2018年09月28日

体罰はなぜなくならないのか

貴乃花親方の引退なのか、退職なのかで紛糾している問題もそうだが、日本という国はどうも体制側が権力を持っていて、それに逆らうと見せしめ的なトコがある。

そういうコトが原因で、中々、なくならないのが体罰といじめと言っても過言ではなかろう。


特に問題とされるのは、「しつけとして体罰が許されるか否か」という問題ではなかろうか。

体罰という恐怖によって、他者を支配しようとする考え方は、前近代的なのだけれど、近視眼的にスグに結果を求めようとする人達には、受け入れられがち。

世界的には、「褒めて伸ばす」という考え方の方が、一般的なのだけれど‥‥

ともあれ、「勝利第一主義」になってしまうと、目先のコトに囚われがちになってしまうのだけれど、学校の教育というもの自体、「教え育てる」という基本的な意味から考えると、高圧的で一方的な支配では無く、生徒に自覚を持たせるのが最良の方法であろう。

そうした背景には、オリンピックになると、「出るコトに意義が有る」というクーベルタン男爵の考え方よりも、スグにメダルの数に拘ってしまう国民世論にも問題があるのではないか。

誰でも、勝たないよりは勝った方が気持ちが良いには違いないけれど、手段を選ばすというのでは、どうなのか。

とはいえ、フェアであるコトが、今の日本では中々行われない現状があればこそ、この問題は根深いのではないかと思ってしまうのだが。  

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2018年07月01日

就職は大変

誰もが、自分の天職と必ずしも巡り合うというワケでは無いし、本当に自分がどんなコトをしたいのかというのすら判らないというのが普通ではないか。

故に、大学を出たからと言って、必ずしも就職に成功するワケでは無い。

そういう人達を何とか自分と向き合わせて、なるべく自分に合う職業とマッチさせようとする人達も居て、そういう方達の本。


どんなコトでも、実際に事案と向き合う人々の話は、頭で考えるコトとは違い、ナルホドと思う事が多い。

学校は、昔とは違い生徒を御客様扱いしてくれるが、勤めるというコトはお金を貰うのだから、かなり大変な目に遭うコトもある。

しかも、本人の特性など、やって見なければ判らないというコトもあるのだから‥‥

しかも、最近は社員の成長をゆっくり見守る余裕はナイ。

勉強が出来るからこそ、失敗の経験が無いので、些細なコトに躓きやすいとか、学生時代は対人関係は苦手でも何とかなるが、社会に出るとそれでは済まないといった問題と直面する。

そういう意味でも、誰かの問題は、自分の問題でもある。

何事も、自分とは無関係と思わず、本を読んでみると、色々な発見が隠されている。

この本の最後に、身近に感じない存在に対して、知らないから激しい言葉を突き付けたり、根拠のない決めつけをしてしまったり、無下に不平や不満をぶつけてしまったりするけれど、それは、そういう人を知る機会がなかったからだろうと書かれています。

やはり、色々な人を知る努力というのは、自分の人間としての幅を広げてくれるのではないかと、何時も思います。  
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2018年06月24日

大学無償化は大学のタメ?

「どんなに貧しい家庭に育った子供たちでも進学のチャンスを確保する」からと政府に言われても、本当は定員割れの大学を救いたいからじゃないのと思わずに居られなかったのだが、どうもそうらしい。

大学無償化は「第2の生活保護」になるかも…教育後進国ニッポンの悲劇を読んでみて、やっぱりと思ってしまった。

そもそも、加計学園などに対して、優遇しているのを見ていれば、当然、そうした可能性は誰だって考えられるのではないか。

とにかく、美辞麗句の蔭で、自分達に利益があるコトを画策しているのが、今の政府なのだから、本当に貧しい家庭に育った子供たちでも進学のチャンスを確保するタメだけに、と考えるのは単純過ぎ。

無償化が完全適用される非課税世帯の私大生のケースを考えると、授業料が上限約70万円まで免除されるうえ、年100万円超の生活費が返済不要の給付型奨学金で手当てされる可能性があるという。

それでも、本当に優秀な生徒がしっかり大学で学んで、世の中に貢献するのであれば、生活保護と同じで、もしかしたら人生を良くするタメの、チャンスと捉えるコトも可能。

ともあれ、問題は、無償化の支援措置の対象となる大学の方かもしれない。

定員割れが常態化している大学への延命策になりかねないのであれば、止めた方が良いに決まっている。

保育園のお金を払いたくナイからと、偽装離婚するケースも有ると聞いたコトがある。

日本は、性善説に立って物事を決めては、後から問題が発覚したりしているが、そもそも、もっと厳格に誰が見ても、その制度があって良かったという制度設計をすべきであって、泥縄式に準備すべきではナイ。

そして、その制度が出来たのであれば、始まった年度より前の生まれであったとしても、救済すべき才能のある人々達にも、制度を導入すべきである。

生まれた年によって、本来受けられる制度が違うというのは、法の下の平等に反するのだから。  
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2018年06月14日

それにしても

学びたいと思って、大学院に進んでも、逆に就職が難しくなっているという現状。

昨日の本にも、医学部ならともかく、理系でも大変と書かれていたけれど、文系はもっと大変らしく。


類似の本を読んでいるので、やっぱりそうかと思うのだけれど、それにしても日本の教育に対する金銭的政府からの援助は少ない。

それ故に、貧困の連鎖も続く可能性も高いと思う。

タダ、逆に多少の余裕が有るからと、研究者への道を進むと、大変になってしまうというコトもあり、中々難しい。

この本の中に、数学を極めて何になるかと言われても、「スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことがどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないこと」と述べた数学者の言葉が書かれているが、本来「学問」とはそういうモノであり、そうした研究などの結果として、日本の発展もあったのではないか。

今は、実利的にばかり行き過ぎて、スグに金銭的に潤うコトばかりに目が行き過ぎ、結果、どんな分野でも画期的な研究結果が得られなくなりつつある。

頭脳流出と言われて久しいが、ある程度の投資をして、学ぶコトの大切さを大事にしてこそ、学力の底上げも可能になる。

今は、目先の利益ばかりを気にして、世の中のゆとりが無くなって来ているが、それに派生して他者を追い落とすコトが増えて来ているのも、問題かもしれない。  
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2018年05月29日

我田引水気味ではあるが

意欲がある人というのは、イイものだ。


ともあれ、別に医学部に子供達を入れたいという気持ちも無く、タダ、面白そうだから読んで見たというだけの意見なので、本当に希望している人やその周囲の人にとっては、この本の言う通りなのかどうかは、とても気になるだろうけど‥‥

少なくとも人を教えるというコトに関しては、必ずしも優秀な人が教えたら上手く行くというワケではナイ。

自分の失敗談や反省点を含めて、相手に共感させられるかどうか、それこそが大事な点なのだと思う。

そもそも、昔の人間なので、塾に通った経験も皆無なのだけれど、少なくとも人間的に認めた人からなら、教えを乞いたいと思うのが普通。

母校の高校の教師には、あだ名が付けられた名物先生が何人か居たけれど、少なくともそのビッグ3の先生には、幸運なコトながら、全て教えて頂いた。

特に、有名だったのは「ギャング」と命名された物理の先生。

人間としての生き方などを熱く語ったりしていたけれど、卒業した二年後に突然病で亡くなられたと聞いた。

しかも、その前の年に習ったという後輩の方が、今の御客様の中に居て、最後の年には何を思ったのか、自分で教科書みたいなプリントを擦って来て、それを配って教えたとか。

ともあれ、相手にインパクトを与える位、強力な個性の持ち主だと、好き嫌いは分かれるかもしれないが、好きだと思った人の授業なら、しっかり聞きたいと思うだろうし、出来れば良い点を取りたいと思うので、勉強する気になるだろう。

上記の著者も、勉強の前に、人間性が大事などと熱く語っているので、少し似た感じがした。

少なくともこうした骨の有る人に教えて貰えていれば、嘘で嘘を糊塗しようとして、失敗ばかりしている国会の住人が生まれては来なかったのではないかと思うと、実に残念な気持ちになる。

上手に嘘を付けるコトが可能なのは、かなり柔軟で本当に頭が良い人だけ。

単に点数だけ取れるだけの人や、基本的にあまり賢くナイ人ならば、嘘などつかない方が、地金がバレないだけ真っ当な人生を送れるコトが可能なのに‥‥  
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2018年05月28日

大学生を考える

高卒の時に、良い就職先が見つからないので大学に進学なんて話さえあるホド、選ばなければ簡単に大学に入り易くなっている。

で、問題になっているのが、学生の質。


著者の主張はさておき、今、話題の大学の報道を見ると、どんな大学であっても存続させたいのは、教授などのポストが美味しいので、官僚などの天下りとして確保したいからではナイのかという気持ちにさせられる。

学力も二極化している様で、トップクラスに入るには、小学校の時から頑張らないとダメみたいだと、この著者は言う。

偏差値七〇超の大学へのパスポートは、中学入試の時点でほぼ配り終えられているのだと。

一九七〇年代の入試では圧倒的に浪人生が強かった。最大で、東大の入学者の七割超が浪人生だったが、一九九〇年代には、現役合格率が浪人合格率を凌駕していくので、国立大学医学部の合格者は、圧倒的に現役比率が高い(東大で約六五%)一年の浪人程度で逆転できる差ではなくなっていると。

頑張れば報われると思えば、誰もが頑張ろうという気持ちになるだろうが、最近の社会状況を見ていると、頑張っても報われないかもしれないと思ってしまう人も出て来るのではないか。

頑張り過ぎれば、過労死まっしぐらな日本社会になって居るのも、その一因。

著者の気持ちも判らなくもナイが、普通に頑張ったら、普通に報われる社会にナラナイだけで無く、非常に頑張っても、頑張っただけ報われない社会という、あまりに理不尽な社会になって来ているからこそ、今の若者は地味な努力を放棄しつつあるのではないかと、そんな気分にさせられた一冊。  
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2018年05月27日

アメリカ下層教育現場

ノンフィンションの本です。


アメリカ在住のノンフィクションライターが、恩師に頼み込まれ、教師の正式な資格は無用の、チャーター・ハイスクールという、かなり学力が最底辺の高校の教壇に立つことになった実話に基づいてます。

体罰で生徒を指導した方が手っ取り早いと考える著者ですが、それはアメリカでは許されてナイ。

それでも、彼なりに生徒と近付こうと努力して行くけれども、白人の校長からは有色人種として煙たがられ‥‥

それでも、著者はドンキ・ホーテみたいに、貧困などによる崩壊家庭で育ち、絶望的環境のなかで希望を見出せないで生きて来た生徒達に、全力で向かい合う。

必ずしも、ハッピー・エンドとはならないけれど、彼の奮闘は生徒達の中に波紋を投げ掛ける。

アメリカの後追いをしている日本でも、類似の事が起きても全く不思議ではナイ。

それを無関心のままやり過ごして、反社会的な人物を生み出すのか、それとも誰であれ、自分を見守り、大切にしたいと思う人に、たった一人であったとしても、出会うかどうかで人生の方向が変化するコトもある。
日本人は他者を誉めることが苦手な民族だが、アメリカ人は己が認めた事柄や人間に対して賛辞を惜しまない。時には徹底して身内を、そして自らを誉める。スポーツの指導者も誉めることでアスリートのやる気を引き出し、自信を与え、技術を向上させていく。
故に、「過去に於いて自分にとって最も有効な助言を得たのは誰でどんな状況か」と問われた著者は、他のアメリカ人が次々と応えられるのに、「特にない」としか言えなかったり。

ノンフィクションだからこそ、読んでいる人が気付ける人生の真実。

本業のスポーツライターとして、最底辺からのし上がったジョージ・フォアマンやマービン・ハグラーへのインタビューした時の彼等の言葉が、本当に胸を打つ。

久々に良い本を読んだと実感させてくれる、素晴らしい本でした。  
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2018年04月19日

