2010年12月15日

海堂尊講演会・7

さて、講演が終わってから、須坂病院の院長が聴衆を代表してというコトで、「どうして今のペンネームを付けたのか」という質問をしました。

ペンネームは自分で自分の名前を付けられる絶好の機会で、二度とそんなチャンスはナイから、大好きな「海」か「夏」を付けようと考えて、「かいどう」という名前を思い付いた。

字は「海道」にするか、現在の「海堂」にするかを迷ったが、字があまり上手ではナイので、「シンニュウ」の部首を書くのが嫌で、「海堂」にした。

名前は、十個ほど考えて、あれこれ考えてマッチするのを選んだのだけど、締め切りも近付いてたので、最後にババッと決めたという話でした。

何だか、この話って、

ジェネラル・ルージュの伝説 海堂尊ワールドのすべてジェネラル・ルージュの伝説 海堂尊ワールドのすべて


の本で、読んだ様な気もするのですが‥‥

ともあれ、「須坂新聞」というローカル新聞では、講演会があったコトを報告する記事と共に、本名も書かれていたそうで。

「田口先生のあだ名」というのは、ちょっと実名と被る感じがしましたけど、おそらく院長先生は、本名を知っていたからこそ、ペンネームの由来を知りたかったのかもしれませんね。

一般の質問時間はありませんでしたから、娘からは「どの登場人物に似ているのか」というコトを聞いて欲しいと言われてましたが、聞けずに終わりましたが、おそらくこの人だろうという気持ちになりました。

でも、御本人の口から出たワケではナイので、ココには書かないでおきます。

小説家というのは、ある程度神秘のベールに包まれていた方が想像力を働かせられるから良いのであって、あまり色々と知らない方が良いと思っているので。

とにかく、メチャクチャ多作なので、これからも楽しみではあります。

娘も好きな作家ですし、娘の高校の図書館は他の図書館よりも簡単に入手出来るので、今までは楽でしたが、そろそろ卒業するので、来年からは入手が大変だと思ってます。

ともあれ、コレでやっと書き終わりました。

明日からは、普通のブログに戻りますね。  

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2010年12月14日

海堂尊講演会・6

さて、放置していた講演会の続きを書かなくてはイケマセンね。

ちなみに、

死因不明社会 (ブルーバックス)死因不明社会 (ブルーバックス)


こちらの本を読んだコトがある方には、ホトンド知っている話だと思いますが‥‥

医療は患者を治す

医学は死に学ぶ

という違いがありますが、医療は治すというコトで、対価としてお金を貰いやすい。

しかし、医学が進歩するから、医療が良くなるというのに、医学については対価としてのお金を貰い難い。

進歩のタメに、税金とか会社とかからのお金が入らなければ、医学は進まない。

治すのが優先となると、医学にお金が行かないので、医療の質が下がる。

解剖は医学の基礎だけれど、全ての人を解剖するのは物理的に無理。

だから、Aiで死因を確定する努力をしてから、解剖した方が「死因が確定」するコトが出来る。

「心不全」というのは、死因ではナク、心臓は動かなくなったという状態を示しているに過ぎない。

死んでいく人は、死因が不明でも構わないけど、その親族などにとっては知りたい。

医療訴訟にならないタメにも、画像診断は有効である。

何故なら、病理解剖は証拠に認定されないし、警察が入ると遺族に死因は告げられない。

遺族が死因を知りたいとなると、民事の医療裁判が必要になる。

画像診断で、医療事故でないと判れば、双方納得出来るし、医療事故と判った時には医療機関は即座に謝罪も出来る。

原因が不明な時に、解剖が必要でも、受諾して貰うのは難しい。

実際、昨年の十二月にも、長野市で警察が介入しそうになった。

しかし、遺族がAiで死因を確定しようとしたので、不問になった。

さて、かなり駆け足でAiの部分は書いてしまいました。

本当は、海堂さんはこの部分をこそ話したくて、しっかり講演されたのですが、海堂さんの愛読者にとっては、既に知っている話なので、知らない方は、上記の本を読まれた方が、理解出来ると思いますし。

さて、次回ペンネームの話を書いて、講演会の話題は終わりにしたいと思います。  
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2010年12月08日

