2018年05月09日

良い法話は

心を洗ってくれるけど、宗派は違っても、根本はさほど違わないので、どうやっても、どの宗教に帰依するか全く決められないのだけれど、それでも、時々はその手の本を読むのは好き。


そして、


ただし、後の本の禅寺には、今の首相も行っているとワザワザ最後の著者の経歴に書かれていると、「雑念」を取り払うことが「忘れる力」だというけれど、どんなに良い言葉を聞いても、我田引水でしっかり心に響かず、逆に自分の発言もスグに忘れて、嘘を付いても良いとしか考えられない人も居るのかも、としか思えない。

どんなに心を動かす言葉であったとしても、はき違えてしまうのであれば、何にもナラナイのではと、少々残念な気がしたのは、著者のせいでは無いのだけれど‥‥  

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2018年05月05日

宗教を知りたいなら

是非、一読して欲しいのが、こちらの一冊。


以前から、多くの宗教には、かなりの類似性があると感じていたので、そういう意味ではとても面白かったのですが、宗教によって救われている人も居るのも事実なので、何とも言い難い部分もあります。

ともあれ、自分の人生は自分で決めるべきモノであって、誰かの助言を受けるというコトはあったとしても、能動的に自分の生き方を考えるべきだというのに、宗教に対して、自分の人生を丸投げするというのは、どうも。

宗教によって、救われたいと考えるのではナク、宗教と共に人生を歩むという感じの方が良いのでは。

いわゆる、四国八十八か所巡りに於いては、「同行二人(巡礼者と弘法大師は一緒に巡礼しているという意味)」などと言われています。

一緒に歩んで下さるからと、怠けてばかりではとても巡礼など出来ません。

自分で回ろうとするから、傍で見守って下さるのだと、考えるべきではないでしょうか。

信じる宗教が何であれ、独りで人生を行くよりも、ズッと心強いとは思います。

それでも、何を信じるべきかが未だに判らず、未だに無神論と八百万の神のどちらかだろうという、かなりの矛盾を若い頃から、抱えて生きています。

結論は、マダ出ないと思いますが、おそらく一生抱えて行く命題なんでしょう。  
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2018年04月26日

仏教の答えを聞いてみる

ひろさちやさんの本は、時々読みたくなります。


誰しも人生はままならないモノだが、そういうモノだと割り切ってしまえば、そんなに腹も立たない。

でも、そういう時に、ちょっと苦しく感じるので、世の中ってそういうモノだよと言われると、ちょっとスッキリする。

タマに、ひろさちやさんの本を読みたいのは、そういうコトだろう。

この本では仏教の問答には珍しく、「弱肉強食」や「適者生存」を口にする政治家は、大企業・グローバル企業から資金援助を受けている回し者だと、政治批判してます。

それだけ、今の政治のダメさ加減は、類を見ないというコトかもしれません。

何だか悲しくなりますね。  
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2018年03月17日

善光寺の内紛は

天台宗の大元の力によって、正常化されるのではないかと、期待しておりますが、それにしても貫主たる人物が、ココまで往生際が悪いとは思いませんでした。

ミステリーというよりは、善光寺の歴史を知るのに一番理解しやすい本として読む価値がありそうなのが、こちらの本。


著者が、長野県生まれと知れば、ナルホドそれ故と理解も出来ますが。

ちなみに、今の貫主らしき人物も登場してますけど。

長野県出身だからこそ、ココまで善光寺に思い入れが激しく出来たので、生まれた作品かもとは思ったり。

ミステリーというよりは、善光寺の裏側を知るというのに、最適な本かも。

ともあれ、貫主の一連の騒動が、あまりに酷過ぎるので、お辞めになるまで安心は出来ないかと。

ついでに、現実に存在した人物が登場したりしてるのを考えると、著者が大丈夫なのかという気もしなくはナイのですが。  
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2017年09月21日

私利私欲ではイケナイ

少し前の本ですが、今の時代にピッタリの本がこちら。


瀬戸内寂聴氏が、永平寺に曹洞宗管長訪ねて対談したモノと、仏教への誘いとして書かれた文章の二部構成。

今の世の中に蔓延る、欲ばかり突っ張った人々への啓蒙の書。

やはり、行動規範としての宗教を、我々はもっと留意すべきなのだろう。  
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2017年06月28日

親鸞の真実

昔からある宗教の教祖の方々は、あまり瀟洒な暮らしをしてナイのに、今の宗教家の方々の中には、贅沢三昧の暮らしをしている方々も多い。

ともあれ、浄土真宗の開祖である親鸞上人の一生を、既存の方法からではナク、フイールド・ワークを駆使して、新たな説を説いた本がこちら。


宗教界にも、色々な忖度があるのではないかと思うが、それと無縁だからこそ書かれた大胆な仮説。

タダ、様々な裏付け資料もあるので、仏教を学ぶ方々には、真剣にこの本が間違っているのか、それとも真実なのかを研究して頂きたいモノ。

親鸞は源頼朝と従姉妹であり、『玉葉』で有名な九条兼実の七番目の娘と妻帯したという事実を巡って、各地を訪ねる本は、まるでミステリーを読んでいるかの様に、とてもワクワクする。

