2007年09月01日

不幸にならないために

長野はもう、すっかり秋の風です。あんなに暑かったのが、嘘みたいな毎日。終わってみれば、今年も短い夏だったのですね。さて、本を手にして、前にブログに書いたコトがある本の著者だと思って借りて来ました。
ハッピーティーンエイジャー―10代の子どもをもつ家族が奇跡を起こす法
当然前の本と重複する部分もあり、詳しい話は、前に書いた話題はコレと同じ「リアリティセラピー」のカテゴリーに入っているので、そちらを参照してください。

10代の子どもを持った家庭の話に実際あった話は限定して書かれていますが、それは広く多くの世代にも通じるコトです。何故なら、我々は幾つになっても両親の子供なのですから、もし両親が変わるコトを望めないならば、自分で変わるしかありませんし、子供が幼児であれ、自分を見下ろす様な体躯の大きな成人であれ、対応すべきコトは一緒です。
不幸はいろいろな違った形で経験される。あなたは幼い頃から、このことに気づいていると思う。例えば、怒る、心配する、恐れる、緊張する、疲れる、具合が悪くなる、あるいは精神に変調をきたすこともある。また、頭、腰、腹がひどく痛むかもしれないし、不眠や四六時中疲れるということもあるかもしれない。また、背中に思い荷物を背負っているかのような重い感じがするかもしれない。
しかし、それは全て貴方が選択した結果に過ぎないというのである。だから、そうした場合、自分の行動は変えられるが、他人の行動は力で変えられるのではナイと認識して、対応するしかない。

人間関係をダメにしやすい致命的習慣として挙げられた最大の七つの習慣を排除しさえすれば、貴方は不幸に「さよなら」を言えるかもしれないのだとしたら、チャレンジしてみるしかない。

・批難する
・責める
・文句を言う
・ガミガミ言う
・脅す
・罰する
・相手を自分の思い通りにしようとして、ほうびでつる(こ
 れをしてくれたら、これをするといった条件付き全て)


そんなコトだけでと思う前に、自らチャレンジすることだ。人生が今より幸福になれるのだとしたら、試してみない手はナイと思う。身体のタメにも、例え精神的に問題がありそうと思っても、薬物療法の前に、一度は試して欲しいと思うのだ。  

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2007年04月22日

役立つコトが大切

計算の知識が役立つ様になるタメには、現実的な応用が大切になると著者は述べる。

車は買うべきか、リースにすべきか。

この本では簡単に述べられているが、日本の現実を織り交ぜて考えるならば、もっと複雑なコトが色々と考えられる。

マズ、少なくとも金利を払わずに済むというコトだけを考えるならば、買うコトが節約につながる。(これを教えるコトが、大事だと著者は述べている。アメリカはクレジットがもてはやされている社会だからであろう)

ただ、もし、それが日本の会社とかであれば、規模にもよるが、会社のキャッシュ&フローの関係や、資産として計上しなければナラナイ問題などが、もっと複雑に加味されるであろう。

個人にしても、金利負担は大変になるのだが、堅実一筋でつまらない人間と思われ、恋人や結婚相手をゲット出来なかった(そんなコトが気になる相手はゴメンだと言い切れるならば、それでも全然構わない、全てはその人の選択なのだから)として、新たに結婚相手を別に見つけるタメに民間の結婚紹介所に登録する費用を考えたりすれば、それはどっちが安いのかは判らない。

タダシ、もっと言えば、イイ車に乗っていたからといって、素敵な恋人に恵まれる可能性は100%ではナイし、捕まえた恋人が浪費家で、アナタに散財させたあげく、スッカラカンになったアナタを捨てる可能性もある。

世の中は、教科書では割り切れる問題だけではナイし、様々なコトが考えられ、色々な問題にぶつかった時に、それに応じて対処出来るコトが、大切なのだと思う。

何時いかなる時も、困難にぶつかった時こそ、自らの思考を停止して、他人まかせの人生にせず、自分の力で困難を打開するコトを目指せる人間になるコト。それが一番「人間として生きる」上で必要なのだと、言いたいのだろうと思います。

どんなに不幸な過去でも、それは過ぎ去ったコト。我々は、過去の失敗を踏まえて、現在の人間関係を良くするタメにこそ、労力を使い、私たちが直接コントロールできる唯一の自分の「行為」と「思考」をより良いものにして、「自信」を持って、幸せな人生を「選択」して生きるべきだと思います。

世の中には、様々な幸せになる方法があります。この理論を選択するかどうかも、アナタの選択に掛かっているコトを最後に書いて、今回の「リアリティセラピー」の紹介は終了します。  
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2007年04月21日

知識が使えてこそ教育

では、どういう教育が望ましいと著者は考えているのでしょうか?