海堂尊講演会・5

再び、書いていた文章が突然消去されました‥‥書き直すのも面倒なのですが。

今日は12月8日。ジョン・レノンの命日ではありますが、日本人として忘れてはイケナイのは、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃の日というコトでしょう。

講演会の時に読んでいた本が、

ウェルカム トゥ パールハーバー(上)ウェルカム トゥ パールハーバー(上)


上下巻で1100ページを超す大作なのですが、日本が外国の謀略で無理やり、日米戦争に引き込まれるくだりが、とても良く書けています。

加えて、他の小説でも書かれてますが、外務省の不手際で「騙し撃ち」という形になってしまったというコトを考えると、官僚の失政のツケというモノは如何に大きいか、正に、今の日本の医療崩壊にも繋がるコトかもしれません。

ともあれ、再び講演会に戻ります。

実は、本当の処女作というのは子供の頃に書いた長編小説があるんです。

クラスの悪ガキ三人プラス自分を主人公に『三国志』をパクって、『四国志』という小説を書きました。

しかし、その中で一番のガキ大将を殺してしまったら、暴力で無理やり小説を改変させられたのがトラウマとなって、今、どんなに圧力があっても厚労省の悪口は止められません。

そういう意味では、貴重な体験になっているのかもしれませんね。

タダ、登場人物が互いに全て良く知っている人物というコトもあり、クラス内で話題になり、人の手から手へと渡り歩いている内に、散逸してしまったので、「幻の処女作」というコトになります。

大学生の時代にも、何度か小説を書こうとして、五枚ほど原稿を書いてはみたのですが、どうも行き詰ってしまって、「人は誰でも、一生に一冊の本は書ける」という言葉を信じて、無駄な努力はしませんでした。

けれど、どうしてもAiについて書きたいと思ったら書けたのですから、その辺を書いたら「挫折知らずの本」というハウツー本も書けると思います。

皆さんも、「一生に一冊の本は書ける」と信じていれば、自費出版になるかもしれませんが、もしかしたら大ベストセラーになるかもしれません。

その時は、必ず海堂尊さんの言葉を信じて書いたと是非言って下さいね。

その頃、もうベストセラー作家ではなくなっているかもしれませんが、その言葉で再び売れるコトになるやもしれませんから(笑)

さて、ココまでで疲れてしまいました。それにしても、何度も最後近くで書き直しをさせられると、イイ加減イヤになって来ます。

講演の部分と、地の分を上手く書き分けるとイイのだなとは思ってますが、トラブルに見舞われてしまうと、やり直すのが面倒です。

何れ、気が向いたらチャンと編集しますが、ソレまでは御自分で適当に分けて、読んで下さいませ。  
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2010年12月07日

海堂尊講演会・4

本日は、父の手術があったりして、色々と気を揉んだので少し精神的に疲れました。

御蔭様で安定しておりますので心配はナイのですが、やはり肉親が入院しているというのは嫌なモノです。

順調に行けば、明後日退院出来るハズなんですけどね。

さて、昨日の続きです。

実は、「崩壊三部作」というのを書こうと思っていたんです。

「チーム・バチスタの崩壊」「碧翠院桜宮の崩壊」そして「Aiセンターの崩壊」といった感じで。

で、「碧翠院桜宮の崩壊」について書いた小説は、まだ宝島社の受賞が決まらない内に、江戸川乱歩賞に応募しました。

無論、コレが後に「螺鈿迷宮」になったワケですが。

ところが、宝島社のミステリー大賞に輝いた場合は、続けて三作出さなくてはならない、賞金の1200万円を食い逃げしてはダメだというので、本当は食い逃げしたかったのですが、しかも他社に応募した小説はダメだというので、慌てて1200枚の長編小説を書き上げました。

タダ、今度は「1200枚は多過ぎます」と言われまして、「なら、上下巻でどうですか」と言ったのですが、「大作家の○○先生でも、下巻は売れ残るんです」とはっきり断られました。

その上で、「その小説を二つに分けたらどうですか」と言われたので、最初は「無理だ」と言ったのですが、美女の言葉には弱いので、結局、押し切られました。

それで出来たのが『ナイチンゲールの沈黙』と『ジェネラル・ルージュの凱旋』なんです。

で、上手く行ったので、つい味をしめてしまって、あっちを書いては、こっちを書きしている内に、「小説に一貫性がナイ」とか「ラストに締りが無い」などという悪評を立てられてしまいました。

