2015年02月23日

雑菌主義宣言

もう少しで、寝過ごしてしまって、今日のブログを落とすトコでした。


タイトルを見ただけで、ある程度中身が想像出来そうな感じの本ですが。

ともあれ、必要以上にクリーンである必要は無いというコトに尽きるのですが、「ストレスもエネルギー」という考え方はスゴイ。

その風圧に押しつぶされたり、そこから逃げ出したりしないで、ドーンと向き合って一手に引き受けて、自分の起爆剤として有効活用していく。そういう回路を身につけよう。

という前向きさは、良いかも。

ストレスに潰されそうになる人が多いけれども、そう思えば何とか切り抜けられるかと。

判っていても、簡単には出来ないのが人生ではあるけれども‥‥  

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2013年05月15日

男と女は昔も今も

さほど変わらないのだなというのが、こちらの本の感想。

ユング心理学から見た結婚・離婚―現代日本の男と女ユング心理学から見た結婚・離婚―現代日本の男と女


ともあれ、この本の中に「知的な学者タイプの人は感情面がゼロ」という言葉があり、確かにそうかもという気もするなと思っていたら、「お見合いは、何人目から本気を出すべきか?」というトピックスを見つけた。

ちなみに、この答えを何十年も前に知っているのだが、というのも友人が京都大学の大学院生と付き合っていた時に、この話題を出されたそうで‥‥

もしかしたら、二人は結婚するのかもという感じだったのだが、恋人に向かって、こんな話題をするのかという思いに、友人はチョット冷めたらしく、結局、その後に卒業を期に別れてしまったのだが。

そう言えば前に御客様も、大学時代に友人になった男性が、「どうやって、仲間をコントロールするか探っている」みたいなコトを言われたので、『頭は良いけれども、怖い人』と思ってしまって、付き合うのを止めたという話をされたコトがある。

上記の本は、三十年程前に出た本の再販だったりするのだが、今、改めて読んでみても、そんなに違和感がナイ。

人間の男と女というのは、そんなに簡単に本性は変わらないのかもしれない。

だからこそ、昔の価値観と全く変わらない馬鹿げた政治家も、未だに存在しているのだろう。  
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2007年03月16日

親と子の葛藤

おはようございます。日本ほど、親と子で殺したり、殺されたりする国はないんじゃないかと思います。

心中の時に生き残った人に対する罪も欧米と比べれば、かなり軽い。お互いが、自立してなくて、もたれかかって生きているからだと思います。互いにもたれかかって生きるコトを全く止めるべきとは思いませんが、ある程度の距離を取るコトは必要だと思います。
これからの日本
久々に河合さんの本です。

ココに書いてある中で一番、心に残ったのは、「イニシエーション」としての「親殺し」だったり、「子殺し」。無論、それは実際の殺人とは違い、「心の中の幻影」を殺すのですが。

学園紛争も一種の「エディプス・コンブレックス」の裏返しという説には、『なるほど』と思いました。

子供時代に見る大人は、「親」に限らずとても大きく感じるものです。第二次反抗期の親子や教師の葛藤も、子供の体格が親や教師に追い付いてきて、巨大だと感じていた大人の存在が、さほどではナイと思うのだが、といって子供が一人で生きてはいけないという現実もあり、ストレスが溜まるのだろうと思います。

元服は、首切りの象徴的表現で、「子供時代の自分が一回死んで、新しい大人としての出発」を意味してたのでしょうが、今の成人式は、まだ親の庇護の元で学んでいる人も多く、ココで大人にという、厳然とした「けじめ」ではなく、だから、子供として親に保護されていた人は、今度は会社に保護されて、自分というものを確立させなくても生きていけてしまうのだと思います。

親子の一体感を一度断ち切って、一個の人間同士として関係を結びなおすコトが本当は大事で、親離れを経験しない人が増えているコトが、現代の人間関係の問題なのだと、やさしく解説して貰うと、ボ〜ッとそうかもしれないと思っていた世界が、霧が晴れてすっきり見える様な気がします。

