2007年10月31日

戦争の鴨たち

タイトルは、別にワタシが皮肉って書いたワケではありません。短編集の中の表題です。正に、今の日本にピッタリのタイトルかもしれませんけどね。
秋の花火
世界中の天敵「アルカイダ」の友人の友人が法務大臣の様な国と、真面目にお付き合いしたい国は、まずナイでしょう。キャッシュカードを入れたら、ボンボンお金を出してくれる国なので、付き合いたいとは思っているでしょうが‥‥

五年前に書かれた短編小説が、五年たったら国の現実になっていたみたいな感じです。内容をチャンと書いたら、作者に悪いので書きませんが。

小説としての好みから言うと、最初の作品が良かったのですが、インパクトという点では、タイトルの小説がピカイチでした。

しみじみと、『日本人はこうやって馬鹿にされているんだナァ』と思いましたね。

曰く、「日本からの石油がなきゃダメだ」とか、「日本が貢献を止めたらつまはじきだ」とか、騒いでましたが、タマには「ダメだし」した方が、日本の印象も世界から違って見えるんじゃないでしょうか。

無尽蔵に札束を吐き出し続けるキャッシュ・ディスペンサーと勘違いされナイ様に。何はともあれ、憲法九条を日本の憲法に盛り込ませたかった米国に、こんどは百八十度違った期待をされても困ります。アメリカの属国ではナイのですから。

別に米国とコトを構えよと言っているワケではありませんが、もう少し米国に「寛容な態度」や、「大国としての自重」や、「平和的な解決法」を求めるべきだと思います。力で力を押さえつけようとしても、反発するだけです。「左の頬をぶたれたら、右の頬をさしだしなさい」というキリストの教えと、全く逆の行動を対イスラム教のタメにするというコトに、矛盾を覚えるのはワタシだけではナイと思いますが‥‥  

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2007年10月30日

当事者じゃないと理解しにくいコト

前防衛事務次官の問題は、「政界のマグマまで達するのか、それともトカゲの尻尾切りで終わるのか?」という感じになって来ました。

一方、スカンジナビア航空がボンバルディア社のDHC8-Q400の運航を取り止めた問題を何と潔いのだろうと思う一方、長野県が運営している松本空港発着の全路線は、今年からこの話題の飛行機のみになっていて、県として存続のタメに日本エアコミューターに補助金すら出している。

ボンバルディア社は大丈夫だと力説するモノの、「?」が付けられてしまった今となっては、「危なそうな飛行機は当社のブランドイメージを損う」という考え方をする北欧と、決定的な何が起こるまでは静観する日本との差を見せ付けられる思いだ。

こうした姿勢が、世界の「吉兆」や、「赤福」に次いで「御福」と底無しの状態を続ける食品偽装と根は一緒なんだろうと思う。大体、昔は個人が最終的に食べれるかどうかを決めていたのだから、売れ残りを心配するならば、より日持ちする様に改造して、品質保持期間を延長すればイイだけだと思うのだが。

自衛隊の武器は、「直接米国から買うべきだ」とか、「やはり商社を中に入れるべきだ」とか、色々に騒がれているらしいのだが、結局、この問題は利権がどう転ぶのかという生臭い話題も裏側で進んでいるのだろう。

叩けばホコリがボンボン出るのを恐れたのか、早速、心臓の手術を口実(?)に久間元防衛相は入院したというし、何とも判りやすい展開だったりするのだが、手術が本当だとしたら、失敗して欲しいと願っている人なんかも存在するのではないかと、意地の悪い想像をしたりもする。

あまりにそんなコトを考えていると、スッキリしないので、パイロットの経験をふんだんに盛り込んだ本を紹介する。
パイロット・イン・コマンド (Pilot in command)
こんなコトが実際に有ったら怖いなと思う反面、小説だと割り切って読むと、とても面白い作品です。人間の欲望というモノは、グローバルに駆け巡るモノだし、国家機密というコトで、本当のコトを必ずしも知らされないものだというコトをしみじみと感じます。

若いコロならともかく、今はロシアンルーレットみたいなコトは、フィクションだけにして欲しいと思うのですが、一体、世の中はどちらの方向に向かって進んで行くのでしょうか。  
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2007年10月29日

世代間連鎖の闇

毎日新聞のネットニュースによると、秋田児童殺害で、殺人と死体遺棄罪に問われた畠山鈴香被告は、家庭環境について「父と母は仲が悪く、父は機嫌が悪くなると自分に暴力を振るった。幼いころから20歳ぐらいまで続いた」。小1の担任教師に「水子がついている」と言われたほか、級友からは「心霊写真」と呼ばれ、高学年では時間内に給食を食べられないと手のひらにおかずを載せて食べさせられ「ばい菌」とののしられた。トイレの個室に閉じこめられ、洗剤や水を掛けられたこともあったという。中学入学後は級友からほとんど無視され、高校ではリーダー的存在の使い走りをし、いじめられないよう気をつけていたとの供述をしたらしい。

ココで問題にされるのは、いわゆる世代間連鎖と呼ばれる、虐待の連鎖、被虐待の連鎖の問題に突き当たる。弱いモノをスケープゴートにして、自分のウサを晴らすというのは、日本人の構造的いじめの連鎖に他ならないのだが、昨日読んだ答えの判らない小説を連想させた。

柔らかな頬
この前にブログに書いた「OUT」に衝撃を受けて読んだので、これが直木賞受賞作とは、今、ブログを書くまで気付かなかったのだが、迷宮に入った様なエンディングは、上の事件の被告とダブる部分もかなりある。

被虐待児の問題については、過去に何度も書いているので、ココでは割愛するのだが、加害者が気の毒な人生だったからと言って、被害者や被害者の家族は仕方ナイとは諦めきれないだろうし、でも、その真実を明らかにしなければ、これからの類似事件の抑止にはならない。

今日の昼にローカルTVで、中三の生徒が長野駅の東口にあるコンビニに石を投げてガラスを割ったりして、客二人に捕まって、警察に引き渡されたというニュースが流れた。心療内科に通院していたとのコトで、続報も流れなかったし、そのニュースを流さないTV局も多かったが、娘と同じ学年だと思うと、何があったのだろうかと、とても気になる。受験勉強は追い込みの時期だし、そろそろ個別の進路指導の時期なので、色々と思い悩むコトもあるだろうが、中上流階級の行き過ぎた期待感にツブされる子供と、虐待家族の中で被虐待される子供。どちらも、親を選んで生まれて来れない子供にとって、不幸なコトだ。

子供の幸せを願わない親はいないハズなのだが、自分が親から心から愛されてナイと、子供の愛し方も判らないという親の問題を抜きにして、事件の真相をを語るコトは出来ないだろうと、改めて思った。  
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2007年10月28日

癒された休日

毎日、毎日、あまり面白くナイ話題が続いて、こちらの気持ちもパッとしなかったのですが、今日は久々の秋晴れ。とてもポカポカとして暖かったので、ドコかに行きたい気分になりました。

それでも、『娘は受験生なので、どうしよう』と思っていたら、主人の母が「戸隠の神社参拝に行きたいね」と言うので、子供二人は留守番をするというコトで、主人と三人で久し振りに戸隠へ。

週に三回お見え頂いている御客様の息子さんがやっているイタリアレストランが、その道中にあるという御話を前から伺っていたので、判るかどうか不安だったのですが、『判ったら寄ってみよう』と思いつつ、お昼を食べてから出発しました。

長野オリンピックのリュージュの会場になった「スパイラル」の近くとだけしか聞いてなかったので、側にはそんな感じの場所は見当たらず、ダメかなと思ったら道の左に、「イタリア料理 Trattoria il CAIOROSO」の看板が。道から少し入ったトコとも聞いていたので、おそらくココで間違いナイだろうと目星を付けて中へ。もう昼過ぎだったので、どうかなと思いつつ中へ入ると、先客の御夫人方が四人。

出てらした御客様の息子さんとおぼしきシェフの方に、自家栽培の野菜で作ったサラダは美味しいですよと言われて、ココだと確信しました。とりあえず、お腹がイッパイだったので、そう断ってサラダとピザを注文したら、とても美味しくて、こんなコトならお昼を食べて来なければ良かったと後悔。ピザ好きな子供達にも食べさせたいと、帰りに寄ってお土産にしたいと、もう四種類のピザを御願いしてから、戸隠へ。

地球温暖化のタメか、今年も紅葉は遅れ気味で、少しもの足りなかったけれど、レストランの上から、徐々に紅葉のトンネルになって来て、心が晴れ晴れして来た。戸隠は、宝光社、中社、奥社と拝殿があるのだが、御参りしやすい中社で参拝。悠久の年月を思わす杉並木を歩くと、心が洗われる思いがした。

帰り道で、お土産のピザを受け取って、我が家へ帰ろうとすると、道は渋滞していた。ピザが冷めたので、オーブンで温め直して、子供達に食べさせ、残りを親達が食べて、後は寝るばかり。