宗教に関心が有る人も、無い人も読んで見る価値は満載です。

少なくとも、この本に描かれた人間味溢れる親鸞の方が、今までの話よりもしっくり来ます。

おそらく、浄土宗の開祖である法然上人も、親鸞上人と共に、今の日本の宗教の現実を嘆いているのではないかと思います。  
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2017年02月17日

宗教を考える

正直な話、昔から信じられるとすれば八百万の神か、さもなくば無宗教かという、あまり特定の宗教には無頓着な人間である。

とはいえ、若い頃は「どんな宗教でも信じられるのならば、人生はどう変わるのだろう」と思って、かなり色々な宗教の本を読んだコトがある。

そして、出した結論は「どの宗教も、最終的なものは同じで、そこにたどり着くまでの道が違うだけで、究極は同じ」というコトだったのですが、正に同じ言葉が下の本に書かれていてビックリ。


ちなみに、そう言われた方は、「信仰に二股はいけない」と他の人から言われて、カトリックへの道を邁進されたのですが‥‥

ともあれ、私はならば完全なる無宗教の道を行くべきか、それとも子供の頃から馴染んで来た「一木一草」にも神は宿るという八百万の神を信じるか、どちらかしかナイだろうと思いつつ、どちらでも構わないというアバウトな選択をして、現在に至っているワケです。

カトリックの道を歩まれてらっしゃる方が、「信仰とは、遙か遠くに輝き、闇の中で寒さに凍える私たちを、支え導く光である」と言われると、確かにそういう部分もあるのかもしれないとは思います。

ただ、だからといって、これからも余程の事が起こらない限り、何かの宗教に入信するコトはあり得ないと思います。

心の安寧を得てしまえば、生きているという実感が薄れてしまうかもしれませんし、あるがままに生きて行くしかナイと、腹をくくってますから‥‥

信教の自由は保障されていますし、周囲の人々が入信しても別に構わないのですが、昔からどんな勧誘を受けても、心が靡きません。

読んで見て下さいと頂くパンフレットは、一応全て読ませて頂きますが、若い頃と同じ感想しか待てないので、どの宗教にも一定の距離を取らざるを得ないので。

あまりに、「のれんに腕押し」なので、各種勧誘の方々も諦めたのか、そう繰り返しはお見えになりませんし。

それでも、宗教の本は何冊でも読むつもりはあるので、これからも読んで行くだろうとは思いますが。

卒業した浄土真宗系の大学も、そうとは良く知らずに入っただけで、宗教学は必須でしたが、ホトンド出席もせず、それでも留年させると面倒と思われたのか、「可」で、出させて頂きましたし‥‥  
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2012年02月03日

宗教団体は金太郎飴

世の中の物語は、おおよそ七つに分けられていて、それを太古から変形させて書かれているだけという言葉があるが、そういう意味では書いた人によってバリエーションが違うのだろうが、あまりに類似していると少し引いてしまう時がある。

砂の王国(上)砂の王国(上)


この著者は好きだし、面白いのだけれど、この長編を読んでいて、思い出したのがこちら。

カリスマ(上) (トクマ・ノベルズ)カリスマ(上) (トクマ・ノベルズ)


著者の色合いが違うだけで、根本的な部分があまりに類似している。

無論、現実の新興宗教の出自が似ているという部分があるからだろうが。

どちらの小説を読んでも、宗教というモノに胡散臭さを感じるだろうが、おそらくこうしたコトは、裏では日常茶飯事なのかもしれない。

それにも関わらず、ハマってしまう人々が多いというコトは、ある意味世界全体が病んでいるのかもしれない。  
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2009年10月22日

キリスト教への異端説

日本人の多くは特別な宗教を持たないけれど、世界の人々は信仰が深い場合が多く、それゆえに異端の話も生まれて来るワケで‥‥

ダ・ヴィンチ・ファイルダ・ヴィンチ・ファイル


小説のテンポに多少の問題はありそうですが、サスペンスとしてのストーリー性は充分です。

ともあれ、日本だからこういう小説も書けるけど、外国でこの小説を書くと身の危険がありそう。

たしかに、こういう説も存在しているとは思うものの、ナカナカ他では滅多にナイ説ですね。

と思わせぶりに書いているのも、ソコを書いたらこの本を読む必要が全く無くなってしまうから。

ダ・ヴィンチとフィツツジェラルドが絡んで来るので、英米文学に造詣が深い人にはたまらないかも。

ちなみに、この本を読んで記憶の底に埋もれてしまったフィツツジェラルドを読み返したい気分になりました。

大学のコロは、訳あって外国文学もかなり読んでいたのですが、最近は昔に戻ってホトンド読んでませんから、キッカケになる良い一冊だったのかも。

映画化された「ダ・ヴィンチ・コード」とも関連しているので、その原作も読むと良いかもしれませんね。娘は、かなり良かったと言ってましたから。

本日は忙しかったので、なんだかとりとめがありませんが、コレまでで‥‥  
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2009年09月25日

宗教の正義を考える

同じ宗派でも、路線対立は起こるというのは政党だけではナク、宗教もマタ政治との関わりで、様々な対立を引き起こしたり、弾圧を繰り返す。

日本で有名なのは、織田信長の浄土真宗への迫害及び、比叡山の焼き討ちなどと、江戸時代に入ってからのキリシタン弾圧あたりが、宗教と為政者との対立として行われているが、同じ宗派での対立でかなり激しいというコトは、滅多にナイ。