やっぱり、タマには読みたい心理学者です。  
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2007年01月17日

気づいて前に進もう

この本も最終回です。長々と書いているうちに、読み終わった本が何冊にもなりました。書きたい本が、目白押しです。

ともかく、逆境は目覚めるチャンスで、難しい問題、トラブルが起こったら、それは何かの意味があって起こったのだろう、自分の中の「目指すべき道」を見つけるためにあらわれてきたのだと考え、目的を探すと道は開けるということです。

「なぜ、こんな目に遭ったのか」「どうしてこんなことになるのか」と、原因を過去に求め、追求していくのは原因論。

「これは、何のために起きたのか」「何を教えようとしているのか」「何を学ぶことなのか」と未来への探求をすすめるのが目的論です。

原因論に立つと、誰かのせいにしたり、自分を責めかねません。

しかし、与えられた環境はすべて、どんな環境であれ、大切な環境に気づくための環境だと思うこと。過去を振り返るにしても、「希望にあふれた未来のため」にととらえると、辛く苦しい経験だけでなく、かけがえのない体験になります。

いじめられた、暴力をふるわれた、両親が離婚した、そうした心の痛み、傷、苦痛を受けた、重荷を背負っている。その原因探しも時には必要かもしれません。

でも、それにこだわり続けると、いつまでも被害者意識から抜け出せないだけでなく、その出来事を思い出すたびに傷みを伴います。

自分が今、立っている位置を認識し、目的をはっきりさせ、「何をしたいか、何になりたいか」ではなく、「どうありたいか、どう生きたいか、何をつくり出したいか」という視点で自分を見つめ、自分の中の本当の自分を生かして、人生を楽しんで欲しい。自分を信じる自分を信じて、どんなに辛い過去があったとしても、新しく人生のページをめくり、全く違う人生を始めることは可能です

あなたの人生が実り多いものになることを著者もそうでしょうし、ワタシも願っています。

人生は何度でもやり直せるのですから。  
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幸せをつかむ三つのパターン

おはようございます。通常、幸せになる三つのパターンがあると著者は言います。

〕澆靴い發里鮗蠅貌れて幸せになる
「欲しいものを手に入れさえすれば、あんなことも、こんなこともできる。そうしたら幸せになれるのになぁ」という生き方です。

新しい携帯、ブランド物の新しいバッグ、お金や財産、地位、名誉、結婚、食べ物、就職、レジャーなど具体的なものです。

ただ、この幸せは、手に入れた瞬間は満たされるのに、しばらくすると感動がなくなってしまう。あれさえ手に入れば幸せがつかめると思っていたのに、一瞬の満足だけで、また違うものが欲しいなる。「どれだけ手に入れたら、本当の満足や幸せが訪れるのか?」という疑問が残りやすいかと思います。

行動することで幸せになる
「幸せになりたいのだったら、まず行動」という生き方です。一生懸命がんばる、努力する、そうすれば、かならず結果がついてくる。「がんばれ、がんばれ、がんばって行動していれば、かならず幸せになれる」という日本人の典型的な生き方の一つといえるでしょう。

がんばっていろいろなものを手に入れられるかもしれません。欲しかった車、家、立場‥‥でも、今の自分に満足していますか。がんばって生きてきて、欲しかった満足、欲しかった自信、欲しかった幸せがあなたの中にあふれているでしょうか。

目的がなくなったとたんに、生きる屍のようになってしまう人もいるほどです。「いつまでがんばれば、本当の幸せや安らぎが手に入るのか?」ということを感じる人も多いでしょう。

なりたい自分になって、その生き方を幸せと感じる
まずなりたい自分になる。そして行動して、その生き方を幸せと感じる。「自分を輝かせて、自分の人生を生きる。それが幸せを作り出し、充実感や満足感があふれ出す」というのです。

自分のしたいことをし、大きな理想に向かって生きる。そのプロセスそのものの中に彼らの幸せがあり、自分のやっていることに誇りを持っていたらどうでしょう。

「好きなことをする、やりたいことをやってみる。自分が輝く。自分で自分を承認し、自分のしていることに誇りを持つ」という生き方です。

この三つの幸せのパターンを選ぶのは、アナタ自身です。どの生き方にも「良い悪い」はありません。満足さえしていれば、それでイイのです。ただ、生き方によって、人生にもたらされるものが違うだけです。  
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2007年01月16日

人生は肯定的がイチバン!!

