2018年10月11日

四・七・八呼吸法

癒す心 治る力」をかなり前に読んで、とても良かったので読んで見たのが、こちらの本。


うつであろうと無かろうと、この本の中で一番オススメしたいのが、本日のタイトルの「四・七・八呼吸法」。

呼吸方は色々ありますが、中々、実際にこうやるというのは個人個人に癖があったりして、難しいモノ。

逆に、この様にマニュアル化してくれた方が実践しやすいかと。

\紊寮茲髻呼吸法が終わるまで、上の前歯の裏の付け根につけておく。

⊃阿鬚垢椶瓠◆口から息を全て吐く。

8を閉じ鼻から静に深く息を吸いつつ、心の中で一から四まで数える。

ぢを止め、心の中で一から七まで数える。

ジからフゥーと言いつつ息を吐き、心の中で一から八まで数える。

上記の、ぁ↓イ鮖猷鷏り返して一セット

どんな姿勢でも可能だが、座っている時には背筋を伸ばすコト。

一日、最低二回だが、何回でも可能。(但し、最初の一月は一セットづつ。それ以降は二セット連続でも可。慣れたら、二セットを一日二回以上すると良い)

これであれば、薬による副作用も、お金も一切不要なので、リスクが全くナイので、体調維持にも役立つと思います。

それ以外の方法を試してみたいと思う方は、是非とも本を読んでお試しあれ。  

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2017年05月31日

色々な症候群を知る

少し前の本ではあるが、読んで見ると確かにそういう症候群があったなとか、そんな症候群もあったのかという気持ちになる。

それでも、そういう色々な症候群の傾向を読んでいると、もしかしたら自分もそういう状況にあるのかもと思う人は多いのではないか。

そもそも、本当に状況が悪化していると、自分の調子が悪いと気付けない人が結構存在する。

自分が不調だと気付くだけで、状況に対して手を打つコトが可能になる場合もあるので、何となく精神的に参っているかもと思った時には、自分の状態と比べてみると良いかと思う本がこちら。


とはいえ、自分がそんな状態にあると気付いただけで、簡単に立ち直れるのは難しいかと。

それでも、マズは自分の状態を客観的に見つめられれば、回復への第一歩。

「生き直し」のヒントも書かれているので、軽症なら自分だけで何とかなる可能性もあるかも。

タダ、重症の場合もあるので、もしかしたらそうかもと思った時には、身近な人に相談するコトをお勧めしたい。

自分で何でも解決しようとするのではナク、誰かに救いを求められるとある程度精神的な問題は解決する可能性が高い。

自分で思っているコトと、他人が自分を見て思うコトとは、結構違うモノ。

他者との会話などを通じて、自分の認知の歪みを正すコトで、解決への道筋が見える場合もある。

自分一人で頑張ろうとせず、人の意見を素直に聴くというダケで、かなり違った展開になる可能性もあるのだから。  
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2015年06月03日

思い込みのメガネを捨てる

誰しも、生まれてからの人生の中で、色々な人に嫌な思いをさせられるコトがある。

それが、実の親だとしたら辛いだろうが、中には親だからこそ子供を縛る様な発言をする人も多い。

ともあれ、本当の自分と向き合うには、他人の言葉からの呪縛から逃れるしかナイ。

という様なコトを書いた本がこちら。


仕事柄、どうしてそんなコトで悩んでいるのだろうと思う人が時々いらっしゃる。

そんな方と、雑談をしていると、『あら、そんなコトに気にしていたのか』と思い、思わずそれを口にしたら、時としてソレがクリーン・ヒットになって、「実は、昔、こんなコトがあって‥‥」的な話をされ、最後には「誰にも言わなかったけれど、それが自分のトラウマになってたんだと思う」とまで。

その後で、「御蔭でスッキリしました」と、晴れ晴れとした顔でお帰り頂くと、本当に良かったと思うコトがタマにある。

そういう時には、様々な有益な本を何冊も読んでいたコトが、役に立ったのかなと思うのだが、この本も、そうした本の一冊に必ずなるだろうという気がする。  
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2009年03月31日

バチは当たるのか?

「悪いコトをするとバチが当たるよ」というのは、なるべく正しいコトをする人間になって欲しいからと注意するのに使われる言葉だが、事故とかで弱気になっている人に向かって、「何か悪いコトをしたから、バチが当たったんじゃないの」と心無い言葉を吐く人が居て、逆に心まで傷付く人が居る。

時々、「そう言われたのですが、本当ですか?」と真顔で心配して尋ねる方がいらっしゃる。

そういう時には、「大体、そういうコトを言う人は、宗教の勧誘だと思っていた方がイイですよ」と答えるコトにしている。

弱気になっている人をより叩いて、自分の支配下にしようとする人は確実に存在する。

にしても、世の中の特にトップに君臨する人々は、「悪いコトをしている人」とまではいかなくても、「やましいコトが皆無」という人は存在するのだろうか。

だからと言って、悪いコトを奨励しているワケではナイが、少なくとも「良い時にも驕るコト無く、悪い時も回り合わせ」と割り切るしかナイと思う。

「心にやましいコト」があると、やはり後ろ暗い気持ちになるモノだから、なるべく悪いコトをしない様にするコトは大事だが、全て完璧にやろうとすれば、逆に変になってしまうだろう。

我々は神ではナク、人間なのだから、多少は「過ちもするだろうし、失敗もある」だろう。だから、そういうコトはある程度割り切るしか無いのだ。

体調を崩している上に、自分を責めるコトだけは止めて欲しいと思う。誰かを責めたとて、体調は回復しないし、そういうマイナスの思いは治すという行為にとって、決してプラスにはならない。

弱っている自分を慈しみ、大事にするコトが一番の回復へり道だと思うから‥‥  
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2008年07月30日

あるがままに生きる

全部書いたのが、消えてしまって‥‥頼まない時には、バックアップが残ってますとあるのに、本日はそうはいかず。だったら、コピーしておいたのにという嘆きはさておき、再び書き直しですが、眠くなってしまったので、かなりはしょって。

森田療法というモノは、ブログを始めた時にも書いたので、ある程度のコトは知ってましたが、その創始者の伝記を読んだのは初めてでした。
森田正馬 癒しの人生
という本なのですが、森田療法として知られる独自の療法を編みだした精神医学者の森田正馬が、自らも神経症状に苦しんだ体験者であったというコトはホトンド知りませんでしたし、絵画の巨匠大観が森田療法を受けたコトがあったというのは全く知りませんでした。

まるで、アドラー理論の「人は自分の欠点を克服して大成する」という実践をした方の様な。

夏目漱石が神経症だったのは、ある程度知ってましたが、とにかく、「神経質」であるコトをマイナスとして捉えるのではナク、細かいトコに気を配れる素晴らしい性格と捉えて、性格を矯正しようとするのではナク、タダ、「あるがままに、自らを受け入れるコト」こそが、人生の扉を開く鍵なのだと言われると、『ナルホド』と思います。

これからするコトに対して臆するよりも、「為すべきコトを為す」と集中して行動するコトの方が、確かに意味が有ると思います。

「禅の言葉で説明はするが、決して宗教ではナイ」という言葉にも、世の真理は共通という想いがします。

我々は、神経症であるとかナイとかに関わらず、「せねばならないコトに対して、なるべく雑念を捨て、ひたすら行動あるのみ」であり、自らの心に正直に「あるがままに自分を認める」というコトは、今の理不尽な犯罪に対する救済になるかもしれません。

どんなに悪いコトを思ったり、考えたりしても、実行さえしなければヨイという考え方は、罪悪感を持ちやすい人々には免罪符になるかもしれません。

人間の心の中の、良い部分も悪い部分も全て受け入れて、その中から為すべきモノを為すというコトは、誰にでも実行可能なリラックスの方法かもしれません。

【追記】頑張って書いたら、前のが投稿されてました。同じ部分もありますが、全く違う部分もありますので、二つ共このまま残しておくコトにします。  
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あるがままに生きる