タマには、美味しいモノを食べて、イイ空気を吸って、厳かな神社を参拝して、自然の息吹を満喫する様な、半日だけの「生命の洗濯」もイイものだ。さあ、これで張り切って、マタ明日からの一週間を乗り切ろう!!  
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2007年10月27日

呆れるばかりの話

時事通信のネットニュースによると、『自民党から民主党に、守屋武昌前防衛事務次官が29日の証人喚問に応じる意向を衆院事務局に連絡してきたと伝えた上で、「守屋氏の希望」を踏まえ、喚問中の撮影は認めるべきでないとの考えを示した。議院証言法は、証人の宣誓や証言中の撮影について、委員長が証人の意見を聴いた上で、委員会に諮り許可すると規定している。』省略するとこんな感じなのだが、タダでさえ茶番ぽい証人喚問は、やったというコトだけで終わらさせようとしているのかという感じだ。

政官業の癒着の話題は、もうウンザリなのだが、一くぎりつける前にマスコミ畑を歩いた人の本も紹介しておこう。
国税査察官
如何にして、大物政治家の贈収賄は世の中に認知されずに隠蔽されているのかというコトが、フィクションで語られている。

無論、モデルはスグに類推できるのだが。

絵画が政治資金にバケる仕組みも充分に書かれていて、日本には本物の文化が根付きにくい国なんだろうなと悲しくなる。

小説となれば、ソコソコ胸がすくようなラストが用意されているが、現実となると胸が塞がる話題ばかり。

中東は、マスマスきな臭くなってきていて、下手をすると第三次世界大戦の前哨戦なのかとすら思うのだが、荒れ出した中東の話題を正面切って取り上げるコトは、ほどんどのマスコミには望めない。

一般人には、新聞の国際面を目を皿の様にして読むか、ネットで外国の通信社などの情報をさらうしかナイ。

世界のジョーク集あたりに載っている有名な話に、「タイタニック号が沈没しそうになった時、女性や子供から先に脱出させるコトを男性に承知させるタメに、国別の話し方があり、英国人には「御客様はジェントルマンですから」と言い、ドイツ人には「それが決まりになってますから」とイイ、日本人には「皆そうしてますから」と言ったという部分がある。

前防衛事務次官の話題で国民の話題のガス抜きをして、主に米軍への給油や給水の問題は、「他の国々もやっているから」というコトで、本質を考えさせずに立法するつもりだろうと思う。薄給で働く人々が増大して、若者の海外旅行をする人数は低下し、安く安くというコスト意識から品質は低下し(車を買おうかと思ってディーラーに行ったら、メーカー保証の三年じゃ、今の製品は壊れやすいから、ゼヒ五年保証の保険を付けろと言われて、チョット怖くなって帰って来たのだが)、今や「メイド・イン・ジャパン」を胸を張って言える時代は終焉を迎えたのだろうかと、何だかうら寂しい気持ちになった、一日雨の土曜日でした。  
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2007年10月26日

本当にコレで大丈夫?

朝からTVは、「亀田、亀田」と大騒ぎしてますが、もっと取り上げる大事なニュースはナイのかと思う、今日この頃。昨日のブログでは触れなかったが、広汎性発達障害というコトで、卒業した学校に侵入して殺傷した未成年に判決が出たり、中部電力の浜岡原発の中止差し止め訴訟が敗訴した問題とか、考えるべき話題は色々とあるのに、なるべく難しく考えるべきではナイ軽い話題ばかりを選りすぐって放映しているみたいな感じだ。

そんな思いを抱いている人は、他にもかなり存在するだろうという気持ちにされたのが、こちら。
燃える氷
東海地震と富士山爆発というコトだってあるかもしれないし、エネルギーの枯渇問題や、食料不足など、近未来的に考えると様々な問題が存在しているとの警告を発している。

政府の方針を決める会議が、如何に自分の意向に沿った人選をするかというコトも含めて、『マイナス面を見ないコトにして、走り続けている日本丸は、果たして本当に座礁しないのだろうか?』と思ってしまう。

雑誌編集者の言として書かれている言葉、
低俗けっこうじゃないですか。スキャンダル、セックス、スポーツ、それになりよりも戦争。この四S路線は決してまちがってませんよ。大衆が興味があるのはそれだけですぜ。
確かに、こんな感じでおそらく国民はマスコミから見くびられているのだろうと思う。

ハラハラドキドキしたい人は読んで頂くとして、低俗路線をひた走るマスコミの報道がこのまま続けば、遠からずTV離れや、活字離れはマスマス加速されるだろう。

この小説の中に登場する様な、本当に気骨のあるマスコミ人が増加する様に、祈りたい気持ちでイッパイになった。  
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2007年10月25日

事実の重みは感じるが‥‥

鑑定医が供述調書漏洩の疑いにより逮捕されたコトはマダ記憶に新しいとは思うが(毎日が忙しく、驚きのニュース満載で過去のニュースを忘れがちな現代だけど)、話題の書を読んでみるコトにした。図書館で閲覧禁止になったら、読めなくなるだろうからとの思惑もあってのコトだが、あまり最新作を少しでも早く読みたいという方ではナイので。

著者は、以前に神戸の事件などの著作もあり、既に何冊か読んではいるので読みたいと思ったというコトもある。
僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真実
前にも、この事件の時に書いたが、場所が奈良であり大学時代の友人が惨殺された事件を思い出すので、あまり触れたくナイ話題なのだが。

とりあえず、少年の実の母が「医学界にいれば、将来医者になった息子に会えるのではないかと思って、離婚後に一念発起して医者を目指して研修医として働いている」という部分で、子供を持つ親として、大変だったろうなと思って涙してしまったし、それほど息子は離れていても、実の母親に愛されていたのだというコトを知らせたかったというコトは理解するのだが、それはそれとして、違う方法で少年に伝えればイイことであって、今回の本はノンフィクションという形よりも、フィクションという形で世に問うた方が良かったのではナイかと思ったりもする。

ホボ供述調書の引用のオンパレードというのは、果たして如何なモノか。確かに、この本を読むコトで、色々なコトは理解出来るだろうが、少年法を考えると、将来の更生にどう響くかは誰にも判らないコトだ。それを押してまで、出版する意義があったのかと思う。

確かに、国民には知る権利も存在するのだが、知る権利の対象は権力者に向けられるべきもので、人の人生を実験的に弄ぶコトは許されるのだろうか。

悪いコトをした人間は、少年であれ、どんなにいたぶっても構わない式の報道が続くが、読んだ限りでは「ボタンの掛け違え」があったのだと思う。DVの問題もあり、動機というモノは色々とあるのだろうが、どんなにタメになる本だとしても、法を破ってまで、この形態で出版するだけの必然性は薄いと思う。

「遵法主義」という精神が、乱れていると思うのだが、我々が安心して暮らすには、「適切な法律の運用と共に、法を守る」という精神がとても大事だ。当然、警察にも、「法を守って、貴賎の区別ナク悪を逮捕して欲しい」し、「冤罪」を無くして欲しいと思う。

我々は何事も「法律の範囲で行動する」というコトの意義を、子供にだけ押し付けるのではナク、政財官のトップから始めて、国民全体のモラルを高めないと、将来、「日本沈没」になりかねない。「国を愛するコト」なんかよりも、「学力向上」よりも、「人間として生きるに相応しいモラル」を持った人間になるべきだと、何時も思っているのだが‥‥  
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2007年10月24日

集団ヒステリーの恐ろしさ

昨日の新聞の同じ面に、中学校で二年生の生徒が暴力を振るって、一人の生徒の服を脱がし、携帯で写真を撮影して、他の生徒に送ったという事件も載っていた。

そちらの話もショッキングだったのだが、詳細が判らなかったので、続報をTVや本日の新聞で補足すると、「五人の生徒が、互いに負けたら他の生徒に頬を叩かれるという遊びをしている内に、激高してそうなった」というのが、学校側からの説明だ。

ともかく、半年近く経って、ようやく学校側が「いじめ」の事実を認めたというコトは、イヨイヨ隠し切れなくなったからかなと邪推してしまったりもするのだが‥‥

とにかく、呆れた言い訳が世の中に横行している。例えば、前防衛事務次官のゴルフ接待で、一万円を払ったの払わないのという話を聞いて、接待ゴルフなら賭けゴルフは当然だろうし、プレー代はタダ、ワザと負けてやった掛け金も存在するだろうと思うのが、一般的な考え方だろう。

今日、お見えになった御客様も、「世の中にその手の話はゴロゴロしているんだから、まずそういう話があったら、やられたという生徒の話を信じるのが当然でしょう」とコメントしてらしたが、担任が、生徒がいじめを受けた後、教室に入るのをためらうしぐさをしているのに気付いていたというのだから、担任としては、自分の失態を認めたくナイという気持ちが強かったのだろう。

「紀元会」のリンチ殺人事件も、その後の報道はコレというモノがナイが、我々の世代は「リンチ」というと、やはり「日本赤軍」のリンチ事件が、まだ頭の中に残っている。(学校に置かれた初めてのTVで、「浅間山荘事件」を見た世代なので)

洗脳された人間のリンチはとてつもナク恐ろしいし、集団になるとリンチしてしまう人間の習性も恐ろしい。

とにかく、他人事だと思ってはイケナイ。何時ドコで、こうした事件が周囲に起こるか判らない時代になってきているのだろう。

「それでも大丈夫な、神経の丈夫な子供に育てないとダメかもしれませんね」というのが、我々の会話の締めくくりだったのだが、こういう話を聞く度に「昔の子供で良かった」と思ってしまうワタシなのだが‥‥  
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2007年10月23日

ステロイド剤で自殺?