人間は不思議なもので、ダメだダメだと思っていると、本当にダメなコトが多いのですが、自分に肯定的になると、人生も上向きになると著者は述べてます。

それに必要なのは、アファーメーション。自分に対する肯定的・積極的宣言、自分に対する新しい約束、本当の自分を認める力、言葉といった意味だそうです。

アファーメーションには、潜在意識に働きかける大きな力があるそうです。どうしても、人生を否定的に考えてしまう場合は、この方法で、人生を肯定的に思えるように、「新しい自分」になるよう試してみてください。

「ダメだ」という言葉を、「大丈夫、できる」という言葉に書き換えてみてください。

例えば、「もう病気には勝てない」と思ったら、「大丈夫。きっと良くなる」という様に、「御金がない」というのなら、「御金がナクても大丈夫」とか、「ダメ」という状況を覆すには「絶対にできると信じる力が必要」と考えた男性は、「私は『世界信じる大会』の初代チャンピオンだ!」という言葉を見つけたそうです。そんな感じで思いついた言葉を見つけたら、毎日、繰り返して宣言するそうです。まず、言葉の選び方から、

〔ね莊舛任呂覆、現在進行形で表現する
『タバコをやめたい』と思ったら、「私はタバコをやめている」という形にします。未来形は願望になるので、現在の潜在意識を変えられません。今、すでに変わっていることを宣言することが大事です。
肯定的に表現する
「朝寝坊しない」ではなく、「六時に元気よく起きている」というような形がイイそうです。
C擦て簡単
ぜ分自身にぴったり合った言葉を選ぶ
長続きするには、自分で納得し、確信が強まる表現が大事です。

アファーメーションの方法は、

^貽一〇〇回以上声に出して自分の耳に聞かせる
自我が邪魔しない時間帯は、寝る直前だそうです。水をかぶって頭を真っ白にして、無意識の世界を作るのも効果的だそうです。
一日一〇回以上、ノートに書く
手で書いて念押しします。ノートの左側にアファーメーションを一〇回以上、右ページには描きながら出て来る否定的信念を書くと、自分の持っている否定的信念に気づきます。無論、その否定的信念を無くすタメに、左側をしっかり書くことが大事です。
最低、二一日間続ける
じ泪所以上、目につくとこに張る
自覚を促す意味があります。

脳の中に神経細胞であるニューロンから新しいシナプスが伸びて、新しい回路ができあがっていくことは大脳生理学的にも証明されているそうです。古い思考パターンが休息し、新しい思考が生まれてくるそうです。ゼヒ、お試しあれ。では、マタ明日。おやすみなさい。  
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誰でも仮面をつけている

おはようございます。夫婦間の殺人事件、未遂事件が話題になってますが、愛情がすでに失われているのに、世間体などを考えて幸せを演じている夫婦を「仮面夫婦」と呼びます。

三島由紀夫の小説にも「仮面の告白」があります。しかし、仮面(ペルソナ)は、社会に適応するために必要でもあると心理学の本の著者は書いてます。

職場で、家庭で、近所で、友人と、恋人となどと、社会の中で生きぬく上で、時と場合に応じて使いわけている人もいると思います。

ただ、問題は、あまりにたくさんの仮面の中で、本当の自分が誰なのかわからなくなってしまうことがあります。

「仮面はあくまでも仮面にすぎず、自分自身ではない」ということに、まず気づかないと、「自分が何者なのか判らずに困った」り、「本当の姿を見破られたらどうしようとビクビクする羽目」になったりします。

