、コンパクトに教えてくれているのに、文句を言ってはバチが当たるというものです。で、一般的なコトに主眼を置いて、書き込みます。

春秋時代は、孟子が「春秋に義戦なし」と評した様に、正義のタメの戦いなど存在しなかったと書かれているが、戦争というものは、本来、各国のエゴとエゴの戦いなのだから、どちらもこれしか道はナイみたいにして戦うけれども、どちらかが正しいなんてコトはナク、≪勝てば官軍≫なので‥‥何時の世も。

王が大事にしていた駿馬が逃げて、山里で捕らえられ、食べられてしまったのだが、その関係者を処罰するという役人に、「馬、一頭のコトで処罰に与わず。酒無くして、馬肉を食えば病になりかねないから」と、罪を許した上に酒まで振る舞ったら、数年後に敵に攻め込まれ絶体絶命の窮地に一団の兵士が風の様に現れて、王を救出したのは、その山里の人々だった、恩義に報いようと、自ら戦いに参加したのだという。

「仁」つまり、≪思いやり≫の心、相手の気持ち、相手の立場に立って考えれるかどうかで、人としての器を決める。

ただ、「仁」ばかりだと、決断が鈍る。他人に付け込まれない様に、毅然とした態度もマタ必要なのである。足を踏んだ人間は、踏まれて痛い人間の気持ちは判らない、何時まででも踏まれていたいならば別だが、はっきりとモノを言うコト、臨機応変で態度に表すコトも大事なのである。負け犬になりたくなければ‥‥  
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生きていくタメには‥‥

おはようございます。

生きていくタメには、理想だけじゃなく、現実とそれなりに折り合うコトも大切です。

中国古典が共通して取り上げているテーマは三つ。

  修己治人

≪しゅうこちじん≫と読むそうで、「己を修め人を治む」というコトで、能力と人格の両面にわたって自分を磨いてこそ、人の上に立つ資格があるというコトです。≪人の上に立ちたいと思うなら、まず、自分を磨いてからしろよ≫というコトなのです。


  経世済民

≪けいさいさいみん≫、「世を経(おさ)め民を済(すく)う」。
国や組織をまとめて人民の生活を守るには、どうすべきかという問題です。


  応対辞令

社会生活のもろもろの場における人間関係に、どう対処すればいいのか。その対処の方法。現代でも、人間関係をいかにすべきかというコトで、古くて新しい問題です。

現代で言う「ハウツー本」と似ていると思いますが、その多くは焼き直しといった性格が強いのですが、例が違うとはいえ、国土も広く、人口も多かった中国で実際にあったコトを下敷きにしているのですから、裏付けが違うと思います。

しかも、それなりにウィットに富んでいて、お色気もあり、ガチガチに硬いばっかりではありません。だからこそ、現代まで残っているんだと思いますけどね。

自分の后を寝取った男を他国に富と共に仕官させたら、その男が他国と争いになった時に、その王を救ったという話なんか、ナカナカ日本ではナイ話です。

というコトで、実際の書物の話に、晩から入っていきます。  
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2006年05月17日

日本人の教養の根幹

昨日も書きましたが、図書館が休みの時こそ、読みづらい本をと借りて来たのがコレです。
完本 中国古典の人間学―名著二十四篇に学ぶ
中国の古典、二十四篇をさわりだけでも、しっかり読むなんてコトは、こんな時でもないとイヤになります。それに、二十四もの書物の名前は、知らないモノ、名前だけは聞いたコトがあるモノも数多く含まれています。こういう本なら、一日で一気読みしようとは思いませんから‥‥(笑)

はじめに、と書かれているトコで、まず「ウ〜ン!!」と思いましたね。日本の先人たちは、中国の古典を学ぶコトによって、近代を乗り越えてきたと書かれていました。

近年、この社会がとみに液状化現象を呈し、説得力のないリーダーが幅をきかしているのも、そのこととと無縁ではないように思われる。

なんて、書かれているのを読むと、思わず「ウンウン」と頷きたくなってしまう。日本の外交術と中国の外交術を比べたら、月とスッポン、大人と子供の様な差がありますからね。金を出しても出しても有り難がられない国、というのが我が祖国。『頼むから、愛するように強制しようとする前に、愛せずにはいられないくらいイイ国にしてくれよ』とか思う。

中国の本じゃなくてイイから、カーネギーの「人を動かす」くらい読んで、もう少し人情の機微を研究してくれとも言いたくなる。

今の中国政府がどうとかじゃなくて、問題なのは今の日本政府なんです。他国のコトより、自分の国をしっかり見つめて、何をなすべきか、他国の古典を勉強しなけりゃダメだというコトの意味をカミシメてみないとイケナイんじゃないかと思います。詳細は、明日から‥‥抜粋の抜粋を読んで、人生に幅を持たせてくださいね。  
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Posted by seitaisikoyuri at 21:11Comments(0)TrackBack(0)