本日の「信濃毎日新聞」の第二社会面によると(ネットニュースにもあったけれど、紙面の方が詳しい)、長野赤十字病院で昨年二月に歯医者さんが、腎機能の低下で尿にタンパク質が出るネフローゼ症候群の疑いで入院し、別の薬剤とともにステロイド剤の投与を受けた。病院側は副作用として、気分が不安定になることもあると説明、その後、「飛び降りたい気分」などと訴え、同病院の精神科医が「ステロイド精神病の疑い」と診断。病室で不自然な行動を取ったのだが、精神病棟には移さなかった。その夜、病室の窓から飛び降り自殺したというコトらしい。要約すると。

今回の件は、遺族が慰謝料を求めて地裁に提訴したタメに記事になり、我々の知るコトとなったが、正直言って、「ステロイド精神病」などという病名があるコトなど、全然知らなかった。

巷の噂によると、長野市には以前、患者の貯金を不正に流用したというコトで、病院長が処分された精神病院(現在は内科や歯科なども併設している)があり、その病院が処分された時には、他の日赤などの病院は、重度の病人を斡旋出来ずに、かなり往生したそうだ。

つまり、軽度の場合はともかく、重度の精神病については、過去に処分された方の病院の方が治療実績はあるというコトは、知る人ぞ知る話である。

ココで、問題は裁判で争われるコトになったのも、被害者が歯科医師であり、裁判をするだけの財力があったから可能だったので、一般人だとしたら、こうした裁判を起こせたかどうか、というホド医療裁判は難しいという点にあり、それゆえに「ステロイド剤」がこんなに危険なモノであるというコトが、世間に認知されていないというコトだ。

通常、裁判というモノは、裁判所が和解を勧めるので、余程こじれないと医療裁判にはナラナイ。カルテを病院側がキチンと開示するとは限らないので、医療裁判で勝つコトは、民事裁判の中でも、至難のワザと一般に言われているから、裁判を断念する人も多い。

前から、外部の人間が裁判に口出しするのは間違っていると言っている立場ではあるが、結果はどうであれ、遺族の方々が裁判を起こしてくださったコトには、敬意を表したい。

ともあれ、「ステロイド精神病」という名前まで命名されているのならば、もう少しステロイド剤の取り扱いには、各施設に慎重になって頂きたい。

副作用があっても、劇的に治りやすい薬から使用したくなる気持ちも理解出来るが、患者とすれば、副作用がなるべく少ない薬からの投与を望みたいと、多くのアレルギーに悩む患者の代表選手みたいなワタシは思う。ともあれ、死んでしまっては、元も子もナイのですから、治療にはより一層の慎重さを御願いしたいモノです。  
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2007年10月22日

リスクテイカー

本日は息子の音楽会があったりして、更新遅れてますね。仕事もバッチリしたので、少々バテバテではありますが。さて、そろそろドンピシャな時が来るだろうと、しばし書くのを待っていたのがこちら。
リスクテイカー
少々、難解なのがタマに傷という部分もあるけれど、マネーに興味がある人は、ゼヒ一読すべき本。

アメリカの住宅バブルの崩壊で、日本の市場が荒れている今だからこそ、読んでみて欲しい。

話題のヘッジ・ファンドの実態などについて良く判るハズだ。

リスクを取るコトに喜びを感じる人だけが、投資の社会に身を投げ入れるべきで、そうでナイ人は、胴元である金融会社に勤めるべきだと思うハズ。

顧客に損をさせても、ツブれない限りは、会社はサラリーを払ってくれるのだから。

日本の金融会社出身の日本人と、ユダヤ系のロッカーと、チャイニーズ系の超天才科学者の三人組と、伝説のヘッジ・ファンド出身の慈善家、そして、日本の鉄鋼会社の財務担当者がイイ味を出している。

今の、投機的な金融社会への警告と、それでもグローバル的投資を無視出来ない現実。そうした諸問題が、下手な金融本を読むよりも理解出来る。

ともあれ、投機の世界で最期まで生き残るのは、かなり難しい。多くのその筋の有名人が、何時の間にか消えていく世界だ。

リスクを取ってでも、金儲けをしたい人は、読んでみるべきだろう。現実のエンディングは、どうなるかは判らないが、ドキドキしたい人は居るものだ。

ある程度の御金を手にした方が、人生に必要なモノは何なのかが見えて来るコトもあるハズだ。

自分の求めるモノが判らない人も、何かを必死でやったなら、結果はどうあれ見えて来るモノがあるというコトを実感するんじゃないかと思う。  
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2007年10月21日

大企業にツブされナイために

政官業が癒着していても、個人の生命に害を及ぼさないのであれば、多少は目をツブても仕方ナイとは思うのですが、そうやっていると徐々に問題はエスカレートして、「フィブリノゲン」による肝炎感染など、様々な事件に発展すると思って最近、毎日こんな話を書いてます。そのうちに、違う話題に行くつもりですが。

本日の話題はこちら。
偽装報告
誰が読んでもモデルは、三菱自動車のリコール隠しなのですが、おそらくこうした問題は多くの自動車会社にも共通しているんじゃないかという気もしましたが。

どうして大会社の問題は、ココまで大きくならないと、マスコミが取り上げないのか、みたいな話も書かれてます。新聞社の立場とかも書かれているので‥‥そして、落ちた犬を一斉に叩こうとするのは何故かも。

ある程度は予測の範囲内ではあるのですが、こうして書かれているのを読んでみると、社会の上層部に居る人々にとって、一般民衆などどうでもヨクて、自分の地位に執着したり、自己保身第一だったりするんだなぁと思いました。

ある意味、善人では社内抗争を生き残れナイ現実を思うと、やりきれなくなりますが、こうした本を読んで、多くの企業が「他山の石」にして欲しいと思います。

ちなみに、伊勢名物「赤福」は、昔は本当に餅らしくて美味しかったのですが、最近は水っぽい餅になって、さほど美味しくありませんでした。それでも、銘菓としてのブランドがあるから、お土産はホトンド買った人が口に入れないというコトもあって、問題視されませんでしたが、今回のコトで本来の味に戻して、細々とでも再出発できれば復活もあるかもしれませんが、ブランドというモノはケチが付いてしまうと、ナカナカ無理だと思います。

信頼というモノは、築くには時間が掛かりますが、壊れるのは一瞬だと思います。ともあれ、この景気が悪い時代を生き抜くタメには、価格以上に信頼とか、安全という付加価値が必要とされる時代になっていると思います。  
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2007年10月20日

金と巨悪の関係

少し前から、お気に入り登録していて、かなり読み続けているのブログの中の気になる記事がこちら。これからもう少し読み続けたら、「読みごたえあり」のリンク集に登録するつもりなんだけど、それにしても政治家はスゴイよね。コレじゃ、税金で払っている政治資金なんて、全く無駄だし、馬鹿みたいな気がする。「税金で払うのだから、政治はキレイになる」という話が、薄汚い金の上にマスマス上乗せというか、下手すると「盗人に追い銭」なのかとすら思ってしまう。

これを考えると、まだその筋の方々の方が愛嬌があるんじゃないのとすら思える小説がこちら。ちなみに、小説だからイイので、現実にはちょっと御近付きになるのは、御遠慮申し上げるけど。(防衛省の守屋前事務次官の接待問題とイイ、この話の警官とイイ、公務員も問題なんだけど)
暗礁
これは少し前に書いた「国境」の一年後という設定。武道派のヤクザと、堅気だけれどヤクザの大幹部の息子で建築コンサルタントのコンビの三作目。

小説の中では偽名の運送会社の名前が、参考本のトコでは実名という、実に大胆不敵な作戦に今回もニヤッとしてしまった。

ストーリーだけを追っていると気付き難いのだが、チャンと読むと一番ワルなのは、結局、政治家みたいな話になってる。

確かに、世の中は「欲」で動いているんだけど、ココまでやるかって感じ。命を賭けてまで、御金なんて欲しくナイからね。ワタシは。

ただ、小説として読むのはメチャメチャ面白い。そして、背後にあるドロドロを思うと、やっぱり政治家って、イイ人じゃ出来ないかもなんて思う。

でも、本当はそれじゃ変なんだけどね。「面白くてやがて哀しい」というか、『本当にコレでイイのか日本!!』みたいな気持ちにさせて頂きました。  
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2007年10月19日

殺人は人生をリセットするタメ‥‥

長野であったコンビニ殺傷事件の続報として、『信濃毎日新聞』によると、犯人は被害妄想の気があり、「こんな生活を終わりにしたい」というのが、犯行の動機だと弁護士が述べたらしい。