やはり、人生は最初が肝心です。そういう意味では、医師としては須坂病院で、みっちり仕込んで頂いたのが良かったのだと思ってます。

と、ここでも持ち上げておきますね。(笑)

やはり、本日は疲れているので、ココまでで‥‥  
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2010年12月06日

海堂尊講演会・3

では、続きです。本日は疲れているのでサクサクまいります。

そんな感じで、楽しい一年間を過ごしましたが、だからといって戸隠の蟻の搭渡りをへっぴり腰で何とか渡ったコトとか、焼額でのスキーなどが小説のネタになるかというと、今の所、その予定は全くありません。

何故なら、作品は「怒り」によって書かれているからです。

だから、何枚でも書けますし、今後、怒りが落ち着いたならば、信州の美しい風景の小説なんかもあるかもしれませんが、今はありえません。

ともあれ、東大などでも話をするのですが、「東大生は頭が良いけれども、賢くはナイ」みたいなコトを言っても、平然と頷いていたりするのですが、人間は馬鹿にされたら怒らなくてはいけない。

売られたケンカは買わなくてはならないんです。

なのに、黙っているから、アングロサクソンなどにイイ様にあしらわれている。

ともあれ、これから日本の人口が減るというのは、間違いのナイ事実で、画期的な対策が打てない今の状態では、人口を劇的に増やす手立てはない。日本の全ての問題がソコにあると言っても、過言ではナイんですけどね。

さて、本日の講演の題名が「Aiと日本の医療とミステリー」ですから、少しはミステリーについて話さないとマズイですね。

この演題ですから、こんなに天気が良い土曜日だというのに、こんなに大勢来て頂いたワケですから。正に「おぉ、釣れた。釣れた」という気がします。(笑)

何しろ、「Ai」についてだと、話が止まらなくなりますので、まずはミステリーから行きます。

『チーム・バチスタの栄光』で、「このミステリーがすごい!大賞」を受賞して、小説の世界に入ったのですが、学術書なども書いてたので、市場調査をしたら、今や小説の持ち込みというのはホトンド無く、新人賞を受賞してデビューというのが一般的というコトが判って、応募するコトにしました。

先にトリックを思い付いたので、小説を書いてから、ドコに応募しようか考えて、時期が良かったので、「このミステリーがすごい!大賞」にしました。

受賞賞金が1200万円というのに、目がくらんだワケではありません。(笑)

最初の応募の時の題名は『チーム・バチスタの崩壊』でして、タダ、これではラストが想像出来てしまって、ミステリーには不向きな題名というコトで変えました。

これを含めて「崩壊三部作」を書こうと思っていたのです。

というコトで、ミステリーのお話の佳境に入って来ましたが、本日は休み明けで疲れたので、続きは明日でお願いします。  
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2010年12月05日

海堂尊講演会・2

昨日は枕ばかりでしたので、ちゃんと本題について書いたたのですが、最近、ライブドアのブログが不調で、突然、書いた全てが違う画面に行き、ブログのバックアップを復元するというボタンを押しても、滅茶苦茶になるという事象が続いているので、書いたばかりの講演会の記事が全部ダメになりました。

なので、もう一度書き直すつもりではありますが、さっき書いた全てを書くのは大変なので、短かくしておきます。尚、録音もしてませんし、全てを書き込むのは無理なので、ダイジェスト版であるコトを始めから、御断りしておきます。

ともあれ、タダで借りているブログなので、仕方ありませんが‥‥(こういう「怒り」を抑え込む態度というのを海堂さんは御嫌いらしく糾弾してました)

本日、ココに来ましたのは、平成元年から一年間、須坂病院に千葉大学から派遣されていたというコトもありまして、過去の行状を知っているトコで講演するというのは、誠に居心地が悪いのですが、御世話になっていた当時の○○(知っているお名前ですがあえて実名はマズイかもしれませんので伏せておきます)院長先生もいらっしゃいますし、かなりプレッシャーではあります。

生まれも育ちも千葉県なら、大学も千葉大学というコトで、初めて生まれたトコから離れた場所で住んだのは、須坂市が初めてというコトで、第二の故郷と呼んでもイイ場所です。