子供に対して意見を述べるのは、説教を垂れるよりも良いことだ。子供の将来にあれこれ言って干渉せず、子供と親しい関係を維持することは、恐らく意見をたくさん述べるのと同じくらい良いことだ。意見を述べるとしても、何度も繰り返したり、ガミガミ言ったりしてはいけない。子供は、一度聞けば、言われなくても、親が何をしてほしいと思っているか分かっている。子供が以前やったことが成功しなかったとしても、過去についてはふれないことだ。終わったことは、終わったこと。失敗にふれることは、分裂のもとだ。

しかしながら、過去の成功にふれることはすばらしい。誰でも、自分の手柄についての話はいくら聞いても聞き飽きない。子供は小さいうちから、ほとんどのまちがいはそのうち訂正することができ、生活に支障はないものだという考え方を身につけることだ。まちがいがほとんどないのは、訂正されないままになってしまうので良くない。いつでも力になる用意があること、しかし、代わりにすることはしない。このことを知ってもらうことだ。


子供には自分が選んだものに責任を持つ覚悟を教える。責任を取るということは、罰を受けるということではない。

親が与えるべきメッセージは、
自分のまちがいから学んで欲しい。選んだ行動に不満足だと思った時は、話し合い、より良い方法を見つける手助けをする。あまりに若過ぎて、どんな方法に向かっているか分からないと思える時は、介入して、していることを止めるつもりだが、目的は止めることではなく、後悔する前に学んでもらうためなのだ
子供が親を信頼していれば、子供は親の言うことに耳を傾ける。

「教育は知識の修得である」と定義せず、「教育は知識を使うこと」と定義するのが最善である。知識を知っているだけでは、テレビのクイズ番組やパーティでのゲーム以外にはほとんど役立たない。学んだ知識を使うことに価値がある。学校の失敗はここに焦点を当てていないことにある。  
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Posted by seitaisikoyuri at 17:51Comments(2)TrackBack(0)

2007年04月20日

子供でも強制はムリ

大人は子供よりも世間を知っている、だから、「子供をコントロール出来る」と思い込んでいる人は、とても多く、褒美で釣ったり、罰を与える。それをし続けると、子供は良い子供になり、親子関係も上手くいくと考える

しかし、子供を理想地点にまで導くことに成功出来るとは限らないし、思った地点にまで到達させるコトを押し付けたコトで、逆に望んでいた親しい関係を失ってしまう場合も多々ある。

子供が親の願う人生を送ってくれるならば、親しい関係になれなくても構わないというのであれば、それは仕方ナイのだが、互いに成功を分かち合える方が、ズッとイイと思う。

という著者の言葉を考え、現実に目を向けるとこう思う。

問題行動を起こす子供をどなりつけるだけで、あるいは罰を与えるだけで、良い方向に向く子供ばかりならば、どんなに楽だろう。

しかし、そう上手くいくものではナイことを子供とちゃんと向き合った人は知っている。

犯罪を冒した子供たちも、おそらくそうなるまでに一度たりとも叱られたり、罰せられたコトの無かった子供は皆無だと思う。

罰を強化するだけでは、悪への道を止められないコトが判っているのに、今回も「少年法」の対象年齢を引き下げ、重罰主義だけが「犯罪の抑止」になるのだというコトになっている。


公費で弁護士が付くコトに関しては、一歩前進だとは思うが、自分の主張をちゃんと出来ない世代が警察や検察に厳しく詰問され、マスマス人間不信になってしまったとして、社会復帰は出来るのだろうか?

それとも、全ての犯罪者は死刑にすれば問題はナイという、世界的な傾向と逆の方向に突き進むのだろうか?

少年法を改正するのであれば、低年齢の問題を起こした子供の両親を何とかするコトの方が先なんじゃないかと思う。成人してからの親の責任はともかく、犯罪者になってしまった子供の親がどう子供に対処してきたのか、そして、それが適切だったのかを、教え導くコトの方が大事なのではないでしょうか?

環境に問題があるとされる子供が、再び同じ環境に帰って行く場合、再び問題が蒸し返される可能性がとても高い。

であるならば、その親にも自分の子供への対応が正しいか否かを考えてもらう方が、より現実的な選択ではないかと、昨今の身近なトラブルを起こしている子供と親の実話を仕事柄聞いていると、どうしてもそう思ってしまうのですが‥‥  
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2007年04月19日

幸せな人間関係の築き方

時間がナイので、コメント返しはアトになります。コメント頂いた皆さん、ありがとうございました!!

ともあれ、多くの不幸せな人々の一番の問題は、正しい選択をするコトにあります。

美容師の恋人だった女性を殺して自殺した若者、長崎市長を殺さなければならないと思いつめた暴力団の男、大量のキャンパスの学生を道連れに自殺した韓国人学生、彼らがもし「自分の選択を変える」コトさえ出来たならば、彼らも被害者や遺族も幸せな日々を送れたハズです。

多くの人々は、何かを手にしてナイコトが、不幸せの原因です。その何かというのは、千差万別でしょう。ある人はお金だったり、名誉だったり、恋人だったり‥‥あまりに人それぞれなのですが、それから脱却出来る方法は三つの選択。

ー分の求めているものを変える

⊆分のしていることを変える

N省を変える


自分の手に届かないものを求めても、それは無理という場合は、求めるものを変えるしかナイでしょう。「あの月を とってくれろと 泣く子かな」という俳句がありますが、こういう場合、求めるモノを変えない限り、要求は満たされるコトはありません。