犯人には精神鑑定の可能性もあるそうだが、どちらにしてもこれからは、「人生のリセットを狙った犯罪」が増えるコトは間違いナイだろう。
OUT(アウト)
こちらも、最初から計画したワケではナイが、人生をリセットしてしまった小説だ。

当然、サスペンス小説なので筋は書けないが、今の世の中、自分の現在の生活に何とはナシに不満を持っていて、犯罪者になるコトで人生のリセットを考える人々は増加するハズです。

行き当たりバッタリというワケではナク、道を踏み外そうとしたら、簡単に道を踏み外せてしまったみたいな感じで、犯罪への道をスッと行ってしまう様な人が増えると思います。

要するに、他人に「No!」と言うか、自分で今のポジションを捨てさえすれば、それで済むのにナカナカそれが出来ない人々が、犯罪というステップを踏み台ににして、新たな人生へと羽ばたこうとする可能性があるのです。

無論、新たな人生はちっとも素晴らしい人生ではナイのですが、それすら思い付かないホド、追い詰められている人々が多いのではないか。

だから、ソコに標的があると思えば、簡単に「いじめ」に走ったりするんじゃないかと思います。

ストレスを他人にぶつけてしまえば、大体、犯罪になります。やはり、ストレスは緩和しなければなりません。

推理小説などを読むコトは、かなりのストレス発散になるハズなのですが、中にはその手口を利用しようとする人も居るでしょう。でも、小説と現実は違います。現実は話の様にウマクは行きません。実際、将来が見えないから現実もイイのであって、明日、食べるモノからするコトまで今日の内に判っていたら、生きていてもツマラナイと思います。

もし、自分の人生が判でつかれた様な人生だと思うのであったら、犯罪に走る前に何か一つ行動パターンを変えてみるべきです。小さな道草の時間を作れたら、人生はきっと少し輝いて見えるハズです。  
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2007年10月18日

イヤイヤでも謝罪されないよりマシか‥‥

人身事故になると示談の必要性があるからか、昨日の事故の相手が御主人に連れられて謝罪に来た。不服そうではあるが、それでも主人も少しは気がおさまったみたいだ。ボクシングの内藤選手の気持ちがヨク判る。

時事通信によると、母親と内縁の夫が、1歳だった長男の遺体をコンクリート詰めにして捨てたとして、京都府警に死体遺棄の疑いで逮捕されたというニュースや、昨日の小2殺害事件の話の絡みで書こうとしていたラスベガスの警察は15日夜、3歳女児に性的暴行を働き、その模様をビデオ撮影し指名手配されていた37歳男をラスベガス郊外で逮捕したというニュースなど、信じられないニュースばかりが世の中を駆け巡っている。

ちなみに、「タマをうて」なんてのは、関西なら「生命を奪え」というコトで、直訳すればもっと大問題になるのだろうが、関東なら「殺ってしまえ」というコトで、ピストルでも渡したのならともかく、あの場面での発言を一々揚げ足取りする報道の薄っぺらさを感じる。

大体、最初からあんなパフォーマンスに「No!」を突きつけておくべきだったのに、ヤーサンみたいな態度をさせておいて、『勝てば官軍、負ければ賊軍』みたいに手の平返しする根性にタダタダ恐れ入る。

子供のコロから、様々な職種の人々を間近で見てきたワタシに言わせて貰えば、亀田一家みたいにキャンキャン騒ぐ人間は、虚勢を張っているだけで案外脆い。それも見抜けずチヤホヤして、こうなったというのは、サークルに毛の生えた程度だったオウム真理教を、サリンを撒くコトが出来るだけの教団にしてから、散々叩いたマスコミを思わせるので、とても不快だ。

物事は何でも初めが肝腎なのだ。
国境
この小説は、北朝鮮のコトもある程度判るし、かなり面白い痛快アクション小説だったりするのだが、この中に出て来る強面の方々は、ケンカとなれば負けそうなら目潰しくらい平気でやる。

大体、ボクシングというのはスポーツとはいうものの、一般人が喜んでやりたがるスポーツとは思えない。リングで死ぬコトすらあるのだから。闘牛みたいに牛あたりならともかく、人間がやっているのはソレなりの背負うモノがあってのコトだろう。

自分は手を汚さないで、外野でワイワイやる人間が一番小汚いと、何時も思っている。内藤選手は立派だが、自分が一躍全国民衆知の時の人となったのは、相手が「ダーティ・ヒーロー」だったゆえだと充分知っているからだろう。

大体、今、ワイワイガヤガヤ騒いでいる人間で、内藤選手がタイトルマッチ保持者だったコトを数ヶ月前にチャンと知っていた人間は、どれだけ居るのか?

日本の「いじめ」の構図みたいな、亀田バッシングに加わる人間をワタシはあまり信用出来ない。光市の殺人事件のバッシングも似た様な構図だ。「ワルはワル」かもしれないが、イエス・キリストがマクダラのマリアに石を投げていた民衆に告げた様に、「汝らの中で、罪無き者のみ石を投げよ」と言いたい。

何事も、当事者の問題は当事者に任せて、外部は冷静に判断すべき問題だし、集団ヒステリーみたいな反応は、洗脳されて戦争を賛美した時代を思わせる。それを煽るマスコミは、大本営発表を流した時代に類似して来ているんじゃないか?

何事も文句があるならば、数を頼まず、一対一でも堂々と本人の前でハッキリと言うべきだ。自らは安全な場所に居て、蔭でコソコソ言う人間をワタシは一番軽蔑する。  
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2007年10月17日

アホ! アホ! アホ!

本日は少し余裕があって、明日も予約で満員だから、のんびりしようと思っていたら、主人から電話が‥‥「車、当てられちゃった」。

すると、ソコへこれからやって欲しいと当院の御客様最高齢の92歳の近所の御婆様(耳が遠いので、電話予約が出来ず、ココ何日か来ては車や自転車が置かれているので、逆戻りしていらしたのだとか)はお見えになる。

御婆様の整体を終えてから、慌てて主人を迎えに行ったら(レッカー移動じゃなきゃ無理なホド壊れた)、相手の信号無視した老婦人は、「信号が青だった」と言いはってたそうな。幸い、主人の後続の車の方が、「こちらの信号が青だったというコトは証言してあげますから」というコトで、携帯番号を書いたメモを渡してくださっていたので、警察も主人がそう話すと、現場検証もせずに事故処理をスッとしてくれたそうだ。

どうして自分の否を認めない人間がこうも増えたのか。

少し前も、兄を乗せて少しカーブした交差点を直進しようとしたら、対向車がこちらの車線を走って来た。最近は、こんなのばっかりで、運転するのに気を遣う。「アホばっかり運転している」と思っておかないと、幾つ身体があっても足りない。(ちなみに、ワタシの車に乗っていると、「方向指示器が出てない」とか、「センターラインを超えて走っている」とか、無謀運転している車を一々ダメ出しするので、子供達は「マタか‥‥」とうんざりしている)

加古川の小学二年生の女児が、家の敷地内で殺害されてというニュースは、とても意外だったが、こんな意見もある。
人は何故、人を殺すのか―若者らの罪悪感、反省心のない「器物破壊化」殺人の実態と背景を探る
元検事で弁護士の立場から実体験を踏まえての緊急提言だけあって、犯罪者を見過ぎているタメか、「子供に他人を信頼しない躾を徹底させる」べきという部分は、チョット極端過ぎると思うのですが、ワタシは常日頃、子供達に「世の中にはイイ人も居るが、悪い人の方が多いから油断してはイケナイ」と教えています。タダ、この部分は心に銘記しておいて欲しいと思います。
悲しい現実ですが、あなた方の子供・少年(人)は、まずもって、あなた方家族自身で守るしかありません。特に、小学校五、六年までの子供を持つ家庭は要注意です。
中でも、小学校六年以下の女子の児童を持つ家庭は一層要注意でしょう。それも小学一、二年の女児を持つ家庭は最大限の注意を要するでしょう。

世の中には、口を開けて獲物を待っている殺人犯人が、どこかであなたの子供を狙っているかしれません。隕石に当たって死ぬほどの確率しかないと高をくくっている人はいませんか。

あなた方の子供も一歩外に出れば、それはいつ誰に命を奪われるかもしれない戦場です。「まさかわが子に限って」との油断は取り返しがつかない結果とならない保障は、どこにもないのです。
何と悲しい世の中でしょう。でも、子供だけではナイのです。幸い主人は首が痛いとは言っていて、一応検査を予定しているものの、命に別状はありませんが、向こうは「信号を見落として、突っ込んで来た」のですから、万が一歩いていたとしたら、大人でも即死です。しかも、証人が居なければ、「赤信号を渡っていた」と言われれば、「死人に口無し」です。

「今の若者は‥‥」と言いますが、昭和16年生まれの年寄りでも(だからかもしれないが)、ヌケヌケと「白いモノを黒という時代」なのですから、老若男女全ての皆で、世の中を注意して生きて行くべきです。