人間は傷つきやすく、もろい面をもっているので、そうした自分を守るためにつけたり、他の人への配慮、社会に適応し、まわりと協調していくためにつけているのです。

愛されたい、認められたい、ほめられたい、嫌われたくない、いい子でいたいといった気持ちからつける場合もあるでしょう。

ともあれ、仮面を自由にとりはずせるようにしておかないと、いざ、自分に向き合おうとしても、「本当の自分」や、何をしたくて、何をめざしていてということが判らなくなってしまっては、本末転倒です。

自分が自分でなくなると、極端な場合は多重人格とかになりかねませんし、自分の行動に違和感があったり、生きている意味が判らなくなったりします。

まわりから承認されることも大事ですが、まず自分で自分を承認することです。この二種類の承認によって、心が満たされ、安定し、自信がみなぎるのです。

まわりからの承認を求めて、まわりにいい顔ばかりをしていると疲れきってしまいます。

他人にはイイ思いをさせているつもりでも、自分がヘトヘトでは、ちっとも本物の自信につながりません。

自分で自分を認めさえすれば、そんなに他人の思惑は関係なくなります。


仮面は他人と付き合うにはそれなりに必要、でも外そうと思った時には、サッと外せるようにしておくべきものなのだそうです。  
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2007年01月15日

人生は「運命」か「選択」か

ちなみに、ワタシは人生は「運命」と「選択」が、混ざり合っているのだと思います。だから、時には「運命」だったのだと諦め、時には「選択」ミスだったのだと諦めることにしています。

「人生は諦めが肝心」だと思っていますので。完全なる「選択」が出来たら、それは神の領域になりますし、全て「運命」だと思っていたら、生きている意味や考える意味がナイと言っている様なものなので。

著者に言わせれば、運命の要素が強いと思えば思うほど、自分の欲しい結果を、自分でつくり出す可能性はどんどん狭まるそうです。

人生は選択であるという立場に立てば、何でも手に入るということはないけれど、欲しいものを手に入れる可能性は広がるというのです。

どちらの立場がいいか、悪いかではなく、自分の生きて来た立場を見直して、本当に満足のいく立場を見つけるのが良いということです。

そして、選択とは「よりまし(なもの)」を選ぶことなので、人生は選択だと思いつつ、人生がうまくいかないと悩んでいる人は、選択する基準が役にたってないのですから、その基準の見直しが必要になるそうです。

そして、イヤなことがあっても、自分は「被害者」という意識を捨てて、「まわり」に振り回される人生を捨てなければなりません。

被害者になって、同情してもらったり、励ましや見返りがもらえたり、責任をとらずにすんだり、注目されたとしても、不快感、怒り、悲しみがつきまといます。

「自分が源」だと考えて、自分の人生の責任は「こうなったのは、あの時にあの選択をした(しなかった)自分がいて、その結果があるのだ」と思えば、誰も悪くないし、何も悪くないと思えるはずです。失敗したとしても、その経験を未来に活かすコトで、次の「選択」は違ってきます。

責任を他者になすりつけていると、似たような失敗を繰り返しやすくなります。何度も失敗したいのなら、それも仕方ありませんが、失敗を活かせるかどうかが、人生の最期も笑えるかどうかを左右するといっても、過言ではないでしょう。

あなたの人生の主役は「あなたしか居ない」のです。主人公は常に自分なのだということを、心に刻んでおいてください。  
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力まないで楽しむ

おはようございます。休み明けで仕事が詰まっているので、本文のみ。

「努力」という言葉を好む人に、ペンを床に落とし、「努力して拾ってみてくれますか」と著者が問いかけると、だいたいキョトンとした顔になり、おもむろにそのペンを拾おうとします。

そこで、すかさず、「いえいえ、努力して拾うんですよ。努力です」と、追いうちをかけると、たいてい混乱して、身動きがとれなくなるそうです。

ペンを拾うことに、わざわざ努力やがんばらなくとも「拾う」ことはできるのに、「幸せ」になることは、努力やがんばりが必要だと思うのはなぜなのか?

やはり親からの影響
だというのです。

「やり遂げた」人に「本当に苦労しましたね」とねぎらうと、涙があふれ出す人もいます。苦労が報われたのですから、感激があって当然です。

でも、努力とがんばることと幸せはセットでしょうか?