交際している人とのトラブルが問題だった場合、相手への態度を変えるコトで問題が解決するコトもありますが、どうしてもダメなら、交際している相手を変えるしかナイのです。

そんなコトは当然だと、普通の感覚ならば思うのですが、頭に血が上ってしまうとナカナカそれに気付かなくなってしまいます。

選択を誤って、不幸になってしまうか、それとも正しい選択をして、幸せになるのかはアナタ次第です。

前述した三人の場合、どうしたら幸せになったのか、一般に自分のコトとなると冷静になれなくなってしまいますが、とりあえず練習問題のつもりで、加害者を自分だと思って考えてみてください。

三つの選択を変える方法のどれかで、事件を起こす必要が無くなっただろうと、必ず思うハズです。  
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2007年04月18日

選択理論という考え方

今朝、忙しがっていて、出典を書き込むのを忘れてしまいました。
グラッサー博士の選択理論―幸せな人間関係を築くために
選択理論の原則は、簡単に述べると、

1. 私たちがコントロールできる行動は唯一自分の行動だけである。

2. 私たちが与えることができるもの、他の人から受け取るものはすべて情報である。その情報をどう処理するかは、それぞれの選択で決まる。

3. 長期にわたるすべての心理的問題は、人間関係の問題である。

4. 問題のある人間関係は、常に私たちの現在の生活の一部である。

5. 過去に起こった苦痛は私たちの現在に大きく関係しているが、この苦痛な過去に戻ることは、現在私たちがする必要のあること、つまり重要な現在の人間関係を改善することに、ホトンド、あるいは全く貢献できない。

6. 私たちは,遺伝子に組み込まれた5つの欲求、生存、愛と所属、力、自由そして楽しみの欲求によって駆り立てられている。

7. 私たちは,上質世界に入っているイメージ写真を満足させることによってのみ、欲求を満たすことができる。

8. 私たちが誕生して死を迎えるまでにできることは全て、行動することである。あらゆる行動は4つの分離できない構成要素の、行為、思考、感情、生理反応によって成り立っている。

9. すべての全行動は、動詞あるいは不定詞や動名詞によって表現され、最も認めやすい要素によって呼ばれる。例えば、私は「落ち込んでいる」のではなく「落ち込み行動をしている」「落ち込む選択をしている」と表現するべきである。選択を動詞で表現することが、自分の行動を客観的に気付くタメには重要である。

10. すべての全行動は選択されたものであるが、私たちが直接コントロールできる要素は自分の行為と思考だけである。


というコトなのですが、これでは理解し難いでしょうし、お読み頂くにはかなり厚い本なので、しばし抜粋しますから、それに共鳴して関心を持った方は、原本に当たって頂くのが、一番かと思います。  
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Posted by seitaisikoyuri at 21:06Comments(0)TrackBack(0)

力で他人を完全にコントロールするのは無理

長崎市長を銃殺するという暴挙、アメリカの工科大学での大量乱射殺人。他人を力でコントロールしようとする人々は増えて来ています。

ちょうど、そういう感じの本を読んでましたので、新しいカテゴリーをマタマタ作ってしまいました。リアリティセラピー(現実療法)というものだそうです。

簡単に説明すると、現実という名前の通り、過去をあまり重視して考えず、「現在の考え方に間違いがナイか」と本人に理解させ、人生の選択を正しくする様に働きかけるという療法です。

世界が使う外的コントロール心理学の簡単な前提は、「悪いことをしている人は罰せよ。そうすれば彼らは私たちが正しいということをするだろう。そして報酬を与えよ。そうすれば彼らは私たちが望むことをしてくれるであろう」。この考えが地上のほとんどの人の考えを支配しているからである。

この心理学をこれほどまでに浸透させられているのは、権力を持つ人々が完全にこれを支持しているからである。権力を持つ人とは、政府の要人、親、教師、企業の管理者、宗教家などで、彼らが物事の善悪を決定している。こうした人々によってコントロールされる人々は、自分の人生をほとんどコントロールできないので、権力のある人々のコントロールを受け入れることにいく分かのやすらぎを見いだしている。

私たちがいくら熱心に取り組んでも減らない不幸が世界中にあふれている。残念なことに、このコントロールと強制を強力にもたらす心理学がこの不幸をつくり出していることに誰も気づいていない。

この不幸は衰えることなく存在し続ける。その理由は、私たちが熟慮の末、コントロールが最善であると思うからではない。不幸が存在し続けるのは、他人が自分の思いどおりにならないときに、対応の仕方として、強制とコントロールしか思いつかないからである。

親も、そのまた親も、教師も指導者も、私たちの知る人々のほとんどが使ってきた。あまりにも長い間、自分のやり方を押し通すために使われてきたので、強制は常識となり、この心理学の根拠や質問の妥当性など気にかけることもなく、何の考えもなしに使われている。

では、どうすべきなのか、久々に少し長めの連載になりそうです。  
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Posted by seitaisikoyuri at 08:35Comments(2)TrackBack(0)