本当なら、明日に備えてゆっくり休めるハズが散々な一日になりました。  
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2007年10月16日

宗教と金の関係

長野県のニュースが、全国トップになるコトが今年は結構多かったんじゃないか、それも悪い話で‥‥などと昨日思っていたら、確かにそれが「紀元会」かと聞かれれば自信はナイのだけど、何年か前にある宗教団体の話を聞いたコトを思い出しました。

宗教関係は、どうして意外なホドに力を持っているのかというコトにも繫がると思うので、記憶を整理して書き込むと、さる金融機関のかなりの地位にいた方の話として聞いたのですが、東信(長野県を4ブロックに分けて、群馬県に近い地域をこう呼ぶ)を本部とする神式の宗教団体が、その方のお勤めのトコに、口座を開設してもイイとの話があった。

ついては、一応信者にならないと預けられないというコトで、金融機関のお偉方達が大挙して入会し、その儀式に御布施をした上で、預金を獲得したという話。

その宗教団体名は聞かなかったのだか、忘れてしまったのだが、県外にも多くの信者さんが居てとかいう話が、今回の話とかなり類似している。もしかしたら、違う宗教団体なのかもしれないが。

で、本題はココからなのだが、「どうして、そんなにまでしないとイケナイのですか?」という素朴な疑問な疑問に、「信者が1000人いたとすれば、一人一万円でも御布施の額は一千万円。それが10万円なら、一億だからね」と答えられた。

言われてみれば、確かにそうなんだが、信心してない人間はお賽銭に、はした金しか入れない口なので、ちっとも思い付かなかった。

しかも、税金はゼロなんだから、考えてみればスゴイ御客様だ。加えて、普通の取引の場合は原価が差し引かれるのに、宗教絡みならばホトンド経費はゼロ。信者を取り込む環境を整えるタメに、立派な社だって作れるというワケだ。

ちなみに、これを飲めば難病も治るみたいな水を宗教と関係あるかどうかは知らないが、ワタシの近くでも無理強いする人は存在する様で、何ヶ月か前に御客さんのお仲人さんがガンになられた時に、御客様が近くに親類が居ないからというコトで面倒を見ていらしたら、ある方が、「これを飲めば難病も治る」と一本タダで見本として下さったので、お仲人さんは悪いと思って、一本はその後、購入したのだが、どうも見本の時と味が違う様な気がすると言って、それ以後購入しなかったら、「買わないから、ガンが進む」などと御客様が呼ばれて、なじられたと言う。「そんなコト言われたってね」というから、「相手は、充分に薬事法違反ですよ」と答えておきましたが、世の中には、人の不幸に便乗しようという輩の何と多いコトよ。

宗教に入信した人は、良いコトは教主様の御蔭、悪いコトは自分の信心が足りないからと、どちらに転んでも、セッセと御布施を上げたがるけれど、外部から見たら「とっても変だ」としか思えないのですけどね‥‥  
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2007年10月15日

驚くべき話

世の中には色々な話があるもので、昨日書き忘れたけれどこんなニュースもその一つだったりする。小説家がリアリティを求めても、ソコまで行っちゃダメでしょうが‥‥イヤ、実話をリアリティ満載で書いて小説家になったのかもしれませんけどね。

とにかく、世の中は叩きやすいトコを叩いて、ナカナカ巨悪を叩こうとしないから、ワタシ的には不満なんだけど。八百長で興行成績を伸ばしていた若者やその周りの集団に、ワイワイガヤガヤ言うよりも、本当に正すべきは「政治と金」だったりするのにね。(ちなみに、「亀田問題」など論評するに値しない問題だと思うんだけど、しつこくやってますよね)

前首相が参議院選挙の投票をズラした御金や、国会を空転させた御金なんかと比べたら、国民に与えた影響はものスゴク小さいのに、そっちは少しだけ騒いでシカトしているから、物事は巨悪に都合がイイ様になっちゃうんだなとしっかり思わせて頂いたのが、こちら。
蒼煌
ちなみに、入門した力士が急死した問題を含めて、警察の対応が問題になっているこの時期、一番今読みたいと思っているのが、同じ著者の「悪果」だったりするんだけどね。愛知県警は中学生が五千万円恐喝された時とかでも問題になりましたが、色々と疑惑があると言われている大阪府警の本なんて、とても読みたい限りです。

本を手にしたのは、装丁が素敵だったからというのが最大の理由だったりするので、読み出したら完全に著者のファンになりました。今まで、読んだ覚えが無かったというのも不思議なのですが、行き当たりばったりで本を選ぶのは、あまり色々考えナイ性格ゆえでしょう。

この本の中で「グレープ共済」というネーミングが、一番笑える。確かに、昔は「ファンタ」には、「グレープ」と「オレンジ」しか無かったからねみたいな。

芸術家というのは、ドロドロの部分もかなりあるとは知っていましたが、こんなにまでドロドロとは知りませんでした。

絵画は、絵が気に入ってから著者名を確かめるコトにしているので、ワタシには芸術院など箔が付いているかどうかは、全くの無縁なのですが、「あら、マァ」と言った感じです。

長野県の東部にある小諸市では、母親を家族で殴り殺したという不可思議な事件が、「紀元会」という宗教団体の集団暴行というコトになって騒がれていますが、ゼヒとも長野県警の方々に真実を暴いて欲しいですね。長野あたりでも、景気が悪くなってからは、羽振りのイイのは宗教関係だけと言っても過言ではナイかもしれません。

京都の御寺さんも「ホンマに、ドロドロやわ」みたいな感じです。本当に我々庶民は、何を信じたらイイのかなという感じですが、とりあえず「自分で自分を信じて」行きましょう。それが一番裏切られずに、他人に足元を救われずに済む道なんですから。  
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2007年10月14日

ヤバくても金儲けしたい人に

自分で犯罪に手を染めるのは、面倒なのでイヤなのですが、そういう方々の話を読むのは結構好きです。何故なら、スリルを味わえると共に、そうかこういう人達が居るんだから、人生は注意して生きようと思わせてくれるので‥‥オレオレ詐欺に引っ掛かるのは、『自分は大丈夫』という過信している人に多いのですから。

合法なのか、違法なのかのジャンル分けまでしてくれて、様々な裏稼業の起こし方などなどを説明してあるのが、こちらの本。
仕事師たちの平成裏起業
何せジャンルが多岐に渡っている。当然のコトながら、「架空請求ビジネス」に始まって、「トイチ金融」「ケータイ出会い系サイト」「中国エステ」「デリバーリー・ラブドール」「競馬予想ソフト」から「偽バイアグラ」など31種類(序章の暴力団兼ベンチャービジネスへの投資家さんまで含めれば32種類)のフツーでない方法の起業や裏話について書かれている。

ちなみに、人生のある時期に羽振りのイイ時があると、レベルダウンはキツイからその辺は覚悟出来ないとダメだと思いますけどね。

幾ら刑務所が民営化されたとしても、あまり入りたくナイ場所だろうから。

とにかく巨悪はのさばっても、一般の悪人は捕まってしまうというダブル・スタンダードな世の中なんだというコトを頭に入れとかないとね。

おまけに、この後に読んだのが、期せずして巨悪の方々の物語だったりして、ブログに書きたいコトはイッパイあるけど、最近、季節の変わり目らしくて、本業も忙しく、こちらの体調も思わしくナイので、その話は明日。去年まで、どんなに忙しくても、一日二度の更新をしていたのがウソみたいだ。一年で老けたワケでもナイのだが、やっぱり歳なのかな。

ともあれ、商売柄「他人に無理は禁物です」と毎日言ってて、本人が無理するコトもナイんだからね。

追記・それでもスポーツの試合は、簡単には八百長ばかりじゃ生き残れないと示してくれたチャンピオンに感謝! 皆、判っているんだから、「負け犬」に石を投げつけるのは大概にしといた方がイイと思う。  
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2007年10月13日

推理に自信のある方に

若いコロから、かなりの読書好きで、歴史モノからミステリー、雑学などなどジャンルは広くどれ位の本を読んだか数え切れないホドなので、ミステリーは手口はともあれ大体犯人の目星だけはつけられるのですが、今回は完全にお手上げでした。
硝子のハンマー
話のスジ的には、少々の無理もあるかもしれませんが、女弁護士とコンビを組んだ防犯コンサルト兼○○の二人組は、今後シリーズにも出来そうな感じです。

ミステリーなので、詳しく書けないのがとても残念ですが、我こそは「推理の達人」という自負のある方は、ゼヒともお試しあれ。少なくとも、防犯に気を付けようという気持ちには必ずなると思います。

とはいえ、犯罪に遭わないタメには、大金などを持たないコトですね。少なくとも、自宅などに置かないコト。

世の中には、大きな金庫を盗まれたなんて話がありますが、裏金で表に出せないお金ならともかく(盗まれても自業自得でしょうから)、金庫を買うタメに大金を出すならば、銀行の貸し金庫にでも預けるべきでしょうね。