映画化された「天使と悪魔」ではないが、キリスト教も原始キリスト教と、政治と結託したキリスト教では、かなりの違いがあるので、こうした対立もあるのだろうと思う。

ちなみに、それを書いたのが日本人というコトに、もしかしたら意義があるのかもしれないけれど‥‥

聖灰の暗号〈上〉聖灰の暗号〈上〉

このストーリーは、キリスト教だけに限ったものではナク、ユダヤ人を迫害したナチスみたいに、人間というモノは、時として同じ人間に対して、極悪非道なコトをしてしまう存在であるという部分にこそ、スポットライトを当てたがっているのだと思う。

宗教が存続するタメに、ある程度の普遍性を持つコトが宿命であるとするならば、それに比例して多少は堕落するのが、宿命とも言えるのかもしれない。

そうした路線対立では、ピュアである方が、淘汰されやすい運命にある。

そんなコトを考えつつ、この本を読んで見ると、宗教だけに拘らず、現実の問題ともオーバー・ラップして見える。

信仰というものを、どう捉えるのか、今の新興宗教のあり方も含めて、考えるのに最良の一冊なのかもしれない。  
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2009年08月07日

現代の流行りはスピリチュアル

カテゴリーは「宗教の本」としましたが、実際は「宗教」とスピリチュリティには多少のずれがあるのだとは思います。しかし、要するに多くの人々は、教団に所属するコトを拒否しているだけで、実際にはかなり「宗教」とカブっていると思うので、あえてココにしました。

<スピリチュアル>はなぜ流行るのか (PHP新書)スピリチュアルはなぜ流行るのか (PHP新書)


自然や宇宙の中に、創世主の存在を感じるというコトは、多くの宗教家が既に問いているコトなのですが、今の時代は、宗教色を薄めるコトで、スピリチュアルの隆盛があるのだと思います。

元々、日本の土着の宗教は「八百万の神」というコトなのですから、スピリチュアルが受け入れられる状況はかなり有ると思います。

選挙戦になると、旅行する人が減少するというコトは、観光に従事しているヒトならば、ホボ常識になっているのですが、今回の八月の選挙で長野の観光地の多くは不況とのダブルパンチという打撃を受けているトコが多いみたいなのですが、流石に「善光寺」は本日あたりから、大盛況になって来ているみたいですし、「困った時の神頼み」は本当なのかもしれません。

高速が安くなったコトもあり、今春の御開帳も全体的な経済効果はそれなりだったのに、参拝者数は過去最高だったみたいですし。

要するに、他者との触れ合いが少なくなっている今だからこそ、未知なるモノに憧れるのでしょう。

霊性に魅かれるのはともかく、下手に新興宗教に取り込まれると身ぐるみ剥がされてしまうといったコトもありますので、冷静に自分を客観視するタメにも、宗教本の前に読んでおきたい本かもしれません。  
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2009年05月27日

洗脳の怖さ

をしみじみと感じたのがこちらの本。小説なのですが、宗教に名を借りた集金団体になっている教団もあるのだろうなと思いました。

カリスマ(上) (トクマ・ノベルズ)カリスマ(上) (トクマ・ノベルズ)

それにしても、人間というのはとても脆いもので、何かにすがりたいという気持ちは誰にでもあるもの。

そういう心の隙間に、どうやって入り込むのかというコトを入念に書いてある小説です。

それにしても、最後の最後のドンデン返しには驚きました。そういう意味では、宗教を知るというだけでナイ楽しみが可能な本です。

著者の本は、かなり何冊も読んではいるのですが、今一つ面白いのだけれど、紹介するのにはもう一つという感じがしていたのですが、コレはぶっちぎりに傑作です。

洗脳で身の破滅を防ぎたい方には、ゼヒ一読して欲しいですね。  
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2009年05月15日

神に魅入られる人々

今まで読んだ宗教の事件に関する本の中で、一番感銘を受けた本かもしれません。

宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと

どうして、オウム真理教の幹部の人々は殺人をするコトが簡単に出来る様になってしまったのか。その洗脳の過程が克明に描かれています。

統一教会にどうして、一億を超えるお金をつぎ込んでしまったのかとか、セミナーや教団が一般の人々の心の隙間にどうやって入り込み、お布施という形以外にもありとあらゆる形で集金するシステムになっているのかを順序立てて書いてあるので、入信した人々は自分とは全く無関係だと思っている人にとっても、人生のエア・ポケットでうっかり近付かれたら思わず、取りこまれてしまうかもという用心をするタメに、一読しておいた方がイイかも。

死んだ人を蘇生させるなどという事件も数多くありましたが、それらもやはり狂信というか、妄信のなせるワザ。

生死という感覚を、曖昧にされ超えるべきではナイ一線を簡単に踏み越えてしまうのかもしれません。

そういう意味では、究極の恋愛小説である

親指の恋人親指の恋人

こちらと好対照かも。要するに、自分という存在を神に投影するのか、恋人に投影するのかの違いだけで。

ともあれ、他人に自分を同一視することの危険性とその魔力をどちらも全く別の形で描いてます。

地に足を付けて歩こうとしないと、足元をすくわれるのだなというコトを双方の本で思いました。同じ日に読む本にしては、真逆そうでいて、結果は根が一緒だったという感じがしました。  
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2007年11月21日