森田療法というモノが存在しているコトや、その療法についてはブログを始めたコロに紹介したので、ある程度は知ってましたが、その創始者の伝記を読んで、かなり感銘を受けました。
森田正馬 癒しの人生
という本なのですが、神経症者を救った精神医学者として有名な森田正馬が、自らも神経症状に苦しんだコトがあり、体験者であったが故に、それを克服したのだという正に、アドラーの「人間は欠点を克服してこそ大成する」という理論を地でいった感じの話にナルホドと思いました。

夏目漱石や絵画の巨匠大観も、神経症だったという話は前に聞いたコトがありましたが、それを克服するには「あるがままの自分を受け入れる」という、ありふれたといえばありふれた、当然と言えば当然のコトが秘訣だったという話は、正にコロンブスの卵。

家庭療法というのは、前にも書いた「内観」と合い通じる部分もあり、人間全てをさらけ出すというか、自己の根本を見つめる体験があればこそ、浮かび上がれるモノなのだなぁと思いました。

「神経質」というコトは、気が付き過ぎるというだけで、ソレを生かしさえすれば、欠点ではナク、長所になるというコトで、自分の性質を変えるのではナク、自分の性質を活かして生きるコトの大切さが伝わりました。

簡単に言えば、「クヨクヨ悩むなどという無駄なコトは止めて、今、しなければならないコトに対して没頭さえするコトが出来れば、ソレでイイ」というコトらしく。

「案ずるより産むが易し」というべきか、今この瞬間に集中さえしていれば、雑念は自然と消えるという考え方は、我々にとって受け入れやすい療法かもしれません。

別に神経症でナクても、何かをしようとして不安になるのではナク、やるべきコトだけをひたすらやり抜くというコトは、心が空回りするのを防いでくれると思います。

「幽霊を捕らえてみれば枯れ尾花」という句もありますが、本当に存在するとも限らないコトに「恐怖」を感じて、タダ足踏みするよりも、一歩を踏み出すコトの方が大事だというコトなんでしょう。

思い悩もうと、悩まなかろうと、結局、人間の評価は「実際に行われたコト」に対してされるのですから、ならば悩むなどというコトは無駄なコト。「ひたむきに、ひたすらに、しなくてはならないコトに対して、無心に行う」というのは、禅の教えにも似て、普遍的な真実なのかもしれませんね。  
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2007年11月28日

No!と言えない悲劇

香川県の殺人事件は、肉親ゆえにハッキリと頼み事を断れなかったが故の惨事となった。

折りしも、今日読んだ本が刺激的だっので、昨日の本の話は後回しにして、先に書くコトにする。
残響
DV(ドメスティク・バイオレンス)をどう克服するか、それは人ソレゾレだとは思うのだが、小説的にはこうなるんだろうなという展開で、引き込まれて読んだのだが、一度、「蟻地獄」のワナにハマってしまうと、抜け出すのが如何に大変かというコトも良く判る。

借金も暴力もそうだが、相手に一度付け込まれてしまうと、相手に服従を余儀無くされ、そのまま意思に反してズルズルというコトになりかねない。

「いじめ」なんかもそうなのだが、連鎖の鎖を断ち切るというのは、とても難しいモノだ。

相手にカモだと思われると、ドンドン支配されてしまう。

一番イイのは、そういう相手から、物理的に離れるコトなのだが、そうも行かない場合もある。

やはり、そういう時は、第三者に助けを求めるべきなのだろうが、ナカナカ他人のタメに迅速に動いてくれる人ばかりではナイ。

だけど、世の中には無料相談をしている行政の機関などもあるのだから、諦める前に相談するべきだろう。少なくとも、相手を殺して自分の人生を破滅させるとか、自殺するホド思い詰める前に。

期待し過ぎても、無理なコトも多いのだが、それでも自分で殻を突き破ろうとする限り、ソコには必ず明るい光が待っていると、勇気付けてくれる小説だ。

この作家の本は、初めて読んで、タイミングも良かったからかもしれないが、これからマークすべき作家の一人になった。  
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2007年09月16日

不眠症にも効く斬新的筋弛緩法

前に、眠れない時にと、白隠禅師の勧める方法や類似しているマーフィーの著作の中の方法を書いたコトがありましたが、かなり前の話になりますし、一昨日の「巻き戻し法」をする前に、「斬新的筋弛緩法」をしてリラックスするというコトなので、ココで改めて「斬新的筋弛緩法」の仕方を書いておきます。
できるだけ気持ちを楽にします。リラックスできているほど、事はスムーズに運びます。

一五分くらい快適に座っていられるところを捜します。足を上げ、手は開いた状態(握り締めない)にすると、くつろいだ感じがします。目を閉じて、足から頭にいたるまで体の筋肉群をリラックスさせていきます。筋肉をリラックスさせるためには、まず最初に筋肉を引き締めてから、次にそこを弛(ゆる)めるようにするとよいでしょう。足から始めて、頭にいたるまでの筋肉群のうち、とくに次の筋肉群を忘れないようにしましょう。

まず足とくるぶしをリラックスすることから始めます。足とくるぶしの筋肉に注意を集中し、きつく引き締めてはリラックスさせます。そして次々に、ふくらはぎ、腿(もも)、胃、背中、胸、肩、腕と手、首、頭、そして額や鼻、唇、下あごなどの顔の筋肉をリラックスさせていきます。歯を食いしばってはいけません。

これらすべての筋肉群をゆっくりと足から頭へとリラックスさせていく(これを斬新的筋弛緩法という)につれて、全体に快適で穏やかな感じが現れるのに気づきます。しばしの間、この快適で穏やかな感じに身をまかせ、正真正銘、感情が穏やかなことが確認できたなら、治療(筆者注・巻き戻し法)を開始します
そうして、「巻き戻し法」を行うというのですが、不眠に悩む方々は、寝るべき布団の上でなさるとイイでしょう。

強いショックの場合は、専門家の助けが必要です。次にその目安の主だったコトをかいてきますので。(タダシ、必ず上手な専門家に掛かるコトをオススメします)

・つねに情緒が不安定。慢性的に緊張、困惑、空虚、疲れきった感じがする。感情や感覚がコントロールできないと思う。症状が続くとき。
・悪夢や不眠が続くとき。
・周りのことに傷つきやすいとき。
・過度にたばこや酒あるいはドラッグを使用したいとき。

上の症状がある場合は、トラウマとかこだわらず、問題がありそうだと思うなら、専門家の扉を叩いてください。何事も、症状の軽いうちが一番ですから。

こころの傷は見逃さず、「仮病をつかっているとか臆病風に吹かれた」と決めつけて、困っている人を責めたて、ますます傷つけることのないようにしなくてはいけないそうです。でも、今の日本のマスコミの対応って、加害者のみならず、被害者に対しても似た様なコトやってませんか?

そして、そんな真似をして、「いじめ」も多発している様な気が‥‥自ら、心のケアをして、大事にしましょうね。  
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2007年09月15日

大事件や事故直後にとるべき行動

昨日の本から、オーストラリアのプリンス・ヘンリー病院が提案したガイドラインを紹介しよう。

感情を外に表す

恐れ  自分自身や愛するものが傷を負うかもしれないと
      恐れる。
      一人取り残されること、あるいは愛するものたち
      と離れ離れになることを恐れる。       
      「精神的に参る」あるいは「自己コントロールを
      失う」ことを恐れる。
無力感 危機は人間の強さと同時に無力感を引き出す。
悲しみ 死や負傷などありとあらゆるなくしてしまった
      ものへの悲しみ。
切望  すべてのなくなってしまったものを「いま、
      あればなあ」と切望する。
罪悪感 他人よりも恵まれたこと、たとえば生き残った
      こと、ケガをしなかったこと。
      財産をなくさずもっていることなどに罪悪感を
      感じる。
      なにもしなかったことを後悔する。
羞恥心 無力で「感情的(情緒的)」なところを人前に 
      曝し、他人の援助を必要としたことを恥じる。
怒り  起こってしまったこと、その原因になった人、
     起こるのを見すごしてしまった人、あるいは
     システムなどに対して怒る。
     不公平や非常識なことに対して怒る。
     恥ずかしいことや不名誉なことに対して怒る。
     他人の適切な理解を欠いた言動や非能率的な
     ことに対して腹立たしく思う。
     「どうして私がこんな目に遭わなければなら
     ないのか」と怒る。
追憶  ケガをしたり亡くなった、あなたの人生にか
     かわりあいのある人に抱いていた感情を思い
     出し、その喪失や愛を偲ぶ。
敗北感 入れ替わり立ち替わりわきあがる失望感。
希望  未来に対する希望、よりよい時に対する希望。