別に銀行の回し者ではありませんが、あり得ない高利回りに釣られて元金を全額盗られてしまったりするならば、利息がゼロでも元金を死守した方が確実です。他人に御金を預けるなら、確実に帰るトコ以外に預けるべきではナイのは当然だと思うのですが、慾に目をくらます人々が大勢います。

「無欲は大欲に通ず」ではないですが、変に欲をかいて大損する人の如何に多いコトか。

入って来た御金よりも、使う御金さえ少なければそれで充分生きれるのですから、無駄な御金を使わずに生きる。それじゃ、人生面白くナイと思う人は、使い切っても構わないというだけの御金を全てスッてもイイつもりで、何にでも賭けてみるコトです。

自分が負けたらスッテンテンになっても、それは自分のせいなんだから、スパッと諦めるコトです。それだけの覚悟があれば、逆に変なトコに御金を回そうとは思いません。

何はともあれ、犯を冒してビクビク暮らすくらいなら、真面目に生きているのが一番楽です。お楽しみは、空想の世界だけに置いといて。

それでもという人は、明日の本をお楽しみに。それはそれは世の中、色々な商売があるみたいですから‥‥  
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2007年10月12日

原子力の脆さ

小説を読んだり、ドラマを見ていて、「フィクションで良かった!」と思うコトがママあるけれど、中にはこれって「フィクションぽいノンフィクションだったりして‥‥」と思うモノもある。本日の本はどっちか迷う感じ。
ジャパン・シンドローム
題名がもう少しインパクトがあると、もっと爆発的に売れただろうにと、チョット著者に気の毒だったりする。

今回の地震による柏崎原発の損傷とか、東海村の放射能漏れとかが、我々みたいな一般人に公表されている事態よりも深刻だったのでは‥‥という話は、前から噂で流れてはいるけど、この小説を読むと『そうかもね』と思ってしまう。

この前「M8」の時に、原子力関係の話がナクても、この位スゴイのに、放射能漏れがあったら、おそらくシュミレーションされたよりも、もっと悲惨なコトに日本はなっているだろうと書いたけど、正にそんな気がする。

原子力発電所については、勤務している正社員よりも契約社員とか、季節労働者への被曝が指摘されていて、健康チェックがチャンと行われているとは言い難いトコもある。

この本はノンフィクションではナイので、ネタばれを防ぐタメにこれ以上深くは書けないが、おそらくこの本を読むと、日本の政治の貧困さとか、政財界の癒着とか、様々なコトを思う。

そして、真実はナカナカ一般人には教えられないのだろうなという諦めも生まれて来るのだが、とにかく、世の中には金銭欲や権力欲などのタメならば、どんな犯罪もやりかねない人々が多数、世の中の上層部で暗躍している可能性だけは、チャンと心の隅に置いておいて、世の中の真実に近いモノを掘り出し続ける努力をするしかナイのかもしれないと思う。  
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2007年10月11日

現場の重み

本日は、御客様から「イノシシの肉の佃煮」を頂戴して、とてもハッピーな気持ちになっております。猪の肉って、豚肉よりも味が濃くて、とっても美味しいんですモノ。オマケに隣の市で捕獲された野生の肉なので、とってもコクがあるんです。

という話は置いておいて、本日はかなり硬めの本です。一般的には、あまり読まれにくい本だと思うのですが、レビューが結構あるのでかなり読まれた本なのですね。ちなみに、イメージが湧くだろうからと文庫本の写真を出しましたが、読んだのはこちらの単行本です。
狂気という隣人―精神科医の現場報告 (新潮文庫 (い-84-1))
淡々と書かれていて、とても読みやすい文章です。

要するに、世の中には一定割合の精神病患者が産まれて来る可能性があるというコトを知り、精神障害者が無罪なのであれば、それなりの処遇をする専門的な施設が必要なのではないか。日本には、そういうチャンとした施設とか、精神科の救急体制が遅れているというコトを書いているのですが、一番感銘を受けたのは、こちらの言葉。
日本にはマスコミ好き・テレビ好きで犯罪マニアのための「鑑定屋」をしている精神科医は何人かいますが、彼らはほとんど現場での治療経験がなく、実際の役に立つとは思えません。
というくだり。だからと言って、この先生が万能というコトもナイでしょうが、マスコミで活躍する医師とか弁護士の意見を鵜呑みにしないコトが大切です。

世の中の真実というモノは、簡単に理解出来るホド単純ではナイし、編集されたTVのVTRだけを見たダケで、世の中のコトが判った様なつもりになるのは、危険だと言うコトです。色々な角度からの発言を聞く努力や読む努力をしても、物事の真実に辿り着くのは難しいというコトを、何時でも心に刻んで欲しいと思います。  
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2007年10月10日

報道では判らないコト

物事は、多角的な見方をしないと判らないというコトが、昨日のメインだったのですが、何となくそういう感じで終わりませんでした。で、同じ物事でも見方が違うとこんなに違うという本が二冊。
それでも少年を罰しますか
こちらを読み掛けていて、読みかけの本を置いて休みで実家に実家に行った時に読んだのがこちら。
殺人心理
二冊比べて読んでみると、やっぱり報道というのはセンセーショナルに偏りがちだし、伝聞に尾ひれが付いてみたいなトコがありそうだ。

何度も、光市の裁判についても冷静に裁判を見守ろうと書いているけれども、弁護士というのも本当に大変な仕事だと思う。最初の本は神戸の連続児童殺傷事件の弁護団長が書いたモノなのだが、センセーショナルな事件を受け持つと、トンでもナイ嫌がらせも沢山あって、弁護士の家族に対する恐喝なんかもバンバンある。

どうして裁判に対して、冷静になれない人がこうも多いのかと思ってしまう。とにかく、どんなに弁護側が荒唐無稽な話をしても、それを覆すだけの物的証拠などがあればイイのだし、警察や検察共に、全ての取調べをビデオ撮影しておけば、これからの裁判員制度にとっても役に立つハズだと思う。

画像というものは、本当かどうかを余程の役者じゃない限り、言外に語る部分を捉えるので、犯人かどうかを判断するのに、「自白している部分」だけじゃなくても、必ず効果があると思う。

例えば、嘘を付く時にこの人はこういう行動をしやすいという信憑性のある証言を得られれば、その画像の中でそういう部分を見つければ、第三者でも理解しやすくなるだろうし。

少なくとも、「神戸の連続児童殺傷事件」の犯人の子供が「こわがりの少年」で、中学三年生なのに、ベッドの周りにぬいぐるみをたくさん置いていて、猫は虐待し出来るけれど、「犬はかまれるかもしれないからこわい」という発言をしていたというのは驚きだ。

こういう本を読むと、やっぱり裁判には弁護士が必要だし、ともあれ日本の裁判においては改悛の情のあるナシで罪状が違うのだから、光市の裁判で弁護団が取った戦術が被告人にとって有利であるかどうかは判らない。裁判官の心象を悪くすれば、それこそ「死刑宣告」という可能性は逆に充分にあるのだから、その辺を思うと部外者がワイワイ口を挟むべきではナイと強く感じる。(ワタシ個人的には、死刑になろうとなるまいと、裁判所が出した結論を周囲は受け入れるしかナイと考える。何故なら、日本は法治国家なのだから)

被告人を裁きたい人は裁判官になるべきだし、犯罪者に罪を与えたい人は検事になるべきだし、犯罪者を救いたい人は弁護士になってから、何でも言って欲しい。外野で色々言うコトは、卑怯なコトだと思う。どうしても何かを言いたいのであれば、裁判の全てを傍聴してから言うべきだと思う。

だからかもしれないが、後者の本は、何となくこんな感じという部分だけで対談しているみたいで、今一つ物足りなさを感じてしまった。「マスコミに登場する心理学者、精神科医らの多くは、一般論でしか語れない」という言葉の方が、逆に心に残った。裁判は一般論で裁くものではナク、個々の事件なのだというコトを改めて二冊の本に考えさせられたのである。  
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2007年10月09日

「リフレイム」という考え方

さて、今どきの子供達について、嘆いてばかりでも困るので、こんな本も読んでみました。「アドラー博士の 子どものEQの高め方―頭のよさ(IQ)より、賢さ(EQ)が子どもを伸ばす」これは前に書いた、
EQ―こころの知能指数
を日本の子供の行動について、判りやすく書いた本とも言えます。

この中で、心理療法の「リフレイム」というコトが説明されています。カメラとかのフレームで見た景色を考えると、カメラの位置を変えると同じフレームで見える風景は違うというコトでしょう。つまり、物事に対する見方の枠組みを変えると、全然違って見えるということです。

月も夜見ている輝いている部分は平面ですが、実際は球形ですし、見えない裏側も当然存在しているのです。

要するに「イイ子」というのは、子供の見える部分だけを平面的に見ているに過ぎません。その部分だけを強調されてばかりいると、子供は身動きが取れずに、陰の部分も見て欲しいと爆発するコトもあるのだというコトなのでしょう。

ともあれ、本を読んだ時に、そのまま鵜呑みにするコトもおそらく問題なのだと思います。必ず、『本当にそうかな?』と自問自答して読まないと、オウム真理教に傾倒した青年になってしまう可能性も示唆しています。