人はに色々な部分が‥‥

カテゴリーは「宗教」でイイのか、チョット悩むのではありますが‥‥ひろさちやさんが、こんな本を書くとは??などと思いつつ、あとがきを読んで納得しました。『問題小説』に本名で連載していたモノを「ひろさちや」の名前で書籍化したそうです。

なので、かなりH系の宗教本と考えて頂いた方がイイのかも。ともあれ、笑いながら宗教的な考えが読めるという点では良いのでしょうが。昔話をセクシーに改変してあります。
昔話にはウラがある
こういう下ネタも書けてしまうトコが、逆にスゴイのかもしれませんが。こんな感じで息抜き出来ない人々が、逆に転落とかしてしまうのかもしれませんね。北海道の警察の方とか‥‥

昔から、「聖職」と呼ばれる方々ホド、色々とあるみたいですし。京都のお坊さんやら、長野では善光寺さんの関係者が、不況風の今でも歓楽街を賑わしてらっしゃるみたいですしね。

その辺を見誤ってしまうと、「オウム真理教」あたりにハマってしまうのだろうと思います。他にも、とても多いですよね。尊師とかって崇められて、トップだけは傍若無人に何をしても許されるのに、信者には節制だの帰依を求めたり‥‥

少なくとも、自分はOKだが、信者にはNOみたいな宗教は、チョット変だと思った方が間違いナイと思います。

少なくとも、ホトンドのマトモそうな宗教の開祖の方々は、自分は禁欲的な生活だったとしても、他人にはそれを求めないか、自分と同じだけの宗教的生活を求めるのが普通ですからね。

段々、教団が膨脹するに従って、トップは何でも許されて、下々はトップのタメに奉仕という堕落的になりますけど。

何だか、宗教も政治も権力の座に長く君臨すると、専制的になるという意味では類似しているのかもしれませんが。

とにかく、全ての全世界の人間は多少の差こそあれ、ホトンド似たり寄ったりです。他人に期待し過ぎず、自分と全く別の人間だと思い込むのは危険です。必ずどんな人間にも聖なる部分もあれば、邪なる部分もあるのですから。  
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2007年03月29日

マインドコントロールは原爆より怖い

午後の更新も遅れてますね。本日中に書けるとイイのですが‥‥どう書くべきか、少々悩んでました。

元最高裁判事だった、團藤重光氏は、「オウム真理教のマインドコントロールは、直接的に薬物を使用する洗脳もあったが、マスメディアによる〈管理社会〉一般を考える上でも非常に重要な事例だ」1970年代、あるアメリカの社会評論家は「マインドコントロールは原爆よりずっと恐ろしい」と指摘したと主張するそうだ。

「マインドコントロールはわれわれの心の中に入ってきますから、外部的な原爆などよりも、もっと恐ろしい影響を後に残す、ということを言いたいわけです。もちろん、原爆は大変に危険です。でも原爆ならその地域に放射能が残る。また被曝した人たちには、後まで大きな影響が残る、子孫だちにも残ります。けれども、世の中一般に広がるわけではありません。ただ国際的な核兵器の問題はすこし別ですが。ところが、行動の科学的操作の方は、人間の心をむしばんで、どこまでいくかわからない」

「刑事政策、犯罪対策を考えるについても、秩序を維持する面からだけ発想すると、かえって間違ったことになると思います。本当にわれわれが秩序を回復して、また、いい社会にもっていこうとするためには、もう少し人間的なものを持ち込んだ、ヒューマニスティクな犯罪政策、刑事政策が必要ではないかと思うのです。そういうことを考えると、経済的繁栄は必要ですが、それだけではいけない。また科学技術も必要ではありますけれども、それだけではいけない。何か持っていなければならない。そうするとどうしても人間の主体性、人間の尊厳の問題になってくる。これによってこそ本当の社会連帯的な秩序が達成されるはずです。」

現在の教育が「主体性を持った人間を生み出そうとしているのか?」疑問なのですが、それにつけても、著者が最後にこう書いているコトだけは、覚えておいた方がイイだろう。

情報化が極端に進んだ今日ほど、誰しもが気づかぬうちに、騙されて自分が加害者となってしまう可能性が高い時代は、人類史上かつて存在してないのである。

すべての人が同じように、立ち止まって振り返り、判断し、叡智ある行動をすることで、すべては初めて実を結び始める。  
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特攻と9・11とオウム真理教

午前の更新、仕事で遅くなりました。さて、「宗教の本」というよりも、「反宗教の本」なのかもしれません。「宗教」を極めようとして、逆に「反宗教的」なコトをしてしまった、かつての同級生の軌跡を冷静に分析している本です。
さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生
オレオレ詐欺の犠牲者は「自分は大丈夫」だと思っていた人が、とても多い様に、「オウム真理教」に心を囚われたのは、たまたま彼等だっただけで、もしかしたら、アナタだったのかもしれませんよ、と問題を提起してくれています。

9・11同時多発テロは、海外でしばしばKAMIKAZEと表現される。国内のメディアには載らないが。そうした海外と国内の歴然とした温度差、報道のギャップを遥かに不気味だと感じる著者は、軍国主義のマインドコントロールとして理解する。