あまりに信じ難いけれど‥‥

私学とはいえ、世の中の税金を多額に注ぎ込んだ大学で、こんなコトが有るのだとはにわかに信じ難いのだが‥‥

加計学園の獣医学部の1年生を対象とした教養教育科目では、陰謀論でしかない書籍を、学生に対して講義の参考書として薦めた上に、ヘイト本までも「参考書」として挙げられているという。

おそらく、そういう大学と知った上で志願している学生なのかもしれないから、平気なのかもしれないが、そういう環境で暮らしていれば、世間の常識とは乖離した学生が生まれかねない。

無論、それが狙いで大学を創ったのかもしれないが。

そういう行為を認めていては、将来的に日本をますますダメにするのではないか。

大学という組織が、もっと真面な運営者によって、学生を教育するならともかく、こんな呆れた授業で単位を取得させるというのでは、学問というに値するだろうか。

大学教育というのは、最早曲がり角に来ているのではないか。

奨学金も、卒業後に重く圧し掛かって来ている人も多く存在しているのだから、我々も昔の大学教育に対するあこがれを捨て、もっと価値のある大学のみ、存在して欲しい。

タダ、大学を卒業したというダケではナク、しっかりした教育を望んでやまないのだが、どうも、今の日本は世の中全体が変になってしまっている様で、驚くコトばかりである。  
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2017年07月14日

競争に打ち勝ったとしても

必ずしも、人間的に優れているとは限らないのは承知の上だが、それにしても日本は経済も二流になったのかもと思うのが、「不二越」の会長が、「富山で生まれた人は極力採らない」などと発言していたという話題。

どう考えても、法の下の平等に背く行為だろうが、そんなコトも判らないで、上場企業のトッブに立てるというコトがビックリ。

人権意識の欠如が蔓延しているから、世の中にブラック企業が減らないのかも。

そういう意味でも、日本の教育が間違っていたのではないかというこちらの本に同意する。


日本の経営者の中には、上に対しておべっかを使うコトで出世して来た人も多いという。

それゆえに、トップに立てたら、何でも言えると勘違いしてしまうのかもしれないが、それでは世の中は務まらない。

もう少し、人格的に優れた人をこそ、色々な場所でトップにするという当たり前のコトが行われなければ、世界が日本という国の劣化を感じ取るに違いない。  
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2017年07月12日

若者を取り巻く環境

少子化の解消には、若者に対する日本の教育に問題があるのではないかというコトに対して、真っ向から意見を述べているのがこちらの本。


日本の画一的な教育や、価値観に問題があるのではないかと、世界各国の教育との比較と共に考えられて書かれた傑作。

タダ、その手の改革が行われたとしても、日本社会の労働環境が変わらなければ、どうにでもナラナイのではないかと考える。

正社員の数を減らし、残業でこなそうとする会社側の姿勢が変わらなければ、時間的なゆとりも生まれては来ないからである。

色々な職業に、自分の特性を知って進む努力と共に、どんな職業に就いたとしても、次世代を産めるだけの、時間的、金銭的余裕が必要。

会社の奴隷になって、社会人としての生活をゆとりを持って楽しめない今の社会も一緒に変わらなければ、どうにもならないであろう。

なのに、「残業代をゼロ」にしようとしたりしているのでは、過労死が無くなるコトもあるまい。

目先の利益にばかり囚われて、未来への投資を忘れてしまった日本には、本当に未来があるのかと考えさせられた一冊。  
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2017年06月23日

教育はマズ

「平気で嘘はつかない」というのが、第一ではないかと思うのだけれど、道徳教育を推進している政府が嘘ばかり付いているのではと国民が思っているとしたら、もうブラック・ユーモアというべきか、茶番の世界。

文科省を巡る、官僚達の辻褄が合わない話など、本当に子供達にどう説明出来るのか?

日本の最高学府を出て、国家公務員になったエリート達が、記憶も定かで無ければ、ハチャメチャな答弁をしているのを見ている子供達に悪影響を及ぼすとは思わないのだろうか。

果ては、東大卒のエリートが議員になって、暴力沙汰を起こすなど‥‥そして、離党させただけで、入院させて、そのまま議員特権を有するとか、普通は辞めるべきだと思うけれど。

ともあれ、そんな時代の教育者への本として、少し前の本は、あまり役立たない感じだったので、オススメしたいのがこちらの本。


著者の本は、何冊も読んではいるのだが、大外の本の何割かは『そうなのか』と思ってしまう部分もあるのに、上記の本は数%を除いて、『その通り』と初めて思った珍しい一冊。

別に、自分の気持ちが全部正しいとは思わないけれど、本というのは正しいコトが必ずしも書かれているとは限らない。

そして、自分と違ったり、同じだったりする本を読んでこそ、自分の意見というモノがしっかり自分でも認識出来るハズ。

そもそも、大学で最初に衝撃を受けた授業は「活字になっているからと、正しいと思ってはイケナイ」という文学概論のドイツ語教授の言葉だった。

我々は、どんな本であっても、それを鵜呑みにするコト無く、『本当に正しいだろうか』とか、『別に正論はナイのか』という疑問を持ちつつ、ある程度批判的に読むべきであると。

自分自身で、世の中の状況を常に考える癖を付けなければ、間違った誰かの言葉に扇動されてしまう。

世の中の様々な意見を、自分で取捨選択して自分の頭で考えられる様になるコトこそ、正しい教育の結果ではないかと思うのだが。  
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2017年06月21日

問題を解決するには

クレーマーというレッテルを貼ってしまうと見えなくなるモノもあるのではないかと思ったのが、こちらの本。


そもそも、クレーマー化されない為には、チャンと断ってから相手とのやり取りを録音して対応した方が良いのではないかと思うけれども‥‥

問題は相手と一対一だったりすると、言った言わないという応酬になりかねない。

そして、何より録音していると思えば、相手もこちらも言って良いコトと、悪いコトへの身構えが違う。

トラブルを解消するのではナク、トラブルを潰すという感じの本なので、ちょっとどうかなという部分もある。

「謝罪は一回で済ます」という様なマニュアルでは無く、相手の言い分をじっくり聞くという真摯な姿勢がマズ大事ではないのだろうか。

何にしろ、小手先でかわすという方法は、上手く行く場合も無くは無いと思うけれども、読み違えると今の文科省と内閣府との戦いみたいになりかねない。

相手をダメと貶めて、解決を図ろうとすると泥沼に入り込む。

相手には相手の言い分があるのに、力でねじ伏せようとするから、仙台市のいじめ自殺みたいに大問題になりつつある。

昔みたいに、大本営発表をしても、今はネットで拡散したり出来るので、蜂の一刺しでぶち壊しになりかねない。

トラブルを穏便に済まそうというよりも、何が問題なのかを見極めるというしっかりした態度があってこそ、縺れ合った糸が解れるのではないか。

世の中には、こんな人が居るのかというコトを知るには良いかもしれないが、対応に関してはあまり感心出来なかった一冊。  
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2017年02月22日

神話の罠

色々と考えさせられる本でしたが、実は最大のポイントが著者とはかなり違った話になってしまうのですが‥‥


というのも、この本の中に
神話とは猴念と現実のくい違いが覆い隠され、理念が現実に生きているかのように信じこまされたものをさす瓩板蟲舛気譴
と書かれていて、母親の愛が絶対であるかの様に社会から圧力が掛かっているのを問題にした本です。

で、思わず喰い付いてしまったのが、引用された神話の定義。

今、話題になっている日本会議関係者による大阪の小学校の人々は、日本書紀を神話ではナク真実であるという趣旨で活動されているみたいなので、建国記念日も何も事実を述べただけと思ってらっしゃる様です。

とはいえ、本当に日本書紀を読んだコトがあるのであれば、とても不自然という問題に気付くハズ。

今は。便利なモノで、日本書紀の原文も現代文になった要約もネットで検索可能。

ちなみに、若い頃に買って未だに手元にあるのは、 宇治谷孟さんが書かれた「日本書紀 全現代語訳 (講談社学術文庫) 」なのですが。

ともあれ、最初に神武天皇の時代のコトを考えて頂きましょう。

原文はこちらなのですが、時年一百廿七歲(127歳で崩御)と書かれてます。

綏靖天皇は八十四歳、安寧天皇は五十七歳ですが、開化天皇は百十五歳で亡くなられています。

なので、一年が二年と換算されているのではないかというのが、通説になっています。

となると、神武天皇の生まれ年などが正しいのか、建国の年月日が正しいのかと考えるのが当然かと。

故に、神話の時代だと考えられているのですが、明治維新の際に日本を統一する根拠として天皇を御旗にしたコトもあり、日本書紀を真実として歴史教育にして、富国強兵へと突き進み、結果、第二次世界大戦で敗北して、現代教育に改められたのです。

無論、歴史が好きで色々と読んでいると、全くの嘘八百を日本書紀が書いたとも思いませんが、類似した人物が存在したとしても、100%真実をありのまま書いたとは、到底信じられません。

特に、神功皇后が戦ったコトはともかく、その子で即位した応神天皇が仲哀天皇の子供である可能性はホボ0%である(神功皇后の神のお告げを信じなかった故に仲哀天皇が急逝したコト、その後に三韓征伐に出向いた後に出産となるとあまりに月日が流れ過ぎているので、政権交代が行われたのではと言われている)となると、神武天皇と現在の天皇の間に血縁関係はあるのだろうかという疑問が湧いてしまうので‥‥

というコトで、神話は神話であって、多少の真実はあっても完全な真実では決してナイという方が、現実的だろうと思います。

そんな教育をしようとしているのが、正しい小学校なのか、まるで未だにガリレオの地動説を受け入れない学校がアメリカにあると言うけれど、明らかに偏向している教育を受けた子供はどうなるのだろうと、国有地を格安で手に入れたことの道義的問題と共に、心配になります。

マスコミが、日本の問題をスルーしているかの如く、北朝鮮の暗殺事件の話ばかりしているのも変ですし、日本と言う国は道理も理解不能の馬鹿の国になってしまったのでしょうか?  
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2016年07月18日

少子化の結果

無理に広げた入学者の枠が、広がったままなので、どうも甘やかされた感じの若者が増えているという意見は、そこここで聞く。

それを本にした感じなのが、こちら。


昔が良かったとも思わないけれども、理不尽な目に遭わされやすかった昔の子供からすると、今の子供達は逆に可哀想な部分も多い。

我慢が大切な時に、それを必要とされないので、我慢するというコトを覚えないでいるから。

そして、『面倒なコトはゴメンだ』という大人に、手を抜かれてしまっているから。

そうして大きくなって来た責任を、若者だけに持てと言われてもという気もするが。

社会の非情さや理不尽さというコトを、どの段階で知るか。

学生時代に知っておけば、ある程度社会人になってから、適応もしやすいだろうが、社会人になってから、一気に求められても困るだろう。

教育関係者のホトンドが、『子供は御客様であるから、大切にしなければナラナイ』という態度で接して来たツケを、子供達だけに回しても。

ひよわな若者にしたのは、誰が悪いのか。

確実に覚えてしかるべきコトを、次の教育機関に任せて、先送りしている、今の教育の問題に最大の原因があるだろう。

チャンと出来るまで、しっかり教えるという気力のある世間の力の減少こそ、少子化の最大の問題ではないかという気がするのだが‥‥  
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2016年01月28日

人生は不確定なもの

昔は、結構この方の本も、この方の奥さんの本も読んでいたのだが、ここ数十年はあまりにこの方の奥さんの右傾化が鼻についてしまったので、読みたくない作家の部類に分類されてしまっていたのだが、本の題名に魅かれて、超久々に読んだのが、こちらの本。