大きな危機に出会ったなら、誰もがこのような感情を抱く。他の災害の体験からわかったのだが、とくに次のような人では激しい感情が表れる。
・ 身の周りで多くの人が亡くなった。
・その人たちの死が突然のことで、暴力的あるいは恐ろしい状態で起こった。
・たった一人生き残った。
・亡くなった人に依存するところが大きかった。
・危篤状態にある人の親族。
・このストレスがどのストレスよりも大きい。

このような感情を吐き出せば自然に癒されていくものだ。そうすればこころのコントロールが失われるようなことにはならない。感情を押し殺してしまうと、神経にも体にも問題が出てくる。おもいきり泣くと、こころがやわらぐ。  
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2007年09月07日

自傷したがる若者たちへ

その気持ちが理解出来るかというと、ちょっと無理ですね。若かりし頃だとしても、死ぬなら確実に一瞬に死ぬ方法を選択したと思うので‥‥痛いのは、勘弁して欲しいです。

タダ、血を見るとスカッとするのは、ある程度は理解出来ます。瀉血療法とかもあるし、循環器の先生に、「女性は閉経するまでは、あまり血圧の心配をしなくてもイイですよ」と言われたコトもありますので。献血も、体力のある人ならば、新鮮な血を作れるので、健康にイイという話も聞いたコトもありますから。

そう考えると、本の最後の方で、「夜回り先生」として有名な水谷修さんが、
具体的に体を動かし、まわりの人に思いやりを配れば、何かが返ってくる。
と書いてあるのですから、献血でもすればイイのでしょうが、物事はそんなに簡単にイカナイだけのバックがあるのだろうと思うので、ナカナカ難しい問題です。

水谷さんが、多くの中高生と対話して、自傷する原因を六つに分類して「家庭における虐待」「学校におけるいじめ」「過去における性的な被害」「親の過度な期待への適応疲れ」「失恋」「友人関係」を挙げられたそうですが、親に問題があるとするならば、本人が変わるしかナイにしても、問題の解決は難しいでしょうし、学校にはいじめは残念ですが存在すると思いますし、失恋や友人関係の問題は、誰にでもありうるし、自分以外の誰も解決出来る問題ではありませんから、周囲の人は、悩んでいる人の話を聞いてあげる位しか、手助けし難いと思います。

若い頃の恋愛は、本人が気付くか気付かざるとに関わらず、どうしても自分に似た人を好きになりやすいので、この本にも書かれている様に、互いに自殺願望のある人同士という取り合わせになりかねないのだとも思います。

でも、本当は結婚するなら「ベターハーフ」と言われる様に、自分と類似してはいても、重ならない部分を持っている人を選べればイイのでしょうが、「恋はままならないもの」だったりするので、これまた難しい問題です。

ともあれ、「本気で死ぬつもりがあるのなら、その前に自分をさらけ出すしかない」だろうと思います。やるだけやって、それでもダメなら諦めても仕方ナイのですが。

ワタシが若い頃に感動したパール・バックの言葉、
幸せになりたいと思ったら、世界中探し求めることです。それが、出来ないならば、自分の周りに作り出すことです。本気で探すか、作ろうとさえすれば、必ず幸せは手に入るはずです
という言葉を、悩んでいる全ての人々に贈るしかありませんね。  
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2007年09月06日

名医を選ばないと‥‥

前から、医者は選ばないと危ないという話は、何度もしてきましたが、一般的に余程のコトがナイ限り、あまりメンタル系の話は聞けないものです。

でも、儲け主義とそうでナイ医師との違いは、正に昨年の叔父のボケ騒動の時と、ピッタリ一致してますので、おそらくそうなんだろうと思います。昨日の本からですが、
薬に頼らない治療を行う雷門メンタルクリニック(東京都台東区)の井波真理医師は言う。
「精神科医にとって、薬だけ処方すれば喜んでさっさと帰る患者はありがたい。長い時間かけて話を聞いてあげる必要もない。そのぶん、別の患者を診ることができて増収につながる。薬好きの患者さんは薬を出す医師が好きなので、定期的に通ってくれる『お得意さん』になる。それがわかっているから、医師も過剰処方を続けるのです」
一人の患者を五分でさばけば、一日に診る患者数はどんどん増える。増収を続け、ビルの一角を間借りしていたのにすぎないのに、駅前に大きなビルを建ててしまう医師もいるという。こうした薬漬けの医療、依存症を見抜けない精神科医に、井波医師は批判的だ。
「薬だけもらいにくる人は本当のうつ病と違う。単なる依存症。医者は自分たちがヤク中を作っていることに気づいていない」
中でもリタリンという向精神薬が危険みたいだ。リタリンの効果は覚醒剤に似ていて、気分がハイになり、仕事や勉強にやる気が出て、夜中でも起きていられる様になるらしい。本来、日中でも強い眠気に襲われるナルコレプシー(過眠症)向けの薬なのだが、世界的に60以上の国々で販売されているにも関わらず、うつ病への投薬を認めているのは日本だけらしい。

販売元の会社が、1995年に「うつ病への投薬をやめるのが適当」と厚生省に申し入れたという。リタリンは乱用されることが多く、うつに有効な他の新薬が開発されたためだという。

複数の抗うつ剤を試しても効かない「難治性うつ病」(治りにくいうつ病)に限っての効能が認められたのだが、一部の無定見な医師が、病の重い軽いにかかわらず、うつ病を訴える患者に見境なく処方していて、依存者を増やしているのだとか‥‥『エエッ!!』て感じですね。

「三二条」と呼ばれる精神障害者の通院医療費を免除する法律が、2006年春から見直されたそうだが、医療費がホトンド掛からないからと、依存者によるドクターショッピングを可能にし、何軒も回っては、薬を大量に手にする人を増やして来たのだそうだ。

精神障害者に通院を促す法律が、快楽のためにクスリを消費する依存症患者を増やした側面もあるという。
「精神科では伝統的に、症状の重い統合失調症の患者に、強い薬を大量に処方してきた歴史がある。このため、うつ病患者への大量投薬も抵抗感がなく、一〇数種類もの抗不安薬や睡眠剤をまとめて処方する。死ぬほどの薬が簡単に貯まるのには、医師の安易な処方が背景にある」
病気を治そうと、病院に行ったら、薬依存症になって、オーバードーズで亡くなってしまうのだとしたら、本末転倒ですよね。どの科もそうですが、お医者さん選びは慎重にしないと、逆に命を失いかねません。お気を付けください。  
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2007年09月05日

生き急ぐ若者たち

昨日、娘が「お父さんが新聞のおくやみ欄で、15歳の人が亡くなったっていってたけど、あれ、学校の先輩だったみたい」と話してくれました。

その子供さんが、どういう死因だったのかは判りませんが、丁度、書こうと思いつつ気が乗らずにいた本が、コレだったので、マスマス気が重くなったのですけどね。
“消えたい”症候群―リストカットとオーバードーズ 生への処方箋を考える
確かに、若い頃は死にたくなるコトが結構あります。

薬依存症の行き着く先が、OD(オーバードーズ)による死なのかもしれません。

ちなみに、前に書いた睡眠薬を少ししか出して貰えなかった方は、若者ではナク、別に睡眠薬依存症というワケでもありませんが、ナイと不安というコトで、ちゃんと出してくださるトコへ行き、処方されてますし、世の中悪用しようとすれば、何事も簡単に出来てしまうだろうなと思いますね。