誰か一人が仕掛けるというより、集団が我知らずのうちに陥ってゆく。

軍事手法としてのマインドコントロールは、「特攻」以後も進化し続けている。戦前の戦闘右翼「血盟団」の流れを汲んだ重信房子の所属した日本赤軍の近代兵器を利用した自爆特攻の戦法、とりわけ「人間操縦」方法がアラブゲリラに伝えられたという意味では、世界からKAMIKAZEと呼ばれても仕方ナイ側面もあるという趣旨のコトを述べている。

ナチス・ドイツのナンバー2だったヘルマン・ゲーリング曰く、

『人間集団を攻撃するのはいとも簡単である。
 自分たちが攻撃されている、と思わせれば良いのだ。
 そうすれば、どんな集団でも、ただちに攻撃的になる』


恐怖で縛るのは効果的。被害者意識に凝り固まっているときには、いくらでも攻撃的になれる。逆に被害者意識やパニックがいったん暴走し始めると、誰か黒幕がいなくても、集団が破局まで突っ走っていくことも少なくないらしい。これはひとつのアリジゴクで、砂が勝手に落ちていく。

というような著者の言葉に、オウム真理教だけの特異な問題と思っている我々は、日本の今を言われているつもりになる。「サリン散布」という事件から、長い年月が経った今こそ、もう一度じっくり、冷静に「オウム真理教」を考えるコトが、将来の日本の破滅から救われる道なのかもしれない。おそらく、「オウム真理教」の手法を客観的に見るコトで、軍国主義への行進をし始めている今の日本に気付くコトになるだろう。  
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2006年08月18日

虐待される子供達

午後の更新としては、とても早い時間なのですが、今晩は仕事が入ってますので‥‥

とにかく、この本の「あとがき」にも書かれてますが、

カルトに見られる歪(いびつ)な親子問題は決して特殊ではなく、一般社会でも見られることである。

とはいっても、カルトの子が受けた「子どもに対する度を超えた支配権の行使」はあまりにも特殊なので、この本が書かれているのです。つまり、この本を読んで親たるものは、反面教師にしないといけないと言うことです。

アビューズが「虐待」と訳されたため、身体的虐待だけが注目されてしまったが、アブノーマルの言葉からもわかる通り、アビューズのアブには分離、離脱という意味があり、チャイルド・アビューズを直訳すれば「不適切な子どもの扱い方」「子どもの乱用」ということになる。アビューズは決して身体的虐待だけを意味しているわけではないのである。


アビューズには、「身体的虐待」「ネグレクト」(放置)「心理的虐待」「性的虐待」の四つがある。

家族の中で孤立させられたり、常に差別されたり、おびえさせられたりすること
これが心理的虐待です。

この「カルトの子」の本の中に書かれている虐待を読むと、集団ヒステリーの怖さというか、アウシュビッツ並みの怖さがあります。

一般家庭でも、

家族は閉じた世界になりがちで誰からもチェックを受けないために、家族そのものが爛ルト化瓩掘⊃討子のではなく子どもが親の欲求を実現するという「逆転した親子関係」に転化しかねない。

のだそうです。皆様も気を付けてくださいね。  
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何だかな〜と思うコト

おはようございます。本の題名に心惹かれて借りて来た本です。
カルトの子―心を盗まれた家族
今までワタシが感じていたコトが、ああそうなんだと思えたりします。

宗教を信じるコトはイイことのハズなのに、時々『エッ!』と思う人がいるので、団体と係わらずに、個人で宗教的に正しいと思う生活をするのがイチバンだと思って、あえて無宗教されど、様々な宗教書をランダムに読むのを趣味(信じている人達には悪いとは思いますが‥‥)としているのですが、この本を読んで、「だろうな‥‥」と思いました。

宗教は自由に選択すべきものなのに、強制されている気の毒な子供の存在。しかも、自己矛盾に気付かず、子供にも良かれと思って、児童虐待する人々‥‥

何で、自分の頭で考えようとせず、洗脳されたがる人がこんなに多いのか‥‥相手が洗脳のプロなのだとすれば、近付かないのがイチバンなのだろうけど。

我が家にも、様々な宗教の勧誘は度々あります。それこそ、ありとあらゆる感じの‥‥ちなみに、ワタシは下さるとおっしゃるパンフレットは全て受け取り、一応後で、目はちゃんと通します。

で、『みんなイイことを教祖様達は述べてらっしゃるなぁ』と感心はしますが、それで終わりです。次にいらっしゃっても、それの繰り返し。会合とかに誘われた場合は「忙しいので」と丁重にお断りしていると、自然に皆様の足は遠のきます。別に、何冊パンフレットを頂いても、ワタシは別に構いませんが‥‥タダ、ならば。

といったスタンスで暮らしております。ともあれ、人類の幸福よりも、マズは自分の幸せ。個々人の幸福が積み重なって、皆が幸福になると考えているワタシには、布教をしたりされたりというコトには、懐疑的です。

信者の方々はヨク働くし、正社員にはなりたがらないので、重宝に使えると思ってらっしゃる経営者もいらっしゃる様に聞いておりますし。

タダ、何があろうと、自分で選んだ道ならば、ともかく、子供に暴力までふるって‥‥というのは、信じられない気持ちになります。  
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2006年08月17日

森林の大切さを見直そう!!