採り立てて、目先の変わった話は少ないけれども、やはり東大出身者だから書ける話題というモノもあり。

人生に、何を求めるかで、色々なコトは変わってくる。

東大を卒業しても、早死にする人も居れば、官僚など一世を風靡出来たとしても、有名人になったり、大金持ちになれるとは限らないというのは、当然の話。

そもそも、人生に於いて「幸せ』というのは、主観的な話なのであって、何がどうなれば幸福という答えは存在しない。

本人が、『幸福』と思えば『幸福』なのであって、他人から見たら幸福だと思われても、本人の自覚が無ければ幸福ではナイ。

観念的な話になってしまったが、著者もそうしたコトを書きたかったのだろう。

ともあれ、「運」を呼び込むのも実力の内という考え方もあるが、人生には「運」も関係する。

そもそも、ある程度の人生を生きて来れば、足るを知るか知らないかで、自己評価も違うモノ。

読み方次第でこの本の評価は分かれると思うが、期待以上でもナク、期待以下でも無かった一冊。  
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2014年11月19日

第二外国語を習わなくて良いとは

と驚くと共に、卒論を書かなかったり、共同論文でも可なのだとなると、大学というのは何と昔と比べて楽になったものよとビックリする。


上記の本を読んで知ったコトなのだが、流石は大学全入時代というものかと‥‥

この本のラストの対談は、かなり二人共率直で面白いのだが、著者の思っている普通の人生とは違う人生を選んで生きて来てるので。

専業主婦だけには、とてもなれそうにはナイと悟って生きて来た。

「奴隷の知恵」だけは、とても持てないと判っていたから。

やはり、親が子供に人生観を刷り込むのだなと改めて感じた一冊。  
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2014年10月11日

暗記力を高める

暗記と聞くと、どうも丸覚えとか発想力を欠如させるかの誤解がちまたに溢れているけれども、そうではナイという本がこちら。


ともあれ、文系に興味を強く持ってしまうと、そちらの方向に惹かれてしまうので、理系に進まなくなるコトはあるだろうが‥‥

この本では、名文を暗記して自分のものにすることで、飛躍的に物事を論理的で他の人にも理解可能な感じにして伝えるコトが可能になるのだから、暗記力を高めるコトを馬鹿にしてはイケナイと論じています。

流石に歳をすると、記憶力が衰えてしまうので、昔覚えたコトはポロポロとこぼれ出して行きますが、それでもさわりだけは、まだ覚えています。

それが良かったかどうかは、一概には言えませんが、今は粗雑に扱われている教養というものがある程度ナイと、人と話をする時に見下されてしまいがちになります。

社会人として大成するには、「暗記力」が必要だろうと思います。  
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2014年02月05日

大卒が大変なのは米国も

「大学は出たものの」というのは、何時の世も景気が悪い時代に聞く言葉だが、それはアメリカでも同じらしく、大学を卒業した若者がバリスタ、バーテンダー、それに小売店の店員といった仕事に就いているという話がよく聞かれるようになり、大学進学の経済的な意味に疑問が生じている。進学が多額の借金を背負うことを意味するとなると、なおさらだと。

日本でも、大学を出たが奨学金が返せないとか、弁護士になれたけれども、収入がという話を結構聞く。

だが、、「労働市場は最近の大卒者により厳しくなっているように見えるものの、大卒の学位を持たない若者の状況はもっと悪い」という場合もあるので、中々難しいのだが‥‥

今年の日本の就職は悪くナイみたいだが、四月以降は景気が悪化するという可能性が高いので、来年は結構厳しそうだ。

それにしても、何時学校を卒業して就職するかというので、人生が決まるというのでは、人生は博打みたいなモノ。

新卒に拘らずに、どんな年齢でも、キチンと正社員として就職する機会を設け、より多くの人が安定した人生を築けるコトこさが、最良の少子化対策なのではないかと思ったりするのだが。  
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2013年04月11日

頭が良いだけでは‥‥

勉強は確かに出来ないよりは、出来た方が良いのだけれど、神戸大、同志社大、関西外国語大の中学時代からの友人が、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」で迷惑行為を繰り返して入園禁止になったというニュースには、ドン引き。

成人目前まで大きくなって、今さら何を考えているのかと‥‥

ともあれ、大学時代にも超名門と呼ばれる大学とサークル関係で何人もの方と行きあいましたが、時として、勉強ばっかりしていて、常識が抜けているんじゃないのという人にも出会い。

案外、今回、お灸をすえられたのは、間違った思い込みをしている若者にはイイ経験なんじゃないかと。

カリフォルニア副領事の日本人外交官みたいに、妻に暴力をふるい、重傷を負わせ禁固1年というよりはマシ。

裁判所によれば、副領事としての外交特権は、職務遂行と関係のない活動には適用されない
というが、日本だったら、外務省の圧力でウヤムヤにされていたかも。

確かに、誰にだってストレスはあるだろうし、自己顕示欲もあるだろうけど、それでもどちらも誰が考えたって、許されないコト。

勉強だけ出来て、一般常識の無い人は嫌なのだけれども、案外、そういう人々が日本の中枢に存在して、日本をダメにしている気が。

タダ、そういうコトというのは、授業で教えたとしても、賢い彼等は適当に流して聞いて、テストされたら正解を答えるけれども、ちっとも心から学んでナイので、実生活に反映されないだろうという感じもするし。

点数至上主義の限界というモノを、どうするのか考えないで、「ゆとり教育」が良いとか悪いとか言うよりも、公平とは思えない社会を正すとか、モラルが本当に存在する様な社会にしないとダメなのでは。

嘘の上塗りをしている様な、東電の対応を見ていても、本当にあれでも誰も責任を問われないのかと、不思議に思うホドだから。  
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2012年11月20日

詐欺まがいは大学も

昨日の本の、最後の部分を省略したのは、本日の本とリンクさせたかったからなのですが‥‥

新卒無業。―なぜ、彼らは就職しないのか新卒無業。―なぜ、彼らは就職しないのか


まずは、昨日の本から就職率のカラクリを書いてみます。

卒業生が1000人居ます。その内、就職したのは500人で、大学院が200人、専門学校100人、フリーター・契約社員80人、不明が120人、進路届けの解答は就職希望者700人、進学もしくは未提出300人。

コレを文部科学省・学校基本調査だと、就職500人÷卒業者1000人で50%。

文部科学省・厚生労働省合同の就職内定状況調査だと、就職500人÷就職希望者700人で71.4%。

一部の大学は、就職500人÷〔就職希望者700人−専門学校100人〕で83.3%。

さらに一部の大学は、〔就職500人+フリーター・契約社員80人〕÷〔就職希望者700人−専門学校100人〕で96.7%。

というバラバラの結果発表になるのだとか。

ゆえに、十年前でも本日の本の様に、新卒で無業の人が多く生まれてしまうワケですね。

タダ、十年前よりも今はより深刻化しているので、実際には二割や三割しか就職出来なくても、就職率は高率だという様に、数字の操作はもっとされている様です。

そして、就職したくても、出来ない人が増えているという現実を思うと、田中大臣の行動はパフォーマンスに終わろうととしてますが、少なくとも一兆円以上を税金として大学教育に出しているのであれば、もう少し大学制度自体をマトモにすべきなんじゃないでしょうか。  
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2012年01月29日

聖職と言われるものホド

色々と難しい問題がありそうで‥‥正直、子供の頃から色々な人々の裏側を見る機会に恵まれていた(笑)環境にあったので、聖職と呼ばれる方々をあまり信じてはおりませんが。

教室の亡霊教室の亡霊


この本なども、そんな部分を書いてあります。

ともあれ、ある程度世の中を生きて来ると、こんな時代に人を教えるというコトに生き甲斐を感じる方というのは、ソレはソレで頭が下がる思いです。

御客様の中にも、色々な職種の方もいらっしゃいますし、中学の教師の時は、殴られても殴り返すコトが出来ない環境にあったので、本当に「殴られ手当て」を欲しいとすら思ったとおっしゃった方も。

とりあえず、殴られたら殴り返すのは、正当防衛と思ってしまうタイプですので、とても真似が出来ません。(無論、殴り返されるでしょうが、怪我をさせられたら、大手を振って、そんな生活からサヨナラ出来そうと思いそうなタイプでもありますし)

まぁ、昔から、教師という職業にはなりたくナイと思ってまして、うっかり身過ぎ世過ぎになろうと思わない様にと、ワザと大学では教職の必修科目を取りませんでしたから、そんな心配は皆無ですけど。

ともあれ、少し前に話題になったコネで試験が左右されるという問題も、少し下火になって来ましたから、再び復活しないコトを祈りたい気分ではあります。

モンスター・ペアレントも実際に増えているみたいですが、要するに少子化が最大の原因なんだろうなと、適当に子育てされた世代の第三子は思います。  
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2011年04月14日

詰め込み教育で大丈夫か

ノーベル賞級科学者の輩出を目指したエリート科学大学で知られる韓国科学技術院で、今年に入って学生や教授が相次いで自殺するという悲劇が起きているそうだが、長野でも小学校高学年の入塾が増えていると昨日の信濃毎日新聞の教育欄の「脱ゆとり」の波紋という企画で書かれていた。

小学4年生の算数の学習内容が一番増え、全部の範囲を教えきれない学級も出そうなのだという。

結局、授業の進度を進めるしか方法がナク、アンケートの結果、校長の7割が「児童間の学力格差の拡大」を不安視しているという。

昔は、授業についていけない児童には、放課後に個別指導も出来たが、10年前の池田小児童殺傷事件以後、集団下校が一般化したタメ、「居残り指導」は難しくなったのだそうだ。

増えた学習内容を無理に教え込むと、消化不良になってしまうというが、エリートであっても、追い込まれてしまうと自殺するホドなのだから、小学生が自殺しないまでも、学習を諦めてしまったり、自暴自棄になって非行に走る可能性も考えられる。

全ての親が塾通いをさせるだけの余裕があるハズも無いし、塾に行ったら全ての生徒が理解出来る様になるとも限らない。

子供達の問題として、以前から指摘されていたコトは、子供を放任し過ぎる親と子供に求め過ぎる親だ。

おそらく、「脱ゆとり教育」によって、益々、その問題は肥大して行くに違いない。

「脱ゆとり教育」にして良かったかどうか、その結果が出てから、又、見直しをするというのでは困ると思うのだが、日本という国は何かをやると、必ず良し悪しが出て、悪い部分ばかりにスポット・ライトを当てて変更をしたがる国だが、少なくとも教育の部分は、もっと長い目で見る必要性がある。

本来、目指すべきは、「より多くの人が幸せと感じる国」だと思うのだが、どうも、日本は逆の方向に行きつつある様に思えてナラナイ。  
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2011年03月08日

教育は周囲の努力から

更新が遅くなりました。

週末の御客様とは、マタ別の御得意様に呼ばれまして、出張しておりましたので‥‥

さて、秋田県と福井県は学力テストの上位県ですが、この二つの県には教育に対して特徴があるという記事が書かれてました。

秋田県の強さの秘訣は、徹底した少人数制クラスにある。基本的に1クラスの人数は、小学校1、2年生と中学校1年生で17人以下。その他の学年でも20人程度と極めて少ないのだそうで。

普通の半分以下で指導しているというのだから、スゴイですね。

一方、福井県の強みは、60年近く継続してきた県独自の学力調査にあり、県の教育研究所が調査結果を報告書としてまとめ、その報告書を県内の小中学校に配布し、子供たちの苦手な問題についてどう指導したらいいのかといったことがフィードバックされる仕組みになっているのだとか。

どちらの県にしても、独自に先生方や教育委員会などが、全国とは違う努力をしているという意味で、やはり教育というのは、子供達の頑張りもあるとは思いますが、指導者の力というモノが大きいのではないかと思います。

東大の野球部を中日の名選手だった谷沢さんが、コーチとして教えているので、戦力が伸びているという話題をNHKでやってましたが、「徒然草」の頃から、「先達はあらま欲しきもの」つまり、「良い手ほどきをする人が必要」と書かれているのですから、子供達にどう勉強を頑張らせるかというよりも、どういう教育的な環境を整備するかの方がより大事なのでしょう。