とにかく、読んでいて一番思ったのは、リストカットしたり、オーバードーズする人は、周りにその人の話をチャンと聞いてくれる人がホトンド居ないみたいで。

特に親が、見て見ぬふりをしたりして、不思議に思います。

保育園とかで、問題のある子供の親御さんは、自分の子供は「イイ子」であると、決め付けていて、問題が起きると、それは「他の子のせいだ」と怒鳴り込む場合が多く、「本当は貴方の子供に問題がある」と説明しても、全然聞き入れない場合が多いとおっしゃる方に、「自分の子がダメ」だと思うと、自分が持たないから「ワザと聞かなく」してるんじゃないかなという気がします、という感じのコトを言いますが、そういう親と子の関係が、悪い方に進んで行くと、こんな感じになるんだろうなと思います。

実際、若いコロは、「ピュア」なコトにあこがれるので、どうしても自分が許せなかったり、行き詰まってしまうコトは、かなりあります。その時に、どうするかで、人生の将来が決まるのですが、どうしても、若者は早く白黒つけたがるものですから、ナカナカ難しい問題ですね。

何度か書いてるかと思いますが、昔、そんな時期に医学部の教授が自分が癌であると判っていながら、授業してて、「皆さんは、こんな年寄りになったのだから、もう死んでもイイだろうと思っていると思いますが、ココまで生きてきたから死にたくナイのです。今まで、色々あっても、ココまで生きて来たからこそ」と言ったんだよ。「でも、長くはナイんだと思うんだけどね」という話を、新年会で向こうが医学生三人、こっちも女の子三人で集まった時に、医学生三人がしてくれたコトを今も強く覚えています。もしかしたら、ココまで元気にワタシが生きているのは、癌で亡くなられたであろうお会いしたコトはナイ、医学部の教授の御蔭かもしれません。

ワタシも、皆さんに言いたいです。必ず、「ココまで頑張って生きて来たんだから、滅多なコトでは死にたくナイと思う時が来る」そして、若い時よりも、足腰も衰えて、身体も動きにくくなって、生きたくナイ時も来るかもしれない。だとしたら、ソコで死んでも遅くはナイから、若い内に死んだら勿体無いよ。

青春時代に、若いというコトの素晴らしさは、ちっとも気付かないモノだけど、歳をして若さを失うと、それが本当に掛け替えのナイものだったとみんな思うんだからと。  
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2006年10月06日

自分自身の固有の物語を生きるために

ユングは、「人間にとって決定的な問いは、彼が何か無限なものと関係しているかどうかということである。これは人間の生涯に対する試金石である。真に問題とすることが無限性にあることを知ったときにのみ、われわれは不毛なことに興味を固着させてしまうことを避け、真に重要でない色々な目標にとわられることを避けることができる」と述べているそうです。

五 超越的な世界との接触

1 死を体験する‥‥現代の日本社会において、「死」はわれわれからまったく遠ざけられている。「死の体験」の疎外、あるいは剥奪は、象徴的、心理的な世界に及んでいる。例えば、停滞、沈滞、怠慢を極端に恐れる風潮、不潔恐怖症、洗浄恐怖などに示される汚いもの、臭いもの、醜いものを極端に嫌悪する心性、あるいは抑うつに陥ることを恐れつねに走り回っていないと不安な躁的防衛の行動などの中に、現代社会における「死の体験」の疎外、剥奪、その結果としての恐怖を見て取ることができる。夢は貴重な機会を与えてくれるといえよう。

2 知恵を授かる‥‥夢はときどき、自我には考えもつかないような「無意識」の知恵といったものを示してくれることがある。とても不思議な気持ちにさせられるのだが、大変に理性的に頭をひねって真面目に考えた内容よりも、同一人物の夢の方が、はるかに面白く、ユーモアがあり、深い知恵に溢れているようなことがある。

「無意識」には(精神病を引き起こすほどに)非常に横暴な面があり、神格化することは出来ないが、少なくとも頑なな「自我」が思いもつかない知恵を持っており、「無意識」の声に耳を傾けることは重要である。

3 あるべき本来の姿をうかがい知る‥‥「あるべき本来の姿をうかがい知る」こころの作業を行なうような夢もある。ユングは、「本来的自己の感知は、いって見れば非合理的なものである。定義しがたい存在で、自我はそれに対立するのでもなければ、服従するのでもなく、それの味方となる。地球が太陽のまわりを回るように、いわばそのまわりを回るわけである」と述べている。

「自己」そのものに到達できなくとも、「本来の姿をうかがい知る」ことは可能なのである。  
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和解への道

おはようございます。では、仕事もありますので、ドンドン続きを書かせて頂きます。

四 対立するものの和解

1 囚われているものを救い出す‥‥男性が自立するタメに必要なのは、母親からの呪縛からの脱出です。そして、自分の中にもある「女性的な」部分が問題視されます。

ただ、それは、「自分のこころを優しく抱きとめてやること」「自分の(女々しいと思っている)感情を受け入れてやること」「自分の欲望や身体の声に素直に耳を傾けてみること」といった、「こころ」あるいは「魂」の領域のことと理解しておかないと、現実社会で実際に生身の「女性を抱いて(相互の合意の上の関係ならばともかく)」しまうような「行動化」を起こす危険が生じてくる。

女性の場合も、「男性的な」ものをこころの奥深くに長年閉じこめて抹殺しようとするのではなく、救出することが大切です。

2 対立するものを和解させる

さて、救い出したらそれで終わりではありません。救い出した「女性」や「男性」と直接向かい合い、対話し、ときに対決し、そして和解するこころの作業が必要です。

瀕死の状態にあったようなものを救出したとして、それを受け入れることは難しいものです。それを貧弱で情けないものとしか見れなければ、決裂してしまいます。

3 求めるものと結ばれる

抑圧された「女性的な」もしくは「男性的な」部分と必死に取り組み、戦い、対決し、和解を試み、そして結ばれあう、困難なこころの作業を、内的にも外的にも、苦しみながらも遂行することに救いが生まれる。

判り難いと批判されていたジブリの「ゲド戦記」をこんな感じの視点で見直してみれば、全然違って見れると思います。少年少女が大人になるタメには、それなりの試練があり、試練なくして大人になったつもりでいる人には、中高年になってからも、それなりの試練があるというコトなのでしょう。  
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2006年10月05日

父母と対決して自由な子どもに

ともあれ、HPはどうなったのか現在調査中です。判りましたら、御報告しますね。心配して、メッセージやコメント頂きまして、本当にありがとうございます!!

では続きです。

2 母なるものと対決する‥‥夢を通して、繰り返し繰り返し、母親に対して、あるいは父親に対して、充分に養い育ててくれなかった不満を述べ立て、恨みごとを言い、腹立ちをぶつける。幼い頃から両親は共稼ぎで忙しく、励ましの言葉や優しい言葉を掛けてくれることは少なかった。幼い頃から心中深くわだかまっている両親への不満、恨み、怒りを吐き出し、両親ときちんと向き合うことによって、人は、ようやく少しづつ自分の「幼さ」に別れを告げることができる。

意識的にはまあまあ不満のない親子関係だと思っていても、夢の世界では、本人も驚くような激しい不満や怒りが表出されてくることは珍しくない。夢に出現する母親、父親は、多くの場合、現実の両親像を超えている。夢に表現される母親に対する激しい怒りは、往々にして、溢れるほどの愛情を注ぎこんでくれるべき、万能な母親像に向けられている。そんな完璧な母親は、自分のこころの中にだけ存在して、現実にはどこにも存在しない。それを認識して、万能な母親像の呪縛から脱して、現実の母親をほどほどの存在として受け入れていくことは、哀しいこころの作業である。この激しい怒りには、現実の母親は決して万能な母親ではないという哀しみも伴っている。

3 父なるものと対決する‥‥幼児期から非常に干渉的で、子どもの自由を奪い、子どもの生活すべて支配しないと気の済まない父親、その存在を自覚し、言葉だけでは充分に表現できない深い認識とカタルシスを与え、同時に父親や父親に対する怒りからの解放感と癒しをも与えている。

夢の世界で、われわれは、実の両親だけでなく、「溢れるほどの愛情を注ぐ万能であるべき母なるものへの甘え」「満足に育たなければ我が子を喰い殺し呑み込む母なるものへの恐れ」「偉大な教え手、導き手であるべき父なるものへの依存」「掟に背けば直ちにこの世から追放し殺害する父なるものへの恐怖」といった元型的な「父なるもの」「母なるもの」との対決である。