で、この本の一番のポイントは、最終的に日本の山々の荒廃への警鐘につながっていくのです。

現在の里山は、おそらく歴史上、最も緑が濃い状態にある。その理由は、人の手が十分に入らなくなったからだ。よけいな枝をおろして薪にしたり、下草を刈って堆肥にしたりできなくなったために、草木が繁茂しすぎて、緑が必要以上に濃くなっている。緑が濃いことはいいことのようだが、里山に限っては、自然と人間のバランスのとれた関係が崩れてしまっていることを物語っている。

森林には大きく分けて二つの機能がある。

一つは環境を保全する機能だ。炭酸ガスを吸収して酸素をつくる。水をたくわえる。そして、生物が生きてゆくために絶対に欠かせない環境をあたえ、しかも保ってゆく。最近では木材が炭酸ガスを貯めておく機能をもっていて、地球温暖化を防ぐ機能にもなっていることがわかってきた。だから、この機能は、ひろくひとびとのために役立つという意味で、公益的な機能といっていい。

もう一つは木材をはじめとする林産物を提供する機能だ。

大切なのは、「択伐」といって、伐る木と残す木の選定が、森林全体の将来を運命づけることになる。

こうして育成した森林は、驚くような生長を見せた。一八年から二○年に一度くらい実施するだけで、森林はますます活力を増し、しかも良質の材木がえられるようになった。信じられないかもしれないが、伐れば伐るほど豊かな森林になったのだ。

結局、自然と人間が調和するコトで、より自然が輝くのです。ヨーロッパでは、森林は悪魔などが住むと考えられて、壊滅したのですが、森林がないと、ちょっと雨が降れば洪水になり、ちょっと日照りがつづくと水が足らなくなる。そこで、森林には巨大なダムに匹敵する貯水能力があると、失って初めて気付いて、環境問題に現在とても熱心になったのだそうです。

どうやら人間というものはとても愚かで、とことん失敗して、ひどい境遇に落ちないと、ことの真実を理解できないらしい。

確かにそうかもしれませんね。  
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魂は存在するのか?

仕事がありましたので、朝の更新遅れております。

さて、昨夜の本ですが、ワタシは宗教の専門家ではナイので、仏教は魂の存在を認めてないのだと初めてくらいに認識しました。

「色即是空」・「空即是色」というのが、仏教の根本なのですから、言われてみれば確かにそうなのだと思い当たるのですが‥‥

この本によると、

仏教という宗教は、じつはたいへん変わった宗教で、宗教のくせに魂の存在を認めない。世界でほとんど唯一の宗教なのである。

とある。何故かと言えば、

魂だけでなく、永遠に存続するものをいっさい、仏教は認めない。仏教をはじめたゴータマメシッダールタは、この世に存続するすべてのものはつねに変転していて、変わらないものなどなにひとつない、永遠にありつづけるものなどまったくない、と主張した。

とある。なるほど、確かにこれは真理ですよね。人の心も移ろうし、全ての物体も風化されていってしまう。

でも、実際には、それではナカナカその考え方が受け入れられにくいので、日本の人々に根付いていた固有の宗教(アミニズム・全てのモノに精霊が宿るという考え方)や道教などの影響から、極楽浄土なるものが考えられ、そして死んだら魂は浄土や地獄に行くという発想が生まれたのだという。

浄土が何種類もあるコト、来迎の九段階から、地獄の様々まで書かれていて、正に『となりのトトロ』から、こんなに難しい話に展開するのかとビックリです。

とってもタメにはなりますが‥‥で、最後にこの本の主題である里山や森の話になるのですが、その話は晩に回させてください。  
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2006年08月16日

『となりのトトロ』に学ぼう

絵を見て借りると、「エッ!!」と思います。とても難い本ですから‥‥
お化けと森の宗教学―となりのトトロといっしょに学ぼう
おなじみジブリの『となりのトトロ』がこんなに分析されるとは‥‥といった感じです。

「大トトロ」「中トトロ」「小トトロ」の年齢も初めて知りましたし、何故メイが四歳なのか、サツキが十歳なのかも説明して頂いて、ナルホド‥‥と思いました。

六地蔵が「六道」から来ているコト、「黄昏」の時刻など、実に細々とした計算がされている映画だったのだと、改めて思いました。

のみならず、「トロル」の正体も判りましたし、宮崎ワールドを深く知るには、かなり知識が必要なのだと痛感しました。

しかも、日本の古代からの人類の分析も取り上げられていて、国立総合研究大学院大学の宝来博士のミトコンドリアDNAによる日本人のルーツも紹介されています。

ミトコンドリアDNAは、母親からのみ受け継がれるという性質(拉致事件でもヘギョンさんが本物の孫なのかどうかの判定に用いられたコトを記憶されてらっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが)を分析すると、縄文時代の人々は、アイヌと沖縄との祖先の違う集団があった。その二つと別に日本列島中部に住んでいたと思われる集団があり、その三つの集団間で交流があったから、「本州の日本人」「アイヌ人」「沖縄の人」「韓国人」そして「中国人」の五つの遺伝的集団になる。そして、現代の日本人集団、特に本州の日本人集団の比率は、

日本人固有のDNAタイプ‥‥‥4.8%

韓国人と中国人タイプの合計‥‥‥約50%

アイヌ人と沖縄の人のタイプの合計‥‥‥約25%

二人に一人が中国大陸や朝鮮半島の人々と深いつながりを持っているのです。
これは母親のみの問題ですから、父親の存在を考えると、おそらく大半の人の中は、中国大陸や朝鮮半島の人々と深いつながりを持っていると考えるのが妥当でしょう。
さすれば、誤った国粋主義者の方々は、自分の中に流れているだろう血を全く理解せずに、祖先の国々に対してツバを吐いている様なものです。

この本にも書かれていますが、東アフリカ生まれの先祖が人類の元だとするならば、人種対立も領土問題も全てコップの中の嵐に過ぎないのですが‥‥  
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2006年08月12日

日本人の潔さはドコへ?