ちなみに、この本の中で、
ある女性の体験談ですが、どこかの学校へ行って女性の校長先生と面会したとき、男性の教頭先生がお茶を入れて出してくれたのです。彼女はいたく恐縮してしまったのですが、校長先生にいわせると、それは教頭の役目だということでした。なんだかとても落ち着かない気分で、私が代わってあげましょうかといいたい気持ちだったといいます。
人によっては考え方はいろいろあるでしょうが、いまの日本社会のあり方でいえば、飲みたい人には基本的にセルフサービス、しかし外部からの来客のときには、手のあいている女性が入れて出すというのが、無難なところではないでしょうか。
というくだりについては、首を傾げてしまいます。別に、女が入れるべきというトコに反応しているのではナクて、もうすぐ90歳になろうとしている父親は、自分で紅茶を飲みたいと思えば自分でやるだけでナク、ワタシにも「飲むなら入れてやろうか?」と言うからです。ワタシは、「自分でやるからイイ」と遠慮しますが、父にとってみれば、どうせやるのだから、一人でも二人でも大した違いはナイと考えているだけで、男女の役割分担という発想自体がナイのです。

そういう父親に育てられていると、別に女の校長先生に面会に行って、男の教頭先生がお茶を入れてくださるコトは、教頭先生がお茶を入れてくださったというコト自体には恐縮しても、男性が入れてくれるというコトには反応しないと思います。逆に校長先生に入れて頂くなら、もっと恐縮してしまうだろうと思うので。

ジェンダー教育というモノも、全て親が子供に仕込むのだというコトを考えさせられたという意味では、ワタシも「育てられた様に子は育った」というコトなんでしょうね。  
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2007年10月08日

この親にしてこの子あり?

昨日のブログで、絶対的価値観から相対的価値観に移行しつつあるという青少年達の実話みたいな本です。
増補「いい子」の非行―家裁の非行臨床から
ちなみに読んだのは、2000年刊の本で、増補版ではありませんが。

とにかく、法律を犯すというコトに対する罪の意識の低さ。それが、罪を犯した子供達だけじゃなくて、その親の反応がスゴイ。とても信じられないんですけどね‥‥「信じられない。あんないい子が!!」と言うお決まりのパターンで、被害者に対して済まないコトをしたという気持ちが先に来ないというか、弁償や補償はしても、『だから穏便に済まして下さい。子供の将来を傷付けナイで』という気持ち丸出し。 被害者の気持ちになって反省するといった「他者への共感」がまるでナイ。

こんな親じゃ、『子供が口先だけで反省の言葉を述べるだけで、ちっとも反省しない!!』という気持ちになるのも無理はナイ。家庭裁判所の調査官というのも大変な仕事だ。反省のナイ子供に、真の反省をさせなければナラナイのだから。一般的なイイ子(成績が良い子だったり、スポーツが得意な子だったりして、親の自慢だった子供)の非行のパターンは、
(1)非行の態様
複数による犯行のため、個人の責任感が薄められ他の者のせいにする。弱いものを徹底的に攻撃する特殊警防やバタフライナイフなどを用いることもある。被害者に対しひどい怪我を与えても「血の通った人間とは思わない」と言い、被害者をガラスや石ころのような無機質なものとみなし、相手に無頓着である。
携帯電話やポケベルが利用される。ジャンケンで役割を決めるなど、極めて遊び感覚である。
(2)動機
「やらなくてもよかった」などと、動機がはっきりしない者もいるが、たいていは、日頃抑圧としていた攻撃的な衝動を発散させるためである。「明日からの勉強、運動などに弾みがつく」という者もいる。非行によって勉強や運動部の「疲れを解き放したり癒す」というのでは、犯罪行為と他の日常的な行動との境界線が失われていることになる。
(3)非行集団の特徴
暴走族のように、先輩と後輩のタテの関係があったり、集団の「きまり」があるわけではない。緩やかな集まりである。駅前、公園、コンビニエンス・ストア、カラオケボックスなどでたむろしているうちに、いつの間にか集団ができる。仮に親しい者同士であっても、普段の生活では互いに深入りはしない。とりとめのない話をする程度である。孤立した者がただ寄り集まったといってもよい。リーダーが不在なために制御がなく、それが思わぬ結果を招くことがある。
(4)非行後の態度
瞬時に「まじめな自分」に戻る。「被害届けはでないはず」「見つかるはずかない」とまともに信じ、発覚したことが「おかしい」などと幼児的な反応を示す。
他人のことのように話す。「悪いことをしたのは別の自分である。本当の私はまじめに勉強する生徒である」と言い、現実と「本当の自分」との間にまったく別の自分をもうける。だから、自分自身の行為と真剣な対峙がない。
「事件はなかったことにして、これから勉強をドンドン頑張る」とも言い、自分が行った行為を記憶から抹消しようとする。
(5)親の一般的な態度
「わが子が犯罪を犯すわけがない」と言い、事実を直視しようとしない心理が強くはたらく。まず、わが子が大学進学のルートから外れないかと心配し、被害者あるいは社会に与えた迷惑のことが二の次になる。自分たちは間違っていないという自負があるので、己の教育の在り方を振り返ることができない。
というコトで、正に事件にはナラナイけど、学校で問題だと思われている親と子供に共通する部分が多い。結局、「いい子」だと思っているのは、妄信している親だけで、周囲のクラスメートあたりから事情を聞けば「さもありなん」という証言が、ポロポロ出てくるのではないかと推察される。

学校側の「全く問題のナイ子供」でしたと言う発言は、「単に我々は知りませんでした」という言い逃れに過ぎないのと似ていて、誰も問題を起こしたくなる子供達の気持ちを理解してあげようという周囲の人間が居なかったというコトではナイだろうか。だから、誰にも止められずに、警察沙汰になって初めて気付くなんてコトになるのだろう。

予兆が皆無というコトは、ホトンド無いに等しいので、親はチャンと子供の行動には、目配りをするコトが大事だし、こんな馬鹿げた親子の被害者になった人々は、本当に泣いても泣ききれない気持ちでイッパイだろうと思う。  
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2007年10月07日

今どきの女子中高生

今の日本の子供達の規範は絶対的規範から、相対的規範へ移ってきているらしい。
日本の女子中高生 (NHKブックス)
何もかも、「その人の自由」という選択肢が与えられているみたいだ。

確かに、絶対的規範が無ければ、人を殺すのもその人の自由だし、万引きするのもその人の自由、売春だって、何だってその人の自由というコトになりかねない。

ちなみに、殺人がその人の自由であるならば、自分をも殺されても仕方ナイというコトになるのだが、不思議とそうは思わないらしい。

殺人が罪だと定められたのは、根本的に皆が平和に暮らしたいと思うからで、「殺人」の権利が認められたら、恐ろしくてオチオチ寝てもいられなくなる。(親子の関係の悪い人の中には、寝る時に怖いと思う人も存在しているかもしれないが‥‥)

プチ不良が大流行なのだという。
子どもたちは、まじめを嫌います。ちょっと不良っぽい、少し崩れた子がいいんです。男なら、腰パンとか、靴のかかとをペシャンコにして履いているとか。女の子なら、スカートを少し短くしているとか、乱暴な言葉をつかうとか。
と養護の先生が話しているが、確かにその傾向はあるみたいだ。

クラスの大半がそうなると、それに抵抗する人間はハネられるので、同化する傾向が高いらしい。メチャクチャな不良になって、将来を台無しにするつもりはナイが、適当に先生や親に反抗しているというコトが、ストレス発散になるらしいのだ。

そして、友達とタイトに結ばれるコトは減り、皆、別々に並行遊びをしているらしい。本当の集団は消滅して、個人がバラバラな気持ちを抑えて、群れているだけらしいのだ。

確かに、そんな傾向はあるみたいで、我が家の子供達の話もそれを裏付けている。親友だと思っていたとしても、互いの人生がバラバラになるにつれて、どうせ疎遠にになるのだからイイではないかと言われればそれまでだが、互いにゲーム器を抱えて一人遊びしているうちに、側に誰が居てくれる気配は望ましいが、誰かと深く関わりたくナイというのは、現在の『非婚人口の増加』に繋がる、究極的な原因なのかもしれないと思う。  
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2007年10月06日

キャラ分けされる若者達

麻生太郎さんが、「キャラが立ち過ぎて‥‥」とアキバで叫んだので、多くの御年配の方々も「キャラ」って何だろうと思ったりしただろうけど、今の若者達の「キャラ」に関する考え方は、単なる「個性(キャラクター)」から変化して、「他人に見せる個性(ペルソナにより近付いているのか?)」になりつつあるらしい。
キャラ論
これを読んで思うのは、若者の友人関係が稀薄になっていると言われて久しいが、仲間という関係はあっても、ナカナカ親友と呼べる友達は出来にくいのも当然かもなどと思った。

仲間同士で、キャラがカブるのは避けたいとか、カブったら違うキャラを探すとか、本当に「芸能界で売れるタメにはどうしたらイイですか」的な発想でとても驚く。

「素(す)の自分」と「キャラ立てされた自分」との使い分けに、気を遣っている毎日では、本当に疲れるだろうと思う。

子供が小学生の時から、中学生は(特に女子は)友人関係がとても複雑で、大変で、目立たず、皆と歩調を合わせるのに戦々恐々としていると聞かされていたが、我が子が二人共、中学生になって久しいが、男も女も昔と比べると、とても毎日、「お疲れさん」という感じだ。

昔だって、仲間ハズレにされるとか、色々なコトは無かったワケではナイけれど、それでも、ある程度ノビノビと暮らしていて、グループ同士でそれなりに気の合う仲間とワイワイやっていた様な気がする。

別に、あの人のキャラはコレコレとか決め付けなかったし、互いに相手は「まぁ、こんな性格」程度に把握していて、無理に相手を刺激しようともせず、相手を無理やりヨイショする必要もナク、普通に気楽に話していたハズなのに、何時から、こんなに窮屈になったのだろうかと不思議になる。

「空気をしっかり読んで、しっかり行動」なんて、ちょっと変。「空気なんて、それなりに読んで、普通に行動出来た」ハズなのに、例外を許さなくなっているのか、それとも何なんだろう?