4 生き生きした自由な子どもを回復する‥‥幼い未熟なものを克服しながら、なおかつ、生き生きした自由な子どもをこころの中に保持し続けることは、相当に難しいこころの作業である。

こころの深くに放置したままにしていた、「子どもたち」、こころの機能としての、周囲に対する生き生きとした好奇心、未知のものに飛びついていく冒険心、慣習に囚われない自由な発想や想像力、他者の喜びや悲しみに向けられる繊細な感受性、小さなもの、幼いもの、弱いものへの共感性、などといったものを表している。その子どもたちを、太陽と緑のもとに誘い出して、本来の「自己」に、「これを求めていたんだ。こんな嬉しいことはない」と思わすようにしよう。  
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「永遠の少年」

おはようございます。次の段階の前書きとして、著者はこう書いてらっしゃいます。

「大人」であることの厄介さの一つは、内界には子どもの頃とはあまり変わらないような未熟なものを沢山抱えながら、外界ではそんなものは何ひとつ持っていないかのように振舞っていることかもしれない。私自身にしても、還暦を越えた年齢にありながら、率直に自分自身を振り返ってみると、未熟なもの、幼いものを、まだまだ一杯抱えて生きている。自分がある年齢に達してみると、以前その年齢の大人に対して想像していたのとはまったく異なる。びっくりするほど幼い、未熟な心象風景がそのまま残っていることに気が付く。

むしろ、それに気付き、その違和感を率直に認めることができる「大人」はまだましかもしれない。多くの「大人」は、それに気付くことさえ抑圧して、子どもの頃と変わらない幼さ、未熟さなど毛頭ないかのように振舞い、確信的にそう思いこんでいる。そして、それが抑圧さればされるほど、(最近よく話題になる教師や警察官の不祥事はその格好の例だが)まったく思いがけない唐突な形で、すごく未熟なものが「行動化」として赤裸々に表の世界に現れ出てしまう。

幼い未熟なものの克服は、まず何よりも、どのような年齢になろうとも幼い未熟なものは内界にしっかり根を張っていることに気付くこと、すなわち「意識化」することから始まるのだろう。しかしこれは「大人」にとってはなかなか辛い、悲哀に満ちた作業になるだろう。

三 幼い未熟なものの克服と再生

1 残存する万能な少年(少女)の力を認識する‥‥幼い未熟なものの代表の一つが、英雄的な少年(少女)像などとして表現される「万能感」と言える。「万能感」は、万能の力を持っていると幼児的に空想することだけでなく、自身のほどほどの人生が受け入れられないこと、この先にまだまだ成功や幸福が待ちかまえているはずだと考えること、全力を挙げさえすれば必ず報われると想像すること、老いや死が自分を少しずつ覆っていることに直面できないこと、などとして、大人になってからも根強く人のこころを支配している。ときには、自分の失敗はすべて自身の責任だと過度に自責的になることの中にも「万能感」は現れてくる。

フォン・フランツは、「永遠の少年」の持つ「万能感」について、「さしあたって、これこれのことをしてはいるが、しかしそれが女性であろうと職業であろうと、まだ本当に望ましいものはないというわけで、あるのはただ、未来のいつか本当のものがやってくるという空想ばかりである」と述べている。

「万能感」には、否定的な側面だけでなく、本来の完璧な「自己」を求める力が危険な可能態として存在しており、その肯定的な側面をも理解しておかなくてはならない。ただ、それを地上の現実のものにするには、長年にわたる自我や現実とのすざましい相克を必要とするのだろう。

さて、仕事の時間ですので、続きは今晩‥‥  
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2006年10月04日

夢にはどんな効果があるのか

今朝の本の筆者は、夢分析を主たる技法とする心理療法家です。実際に分析しようとすると、どうなるのかについて、今晩からは書き込みます。

一 こころの扉を開く

1 溜まっているものを吐き出す‥‥この世に生まれて以来、幾多の経験を通して、人のこころの中にはさまざまな悲哀、絶望、孤独、羨望、怨恨、嫉妬、怒りなどの感情が溜まっている。本人に自覚されている場合もあろうが、むしろほとんどは意識されないままに潜在していて、こころやからだに無意識な影響を与えている。それを言葉として表現できればいいのだが、受け入れがたいものであるが故にこころの深層に抑圧されているのだから、それは、とても汚く、臭い、うんざりした作業になる。このうんざり感を精神分析では「抵抗」と呼ぶ。

2 見たくないものを見る‥‥これまでの人生において直面することを避けてきたもの、しっかりと向き合う必要があったのになおざりにしてきたもの、そうした見たくないものを見る、聞きたくないものを聞く、知りたくないものを知るこころの作業である。

3 死んでいたものを蘇らせる‥‥これまでの人生の中でこころの深層に押し込めてきたもの、閉ざしてきたもの、殺してきたものを、もう一度生き生きと蘇らせ、解放してやる作業である。

4 傷つきを癒す‥‥幼いころから負ってきたさまざまな傷を改めて癒す作業でもある。

二 暗闇の世界への降下

1 得体が知れないものに出合う‥‥より自我を脅かす形で、得体の知れない不気味なものが無意識世界から現われ出て、自我の防衛のちょっとした隙間をかいくぐって(あわてて扉を閉めるがちょっとした瞬間に侵入されて)、意識の中に入り込んできてしまう。

2 襲ってくるものと戦う‥‥こころの深層で自我を脅かせている不気味なものの正体は、夢分析の作業が進むにつれて、だんだんはっきりしてくるが、それに従い、その正体をしっかり見据え、対決し、戦う必要が生じてくる。

3 影と向き合う‥‥ユング心理学で、「影」とは、「その個人の意識によって生きられなかった反面」「その個人が認容しがたいとしている心的内容」だが、「自分で今まで気づいていなかった、欠点や否定的な面を知り、それに直面して、その中に肯定的なものを見出し、生きてゆこうとする過程は、予想外に苦しいものである。影への自我への統合といっても、実際にするとなると、なかなか容易ではない」

4 新しい装いを探す‥‥こうした夢分析のプロセスを通して、少しづつこれまでとは違った新しい自分の装いを見つけ出し、身につけていく。社会や他者に向けての装いは、また新たな「ペルソナ」を形成することになるが、しかし同時にそれは、「個性化」に至る道程でもある。

続きは、マタ、明日です。分析されなくても、何となくそうやって再起すればイイのかと、思いませんか?  
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自分と折り合うタメに

おはようございます。ともあれ、「生きてて楽しく」感じるのは、社会もそうですが、自らそうした気持ちになれないと無理です。で、それに至る方法は、様々あるでしょうが、本日はこの本です。
夢の物語と心理療法
どんな人が、心理療法に掛かるのか、河合隼雄さんと対談しているトコに書かれてます。まず、その辺から見ていきましょう。九つくらいに分類できるそうです。

〕泙Δ弔簀海┐弔に苦しむ中年期の男性‥‥エリートサラリーマン、医者、弁護士など、それまで華やかに活躍されていた人が、いきなりポキッと折れて、抑うつ状態になったりする。自殺願望もあり、仕事の話は知識豊富、学業的な業績もすばらしいのに、家庭の話は単純でおもしろみに欠ける傾向。

漠然としたむなしさとか、満たされなさに悩む中年期の女性‥‥四十代後半から六十歳くらいまでで、家事をされてきた方々。

7觝Ю験茲亡悗垢詈‥‥若い人からずっと上まで。学者、教師、大会社の部長など、外ではすごく立派なのに、家では暴力をふるったり、自殺騒ぎを起こしたり、裏と表でギャップを抱えている人がいるタメ。

し擇だ格障害のある人‥‥アルコール、ギャンプル、過食、浪費、万引きなど、いわゆる嗜癖症候群の人たち。豊かになったがゆえに、生きるむなしさを感じている傾向。

イ發Δ舛腓辰判鼎だ格障害‥‥境界例の方々。自殺を企てたり、自傷したり、重い摂食障害や重篤な嗜癖行動を繰り返すので、入院してコントロールが必要な人々も。

β仗誘枋イ箸、対人恐怖とか、引きこもりなど‥‥思春期から青年期にかけての男性が多い。

Ю良の神経症の方‥‥現在はかなり減っている。ルーズな部分が増えている。

┫愀弧兪曄被害妄想などもう少し精神病圏の人‥‥重い分裂病の方は病院へ、軽い人は徐々におさまる傾向。

臨床心理士や精神科医‥‥訓練のためなのだが、内面的な部分が出てくるので、治療と変わらないことが多いとか。

かなり、色々なパターンがありますね。しばし、この本を詳しく。  
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2006年09月13日

異質な人を排除しようとする社会

おはようございます。実名報道した新聞や雑誌を図書館が閲覧させなかったり、しにくくしているのは、「言論の自由」の侵害なのかどうかの議論がありますが、一個人の顔や名前を知るコトがそんなに「言論の自由」という大義名文を与えられるモノであるならば、是非ともその矛先を『権力者』に向けて頂きたいというのが、大半の方々の感想ではナイでしょうか?