おはようございます。お盆休み前のタメ、朝から予約が続いていて忙しいので、とても早い書き込みになっております。

長い休みもイイのですが、前後が忙しいのが大変というか、アリガタイと言うべきか‥‥定員制ですので、死ぬホド働くコトはありません。ちなみに、本日も四時には全ての仕事が終わってしまうのですが‥‥同じ人数でもバラッバラッと仕事するとケッコウ楽なのですが、本日は連続するコトが多いので‥‥泣き言です。しかし、一週間に二度のペースでお見えになられている方々は、一週間も間が開くなんて不安‥‥とおっしゃいますので、長い休みも申し訳ない気持ちになります。

さて、話は変わり、昨日の本は批判するタメに書き込んだワケではナク。とても、ウンチクのある話なので紹介したいと思って書き込んだのです。

そこで一番の御紹介したい部分は、新渡戸稲造さんの『武士道』に関する記述。

新渡戸さんの『武士道』のなかで私が一番好きなのが、第五章です。ここは新渡戸さんが、一番力を入れたところだと思っています。「仁」という問題を扱っているんですね。仁は中国の儒教のなかでも、一番重要視された徳目であります。愛といってもいい。その仁ということを、新渡戸流に定義しているところが面白い。
この定義が、「仁とは弱者にたいする同情、敗者に対する思いやり、劣者にたいする共感である。この仁の情が武士道の根源的な徳目である」とというのです。弱き者にたいする負い目を担いつづける、という考え方でしょう。ひょっとすると日本人のモラルの根源は、そこにあったという気がします。

≪勝てば官軍≫は世の習いです。宮本武蔵の『葉隠』武士道と、会津武士道の違いも描かれ、巌流島の決闘に際して、わざと遅れて行った武蔵は卑怯だとも書かれております。ワタシは、命のやりとりの場面で、一流は一流を知ると言いますから、五分五分の勝負と思われる時に、むざむざ策を拒んで負けるのが 正しいとも言い切れないと思います。人間、生きていてこそと思うコトは沢山ありますから‥‥

しかし、勝敗の決した後は、敗者に対する尊敬の念を忘れないというコトもマタ大事なのであり、現在の自民党総裁選挙の様に、あの候補は間違っていると思っていたとしても、数の論理で負けてしまうからと自らの思いを曲げてしまっては、『武士道』でならした日本という国家に対して申し訳ナイと思わない方々が増えているのも、事実です。

「日本を愛するように」と強制したがる方に限って潔くない様な気がするのは、ワタシがオカシイのでしょうか?  
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2006年08月11日

「癒し」という言葉はいやしいか?

今晩紹介する本は、神道の本です。
鎮守の森は泣いている―日本人の心を「突き動かす」もの
日本の神道は「国家神道」になってしまって、宗教色がアイマイになってしまい、今の国の混乱があるというコトは、現在まで続く「靖国神社」参拝のゴタゴタを見れば実にヨク判ります。

そういう時に、神道の何たるかを知らずに意見を述べていては上滑りなコトしか言えません。ワタシは無宗教に近い(どれでも一緒みたいな感じだと思ってますので)のですが、どうしてもどれかを選択しろと言われれば、日本の原始宗教である八百万の神というか、森羅万象、一木一草全てに精霊が宿っているという考え方を選ぶと思うので、本当の宗教らしい神道は歓迎すべき思想ではあります。

タダシ、何冊も宗教書を読んでいるとしても、全てを受け入れるワケではナク、違うと思うトコは違うと思っています。

宗教書に限らず、全ての読書は著者と読んでいる人とのキャッチボールみたいなものですから、ストライクと思う時もあれば、ボールと思う時もあります。

この本で言えば、「ちょっとな‥‥」と思うのは、≪「癒し」とか「癒される」という言葉からは、甘ったれた、うさん臭い匂いばかりが立ちのぼってきます。≫というトコ。
癒す心、治る力―自発的治癒とはなにか
の様な本を読んで頂けば、決してそうは思わないと思うのですが‥‥

心が癒されるからこそ、人間は自分で治ろうと思うのです。と言うか、癒されてこそ自然治癒力が生まれ、そして自然治癒力以外に人間は治らないと思っていますから‥‥  
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2006年07月01日

他人に認められるコトは大事

さて、何度もこのブログに登場している河合隼雄さんとの対談も、読み応えがあります。

宗教と心理学の共通点や差異を考察しているのですが、その中で、こんな一説があります。
生きかた上手
この本とかで有名な九十代で、とっても元気な日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)さんと、新幹線で同席された時に、
「長生きなさってる方々の一番大事なことは?」とお聞きになった時の答えは、

 他人に自分が認められていることが         
            一番元気になれますよ

つまり、今さまざまな問題が起こってくるのは、お互いがお互いを認知しない社会になっているからであり、「おれはここにいるぞ」と認知させるために無茶なことをやる人が出てくる。

というコトなのです。いわゆる「劇場型犯罪」を未然に防ぎたければ、人間は、この世に生まれて死ぬ時は一人という孤独なモノではあるけれど、互いにつながっているという認識を持てば、寂しくはナイというコトです。

通常、それが親だったりするわけなのですが、家族に恵まれない人もいるわけで、そういう人のタメに、心理学療法をする人や宗教家が存在するのでしょう。

であればこそ、救いの手を差し伸べる人は選ばないと、とんでもナイことになる可能性もあるというコトですが‥‥

まずは家族から、互いを認め合うコトがイチバン大事だというコトでしょうね!!