教育が人を創り、ひいては将来の日本社会を創るのだというコトを忘れて、政策論議をしても無意味ではないでしょうか。

日本の未来を輝かせたいと思うのであれば、今まで以上に教育に対して公的支出などをすべきなのだという気がします。  
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2011年01月30日

アインシュタインも学習障害児

長男の発達障害に悩んでいた母親が、4歳の長男を殺したとして殺人容疑で逮捕された事件の続報に接して、とても辛い気持ちになった。

我が家の息子も、LD(学習障害児)と判定されたコトがあったが、周囲の方々の努力もあり、大きくなった今は、かなり障害を克服して、今日ももうすぐ始まる学期試験に向かって一生懸命勉強していた。

息子の通っている高校は、さほど難しい高校ではナイが、真面目に学んでいるので、クラスではトップクラスに居て、本人が希望する学校には、おそらく来年推薦で進学を決められるだろうという位置にある。

とにかく、人生の最初でまだ子供の内から諦めてはイケナイ。

息子の成長が普通のペースとは違うと判った時には、絶望的な気持ちにもなった。

でも、色々な本を読むと、「発明王のエジソンも、アインシュタインも学習障害児だった」と書いてあるのを信じ、何時か、息子もそんなに天才的な人間にならなくても、必ず自分の人生を切り開いて行ってくれると信じて、出来るだけの努力をして来た。

幸いなコトに、マンツーマンで週に一時間、息子に基礎からみっちり国語を教えて下さった停年を終えた先生にも出会えましたし、家庭教師など、息子の可能性を伸ばして下さりそうな方々にも教えて頂きましたし、保育園でも、学校に行っても、息子の障害を理解して頂き、無理をせずに学んで来ました。

早生まれというコトもあったのでしょうが、徐々に努力は実って来ています。

タダ、今でも、「っ」などの小さい文字を書くのは苦手なのですが、何より本人が人一倍努力して、物事を覚える努力をしています。

そういう子供の努力を信じて、親が見守ってあげれば、必ず大丈夫とは言えませんが、少なくとも進歩は必ずあるハズです。

本当に少しでも進歩があれば、それが積み重ねられれば、何れ大きな進歩に繋がります。

子供の未来を信じて、決して子供の命を奪ったりしないで、親なら今がどんなに辛くても努力して欲しいと思います。

正直、親としての能力を伸ばしてくれるのは、手の掛からない優秀な子供よりも、親の手を必要とする子供の方なのですから。  
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2011年01月24日

教育の沙汰も金次第

世界の一パーセントの超富裕層が世界の富の九九パーセントを所有し、九九パーセントの人が世界の富の一パーセントを分け合う配分構造になってしまった現在、自由は富める者にしか存在せず、大半の人々はその差こそあれ、奴隷労働をさせられているというショッキングな本。

教育と格差社会教育と格差社会


南アフリカの砂糖キビやオレンジ農園では子どもが日当四〇円で、一二時間労働をしている。

日本でも、外国人研修制度の名の下に、一六万人の約八割が奴隷的状況で働かさせらている現状がある。

しかし、政府や経済産業省や経団連は実態を知りながら、この制度を維持しようとする。

超富裕層がその恩恵を受け、そうしたA層は姿を見せない。

そして、中間層のB層と貧困層のC層、さらにほぼ無収入のD層や外国人労働者で世の中が形成され、B層はC層を「能力が低い」と蔑み、C層はD層や移民に対して「社会保障費をムダ食いしている」と非難する。

C層はB層「自分と同程度しか働かないのに高給を得ている」と妬み、D層はどうしても這い上がれないのを感じとり、世の中に深い恨みを持っている。

B・C・Dの各層が身近な階層を互いに非難している限り、A層は安泰であるというファシズム的状況が出来あがるのであると。

各国が共通テストをしたがり、教育を金の力とリンクさせて、産業化する実態を日本のみならず、米国や英国の実態と合わせて説明している。

働く者の収入の三倍以上が、働いてない者の収入になっても、最早「ピン撥ね」ではナイ、何故なら規制緩和の結果、それが合法になったからだ。

ワーキングプアに権利意識があっては困る、だからこそ「感謝」の心性を植えつけるタメにも、教育を為政者の支配下に置きたいのだ。

「共通一次」には少し残されていた教養が、「センター試験」の時期には消滅した。

中高一貫の学校に予算が回ると、他の多数の学校の予算は削られるのだが、自分の子どもが一貫校に入れると幻想を抱く親たちが賛成する。

そうやって、我々は自分で自分や自分の子供達の首を絞め続けているのだという警告の書である。  
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2010年12月29日

少子化の弊害の中には

当然、学力の低下も含まれるのだろうと思います。

中でも、「ゆとり教育」が悪いと言われてましたが、おそらくそんなコトよりも、入試が人口減少で楽になったというコトが最大の原因ではないかと。

第二次ベビー・ブームで高校や大学の入学枠が拡大すると、当然ながらそれに伴って学校が増えます。

でも、少子化になったからといって、校舎が自然と減るハズも無いので、結果的に入学するコトに「ゆとり」が生まれて来る。

中には、何がなんでも良い学校へという親や子供も存在するとは思いますが、別にそんなに頑張らなくてもという人も存在すると思いますし、当然ながら、その傾向は楽な高校や大学になればなるほど強まるというのは、当然のコトかと。

AO入試合格者の就職が大変という話もありますが、基本的に筆記試験は行わず、面接やディスカッション、小論文などで合否を判断するというだけでナク、合格の時期も問題ではないかと。

真面目に受験しようと、国立大学の後期試験まで考えた場合、高校三年という時期はホトンド勉強で埋め尽くされると言っても過言ではナイと思います。

しかし、もしAO入試で合格というコトを目指すのであれば、早ければ夏休み前に、どんなに遅くても冬休み前に、合格になっているワケで、しかも、合格した場合に辞退というのは、まず許されません。

合格が決まってしまってから、必死に勉強するというのは無理な話。

でも、そうでもしなければ入学者に欠員が出てしまうので、学校の経営に響くのは当然のコト。

要するに、子供の数が減って志願者も相対的に減少したというコトが、最大の原因だろうと思います。

家庭でも、子供の数が減っているので、生存競争もホトンド無いし、最終学校が終わった途端に、社会の荒波で揉まれるのは、かなり大変だろうと。

今の若者は、結婚したがらない人も多いので、ますますの少子化は将来的に避けられないと思いますが、将来の先行きが不透明だから、子供が生まれないのと、子供が少なくなったから、将来が不透明というのが、鶏と卵の関係みたいになってます。

人口が縮小すれば、不動産が動かないのも当然のコトですし、やはり少しでも子供が多く生まれる社会にするコトこそが、日本の喫緊の課題なのではないでしょうか。  
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2010年11月04日

日本にも免責制度を

アメリカみたいに、免責で罪を一等減じるというのが一番良いとは言えませんが、それにしてもある部分では、責任論を棚上げにしてでも、真実を追求して、今後二度と問題が起こらない様にする努力が必要ではないかと思うのが、学校のいじめ問題。

いじめによる自殺や学校での事件事故で子供を失った遺族、重い後遺症を負った被害者らを対象にしたアンケートで、約8割の家族が学校側から詳細について自発的に説明してもらえなかったと答えたそうだが、これではあまりに辛すぎる。

せめて、産婦人科の医師の減少を食い止める対策として、原因に関わらず一定の保証をする方向に動いているのと似た様な感じで、いじめ問題も方向性としては似た感じで進めるべきではないか。

人間、生きていれば、事故にも遭うだろうし、いじめにも出会う。

誰だって、加害者にする可能性もあれば、被害者になる可能性もあるワケで、善悪の判断があやふやな子供達だったら、問題が山積するのは当然といった柔軟な考え方が必要なのではないか。

ともあれ、学校側の報告が「重要な情報が抜け落ちていた」「一部または大部分にうそがあった」とか、「黒塗りが多く内容がほとんど不明だった」と答えるなど、学校に対する遺族らの不信感が浮き彫りになっては、子供は亡くなるは、真相は判らないはで、二重のショツクだと思う。

嘘で塗り固められた話を聞かされる親の身になるべきではないか。

少なくとも、将来が少しでも良くなるタメには、教育の分野に関しては、ある程度の免責をしてでも、どう教育をするのがベターなのかという蓄積をするタメにも、真相の解明こそが、より良い教育への一歩に繋がるのだと思う。  
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2010年07月27日

親の因果というべきか‥‥

秋葉原無差別殺傷事件の被告人質問で、「事件は母親のせいではない」としながらも、幼い頃からの厳しいしつけを挙げた加藤被告のニュースを読んでいると、結局、人間は親の影響から逃れられない可能性が高いのだなと感じる。

昼のTVなどで、「100点で当然。一問間違えて95点だと怒られた」といった証言や、イタズラでキャベツの盛り付けをいじったら、二階の窓から落とされそうになったとか供述したみたいだが、上のニュースを読む限りでは、母親は「子供の時に(加藤被告を)屋根裏に閉じこめたりしたが、あくまでしつけの一環で不満のはけ口にしたわけではない」と話し、父親は「妻は子育てで完璧を求めていた。妻から私が子育てするから黙ってくれと言われ、口を出さなくなった」と述べたそうだが、親子双方の認識の違いの大きさには驚くばかりだ。

実際、TVのコメンテーターも「他人に責任を押し付けている」と親の態度をあまり問題にしなかったが、多くの犯罪を起こした男性の姿をTVとかで見ていると、バリバリのイケメンではナクても、そこそこイケてる感じの若者が、自分に対して否定的な発言をしていて、だから様々な欲望が歪んだ形で犯罪に繋がっているケースが多いと思う。

客観的に見れば、完璧じゃなくても充分なんじゃないのと思う様な人が、完璧でナイ自分に悩んで、自分を卑下し、それゆえに実力を発揮出来ないまま、人生で落後者に望んでなっている感じがする。

要するに、どんなに歳を重ねても、当事者にとっては親からの愛情こそが求めるモノであり、それが満足出来るモノにならない限り、空虚さは埋められないのかもしれない。

小林一茶ではナイが、子供に正しく愛情を注げない親に対して、「あの月を取ってくれろと泣く子かな」的に、親の愛を求めて騒ぐ子に対して、社会は何が出来るのか。

彼等が無差別的な行動を取る前に、危険を察知して未然に防ぐ体制を整えなければ、必ずや、又、類似犯が登場するコトだろう。

昨日に引き続き、暗澹とした気分にさせられる話題でした‥‥  
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2010年05月04日

暇を楽しむ

刺激を求めるコトが、日常的になっている昨今、何もしない「無為の時間を楽しんだり、刺激的でナイことをするのが大事」だという本です。

退屈力 (文春新書 628)退屈力 (文春新書 628)


部分的には、そうかなと思ったりする部分もあるのですが、教育というモノは「単純な反復の繰り返しの中から、己を高める努力を学ぶコト」という指摘は、正しいと思います。

それを「退屈力」と名付けるのは、良いかどうかは別にして。

退屈さを恐れ、刺激や興奮を求め続けてもきりが無く、心身を消耗させるだけであるというコトも事実でしょう。

ともあれ、勉強というモノを楽しいと感じるには、理解出来るトコから始めなくてはなりません。

そういう意味では、子供達に勉強を推奨するよりも、この本を子供を育てる環境にある大人が読んで、子供達が学びたくなる様なお膳立てをする必要があると思います。

「反復力」を鍛えるコトの大切さ、「継続」を重んじる社会であると、子供達に認識させるコトは大事です。

タダ、現代という社会が、「単調さ」に高い価値を置いてナイのも事実で、となればやはり社会の方が、地味なコトに対する認識を高める必要性があるのではないかと思います。

「ゆとり教育」はダメであると、スグに結論付けする様な社会では、本当の「忍耐力」など望む方も無理だと思うのですが‥‥  
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2010年01月27日