法律に問題があると思うならば、法律を改正する様にすればイイのであって、マスコミという権力を楯に勝手に法律を解釈し過ぎるのは、いかがなモノかと思います。

社会に再び出るコトもあるのだから、というのであれば結審して有罪が確定してから、しっかり実名と顔写真を出して報道した方が、より社会に出る時期に近付いているハズなのに、何故しないのでしょう。

日本人は穢れと祓い、禊の精神に裏付けられた神道の国なので、犯罪者であろうと死んでしまえば神になれるのですという論を、膨大な死亡者を出した戦犯の方々にする人々が、個人で人を殺した人には、何故その論を展開しないのでしょう?

結局、権力者と権力を持たざる者との間には、ダブルスタンダードが存在するからです。
犯罪被害者のトラウマを見事に書き上げた小説です。

どう主人公が、トラウマを克服しようとするのかは、読んで頂くとして、この言葉だけを抜き書きしておきます。

望んでいた人生を手にできるのは、ほんのひと握りの恵まれた者たちだけなのだろう。でも、人は自分の歩幅で歩いていくしかない。

ほんのひと握りの恵まれた者たちだけが支配する世の中は、イビツでしかナイと思います。  
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2006年06月08日

人としてどうすべきなのか?

おはようございます。

『総研』は詐欺の立件がムリみたいです。結局、≪トカゲの尻尾切り≫なのでしょうか? ともあれ、我々は見掛けにダマされないようにしなくてはイケマセン。横文字に目くらましになりやすいコトを自覚しなければ。

「仕手」と聞けばそれなりの注意も払えるのに、「ファンド」と聞けば何だか素敵な響きに心動かされてしまったり、「コンサルタント」と聞けば必ず素晴らしい指導が受けられると思ったり、皆、人間なのですから、スーパーマンも居なければ、神や仏の様な善人ばかりではナイのです。

中には、神仏を語って、金品を巻き上げようとする≪バチあたり≫が、平気で宗教家として世の中を渡り歩いているではありませんか。見た目がヨクても、じっくり見れば(特に目)やましい人はケッコウいます。最近は、確信犯が多くて、堂々としているワルがはびこってますが、娘がTV画面を見て言いました。「盗作画家とヒューザーの社長の顔が似ている」と。確かに、言われてみれば、それぞれのパーツこそ違え、雰囲気は似ています。そういう直観を大事にしていって欲しいものです。

ともあれ、悲哀の解決に必要なのは、感情の表出だけなのです。

苦しんでいる人を見たら、すぐさま治療が必要という訳ではないが、「そのうち良くなるよ」などと言って、彼らの苦痛を見過ごすべきではなく、彼らの感情や、彼らの喪失感、傷ついた感情をいかに重要なものと思っているかを軽視しないことです。

他者の語る物語に耳を傾けること。喪失を経験した人は、自分の気持ちをうち明けることの出来る人、是非を判断せずに受け入れてくれる人、自分の言葉に耳を傾け自分が適切と思うように援助してくれる人を求めているのです。

十代の少年少女などは、自分の感情を動かすような仲間や恋人の影響を特に受けやすく、特に少年の方が自殺を考えやすく、相手の女性を説得して道連れにしようとする場合もあります。

親しい人を失いたく無ければ、常日頃から、他者の悩みを聞き、信頼される関係を構築しておくべきなのです。マタ、そうであればこそ、貴方が傷付いた時には、必ず貴方を支えたいと思う人がいてくれるのです。世の中は、ギブ・アンド・テイクなのです。まず、貴方から、より多くの人々に精神面で与えるコトを始めてみませんか? 少しでも住み良い世の中になるかもしれません。  
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2006年06月07日

立ち直る秘訣

祝祭日だけでナクとも、役立ちそうなコトが書かれています。

仝充妥になる。祝祭日には魅惑的な気分になるとか、自分の問題が解決されるというような期待を持たない。

悲嘆という現実を受け入れる。自分の感情に素直になり、それを押さえ込もうとしない。泣きたければ、泣きたいだけ泣く。祝祭日が喪失感を強めることがあることを理解する。

人生のなかで良いことを探す。健康、家族、友人、仕事、なんでもよい。自分が大切に思っていることに対して感謝の念をもつ。それらを書き留めておき、自分の人生には何も良いことがない、という気持ちになったときにはいつでも見られるようにしておく。

ぜ分の体調に細心の注意を払う。バランスの良い食事をする。砂糖やアルコール、たばこ、カフェインは最小限にする。休養を十分に取る。身体のためによいと思うことをする時間を十分にとる。何か自分だけの特別なことを定期的に行なう。

ゼ分がやるべきだと思っていること、やってはいけないと思っていることについて、過度の期待を持たないこと。たとえば、すべての誘いを受け入れる必要があるのかどうか考える。物事を無理に引き起こしたり完璧を期したりしない。それは逆効果になるだけである。

自分を最もよく支えてくれる人と一緒にいるようにする。特別の日のためには特別な計画を前もって立てる。家族に前もって自分の計画を知らせる。自分に何が必要か、家族に何を期待しているか伝えておく必要がある。

Ъ分の経験していることを本当に理解してくれる人を見つけて、その人に自分の気持ちを打ち明ける。悲嘆のサポート・グループにいる友人は、祝祭日の時期には支持や助言や親しい交わりの源泉として実に貴重な存在である。

┿犲圓坊桧佞鯢修稿段未米のために、簡単な記念の儀式を作っておく。簡単なものであっても、人生の変化に意味を与えてくれるし、苦痛を乗り越える助けにもなる。

ユーモアのセンスを失わず、できればさらに養う。祝祭日を過度に生真面目なものにしないようにする。もし深刻ぶったり張りつめ過ぎていると感じたら、良い意味での笑いを盛り込むようにする。馬鹿げたこと、滑稽なことを自分でやってみる。笑いは緊張とストレスを和らげる良い方法である。

自分自身の持つ精神力を信頼する。

ぜひ、お試し頂きたいと思います。  
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悲しみに対する実践的方法

おはようございます。悲観にくれる人には、≪明日は我が身≫と思って親身になるコトが大切なのですが、では、悲しみからの脱却にはどうすればイイのか。実際に有効とされる方法を次に書いておきます。(「生と死のセンター」が奨める心得より)

〜喙困鮓充造里發里版Г瓩襦

△△擦蕕困忙間をかける。癒しの過程は、たどたどしくも着実に歩みを進める性質のものである。

十分な休養を取り、日常の決まった用事もきちんと時間をかけて行なう。

ずは強力で圧倒されるような感情も、時間とともに弱まることを知っておく。

ゼ分の弱さを隠さずに示し、痛みを分かち合ってもらい、周囲の支えを受け入れるだけの謙虚さを持つ。

生あるものに囲まれた環境で過ごす。たとえば植物や動物、友人など。

反動で深い関係を新たに持つことや、重要な決断、習慣性になるものすべてを避ける。

日記をつけ、上手くいったこと、思い出、大変だったことを記録する。

変化に対して心の準備をする。新しい関心、新しい友人、孤独、創造性、成長が待っている。

(自分自身および他者を)許すことが癒しの過程の重要な一部分であることを認識する。

死にかかわる新たな危機が、過去の喪失への感情をもたげさせることを理解する。

祝祭日や記念日になると、すでに折り合いを付けたと思っていた苦しい感情が再び沸き上がる可能性があることを知る。

最後の項目について、アイオワ大学の児童専門病院が詳しく方法を挙げてますが、それは晩に書かせてください‥‥  
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2006年06月06日