ハイハイしていた赤ん坊が、初めて立ち上がった時に、「努力」した、「がんばった」と思うのでしょうか?

単に夢中になり、無心で取り組んでいたら出来たというのではないでしょうか。

「努力」や「がんばる」ことに意味がないということではなく、自己評価して「がんばりがまだ足りない」、「努力がまだ足りない」といって、目的が、やり遂げることよりも「がんばること」や「努力すること」に置き換えられてしまうのが、自分を好きになれない原因になると言いたいそうです。

その時、その時を楽しんで生きることが、幸せにつながるのであって、誰かが幸せを持ってきてくれるわけではないのです。  
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2007年01月14日

がんばればシアワセになれる?

さて、本に戻ります。別にこの著者がどうとかと思って今朝の日記を書いたワケではありません。前から、そろそろ書こうと思っていたトコに、「違う本」を読んで、やはり書いておかねばと思ったから書いたので、その辺の話は「違う本」の話のトコで、しっかり書き込みます。

努力すれば必ず報われたり、幸せになれると思いますか?

シンデレラはつらい環境の中で不平ひとつ言わず、がんばってきた。だからこそ幸せをつかんだ、最後に幸せをつかむためには、苦労を苦労と思わず、苦労があるから幸せは倍になってくるはずだ、というようなコトを思っている人もいるようですが、果たしてそうなるでしょうか?

どうも、この本のコトを書いていると脱線したくなってしまうのですが、シンデレラの話は、今まで多くの心理学の本を読んできたワタシの目で見ると、かなり不安を感じる物語なのです。

何故なら、王子さまと結婚したら、幸せになれるとは決まってナイと思ってしまうからです。王子様であったとしても、精神的に優れているとは限らないとか、意地悪されていたシンデレラが、逆にイジワルな人になりかねないとか、そんな心配をツイしてしまったりするものですから‥‥

本の話に戻ると、著者とがんばれば幸せになると思っている人の会話です。

「がんばってさえいれば、幸せになれるの?」
「ええ、そう思って、がんばっています」
「今、幸せですか」
「いえ、まだです」
「幸せをつかめましたか」
「まだ、そこまでいっていませんが、いつかかならず本当の幸せがつかめると信じてがんばっています」

がんばってさえいれば、いつか「誰か(王子)が(ガラスの靴の持ち主として)認めてくれ、幸せにしてくれる」と考えてますが、そういう考え方は、「いつかは」という夢や希望にあふれ、「あきらめない」素晴らしさがある反面、永遠に「いつか」のために、今ある幸せに気づけなかったり、今幸せを味わっていても、「まだまだ、こんなことで幸せになってはいけない」とがんばり続け、いつまでも幸せをつかめないという結果におちいりやすい。

通常、期待は泡のようにはかないものです。期待からは何一つ生まれません。期待は裏切られることが多い
ようです。

期待という言葉があらわす達成感は自分がつくり出すものではなく、誰かがつくり出す他律的なものだからです。

自分の幸せは自分でつくり出すもので、だれかや、何かがつくり出すものではないと著者は述べています。  
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ギャンブル時代を生き抜くタメに

遅い更新になってます。それにしても、世の中は本当にギャンブルの様な時代に突入したと思います。

以前の様に会社に入っても、終身雇用もおぼつかなければ、一度スキャンダルに巻き込まれると大きい会社はさほどのバッシングもナイのに、小さい会社はココぞとばかり叩かれる、「いじめの構造」が続きつつ、そんな社会の縮図として子供に悪質な「いじめ」があっても、世の中は虚しい正論ばかり、アナウンスしているみたいな。

日銀総裁を始めとして、一番御金に対してモラルを守るべき人間が強引に居座り続ける世の中で、一体、どう生きていけばイイのかと、迷う人々が増えるからこそ、宗教や心理学がもてはやされるのだと思います。