当時、千葉大学の医局からは須坂病院に、二年目と四年目の医師が一年交代で派遣されるコトになっていて、二年目の派遣医として、一番下のランクで来るコトになったのです。

あの頃は、スバルのレックスという軽自動車に乗っていて、派遣が決まってソコに布団など、必要と思われる一切合財を全て詰め込んで走って来たのですが、碓氷峠の坂はキツく、排気ガスは黒々として、ダマしダマしやっとの思いで到着したのを覚えています。

それでも、新築のアパート一棟を病院が借り上げていてくれたので、その一部屋に住めるというのはラッキーだと思いました。

当時は、夏はゴルフで菅平に何度も通ったのですが、全然上手くならなかったので、金輪際ゴルフはしないぞと心に誓うコトになった思い出の地でもあります。

どれだけ下手だったかというと、せめてスコアが2ケタになったら続けるつもりはあったのですが、最高のスコアでも108という、正に人間の煩悩と同じ数だったので、諦めるコトにしたんです。

冬場には、手術が済んで病状が安定していると確認してから、「よませスキー場」に行って、一時間だけナイタースキーをしたりと、遊んでばかりでしたが、ソレを支えてくれるスタッフの存在もあり、幸せな時代にこちらに来るコトが出来て、スクスクと外科医として成長させて頂いたのは、本当に有難いコトでした。

千葉大学では、甲状腺腫の一例だけしかしたコトが無かった手術を、こちらでは色々とさせて頂き、最後には自分で発見した初期ガンを手術するというトコまでになりましたのは、本当に皆様が素晴らしかったからです。

と、こんな感じで持ち上げておくというのが、処世術の最たるものでして、こんな感じで世渡りをして参りました。(一同笑)

もっと、先まで書きましたが、書き直しというのはこの程度ですね。ともあれ、より詳しくなった部分もありますので、この続きはマタ明日。  
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2010年12月04日

海堂尊講演会・1

本日は、兄嫁が教えてくれた「海堂尊講演会」に須坂市まで出掛けて来ました。

午後の御客様に、何時もの予約時間を変更して遅い時間にして頂いたりしたので、先着順なので万が一聴けなかったら困ると思い、早々と出掛けました。

で、開演前に実に『エッ!』と思う話を小耳に挟んだのですが、そちらは何れマタ。

さる病院に御勤めのドクター達のお話でしたが、ココで特定して書くと、問題になりそうなので、自重しておきます。

世の中は広い様で狭いですし、ネット時代なのですから、あまり色々と個人情報などを披露したあげくに、様々な悪口を述べるのは如何なものかと思いつつ、諜報活動のコトを書いた長編小説を読みながら、聞き耳を立てておりました。

ともあれ、かなりハードなお仕事でストレスが溜まってそうだったので、「武士の情け」というコトで、ココでは書かないでおきます。

何れ、ドコの誰とも判らない場面で、このブログに書き込む時もあるかもしれませんがと、少々、釘だけは刺しておこうと思います。

その御本人は、このブログなど読まないと思いますが、「世の中広い様で狭い」と書いたばかりですしね‥‥

さて、本題です。

なんと海堂尊さんが、須坂みたいな地方都市によく来たものだと思ったら、平成元年当時、一年だけ須坂病院に千葉大学から派遣されていたそうで。

丁度、その時期、こちらは東京に行っていたので、接点はありませんが、当時、同じ病院に看護婦として、高校の同級生が勤務していたので、色々と過去の話を聞こうと思えば、可能ではあるのだなとも思いました。

しかし、ソレをやると小説が面白くなくなる場合があるので、とりあえずパスしておくつもりです。

実は、大学時代にかなり傾倒していた小説家の方の講演会を、京都府立大学に聴きに行って、ちょっと熱が冷めたというか、やはり小説家というのは、あまり生身の人というよりも、少しベールが掛かっていた方が良いという経験を過去にしているので。

と、枕だけでかなり書き込んでしまいました。

明日から、ちゃんと講演会について書き込みますが、本日は土曜日で忙しいのに、無理して途中抜けて聴いてきたので、疲れております。

これ以上は無理というコトで、申し訳ありませんが、本日はココまでで。  
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