公認されない悲観に光を

さて、今朝の続きです。言われてみればそうなんだと思う様なことがあります。確認するタメに皆さんも考えてみてください。

.┘ぅ献鵐亜焚知陝法邸添廼瓠▲▲鵐船┘ぅ献鵐阿箸いΩ斥佞ある様に、若くあるべきだという概念が大きくなればなるほど、年齢ゆえに、または年齢にともなう欠陥があるはずだという理由で選択肢が即座に制限されてしまうとき、その人は差別の対象になる。美容外科手術は、老化による身体面の喪失に対する前向きな対処の一つと言えるかもしれない。しかし、気品を持って人生の辛苦を受け入れ、死そのものを自然の経験と考えるというのも一つの立場である。ほかの多くの経験と同じように、死は(回避ではなく)尊敬に値するものであると同時に、人間として誰もが与えられる運命の内で最も過酷なものなのである。

⊆殺‥‥現代社会では死を美化したり、騒いだりし過ぎであり、同時に死の現実を否定しているので、身近な人が自殺すると、心に負担がかかるのである。自殺されると、残された人は解決出来ない大きな喪失感を持って生きていくようになる。遺族が示すさまざまな反応の中には、ショックと事実の否定、怒り、恥と罪悪感、引きこもり、抑うつ、自己破壊、そして意味の探求などといったPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状も含まれる。自殺の際に何か出来ることがあったのではないかという罪悪感に駆られるように仕向けてしまう。しかし、建設的に向きあえば、恐怖も肯定的で力を与えてくれる情動になりうるというのだ。本人の気の持ち方、周りの人が心の平静と希望をどれだけ強化してくれるか、家族の援助、これらが残された人に力を与えるための鍵となる。残された人が自殺した人を許してあげられるようにならなければならない。許すことによって、恥と罪悪感が和らぐのだという。

K塾枠蛤瓠邸堵鏗下圓呂燭世任気┷甍感を感じたり、他者を信頼できなくなったりしているのに、友人までもが傷つけるような態度を取るようになるためだと考える。これは犯罪のことや自分が犯罪に巻き込まれることを考えるのが嫌で、犯罪の被害者を避けるようになるためだと考えられる。犯人がまだ逮捕されてなかったり、判決で有罪が確定していなかったりというように、事件が未解決のままだと、家族の心の傷もふさがらないのだが、そのような喪失を体験した友人や知人の話を聞いてあげられるのはせいぜい二週間程度だという。心臓発作を起こして一命をとりとめた人が医者に健康状態をチェックしてもらうのと同じように、被害者や遺族もカウンセリングなどプロの人に心の健康状態を定期的にチェックしてもらうべきだという。

その他にも、女性がガンで乳房や子宮を摘出したり、近親姦の被害者になったり、人種による偏見とか、ペットが死んだり、拒食症や摂食障害になったり、戦争や大量虐殺、ホロコーストからの生還者(電車事故とかの生存者なども)目撃してしまった体験が否応なしに意識のなかに侵入してくるのである。

そういう人達にどう手を差し出すのかが、考えるべき問題なのだというのです。  
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無言のうちに苦悩する人に救いを

おはようございます。かつて、小佐野さんという有名な「乗っ取り屋」と呼ばれた人物が日本に存在しました。今の村上さんと、比較して、冷静に分析すると、過去と現在の日本がどうなのか、しっかり見えてくると思います。ともあれ、続きです。

被害者とか遺族というものは、社会的に充分な援助の手が差し伸べられるとは限らない。それどころか、社会は重大な喪失を経験した人々に差別や恥辱感を与えるコトすらある。

何故なのか? 著者は次の様に述べる。

一つには、見る人は明らかに被害者を汚れたもの、自分たちとは異質なものとして見ており、このような異質な存在とは距離を置きたいと考えるからである。第二に、被害者の災難を見ると、自分の幸せが脅かされたような気持ちになってしまう。他者に災難が降りかかるのなら自分も同じ目に遭うかもしれない、という訳である。第三に、見る人は被害者の問題を理解しようともしたいとも思わないのかもしれない。この場合には、被害者を隔離したりどこか遠いところに行ってもらったりして、被害者の遭遇した問題を思い出さなくても済むようにしてもらいたいだけなのである。第四に、被害者の存在は、世界はこうあるはずだという私たちの仮定を侵害することになるのかもしれない。

これら一連の理由を見て、それは言い過ぎではないかと思うかもしれない。苦しんでいる人たちに同情したり、共感を持ったりすることもあるのではないか。と、もちろん、そういう人もいるし、誰でも時によってはそうすることがある。しかし、スティグマ(恥辱)化されたとか、悲しむことを公認されないように感じたと報告する被害者が多いことからすると、スティグマ化の現象はかなり広範囲に渡ると考えてよいだろう。私たちは最低でも、他人の立場に立ってその苦しみを想像するくらいのことは毎日行わなくてはならないのだ。‥‥と。

公認されにくい悲嘆には、どのようなものがあるのか、それは夜にでもじっくり書き込むことにして、これだけはしっかり覚えておきたい。

全ての悲しみに沈んでいる人々と同じような喪失に遭遇する可能性があるという点で絆を共有しているのだ、という認識を深めなくてはならないのである。このような共感を十分にやしなっていくには、周りに気を配り、他者のことをよく考え、人の気持ちを理解できる人間にならなければならないだろう。あまりに多くの人が苦しんでいる。そして、その中の多くが静かに苦しんでいるのである。  
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2006年06月05日

癒しへの歩み

人間が経験しなければならない喪失のなかで最も悲惨なものの一つが、家族や友人など親しい人の死であることを発見する。

この種の喪失は、常に人間の精神を極限まで衰えさせる。同じことが、離婚も含めて、親しい関係の解消についても言えるだろう。愛する人を失ったとき、とくにそれが若い年齢であったり予期しなかった場合などには、残された人の悲しみや絶望感はことさら強く、また持続してしまうことになるだろう。最も親しい人の代わりになる人間など、いるはずもないのだ。残された人にとって故人は唯一無二の存在であり、その人がいたからこそ人生に対する満足と、このうえない喜びを感じることができたのである。

でも、悲しみの中にばかりいると、自殺だけが唯一救われる道であるかのような、深い絶望と抑うつの底へ沈み込むのである。

それから回復するタメには、「悲しみに言葉を」与えることに他ならないと著者は言う。

複雑なトラウマを引き起こし、否認、引きこもり、攻撃、さらには恥や絶望や無力感といった感情が表れ、日常生活に大きな困難をきたす可能性もあるからだ。

自分の気持ちを打ち明けること、つまり自分の喪失と苦痛について話すことは、とても大切なのだが、私たちの悲哀や解釈による再構築が完全な形で終結に至るということはあり得ない。再び喪失を思い出すことは、人生のさまざまな時点で起こりうる。とくに、新たな転機に立たされたときなどはそれが繰り返されることになるだろう。後悔と恐怖は、喜びと同様、私たちの心から完全に消え去ることはない。まったく予想していない時でさえ、あの時の思考や情動が再びわき起こってくることがあるのだ。完結に至るということはあり得ないのだが、少しでもそれに近づくことは出来る。そうすることによって、私たちは新たな挑戦を始める自由を手にすることが出来るのである。

それから、世界と再びつながり、新たな未来を創造するように援助することである。トラウマを思い出させるものに対して相変わらず傷つきやすい自分と戦う方法を学び、粘り強さが生まれることでもある。

喪失やそれに伴うトラウマを無かったコトにして、フタをして閉まっておくコトは適切ではない。それらと面と向かって、戦う努力が大切というコトである。  
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共感するコトの大切さ