受験の沙汰も金次第

親が子を思う気持ちは同じでも、金銭的な余裕が無ければ、簡単には教育費は出せないのが現実なんでしょうね。

文部科学省の学習費調査に対して、「不況で減少した」という見出しを付ける新聞もあれば、「不況でも中学生は高校受験のタメに上がった」という見出しだけでは、かなり違った印象のネットニュースが流れていますが。

文部科学省では、「AO・推薦入試の受験生が増え、塾に通う期間が短くなっているのも一因ではないか」と話しているらしいのだけれど、不況のタメに大学などへの進学を諦める生徒も増えているのではと思います。

東京など大都市ではともかく、長野あたりの地方では「子供は大学とか、専門学校に行きたいと言うけれど、そんなに教育費は出せないと断った」という人も、やはり存在してますし。

大学を出たとしても、就職出来るとは限らない時代ですから、よほどの大学に行かないと、元が取れなくなっているコトも事実ですしね。

国公立大学の志望倍率も、特に地元志向が強まっているみたいですし、親の財力によって進路はかなり違って来てますよね。

何がなんでも、後を継がせたいと考えている医師の息子とかだと、三浪という話もありますが、普通だとせいぜいが一浪止まりでしょうし、そんなに子供に教育費を出せる家庭ばかりではナイでしょうから。

私立に通わせる保護者の年収は、「1200万円以上」の高所得者が小学校で四割を超えているのに、高校では二割以下なのですから、高校も名門の公立高校に高所得者の子供が入っているコトも考えられるので、やはりある程度の高校生に対する支援無くしては、貧しさゆえに高校も行かせて貰えない子供達も増えると思います。

世の中には、「努力しない人は、社会の下積みになっても当然」的な発言をする人もありますが、土台がしっかりしている上に立脚している子供も居れば、土台がグラついている子供も居るのだという当たり前のコトに、目をつぶってはダメだと思います。

少なくとも、学力がある子供には望むだけの勉強をさせてあげられる社会になって欲しいものですね。  
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2009年12月24日

マジにドラゴン桜の世界?

比較的裕福な家庭が多いといわれる東京大生にも不況が影を落とし、親の世帯収入が年収450万円未満の学生が前年の9.3%から17.6%に急増したというニュースを読んで、昔を思い出した。

高校の生物の名物教師は、「貧乏人の底力は恐るべきものがある」とおっしゃっていたが、後から友人達が先輩から聞いた噂では、二人のお嬢さん達は、二人揃って東大に進学されたとか。

タダ、「教科書が高すぎて、興味のある講義をあきらめざるを得ない」と文系の男子が嘆いているみたいだが、昔の京大のキャンパスがある近くのコピー屋では、本当に大変な医学生は、当時でも高価だった医学の教科書が買えないので、どうしても出席しなくてはならない実習以外は、医学の教科書をコピーしつつ、授業に出ないでそれを読み、そしてちゃんと卒業して行くのだと、ソコの主が話してくれた。

何時の世も、二宮金次郎みたいな人は存在するものだが、ともあれ、高校教育の無償化というのは、歓迎すべきだと思う。

ちなみに我が家は、高校も二人で半分が終わっているので、子供手当ても期待出来ないし、高校の授業料も既に遅いという気もするのだが、世の中には、我が子に進学をさせたがらない複雑な環境で育った子供というのも、存在するのだから。

昔、実家に住み込みで中学を不登校で卒業したばかりの女の子が働きにやって来た。体格も小柄だったけれど、それなりにしっかり働いていた。

出来れば、高校に進学した方がイイんじゃないかと勧めたのだが、お金が掛かるとか言われていて、自力で貯めたお金で通信教育ででも、高校に行こうかと言っていたのだが、結局、未成年というコトで、18歳になったら色々な場所で働けるからと、貯金を持って、親の元に帰って行き、その後はしばらく娘とかとメールしていたが、音信不通になったので、今はどうしているかは判らないが、結局、高校には行かないで終わった。

正直、あまり碌な食事もさせて貰えなかったらしく、18歳になって帰る時には、身長も伸びて普通の身長になっていたが‥‥

世の中、そういう子供のタメを思わないタイプの親も、存在しているので高校の授業料が無償化になっても、必ずしも高校に進学出来るとも限らないが、行ける可能性は前よりも増えて行くのではないかと思う。

世代間の貧困の連鎖などは断ち切られるべきである。自力で、脱出するタメにも、本当に困っていて、能力が欠落しているワケではナイ子供達に、光が差し込むコトを願っている。  
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2009年11月19日

「ゆとり教育」の推進者は語る

本人の気持ちが純粋でも、それを悪用しようとする人々は大勢存在するのだなというのが、こちらの本の感想です。

さらば ゆとり教育   A Farewell to Free Education (光文社ペーパーバックス)さらば ゆとり教育 A Farewell to Free Education (光文社ペーパーバックス)


タダ、フリーターになってしまっても、「自由度で補填できる範囲の賃金格差にし、老後や病床時の最低限保障ががあれば‥‥自由な働き方をしようという人は、今後もふえるのではないか」と去年出した本に、書いてあるのを考えると、イマイチ現実的ではナイ話だなと思ってしまう。

何だか、昨日に引き続いて貶してますが、どうも教育関係者というのは、「理想と現実」とのギャップの狭間を埋めて行く作業が、上手ではナイ人が多いみたいで、「ユートピア」に暮らせるならば正論でも、現実にはというコトは多々あり。

なので、神輿を担がされ、挙句に神輿に祭り上げられ、最後には神輿と共に捨てられてしまったのだなとは思います。

「ゆとり教育」には別に反対ではありませんが、世の中にはソレを利用して、一儲けしようとしている私学とか、塾とかも存在しているのであって、結局、それらに上手く利用されてしまった様な。

ともあれ、こうした話を読んでいると、世の中の裏側が判るという意味では、本当にタメになります。

バブルの反省を銀行はすべきという正論もあるのですが、正論とは違うのが世の中なんだよなと、ちょっと厭世的になってしまうかも。  
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2009年11月18日

正に『教育は崩壊してるかも』と思う本

引き続き労働関係の本を何冊か読んだのだが、別にソレだけに固執して書いているワケでもナイので、同じ話が続くよりも、時には閑話休題的な話もしたいので、こちらの本の話を。

過酷な労働状態の話を読んでいると、逆に何と先生というのは恵まれた生活なのかというか、クレーム慣れしてないのだなと思ってしまう。

学校のモンスター (中公新書ラクレ)学校のモンスター (中公新書ラクレ)


確かに、非常識な親は存在するのだが、そんなクレームごときに参ってしまう様な教師であれば、辞めるのは当然という気がしてしまう。

世の中には、非常識なクレマーなど星の数ほども存在する。

一々、それに立腹するよりも、民間会社のクレーム処理の方々を見習って、旨くサバいてしまった方が効率的なのにと思ってしまう。

要するに、教師の威厳に逆らわない生徒が多かった時代を知っている方々は、どうも対応が変なのではないだろうか。

気に入らない先生の授業をボイコットしたいと親に言ったら、親が「そんな単位など落として、別の選択科目で取ればイイ」と言ったので、授業を無視した生徒が居たというのだが、学校の秩序として見逃せないと学校側が指導したら、変な先生を指導しなければ、指導は受けたくないと言われたそうだが、不思議なのは、親子揃って『単位が取れなくても良い』と考えているのであれば、その授業に対して出席を求めずに、別の選択科目を来年取らせれば良いのではないかと思うコトだ。

そのタメに、留年になろうと本人達が望んでやったコトの結果なのだから、結果も引き受けて貰うコトは当然の話で、毅然とした態度が出来ない学校の方が不思議。

単なるクレーム処理のミスをあえて問題視するほどのモノかという出来事が多い本である。

水谷修氏のやり方に対しても批判しているのだが、教育の仕方というモノは画一的ではナイので、他人のやり方をあげつらうのは、御本人の方が「いちゃもんをつけている」と思われても仕方ナイことではないかと思ってしまう。

ココまで読んで損をしたと思わせてくれる本は、久し振りである。そういう本は無視するのが、今までの対応なのだが、あまりに限界を超えていたので、御当人が読むとも思えないが、書いておくコトにする。

世の中に変わった人は存在するものだが、その人達を自分の物差しで測ろうとするのは、完璧に間違いだと教えてくれたという意味に於いては、読んだ甲斐があったのかもしれないが‥‥  
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2009年11月01日

教育格差が格差固定を生む

「ゆとり教育」は悪いコトばかりでは無かったと思っているのだが、「ゆとり教育」を推進しつつ、一方では「エリート養成学校」が続々出来るのでは、格差固定のタメに教育格差が出来つつあり、そのタメの「ゆとり教育」だったのではないかと論にも、ある程度頷ける部分もあり‥‥

分断される日本分断される日本


長野でも、私立の学園が中高一貫に、そしてさらに小学校からという方向が強まり、「公立こそ素晴らしく、私立は‥‥」という過去の風潮から、「下手な公立よりも私立」という感じになって来ているのだけれど、全国的に話題になった愛知県に出来た海陽学園の授業料は、この文章が書かれた四年前で、中高六年間で必要な学費は1500万円なのだとか‥‥

この前、青山大学出身の方が、小学校が一番学費が高く、大学に行くに連れて学費が安くなり、庶民化するとおっしゃってましたけど、確かに、私立の大学は持ち上がりで入る人と、外部入学者との学力の差はかなりあるもので。

昔ほど、コネ入社は減ったとはいえ、裕福な家が私立の有名大学を卒業させて、そのまま優良会社に就職というのは、普通にあったコトだし。

ともあれ、学力だけが優れていても、人間性まで優れているワケではない。

フィンランドみたいに、おしつけ教育ではナクても、世界に誇れる理解力を多くの国民に付けるコトこそが、国家の教育の理想だとは思うのだが、日本の教育はどういう方向に流れて行くのだろうか‥‥

より多くの人間が、社会に貢献するタメにも、教育格差の解消も大事なんだろうと思う。

少なくとも、高校無償化を推進しようとする今の政権の方が、前の政権よりもマシなのだとは思うけれど、長野県に吹き荒れ出した都会並みの私立志向は、おそらくもう留まるコトを知らないだろうから、屋代高校が公立として初めての中高一貫校になるのだろうが、いわゆる第二次反抗期の子供達が、同じ相手と同じ環境に六年間も居るコトは、人間関係を考えた場合、良いコトばかりとは、あまり思えないのだけれど‥‥  
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2009年09月16日

子供が怖いと思ったら

こういう本を読むべきなんでしょうね。

子どもが「怖い」大人たちへ―子どもの精神疾患 (望星ライブラリー)子どもが「怖い」大人たちへ―子どもの精神疾患 (望星ライブラリー)

長野県の茅野市でも、中学生が集団で一人の生徒を集団で教室に連れ込んで暴行し、先生が入れない様にしていたのに気付いた教師達が、教室に入ろうとしたら、被害者の生徒を別の部屋に連れ込んで暴行して怪我を負わせたという事件が、七月にあったそうで、信濃毎日新聞によると、昨日までに五人を地検に書類送検し、四人を補導して児童相談所に通告したそうですが‥‥

ちなみに、今日のTVの県内ニュースで、小学生の不登校が全国一位、小中合わせた数が全国二位というコトで、市町村別の不登校数が報告されたら、岡谷市が5%で最大、茅野市が1%で最低だと言ってました。

今回のケース、七月八日に二人が約1週間の怪我をさせ、七月二十一日に七人で怪我をしたと書いてありますから、被害者の生徒は怪我をさせられていても、登校していたというコトになり、必ずしも登校するコトが良いことであるとばかりも言えないという結果になってます。

上記の本には、末尾に相談・診療機関の施設一覧も書かれてますし、症状別の簡単な処方箋も書かれてますから、問題のありそうな親や先生に対して、必読書なのかもしれません。