されど、何度も書いていますが、エセの宗教家も述べる言葉はキレイな言葉しか述べません。

言葉にのみ惑わされると、誤った人生の選択をしかねません。幾つもの、宗教に関する話や心理学に関する話を書いてますが、だからといってそれらの著者が万能の人間だと思って、このブログを契機にして、自己を捨てて傾倒されても責任は取りかねますし、道を踏み外されても困りますので、時々、こうした警告を書いてます。

こうした時代を生き抜くには、「ありのままの自分」を受け入れるコトでしか、「心の平安」は得られないと思います。誰しも、他人は「自分に対して有益な人間であるコト」を求めますが、それに対して過剰にやり過ぎてしまうと、「自分を失ってしまう」と思うのです。

少なくとも、「自分の中にある有益でナイ自分」を認めるコト。怠惰だったり、ワガママだったり、自己顕示欲が強かったり、ありとあらゆる世の中で悪とされいるコトが、人間だから内在していると思います。「でも、人間なんだから、それでイイじゃないか」という自分に対する開き直りは許すべきです。

他人にそういう開き直りをすると、ケッコウ大変ですが、少なくとも自分だけは、「そういう気持ちがありつつ、それを抑えつつ生きている自分はスゴイ奴だと認めてあげるコト」だと思います。

というコトを大概の心理学の本は述べているのですが、晩は、今、書き込んでいる本に沿って、より具体的な方法の書き込みをします。最近、こういう警告文をあまり書かなくなっていたので、今日は久々に書いてみました。  
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2007年01月13日

怒っても泣いてもイイ

感情の発散は、アートセラピーが有効だそうです。前にも何度か書いてますが、ココでは、クレヨンで思い切り画用紙に塗り込んだり、粘土をいじったり、体を動かしたりすることで、体の中に抑圧された感情が外へ流れ出していくと書かれてます。

明らかに怒っているのに、「自分は怒ってない」と答える人は意外に多いそうです。コンブレックスの解消法は、気づいていないその感情を外に出してあげることだそうです。

自分の尊厳が傷つけられているのに、ニヤニヤ笑う人もいますが、怒りを何かに置き換えたままでは、正しく表現できず、抑圧している怒りは憎しみや恨み、ねたみに変化します。

怒りは、破滅的なエネルギーですが、人生を生きるうえでの必要な、強い力でもあります。不自然に抑圧するのではなく、自然に発散することが大切です。

まわりに迷惑をかけないのであれば、古典的な怒りの昇華法として、物を壊す、何かを叩く、大声を出すというものがあります。ドラムをガンガン叩くとか、カラオケで歌いまくるとか、方法は色々ありますね。怒りを抑圧せずに、発散すればスッキリします。

悲しみも抑圧すると、泣けなくなります。

悲しみの昇華法は、十分に泣き、涙を流して感情を外に流し出すことです。

体を丸くして、枕やタオルを抱きしめながら、声を出して泣けばイイそうです。

感情を発散するときに忘れてならないことは、誰かにぶつけないことです。まわりに八つ当たりしても、自分自身が苦しくなるだけです。

怒りを注意深く受けとり、感じ、表現していくことが大事です。

否定的感情を表現するだけでなく、受けとめてくれる人がいると、より良いそうです。

ちなみに、破るつもりで、絵を描くというのも有効だとワタシは思います。何だか判らないモヤモヤとした感じを思うがままに描き、それからビリビリ破くのです。手軽に出来て、御金も掛からないので、ゼヒ試してみてください。  
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感情を自然に発散する

おはようございます。長野は雪がチラつく、寒い朝です。では、仕事もあるので、チャッチャと本題に入ります。

私たちは、小さい頃から怒るにはいけないこと、泣くのは恥ずかしいこと、怖がるのは臆病な証拠などと、「感じること」そのものを否定されてきました。
「そんなことで泣くんじゃない」「それぐらいなことで怒るのか、短気なやつだ」と一度や二度くらいは言われた経験があるでしょう。