それも、自分の意見を押し付けようとせずに、相手の意見を尊重して聞くコトから始めなければイケナイということです。  
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国と宗教を考える

おはようございます。忙しいのに、寝坊しておりました。ササッと書かせて頂きます。
山折哲雄対談集―日本人のこころの旅
山折哲雄さんという方が、様々な人と対談しています。正直、宗教学者だという山折さんのお名前を知りませんでした。この本を読みつつある現在、もう一度、この歳になったからこそ、様々な宗教書をヒマを見つけて読み直し、考えるべきだろうと思いました。とはいえ、若いコロにそれなりに考え抜いて、全ての宗教者の考えを読むコトはあっても、特定の宗教に帰依するコトはナイだろうと思いますし、全ての宗教は根で繋がっているので、そんなに大きな違いはナイと、勝手に思い込んでいるコトも変わらないだろうとは思ってます。

ともあれ、読み始めて、その前段階になるべき本だと感じております。様々な、宗教やその背景について対談されています。

トップを飾る、梅原猛さんは、はっきりモノをおっしゃる方なので、ストレートにこう述べられています。

教育基本法改正というのは、一つにはやはり憲法を改正するためにそういうことをすると。憲法九条に従えば自衛権や交戦権を持てないのではないかというのを変えるために教育基本法も変えなくてはならないという人がいますが、そういう考えに対しては、私は反対なんです。

国を愛するといっても、どういうことが国を愛することなのか。例えば、靖国神社にお参りすれば国を愛することになるのか。靖国神社に参って、中国人や韓国人を怒らせて、日本外交に支障をきたす。あるいは靖国にお参りしたいという心はあっても、それを抑え、隣人の心を考えて、靖国には参らずに、中国や韓国と仲良くして国益を図る。どっちが愛国心かというと大変難しい問題です。しかし靖国に参ることだけが愛国心じゃないと思いますけどね。

おっしゃる通りだと思いますけど‥‥  
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2005年11月14日

一頭の牛(インド民話より)

以前、調子が悪かった時に、ひろ さちやさんの話をしたままになってました。
引用するのは、ケッコウ一字一句間違えずに打とうとするので、ケッコウ疲れてしまうから、余裕のある時にしか書けません。
とてもイイ話なので、今日書き込みます。(題名はワタシが勝手に付けました)
新人物往来社の歴史読本特別増刊事典シリーズ(平成三年発行)日本「宗教」総覧に載っていました。
特別講座「仏教とキリスト教」の中からの抜粋です。

インドで買ってきたペーパーバックの民話があります。‥‥九十九頭の牛を持っている金持ちがいました。この金持ちは、あと一頭を手に入れると百頭になる。何とかして百頭にしたい。そこで彼は一計を案じて、わざとおんぼろの服を着て、身なりをやつして、遠くに住んでいる友達の家を訪ねていった。そして涙ながらに語りました。友達は一頭の牛を飼って細々と生きていた。‥‥おまえはいいな、ちゃんと牛をもってやっている、おれはもう一家心中しないといけない、あしたは何も食べる物がないんだと、涙ながらに語りました。その友達は、そうか、僕はきみがそんなに困っているということを知らなかった、友達として申しわけないことをした。自分は女房と力を合わせて働けば何とかなるんだから、この牛を差し上げよう、布施するから、どうか連れて帰ってくれといいました。金持ちは、ありがとうありがとうと涙を流しながら、内心では舌を出しながらその牛を引いて帰った。友達に布施した男も、喜んでその晩は寝ました。金持ちも、ようやく百頭になって喜んで寝ました。さて、どちらの喜びが本物でしょうと結ばれているのです。

ここでは書かれてませんが、モチロン金持ちの男がウソをついたと気付けば別だと思いますよ。遠くに住んでいるので、判らないという前提があると思ってくださった方がいいと思います。ウソだと判って、女房に罵倒されたんじゃ話になりませんから、と要らぬ説明を付けておきます。

九十九頭を持っていてもマイナス一頭ととらえてしまう男は、おそらく翌日には次の目標を例えば百五十頭にしようと思うだろうと、ひろさんはおっしゃるのです。目標を百五十頭に変えた途端、百頭はマイナス五十になってしまう、そして、翌日から彼はあくせくし、いらいらし、がつがつしなければならないのです。うまくいくかどうかわかりません。よしんばうまくいっても、百五十頭にできても、またまた一晩だけの喜びです。一晩寝て目が覚めれば、ああよかった、百五十頭になった、この次は目標を‥‥こういうのを私はマイナス思考と名づけています。

こんな話を読むと、日々のささやかなシアワセの大切さが身にしみます。イライラした時には、このような話を読んで自分が癒されたりしています‥‥  
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Posted by seitaisikoyuri at 20:56Comments(0)TrackBack(0)