ともあれ、今や事実は小説よりも奇なりの時代になってますから、そういう手引き書は子供の問題とは無関係と思っている方も、参考に読んでおくべきなのかもしれませんね。

備えあれば、憂いなしという時代になっている様な気がします。政権が交代したのを、きっかけにもう少し世の中も落ち着くんでしょうか?  
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2008年11月22日

日本の教育は本当に変

勤務先の高校から部活動の運動用品を盗んだとして、窃盗の疑いで東京都立足立高校定時制教諭を逮捕したというニュース、「インターネットのオークションで売った」と供述しているらしいが‥‥

教師が聖職と思われていた時代が懐かしい。

と思ったら、来年度以降の全国学力テストで学校別成績などの原則開示を決めている鳥取県教委は2、開示請求者に学校が特定されないよう「データ使用に当たっての配慮」を求める項目を盛り込んだ県情報公開条例改正案をまとめ、「特定の学校または学級が識別されることにより学校の序列化、過度の競争等が生じることのないよう」使用するとしている。6人の委員のうち1人が改正案について「知る権利や表現の自由を制限する」と反対。5人は「教育的配慮の必要性を明記すべきだ」として賛成したため反対意見も付記することで合意したというニュースも。

学力よりも人間性という視点が、教育界から薄れているから昨日のセクハラで逮捕された教師が新たに生徒が女子だけの学校の教壇に立てるわけで‥‥

罪を憎んで人を憎まずとはいうものの、程度モノであって公益性の高い学校しかも、生徒が女子だけの学校とは、ありえない選択でしょう。

全国学力テストで、昔みたいに成績の悪い子に受けさせなく画策したり、正解をそれとなく教えたり、間違いを指摘するといった行動に出るのも、時間の問題かと。

魚が住めないほど、清廉潔白になれとは言わないが、やはり教職に就く方には学問の出来よりも、ある程度のモラルこそ大事ではないでしょうか。

出来うる限り、一人一人の子供の心に寄り添って欲しいです。忙しいかもしれませんが。それがイヤなら、教師など志すべきではナイと思います。  
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2008年10月29日

常識は死語なのか?

さっき書いたら、ニュースの続報があって、文部科学省は「公表基準以外で選考したのは入試の透明性、公正性の観点から不適切」との見解を示し、校長を事実上解任したそうだ。

別に、校長を擁護するつもりはナイが、少なくともこれからマスマス「常識的ではナイ親子が増えるコトだけは、間違いない」

前に、書いたかどうか忘れたが、長野県の高校が甲子園に行くコトになって、高野連からの通達で、「茶髪禁止」というお達しが来たので、生徒や親にお知らせを出したが、当日、茶髪のままの生徒が応援に来たので、そのまま家に帰らしたらその親達から、抗議が相次いだらしいのだが、普通はそういう親は「モンスター・ペアレンツ」の扱いを受けると思うのだが‥‥

こういうコトになると、マスマス県立高校は大変になるのかも‥‥ひょっとして、だから私立高校に行きましょうというつもりなのかと勘繰りたくもなる。

高校生になってから、茶髪にしようが、ピアスをしようが、校則で許されているのなら、どちらも身体に害があるけど、本人が好きならしょうがナイとは思う。

ちなみに、娘の高校は生徒に対して、さほどうるさくナク、服装も自由なので、かなり奇抜な格好の生徒も居るらしいけど。

にしても、面接とか試験とかで選ばれる場合に、学校に行く時はそれなりの「常識」というモノが存在すると思うのだが、そうじゃないんだろうか?  
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教育って何なのだろう?

昨日は、ブログにアクセス出来ず、投稿も出来なかったので、お見えになられようとした方々、申し訳ありませんでした。

昨日、書こうとしてたのは、神奈川の高校のニュース
県教委の発表によると、願書受付時や入試当日に、服装や髪形、態度を担当教員がメモにして提出。「つめが長い」「胸のボタンが開いている」「まゆをそっている」などの報告があった受験生の中から不合格者を決めていた。
と、ありますけど、本当に問題なのは、高校よりもその子供の親や中学校の生徒指導にあるのではないでしょうか?

別の新聞のニュースでも、「スカートが短い」「態度が悪い」「服装がだらしない」から「髪染めの跡」「ピアス」などが問題にされたと、されてますが、少なくとも、そういうコトがある可能性は十分に考えられるので、普通は夏頃に、学校や親が子供に注意を喚起するのが普通ではないかと。

息子の中学でも、既に入試に向けてその辺の注意はありました。モチロン、我が家の息子は何時でも短めの黒髪で、眉毛の手入れなども全くしてませんし、栄養がイイのか爪が異常に速く伸びるので、タマに爪が長い時もありますが、ホボその辺に問題はありませんが。

余程、度胸が無ければ、通常の場合、試験前後だけでもそれなりの格好をするのが、礼儀であって、ソレすら無視するのであれば、不合格になっても仕方ナイという、気持ちで行くのが当然ではないかと‥‥

成績さえ良ければ、身なりなどは問題ではナイという考え方には、逆に疑問を感じます。無論、その選考基準に生まれつきの肉体関係のコトとか、美醜、そして服装の新旧が含まれていたのであれば別ですが。

努力すれば、他者が望むであろうコトが可能であれば、他者に望ましいと思われる様にするコトの方が、勉強などよりももっと大事だと思います。

学力試験だから、そういうコトは全く無関係だという主張には、逆に薄ら寒いモノを感じます。  
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2008年10月14日

しつけは怒らずにする

体罰は良くないというと、「だったらどうしつけるのだ」というコトを聞かれます。我が家の子供がとてもイイ子供であると、親バカなコトを述べるつもりもありませんが、少なくともどうすべきかというコトは、何時も考えていてその手の本を読んでは努力しているつもりです。

この本も、その一冊。
「まじめな親」の子育て10の思い違い―臨床心理からのアドバイス
「まじめな親」の子育て10の思い違い―臨床心理からのアドバイス
子供時代のコトを思い出しさえすれば、イヤだったコトはスグに理解出来ます。なので、その反対をすればイイのでしょうから、この本の言葉には頷けるコトがかなりあります。
怒ってしつけると、そのほかにもっと大きな問題が起きてきます。子どもが耳を貸さない、口をきかない、ひどく反抗するほかに、言わなくてもいいことを言ってしまうとか、誤解されるようなことを言うといったはめに陥ってしまうのです。親が怒りに任せて傷つけるようなことを言うと、その心の傷が癒えるにはとても長い時間がかかります。
怒ったり不満があるときに強い言葉でたしなめたいと思うのは、自然なことです。しかしそうしてしまうと、子どもは非常に否定されたように感じることがあるのです。
これは、確かに感じますね。こちらが、そんな強く責めているつもりはナクても、子供達は「そんなに怒らなくてもイイじゃないか」と言う時があります。

セーブしているつもりでも、語気が荒くなっているのでしょう。「別に怒っているつもりはナイけど」と応えても、「怒っているとしか思えない」と言われてしまったりします。

その位で、気になるのですから、体罰などしたら完全に心の傷になるだろうなとは思います。事実、小学校の一年生の時に、担任の先生に頬を叩かれたという記憶が、一度だけありますが、でも、それが何故だったかは全く覚えてません。

二年生から四年生まで、教えて下さった先生は、お坊さんでもあったので、間違っているコトをさせられた時は、皆、よく正坐させられましたが、その時も何が問題だったかは忘れましたが、両者を比べると、やはり冷静に正坐をさせた先生の方が、信頼をよせましたし、お亡くなりになられましたが、最期まで尊敬出来る先生だったと思います。

やはり、カッとなって見境がつかなくなる場合が、体罰には多いと思いますし、自己をコントロール出来ない人には、全幅の信頼は寄せられないものだと過去の実体験からも思ってましたが、やっぱりそうなのだろうと思います。

そういう親のダメなトコも含めて、子供が愛してくれた時だけ、体罰が正当化されるのかもしれませんが、それには子供が成人して親の気持ちが理解出来るまで待たなくてはなりませんから、やっぱり子供時代に「しつけ」たい時には、冷静に選択肢を与えて、子供になすべき道を進む様にしむけるしかナイのかもしれませんね。

子供といえども、親とは別人格ですから。  
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2008年10月13日

体罰は悪影響を与える

というコトは、中々認識され難いのですが、こちらの本の中にアメリカで行われた調査結果が書かれてましたので、ゼヒ参考にして頂けたらと思います。
翼ひろげる子―子どもの生きる場所は、家庭、学校、友達の3つ。そのどれか1つにでも自分のことを受け止めてもらえるならば、子どもは生きていける
翼ひろげる子―子どもの生きる場所は、家庭、学校、友達の3つ。そのどれか1つにでも自分のことを受け止めてもらえるならば、子どもは生きていける
この中にこういうコトが書かれてます。
二〇〇二年、アメリカで、体罰についての、大がかりな研究の成果が発表されました(Gershoff ET,2002)。調査は、全米の約三万六千人を対象に、約六十年前までさかのぼって体罰の影響を調べました。その結果、体罰を受けた子どもは、その時には、親の命令に従う、といった「効用」があるが、一方で長期的には、
1.攻撃性が強くなる
2.反社会的行動に走る
3.精神疾患を発症する

などのさまざまなマイナス面が見られることが判明しました。
とはっきり明記されています。日本でも、同様のレポートがあって、体罰を用いたしつけは、短期的に見ると有効に見えても、時間がたつにつれ、子どもの発達に悪影響を与えることが明らかになっているそうです。

しかし、親から体罰を受けて育った人の中には、自分自身が受けて良かったのだからと、体罰の肯定をする人がいます。体罰と共に、「おまえが大切だ」という肯定的メッセージを受け取った人であるとして、次の様に述べてます。

「体罰を肯定する人は、自分が受けてよかったから、と思われてのことでしょうが、例えば、自分が飲んで治った薬でも、その後の調査で、長期的に見れば深刻な副作用があると分かれば、自分の子どもには飲ませないと思います。
もし、他に副作用のない薬があるなら、そちらを使うのではないでしょうか。体罰も同じだと思います。」と。

15人と格闘、隊員死亡 海自、集団暴行の疑いで調査というニュースも、その先にある問題なのでしょう。教官とて、殺すつもりは無かったハズですが、結果的にこうなってしまっては、申し開きも出来ないでしょう。

劇薬は危険というコトは誰でも理解しているのですから、用いずに済めばそれにこしたことはナイと心しておくべきでしょうね。  
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2008年09月22日

弱者に優しい政治を‥‥

期待したいモノですが、人権意識が希薄な方が日本の総理大臣になられたので、ホボ無理なのかもしれません‥‥

福岡小1殺害事件は、母親が逮捕されましたが、最近の全国学力テストに対する世間の風潮などを考えると、障害を持って生まれた子供に対して、親が将来を悲観しても無理はナイと思います。

むろん、だからと言って殺人が正当化されないのは当然のコトですが。

学力テストの復活は競争を生むからと、長年、見送られて来ましたが、復活した途端に、全国で何番目に自分達の県が位置しているかというコトが問題になるのなら、復活しない方が良かったとしか思えません。

子供に教えるべき最初のコトは、他者も自分も一人一人が大事な人間であって、互いに大事にされるべきだというコトなのですが、そういう教育が薄っぺらなので、「いじめ」があったり、自殺に追い込まれたり、果てに殺人まで起きると思います。

建前では、「皆、平等」とは言うものの、勉強が出来たり、スポーツが出来たりする人に、教師は優しいというコトを、子供達は敏感に感じていると思います。

家庭でも大事にされなくて、学校でも居場所のナイ子供達が、弱い者に対してうっぷんを発散したり、大人になっても、職場での「いじめ」が存在する、この社会に我が子が障害を持って生まれてきてしまったという時に、その重圧で潰れてしまう人が存在するコトも、ある程度は仕方がナイことです。