しかし、感情は自然なものなのです。

ところが、その感情を人はなかなか上手には受けとってくれないのです。また、感情表現の仕方を学校でも家庭でも誰も教えてくれません。「大人になる」ことを「否定的な感情を表現しなくなる」ことと考えている人たちも少なくありません。

何度も言いますが、感情の中でも、怒り、悲しみ、恐れ、喜びは人間にとってとても自然な感情です。「感じてはいけない」とか「感じないようにする」ものではありません。

しかし、感情を抑圧し、「感じなく」なったのが自慢の人も居ると著者は述べています。

抑圧し、本人が感じないようにしても、自然のエネルギーは体内にたくわえられ、スポーツとか、情熱に転化されて外へ出ていけばよいのですが、抑圧が過ぎると、突然爆発したり、体内で爆発させることで病気になってしまうこともあるそうです。

抑圧し続けることで、自然な怒りは憎しみや恨みに変化していくからです。

否定的な感情を自由に表現しなくなっていくと、うれしい、楽しいといった喜びの感情も表現できなくなります。

本人なのに、自分の感情をつかめなくなり、こうしたうっ積が、コンブレックスを形成することもあるのだそうです。

晩はその発散方法について。  
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2007年01月12日

コンプレックスに気づく

さて、一休みしたので、再び心理学の本の話です。ユング派の本です。とても読みやすい本なので、オススメです。
自分セラピー―読むだけで自分のことが好きになれる
前の本と重複している部分もあるので、まだ日も浅いですから、そちらは省略して、違う部分を書き込みます。

コンプレックスは、自分では無意識に閉じ込めているものです。しかし、原因不明の恐怖心や心のおびえ、心の閉ざしなどに作用します。

相性の合わない人という場合、私たちは「相手」が悪いと考えがちですが、実は「相手」に自分の「シャドウ(影)」を投影している場合がある
のだそうです。

つまり、「自分では意識して抑えようとしているけれど、存在している悪いと思っているコト」をしている人物の行動に、「自分自身に都合の悪いもう一人の自分」の存在を思い知らされるがゆえに、腹が立つというコトもあるのです。

「良い人」を演じ続け、「暴力的な性質や、自分勝手な振る舞いはいけない」と自分に言い続け、抑圧していると、閉じ込められたエネルギーは、「良い人」を演じるたびに負荷がかかり、突然のように外に爆発することがあります。

「キレる」というのは、心理学的にこのことで、あまりに自分を殺しすぎると、その反動でシャドウは外に爆発するのです。

渋谷のバラバラ殺人事件の御夫婦は、二人とも「とてもイイ子だった」と生家の隣近所の人々がインタビューに答えています。悪口を言うのは抵抗があるというコトで、多少は割り引いて考えるとしても、「礼儀正しい子供」の役を演じ続けていたものの、互いにそうでナイ自分を抱えていたからこそ、DVの加害者・被加害者になり、最終的にその立場が逆転するような結末を迎えてしまったのだろうと推測出来ます。

では、どのようにして、プレッシャーやコンプレックスを乗り越えて行くべきなのか、明日からじっくりと、それについて書き込んでいきたいと思います。  
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2006年07月20日

人生は掛け替えのないもの

おはようございます。長野県では、未曾有の災害で大きな被害が出ています。

被害に遭われた方にお見舞い申し上げると共に、被害のあった場所をヨク知ってらっしゃる方々の話をお聞きすると、以前の災害でもそうなのですが、「あそこは新興住宅地で、知ってる地元の人は買わないような場所」という様なことをおっしゃいます。偽装建築もそうですが(もうホトンド話題にもなりませんが)、住宅というのは普通の人間にとっては、一生で一番大きな買い物です。安く売るには、手抜き工事をするか、地元の人が見向きもしない様なトコを売るしかないのかもしれませんが、知らないで買った人はイイ迷惑だと思います。過剰な開発というか、無謀な開発は何とかならないのでしょうか?