おはようございます。では、詳しく。

我々が、他人の心に寄り添うコト(共感)が出来るのは、決して知性とは比例するワケではありません。この本の著者は、アメリカの人なので、米国にあった事例を説明に使っていますが、日本でも似た様なコトがあるので、理解できるでしょう。

有名大学生が、友人と共にカジノのパーティーに参加し、途中にトイレに行った時に、連れの友人が七歳の女児に性的なコトをしているのを見たが、そのまま何もなかったかのように立ち去り、家に帰った。しかし、その友人は直後に七歳の少女を殺害し、殺人罪で起訴されたのだが、見過ごした大学生は、「自分は何も悪いコトはしていない。友人をトラブルに巻き込みたくなかっただけだ」と言い訳した。

たった七歳の女の子が、性的虐待されているというのに、見て見ぬふりをして何の責任も感じない。何もしなかった故に、友人は殺人まで犯してしまったというコトに、良心の呵責を感じないなどというコトは、通常では考えられないコトではあるが、こうした無感情というか、他人への思いやりが欠如した人々が、増殖しているというコトは日本の犯罪を見ても実感する人が多いと思う。

行き過ぎた学力重視の結果だとすら言えるだろう。他人を蹴落としたり、勝つコトだけが人生の目標となるならば、他人への感情の移入など、時間の無駄であり、余計なコトに過ぎない。

この大学生は、ラジオの視聴者番組で、「たとえ被害者が七歳の子どもで助けを叫んでいたとしても、自分にはこの残酷な事件に介入して止めさせる義務はなく、世界中のどんな悲劇も自分の心を捉えることはなく、どれもたいした問題とは思わない」とすら話した。

高いレベルの教育を受けたのに、冷淡で傍観者的な不介入の論理を身に付けるなんて‥‥

他人の苦しみを平気で無視するような考えを改め、自分自身が援助が必要な時に他人から同じように無視されないようにしなければ、世の中はどうなってしまうのか?

思いやりの心の大切さを語ったジョン・ダンフォース(米国の上院議員)の言葉で締めよう。

人間性を奪われた人間を目にしたときには、いかなる大義によってその残酷な行為が正当化されようとも、常にそれに介入する義務がある。いつ、どこでそのような行為を目にしたとしても、歩み寄って話しかけ、それを止めさせることが私たちに与えられた義務なのである。  
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2006年06月04日

なぜ悲しみに言葉を与えることが必要なのか

さて、前に予告していた本です。
悲しみに言葉を―喪失とトラウマの心理学
人生のある時点における重大な喪失に圧倒されてしまい、その喪失を十分に消化できないまま、その後の人生で出会う喪失によってさらにひどく打ちのめされてしまう人もいる。精神分析学者は長い間、克服されない過去−−幼少期における親の死など−−がよみがえって現在の喪失の消化を妨害すると主張してきた。

しかし、「喪失は避けて通ることができない。死、別離、離別は人生の一部である。喪失からうまく回復できたかどうかは、わずかな程度の違いにすぎない。完全に回復できたとか、ほとんど回復できないということは稀なのだ。たいていの人の性格構造は喪失から一部回復したことによって影響を受けている。喪失と苦痛は避けることができないが、永久的なダメージは避けなくてはならない。(ロバート・ウエイス)」のである。

喪失からの回復のステップとしては、

〜喙困了実を認め、喪失が遺族にとってどのような価値や意味を持っているのか探す。

∩喙困紡个靴道っている感情を受け入れ、悲痛の苦痛を経験する。これには、喪失にともなう深い痛みの感情を身近な人にうち明けることが必要になる。

8凌佑存在しない環境に適応し、人生を再び自分で支配出きるにする。このステップは最も困難なものとなるかもしれない。

ぞ霪暗エネルギーを引き戻し、それを新しい人間関係に向ける。これはのステップと同時進行になるもので、やはり難しいステップである。

と簡単に説明すれば、これだけなのだが、それを理解するタメには、もう少し詳しく書いた方が判りやすいと思われるので、しばし、この本にお付き合いを。

明日から、マタ仕事なのでもう寝ます。オヤスミナサイ。  
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2005年11月27日

クルミ情報追加しま〜す!!

おはようございます。
日曜にしては、マズマズの時間です。
このあと、タクアン漬けの仕事が待ってますので、ノンビリ遅起きしてはいられませんでした‥‥

さて、「頭をヨクするにはクルミ!」だと前に書きましたら、同じ「日本農業新聞」が「疲労回復にはイカ〜?」と書いたような特集記事をしてくれました(グウゼンにしても、グッドタイミング)ので、皆様の関心もクルミの方に集中していたみたいなので、補充情報をアップしておきます。

縄文時代から食べられていたといわれるクルミ。と言うコトは日本人の生命をツナイデきた立て役者なのかもしれません。かなりのパワーを持っているヨウです。

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カルシウムの吸収を助けるマグネシウムが多いので、骨や歯を丈夫にする。また、心臓や血管など循環器の機能を正常にする。マグネシウムが足りないと、骨粗しょう症やイライラなどの症状が出る。アルコールの飲み過ぎやストレスの多い生活は、慢性的なマグネシウム不足を招くそうなので、心当たりのある皆さんは、御注意が必要かもしれませんね!

美肌づくりの味方
女性の方なら、これがイチバンかもしれません。
脂溶性のビタミンEが豊富。抗酸化作用が強く、老化、動脈硬化、がんなどを予防する。動物性脂肪の取り過ぎなどでどろどろした血液を、さらさらにしてくれる。Eは若返りのビタミンともいわれ、美肌作りを目指すには欠かせない栄養素。血行を良くするためにもEを十分に取ることが欠かせない。

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脂肪が多く、ナッツ類でもトップクラスだが、クルミの脂肪の6割は血液中のコレルテロール値を下げるリノール酸が占めている。このほか、α−リノレン酸、オレイン酸などコレルテロールを下げる作用のある脂肪酸も。

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ビタミンB1も多く、疲労回復に効果がある。消化液の分泌を高めて食欲を増やしたり、脳や神経系統を正常に保ったりする働きがある。

イカガですか?
日本に昔から自生していたのか、体に役立つから栽培していたのかは判りませんが、古来から珍重されていたモノには、様々な薬効があったのですね。これで、アナタも健康生活への仲間入り〜?  
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2005年10月18日

性格は変えられる?

おはようございます。

『ナゼ? 性格は変えられるのかなんて言うの〜』と思う方もいると思いますが、昨夜紹介した本の性格分析をしたら、以前の三回と全然違ってました。

最初の時と、他の二回も違ってました。

ただ、こういうテストに馴れて答えを書いている場合もあるので注意は必要なのと、同じようなコトでも微妙に質問が違ったり、答えが○・×・△だけでなく、○と△の間を認めたり、△と×の間を認める場合の設定もあったからかもしれません。

今回も、迷った質問は、勝手に○と△の間とかを自分で設定して点数をつけたりしたのですが‥‥

ともあれ、最初こういう精神分析があるコトを知ったのは、ムチ打ちの後遺症がひどく、事故のPTSD(心的外傷ストレス)のタメにうつ病のような感じになっていた時でした。

その時、ナルホドとは思いましたが、現在こうして紹介するようになるとは思いませんでした。

とりあえずワタシは、かなり性格が変わったみたいです。

ただ、昨夜の本にも書かれてますが、性格には「理想のタイプはありません!」
全てに長所があり、長所は裏返すと短所になるからです。

例えば、優しいというコトは優柔不断につながりますし、よく結婚するなら「優しい人が一番」とかいうけれど、優しい人は全ての人に優しいから、他の人に親切にしていて、配偶者に優しくしているヒマがないなんてコトだってあります。

自分は自分以外の何者でもナイはずなのに、自分のコトを全部理解しているワケではありません。それは、モチロン周りの人もそうなのです。なるべく人を見る時に、ヨイ面だけを見ようとすると楽しい毎日が送れるし、イヤな面だけを見ようとするとツマラナイ毎日を送るようになるだけなのです。

見方を変えるだけで、世界が変わって見えるコトを心の片隅にとどめといて下さい。  
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Posted by seitaisikoyuri at 08:13Comments(0)TrackBack(0)