それでも、何とか親となったからには、子供が生きていける様に、ギリギリまで頑張って欲しいし、出来ればソコまで追い込まれなくても済む社会になって欲しいモノです。

後期高齢者保険制度も、今年始まってから、何度も迷走が続いてますが、じっくり考えて場当たり的ではナイ制度を作って貰わないと、何度も何度も保険料の額が変更になる手紙が届くのは無駄だと思います。

制度を作る度に、組織変更やそれに事務費ばかりが費やされるのではナク、なるべく同じシステムを利用するコトで、事務費が増大しない方向で、元々の国民健康保険を変えるという発想が、どうして無かったのかが不思議なのですが、全て、民間が良いとは言えませんが、もう少しコスト意識を持って、政策を運用して、余剰金が出来たら、少しでも福祉に回すという政治にしないと、国民が痛みに耐えられずに、ヘバってしまうと思います。

我々も、本当に幸せになるタメには、ドコに投票すべきかをじっくり考える時が来ているみたいですね。  
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2008年08月30日

結局、競争を招くだけ

全国学力テストが二年目を迎え、結果が発表されるとホボどの都道府県でも、自分達のトコが全国の何番目かというコトで、大騒ぎしている様子がニュースから見てとれる。

昨年と比べてどうだったかだの、全国的に何番だのという騒ぎになると、学力テストの傾向と対策を練って、類似の問題を事前に行うコトで、平均点を上げようとする動きがマスマス加速するだろう。

「ゆとり教育」が問題だとされてはいるが、「ゆとり教育」の真の目的は「生きる力を身に付けるコト」だとするならば、果たして全てが間違っていたというのだろうか。

少なくとも、「ゆとり教育」世代では無かった多くの世代が、「生きる力を身に付けていた」のかどうかも、確実には判らない。

何故なら、『自殺者が年間何万人も存在するコトに対して、根本的な調査をしないまま放置しているのに、「生きる力」などと言われてもなぁ』という気がしてならないからだ。

中高年になって、職をリストラされたり、破産しそうになったりした時に、自殺に追い込まれてしまう社会の病理を無視して、どう「生きる力」を持たせるのだろうか。

少なくとも、失敗しても何度でもチャレンジ出来る社会になる方がイイのではないだろうか。

子供達が自殺した場合には、多少はニュースになるものの、「自殺者が続々出ているコト」に対して、あまり話題にはなってナイ。

自殺のニュースをあまり流すべきではナイというコトは、WHOの勧告もあるのは承知しているが、少なくとも困った時の相談ダイヤルを何時でも、誰でもスグに目に付く場所に掲示する努力くらい出来ないのだろうか。

それとも、挫折した人には早くこの世から退出して貰って、生活保護や年金の支出を減らしたいのだろうかとすら勘ぐってしまう。

社会で成功した人だけしか、生きられない社会というのは、国民に安心感を与えられない。だからこそ、個人消費が停滞するワケで、他国の消費に期待するよりも、自国の消費を喚起した方がイイに決まっている。

少なくとも、減税の後に増税が来るのであるならば、福祉が安定しているコトを国民に示して、貯金に回し過ぎなくても安心出来ると判らせ、個人消費を拡大すべきだ。

真面目に貯金して、その御金が他国の浪費に使われて、返済が滞って目減りするという馬鹿げたコトを止めるべきだ。(サブプライムローンの破綻は、極論すればそういうコトなのだから)

自国民が幸せに暮らすコトが、何よりも大事だと思う。その幸せを他国に分ければイイのだ。自国民が不幸では、他国民を心から援助など出来ないハズだ。

他者との競争を推奨するよりも、互いに幸せになるには協力の方が大事であるハズだ。全国学力テストも結構だが、順位の話題よりも、まずどういう教育が必要かという話題になるべきなのに、そうならないコトが、日本の貧困を招いている様な気がしてならない。  
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2008年08月08日

言葉は凶器になる

高校生が、強過ぎる指導を受けて自殺するという残念なニュースがありました。

それにしても、先生方は結果的に本末転倒な指導をしたというコトになってしまいます。おそらく、携帯での書き込みに異常反応したのでしょうが。「死人に口無し」ですから、問題はウヤムヤで終わってしまう可能性も高いのですが、こういうコトがあると結局、その高校への進学したいという子供達にも影響が出ると思います。

ひとことを変えれば子どもはのびる―見直したいうかつな言葉、何気ない言葉
この本は親向けに書かれてますが、先生方にも読んで頂きたいような。この著書の本は久し振りですが、そうだよなと思うコトがママあります。

その中に、「答えをせかせたり、子どもの話を勝手に結論づけたりしていませんか?」とか、「子どもをしばってしまう、型にはまった評価をしていませんか?」とかという問いかけもあります。

そして、「失敗を受け入れれば、子どもは前向きに考えるようになります」と書かれてます。

叱責するだけで、何にもフォローしないのであれば、人に物事を教えるのは簡単です。そして、それをそのまま受け入れて、子どもがチャンと伸びるという簡単なモノが教育だったならば、誰も苦労はしないでしょう。

教育とは「叱る」だけのモノではありませんし、犬や猫を躾けるみたいに人間を扱って成功するとは決して思えませんが、どうしても「強圧的な態度を持って良し」とする人々が増えているように思います。

「叱る」という行為をナメているからこんなコトになるのでしょう。他人を否定する時ほど、相手を思いやったり、やる気を引き出すテクニックが必要になります。

自分の不満をタダぶちまけるだけで、相手が良くなるというあまりに前時代的な考え方は、そろそろ改めるべき時が来ていると思いますけどね。  
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2008年07月22日

人を育てるスキル

長野は連続して猛暑日‥‥暑くて暑くて大変です。でも、しっかり休んだので、かなり本調子には近付いておりますが、明日はかなりハードに仕事が入ってますので、どうなるでしょうか?

さて、昨日の本からの抜粋になりますが、世の中には、人を育てるのが上手だったり、人の才能を引き出す能力を持っている人たち(ネーティブコーチと言う)が存在するものです。

彼らの持っている能力や技術を他の人にも使える様にしたのが、「コーチング・スキル」と言われるもので、それらは「(垢、聞き分ける ⊆遡笋鯀呂蟒个后´M徊召垢襦´ぞ鞠Г垢襦廚箸い辰織灰箸ら成り立っています。

コーチはスポーツ選手につくものというイメージが一般的ですが、アメリカの大統領にはスピーチのコーチが、企業の経営者には相談役やアドバイザーがいる様になっています。何故ならば、決められた時間で、成果を上げるには、綿密な計画と膨大な情報処理、そして最高のパフォーマンスを発揮しなくてはならないという意味で、彼らもアスリートと一緒なのです。

そして、今、企業は「自分で考えて、自分から行動を起こし、結果も自分で評価できる」想像力のある人材を求めています。従来の指示命令型のマネージメントでは、求められているタイプの人材育成は難しいでしょう。

「考える」ことのできる、「行動する」ことのできる人を育てるには、「一方通行」の指示命令ではなく「双方向」の会話を創りだし、創造性や自発性を引き出すべきなのです。「管理」ではなく、コーチングが大切です。

そのテクニックの中にどういうモノが有るかというと、例えば、プロの棋士のA級とB級の違いは、悪手に対する気持ちの切り替えの違いだと言います。A級棋士は、一度席を離れて気持ちを入れ替えて戻ったら、ミスを忘れて新たな気持ちで打てるのに、B級の棋士は、最後まで悪手を悔いてしまうのだそうです。

人間の視点を変えるには、「アソシエーション」と「ディソシエーション」の切り替えが大切です。

アソシエーションとは、何かに夢中になっている状態で、ディソシエーションは今の自分を客観的に見ることです。

つまり、物事に対して「主観的」になったり、「客観的」になったり、時と場合に応じてスイッチを上手に切り替えられる人ほど、人生を楽しくうまく生きるコトが出来る。そんなテクニックを、上手く伝えるコトが出来るというコトも大事です。

旧来の復古的な教育方法よりも、才能を伸ばす可能性があると思いませんか?  
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2008年06月07日

格差社会は教育にも

早稲田大学が大阪と佐賀に付属の学校を作る計画というニュースを読んで、最近の教育は本当に親の資産の多寡が子供の人生を決定しかねない状況がマスマス加速してきた感じがする。

四年で大学を出て取得していた薬剤師免許が六年必要になり、弁護士になるのも大学院に行った方が取りやすくなっている。

その上、国立大学に入りたくても、私立の中高一貫とか予備校や塾などでしっかり勉強した方が有利になる今の状況は仕方ナイのかもしれないけれど、底辺の生活をしている親の子供に生まれたら、簡単にはソコから脱出出来無そうな気がする。

ワタシが高校生のコロにも、地元の国立大学への進学すら金銭的な理由で親に許されなかった友人も存在するのだが、少なくとも地方都市ではホトンド塾通いする子供は存在せず、それでもそれなりに地元の国立大学への進学がある程度の数、したものだが今やそう簡単にはイカナイ時代になっているみたいだ。

昔と比べて、かなりの人数が大学受験をする時代になったからかもしれないが、難しい大学はより難しくなって、普通の人間では自力で合格するのが大変になり、加えて昔は四大出の就職をホトンド採用しなかった地方の企業まで、短大ではナク、四年制を出ているコトが就職試験の必須条件になっている場合もある。

ソレでナクても、就職はコネがモノを言うホド企業が少ない地方で、こんな調子では格差社会の底辺に追いやられてしまったら、ナカナカ人生を一発逆転するのは難しいと若者は考えるだろう。

となると、いずれ日本もそういう意欲を無くした若者による治安の悪化はマスマス避けられなくなる可能性も増しているのではないかと思う。

社会福祉だけではナク、教育の方にも多額の資金を投じて、若者のスラム化を防止しなければ、やがて日本の治安ももっとボロボロになるだろう。

安全も有料になって、安心して歩けなくなる様な世の中を我々は目指して来たのだろうか?

何となく、本末転倒になっている様な気もするのだが‥‥  
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2008年05月17日

禁止すればソレで済むのか?

教育再生懇談会が、マタマタ変な提言をするらしいのだが‥‥断っておくが、ワタシは自分の子供に高校生になるまでは、携帯電話を使わせてナイ。携帯電話が危険というコトもあるし、金銭的にも無駄だと思うからだ。

だからと言って、政府が規制するというのは違うんじゃないかと思う。何故ならば、親が禁止していたならば、子供達は携帯電話など、タダで持てるワケではナイのだから、持ってないハズなのだ。

つまり、子供が所有したくても、親が「No!」と言えば終わりなのだから、規制したって持たせたい親は持たせるに違いないというコトだ。

コレでは、逆に隠して携帯を所有したりして、マスマス携帯所持は闇の中に葬られるだろう。正しく利用出来るのならば、ソレはソレで別に構わない問題なのだし。

心理学的にも「するなと言われるコトはしたくなるのが常」なのだ。

援助交際をしてもイイことだと思ってしている子はそんなに居ないと思っている。

援助交際をする子供達は、してはイケナイのにしているという自覚はあるだろう。だが、禁止されているコトだから、禁を犯しているコトに快感を覚えたり、禁止されているがゆえに高額が手に入るから、そして、そういうコトをして自虐的になりたいがタメにしているのだろうと思う。

そんなにチャンと意識しているかどうかはともかくとして、「するのは悪いコトだが、何かの理由でしたいからしている」のだと思う。

まして、携帯電話など、援助交際よりも心理的な抵抗は少ないに決まっている。故に、規制すればするホド「手に入れたがる人間は増える」だろうと思う。

とにかく、「どうして携帯電話を持たせるべきではナイのか」というコトを心から理解させるコトだ。親達が納得するならば、子供達は余程のコトがナイ限り、手にするコトは不可能だろう。それでも、渡したがる親以外の大人は存在するだろうが、ソコまで行っている子供達を制御するのは、最早、親でも無理だろうと思う。