住めば都で、浸水するコトも覚悟の上で住んでらっしゃる方もいるようですが、それはそれで仕方ないのだと思います。でも、お年寄りの方だと、離れた学校まで行くのは大変だからと、二階に上がってそのまま避難しない方もいらっしゃる様ですが、これからより高齢化する時代を迎えるのですから、緊急の時に老人や病人などの方々を安全に避難させる方法なんかも、しっかり考えないと問題があると思います。

昨夜の本は、一回で終わるつもりだったのですが、大事な部分を書き落としていたので、そこだけ書き込みます。

新しい世紀がすぐそこまできているにも拘わらず、私たちを取り巻く周囲は、大気汚染や海洋汚染、オゾン層の破壊、幾多の動植物の絶滅など、地球規模での環境破壊をはじめとして、とても酷い状態にある。
高度な科学技術のお蔭で、コンピュターを中心とする情報メディアの考えられないような発達がもたらされた。その一方で、いじめや無気力や自殺など、子どもたちをめぐる状況は荒廃している。また大人の世界も、国外では度重なる幾多の戦争や紛争、国内ではリストラ、高齢化、政治不信などを背景に、深い人間不信が隅々に至るまで浸透し、巷間には怪しげな宗教がはびこり、時代はまさに世紀末の様相を呈している。人心は不安や苦悩のまっただ中にあるといって過言でない。

その傾向はマスマス続いてますが、どのような境遇にあった人でも、その自己実現の在り方は全て等価であると述べてられます。

そこに「かくあらねばならぬ」というものはまったくなく、すべてがかけがえのない個性化の過程なのである。
一人の人間の生というのは、決して一世代で完結するものではないと考えている。我々の生とは、連綿たる生命の歴史の中で、自分という生命をこの世に送り出した、根源にある自己、大いなる意志の実現の形である。偶然の出会いの中で必然の道を歩んでいく我々の人生というものは、自分一人のかけがえのないものであると同時に、万人に対して開かれたものであると、強く感じてらっしゃるそうです。  
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2006年07月19日

芸術は人を癒す

心理学の本の紹介が増えたので、全般的な本と分けるタメに、ユング心理学も別立てにしました。何度も登場している河合隼雄さんもユング心理学の権威なので、ヒマがありましたらカテゴリーを移しますが、あくまでもヒマがあればなので、その辺は御了承ください。
臨床ユング心理学入門
という本を読んでみました。ユングの人生についても書かれてました。ユングが不登校児であったり、神経症であったりという話を読むと、アドラーの言う様に、やはり人間は欠点を克服しようとしてその部分を強化する方向へ行くのだと、逆に改めて関心したり‥‥

今、映画化されてます宮部みゆき原作の「ブレイブ・ストーリー」を思い浮かべたりしました。
ここで、そのストーリーを述べるワケにはいきませんが、先に小説を読んでいると多分そう思うと思います。

ともあれ、ユング心理学をここで短く述べるコトも出来ませんので、詳しく知りたい方は読んで頂くとして、この本で注目すべきは、絵によって心の中のわだかまりを発散するコトが出来る場合もあるというコトです。

言葉にしようとすると、出て来難いものでも絵であれば、表現出来たり、コラージュ療法を自発的にする患者さんもいたり、実に考えさせられる本です。

ただ、現在の不登校の子供達の中で、取っ掛かり(筆者は「窓」と呼んでいます)のナイ子供の数がますます増えていく可能性を指摘しているのは、かなり心配です。必要な時に外との関係性を持つことが出来る為には、どこか一部穴を開けておかなければならない。それを「窓」と呼んでらっしゃるそうなのですが‥‥

我々の生きる日常の世界では、小さなことから大きなことまで、毎日毎日絶えず新しい出来事が生起している。それが暗澹とするような暗い出来事ではあっても、その背景には何があったのか、それは何故生じてきたのかといった過去思考的な考え方をするだけでなく、未来は我々に何を伝えようとしてこのような出来事が起こってきているのかという考え方をすることで、我々がこれから生きていくべき新しい道が見えてくるのではないか、と著者は述べていらっしゃいますが、正にそう思う方が生きやすい様なコトばかりある毎日ではあります。  
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Posted by seitaisikoyuri at 20:46Comments(2)TrackBack(0)