強制で何かを為そうとするコトは、不毛なコトなのだが、ソレに気付かない人々が政治家の方々には、大勢存在しているらしい。  
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2008年03月10日

タガを締め過ぎると壊れる

埼玉県の川口高校の校長の呆れた事件を聞いて思ったのが、つい最近の主人の母の実家での法事の出来事。

主人の従姉妹の子供も孫というコトで高校生と中学生が来ていたのをチラッと見ただけなのですが、主人が埼玉の高校で教頭をしている従兄弟と後で話したコトを聞くと、法事に出席した男子高校生のヘアスタイルは「埼玉だったら、アウト」なんだそうですが、確かに、多少は今風だったけど、さほど変でもナク、法事に出れる位の感じだったので、ビックリしました。

長野県の県立高校は割合、服装やヘアスタイルに五月蝿くナイんですよね。タダ、昔の高校生からすると、学校にギラギラしたアクセサリーを付けて行くのは如何なモノかと思ったり、中には、お嬢さんこの後、どちらにお出掛けみたいなケバイ生徒も居るらしいのですが‥‥

にしても、高校生になっても、頭髪にまでウルサイ管理教育をしている埼玉県って‥‥と思っていたら、今回の事件。去年書いた北海道の「アスピリン・スノー」と名乗った教頭とイイ、聖職に就いている人の二面性は本当にスゴイというか、昔に遊んでナイから、引き際が判らないんでしょうね。

少なくとも、『若い女の子と付き合ってイイ思いしただけでもラッキー!』と思ってキレイに別れさえ出来れば良かったのにって気がします。

そういえば、そんな感じの小説を最近読んだなって思いつつ、確かその話は、小学校の教頭と担任の先生という話だったと思いました。実際、結構、学校の先生方は色々なコトもあるみたいなのですが、「男と女」というのは、色々なシュチュエーションがあるので、時として道を外す場合も有るかもしれませんが、それを自制出来るかどうかが人間の真価なのですが、エリートと呼ばれる方々は脆いですよね。

ソレにしても、コレがこの前盛り上がった話題の「学力重視教育の成れの果て」だと思うと、やっぱり学力を上げるべきは底辺で、エリートの方々には、学力よりも、マトモな人間関係とか、一般常識を学んで頂いた方が良さそうですね。頭でっかちな人間にナラナイためにも‥‥  
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2008年03月08日

日本のこれから

別にNHKの宣伝をするつもりもナイが、夕食からずっと本日の「日本のこれから」という番組を見ていた。ブログを書く時間が無くなるのと、既に大体の議論の傾向が見えて来たので、娘達が見ている音を遠くに聞きつつ、ブログを書いている。

「学力低下」をどうするのか?

この問題に対して、子供達と大人で(子供達は中継で)議論を戦わせているのだが、正に今の政治家的発言をしているのが、昔の「ミスター円」と呼ばれた早稲田大学教授の榊原氏。おそらく、かなりの人が東大教授のリベラルな考えとの比較に驚いたのではないかと思った。

少なくとも、早稲田に対するイメージと東大に対するイメージが全然違ってしまったのだが‥‥教授も大勢居るのだから、二人だけで判断は出来ないけど。

とにかく、「国のタメに勉強しろ!!」的な発想の榊原氏に対して、子供達の反発はかなりのモノだった。

当然だと思う。人間は、自分にメリットがあるかナイかというのが、本来一番大事なのに、国家のタメになどと言われても、時代錯誤もイイとこだ。

上も下も当然学力を伸ばすのは当然なのだが、どちらか一つを選べと言われたら、当然下位を選択すべきであり、テロなども含め犯罪者やフリーター・ニートといった社会に害を及ぼしかねない人物を少なくするコトの方が、絶対に社会のタメになる。

しかも、忘れてならないのは、日本に成績優秀者の居場所があるかどうかというコトも問題で、頭の良い人ほどグローバルになるので、一生懸命成績優秀者に力を注いでも、彼らが日本に残るとは限らないという大前提を忘れている様な気がする。

前にも書いたと思うが、主人の同業者の息子さんは、兄弟が大勢居たので、塾などは無縁だったが、普通の小中学校から、県内最難関の高校に進み、野球部でありながら常備ベスト5に入り、現役で東大・大学院と順調に卒業して、現在はスイスに居る。

それが、現実なのだ。どんなに頭が良い人間が、日本の教育から育っても、日本に住みたいと思わなければ、頭脳流出は起こるのだ。

より多くの学生を底上げする以外に、日本の国力は向上しないし、上位の人だけが偉いというものの、本物の天才が住み良い社会でなければ、日本という国は繁栄しないだろう。

少なくとも、「出る杭を打つ」という日本社会を打破しなければ、絶対に無理だ。チャントしたディベートが出来る社会になり、ディベートでの勝ち負けをその後に持ち越さず、再び友好的に付き合うというコトが出来なければ、本物のグローバルな人間にはナレナイ。

優秀な高校や大学に進学するのが目的ではナク、最終的に社会に何になって出て、どう社会に貢献するのが望ましいかという、明確な人生目標を早目に子供達が持てる様になるコト、その目標に到達しなかったとしても、再び違う目標が持てるだけの人間性の幅を広げるコトが、教育にとって一番大事なんだと思うのだが‥‥

部分的にタメになる意見も多かったが、おそらく大した学歴もナイけどと自己を分析しながら、大きな透る声で話した「風鈴職人」の方の存在感の強さに、多くの子供達が何かを感じてくれればイイなと思った番組だった。

社会のタメに個人が犠牲になるのではナク、個人の繁栄の上に社会の繁栄があるという単純なコトが当たり前にならなければ、日本の未来はナイだろうと思う。  
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2008年01月28日

真実と報道の食い違い

東京都杉並区立和田中学校の大手進学塾と提携した夜の塾について、TV報道で聴いていると、別にイイんじゃないと思えたのだが、本日の「信濃毎日新聞」の『コンパス』という記事に石井小夜子さんという弁護士の方のコラムによると、対象の中学二年生は九十名。一方、夜の特別コースの募集人員は十五名から三十名程度というコトらしい。

塾の勉強を学校でしたくても、入塾テストで落ちたら受けられないらしい。

学校長によると、「授業についていけない子には「ドテラ」(大学生を講師に招いて土曜日に補習をする「土曜日寺子屋」の略称)をすすめ、「おちこぼれ」対策も十分にやっていると言っているそうだ。

夜の特別コースは「夜スペシャル」略して「夜スペ」と呼ぶそうなのだが、特別コースを受けられる生徒は「スペシャル」な人間で、「ドテラ」を受ける人間は「おちこぼれ」と言うのは、如何なものか。

民間の校長先生として学校に赴任したのだから、特色を打ち出したいのは理解出来るのだが、少なくともどちらも学校の施設を使うのであれば、対象の生徒が望むのであれば、誰でも受講出来る様に努力するというのが、校長のするべきコトではないだろうか?

石井さんは、「子どもたちの間を分断しそうだ」と書いてらしたが、それよりも、塾に行くお金はナイけれど、もっと勉強を教えて欲しいと思っている成績中位の子供は、どうすればイイのだろう。

少しばかりの学力の差で、受けられなかった授業を格安で受けるコトが出来た学友が、マスマス学力を伸ばしたら、中位の子供はドンドン水を開けられて行くに違いない。

確かに、人生は競争だ。でも、中学の時から、そうやって競争させ、失望を与えるコトが教育なのか?

中位の子供が混ざれば、ハイクラスの勉強が出来ないというのであれば、中位の子供達にも、「夜スペ」と同じ時間に学ぶ時間を与えて欲しいし、「おちこぼれ」と呼ばれる子供達にも、「ドテラ」だけじゃなく「夜スペ」の時間を望むのであれば、勉強させて欲しいモノだ。

塾が学力でクラスを分けるのは仕方ナイとは思う。でも、やっぱり勉強はしなければ出来ないモノだ。特殊な例外を除いて。

だとしたら、より「おちこぼれ」ている子供達にこそ、沢山の学習の機会を与えるべきなのが、公教育ではないのだろうか?

その辺の問題を抜かして報道するのでは、何か意図があるのではないかと勘ぐられても仕方がナイことだと思う。

「格差問題」を報道しつつ、「教育の格差問題」には目を向けないというのは、絶対に変だと思う。

家が貧しいけれども、勉強をして身を立てたいと思う子供にこそ優しい教育であって欲しいと思うのだが、現実はそうはイカナイみたいだ。

上の人だけが住みやすい社会を創るのではナク、チャンスだけは平等に与えるという社会こそが本当に住みやすい社会になるのだと思いますが‥‥

それにしても、簡単に「おちこぼれ」と一括りに呼ばれてしまう生徒達を思うと、気の毒で仕方ナイ。

「ドテラ」に行く生徒は、「おちこぼれ」だと校長に言われたに等しいのだから。  
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Posted by seitaisikoyuri at 11:43Comments(6)TrackBack(0)

2007年11月19日

テスト大好きなのは何故?

「教育は百年の計」と言われるのに、猫の目みたいにクルクル方針を変える文部省には付いてイケナイのだが、今度は「大学を受験したかったら『高卒テスト』に合格してからにしろ!」という方針を教育再生会議が出すつもりでいるらしい。

大学教員から「九九さえ出来ない学生に、何を教えればイイのか」との声があるらしいのだが、だったらそんな学生を合格させなければイイのだし、単位を与えなければ済む問題だと思うのだが‥‥

小中学生への全国共通テストとか、テスト業者は儲かるのでホクホクだろうが、「高卒テスト」に合格しなければなんて、条件をつける位ならば、そんな高校自体を認可しなければイイだけだ。

大体、日本はアメリカあたりと比べると、入るまでは大変だが、スッスと卒業させるコトに問題があるので、義務教育じゃないのだから、ダメだと思ったら単位をやらないか、補習をしっかりやらせて卒業するのが当然のコトだ。

高校で学ぶ内容を大学で教える補習は全体の三割程度らしいのだが、間違って合格させたと思ったら面倒を見るのは当然のコトだ。

「誰でも入れる大学にも助成金という名の税金が投入されているので、大学淘汰のタメにも‥‥」というのが、再生会議の主張らしいのだが、だったら最初からそんな大学を許可しなければ良かったじゃないかと思う。
ダーティー・ユー
米国帰りの中学生がいじめ問題と悪戦苦闘するのだが、本の後半で教師が
アホーな大臣が、教育という国家で最も大事な分野に、思いつきだけで方針を決定するような国だ。現場は振り回されるだけだ
と書いている。正にその通りだと思うのは、ワタシだけではあるまいと思うのだが‥‥

それでなくとも、今はテストが巷に溢れている。昔は、「英検」あたりしか無かったのだが、「漢検」だの「数検」だのと何種類もの試験が既にあるのだ。中学卒業程度の実力があるかどうかは三級に合格する必要がある。少なくとも、入試に資格として載せたかったら、内申書を書く前の段階で合格する必要があるのだ。

自学自習する能力が無かったり、塾へイケナイ生徒だったりしたら、学校で前倒しに教えてくれなかったら合格しずらいのは当然だ。その傾向をもっと強めて、ドンドンとテストで追いまくる。勉強をする意義を考えずに暗記ばかりしても、勉強の楽しさはちっとも伝わらない。だから、生徒は勉強しないのだというコトは思わないのだろうか?

学んでいるコトが現実に大事だと気付けば、九九だって何だって子供達は喜々として覚えるだろう。子供に勉強させたかったら、まず「勉強すると人生にどう役に立つのか」というコトを教えるべきで、ムチで叩いて教えようとするのは、前時代的発想でしかナイ。

ともかく、テストをするのなら、まず再生会議の方々に受けて頂いて、点数を発表してからにして欲しい。自分は高見の見物で、他人にもっともっとと強制するのは、ダメな人間のするコトだと思う。  
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Posted by seitaisikoyuri at 19:56Comments(8)TrackBack(0)