こういう時代だと、「オタクキャラ」に逃げ込みたくなったりするだろうなと思うのだが、「好きが高じてオタクになるんじゃナク」て、「オタクやろうかと思ってオタク化する」というのは、やっぱりかなり変ですよね。

昔の人間だから、そう思うのかもしれませんが、「自分のキャラを考えて、それに合わせて行動する」なんて、とっても疲れそうです‥‥  
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2007年10月05日

生きるって結構大変だったりする

ベルギーで「デス・ノート」の模倣犯が「WATASI HA KIRA DESS」という別々の色で書いた二枚の紙と共に、公園にバラバラにした遺体の一部を捨てたというニュースを読むと、日本でも外国でもモヤモヤとした気分を、『殺人の模倣という形でスッキリさせたい』と思うんだよなと感じた。(DESUじゃなくてDESSというのは日本人じゃ思わないスペルだけど)

犯人像を勝手に類推すると、おそらくこの小説の真犯人に類似した人物かなと思ったのが、こちらの本。前に著者の反響がかなりあり、コメントにも「キスケさん」から書き込みがあったので、読んでみた。
永遠の旅行者 (上)
上下刊を一気に読破。大金があっても、幸せにはなれない人物が大勢登場している。

世の中って、貧乏も大変だけど、お金があり過ぎるのも相手を信じられなくなりやすくて大変だったりする。

そういう人物を現実に過去に見てたりするから、特にそう思う。

税金を払わない一番合法的な方法は、税金に頭を回さなきゃならないホド、働き過ぎナイことだと思ってしまうワタシには、別世界のとても楽しい読み物だったりするんだけれど。

個人的には、相続税を払わずに済む程度の財産を代々残して行くコトにして、お金の有難みを知りつつ、生きるに困らない程度の仕事をして暮らすというのが、一番人間的な生活が出来るという気がしてならないのですが‥‥

相続人の数にもよるけど、一億円あたりまでなら相続税はかからないだろうし、多額な遺産は、人間を堕落させるしね。

シベリア抑留の話は、戦争を知らない人には悲惨だろうけど、父親も抑留から生き抜いた人だからある程度は聞いてたけど‥‥

ともあれ、『毎日働かないとイケナイのは大変だけど、仕事というのは「やりがい」に繫がるから、仕事さえ選べば疲れるけど、結構楽しい』と言い聞かせて、楽しい読書を励みに毎日生きているケド、何かそういうモノを見つけさえすれば、「殺人」なんか犯さずに生きれるハズなんだけどね。

「正当防衛」というコトはあっても、「殺人」を実行するには普通かなりの動機が必要だけど、今は「動機が持てなかったり」するのが動機になる時代なのかもしれませんね。  
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2007年10月04日

人生最後の砦って‥‥

「福祉の最後の砦」でもある場所が、なんと刑務所だなんて、世の中ホントに変。刑務所が過剰収容になっている現実を思うと、ドッと疲れが‥‥
犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)
この本の中の「厳罰化がつくり出した刑務所の現実」を読んで驚いたなんてもんじゃナイ。

刑務所の人員は過剰と言われる位なのに、懲役刑という強制労働を科せる元気な受刑者が不足しているという現実。

ほとんどの受刑者が何かしら作業場の支障をもたらす問題を抱えている、高齢者とか障害者とか日本語がしゃべれない外国人なのだそうだ。

本当に凶悪な犯罪を犯した者は受刑者の一部、社会的サポートがなく、何らかのハンディキャップを持っているため社会で自立できない人たちが、食うに困って万引きして、刑務所に収監というコトが、起きているらしい。

経済不況の緊縮財政下において治安維持費を増額するために、福祉・教育予算が犠牲になっていて、それゆえに刑務所に収監される人物が増えているとしたら、まるで馬鹿みたいな話だ。

フィンランドの様に、所得格差が少なく、社会保障費の割合が高く、人や社会に信頼感を持っている国ほど、刑務所人口が少ないというのに‥‥

刑務官は、高齢な受刑者が増えるに従って、病死する受刑者が増え(受刑によって死亡したのではナク、一般社会で死亡するハズの人が、刑務所で死亡する様になったという呆れた現実ゆえに)ても、それが仕事というコトで、受け入れを拒否したり、たらい回しをするコトも出来ず、最期をみとり、死亡後には、出来る限りの手段を駆使して親族を捜し、遺体の引き取りを拒否した場合は、刑務所で葬式をして、遺骨を墓地に埋葬し、年に数回の墓参りも欠かさないのだという。
これほど面倒見の良い場所はほかに存在しないのではないだろうか。
と著者に言わしめているのだが、コレって本末転倒ですよね。
地域社会(コミュニティ)がセイフティーネットからこぼれた社会的弱者を不気味な不審者として排除する以上、不審者の行き着くところは、山や無人島にこもるか、何か違法行為をして警察に捕まるしかない。
いったん刑事司法の手続きの流れにのってしまうと、後は、他に受け入れ先がない限り、絶対に受け入れを拒否しない刑務所に集まるのは自然な成り行き
だとするならば、日本が進むべき道は、単なる厳罰化だけで刑務所だらけの国になるのか、それとも、フィンランドの様な国を目指すべきなのか、答えは自ずから出て来ると思うのだが‥‥  
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2007年10月03日

何でもありの世の中だと思う

小学校の教頭が、アダルト写真の投稿雑誌で「神」とあがめられ、「アスピリンスノー」と言う名で「ナンパの仕方」を教えていたなんてコトが話題になる時代なのですから、物事は百八十度転換して考えなければナラナイ時代になっているのかもしれません。

厚労大臣と市長のバトルもマタしかり、「年金をネコババするなんて言語道断」ではあるのだが、ある一定の割合で泥棒したくなる人は存在すると考えるべきなのかも。

銀行などが、金持ちの娘や息子を就職させるのも、そのタメで金持ちの方が泥棒しないだろうというだけではナク、「盗ったら親の金で穴埋めしよう」と考えているからという話を聞いたコトもある。

良くはナイが、人間だから魔がさすコトもあり、その時にどうすべきかという対応が出来るか否かだろう。会社の信用問題になるので、返済出来なかった時のみ問題になるだけで、全額弁償させて、会社はクビというのが、結構あるらしい。

少なくとも、市町村の様に、そのまま働かせるという選択はナイだろうが、穴を開けないという事前準備が不足していたのかもしれない。

当然、モラルは遵守されるべきだが、政治家の方々は返金さえすれば、無かったコトにしているのだから、そういう考え方が蔓延するのは無理はナイ。

盗むコト自体が罪なのだから、弁償しても罰は軽くなるかもしれないが、罪は消えないというのは、当然のコトだ。

当然、贈賄事件とて、返せばイイというものでナイことも自明のコトなのだが、世の中には法律を遵守せずに、ねじ曲げようという人々がとても多い。

犯罪が多くなった、極刑を求むというのであれば法律を変えればイイのだし、贈賄が当たり前だと思うのであれば、そちらも法律を変えるべきだ。

ソクラテスが「悪法も法なり」と死罪になったのは立派であり、どんな法であれ、守らなくては法治国家は成立しない。

無茶苦茶な理屈でテロ特別措置法を通そうとしているが、憲法が存在している限り、本来それは無理な話だ。(だから、憲法を改悪したいのだろうが)

政府が口出しして教科書に再び「沖縄戦の時に軍隊が民衆を自決させた」という記述を復活させるのは問題だという話がある。ならば、そうだと言っている証言が多数あるのに、その記述を削除させたのは、一体、誰なのか?

誰しもが「神」ではナイというコトを認識しないと、ダマされたり、ヒドイ目に遭ったり、ムシリ取られたりするだろう。「渡る世間は鬼ばかり」ではないが、「鬼も居るし、善人も居る」そして、それは同一人物の内部でもマタ然りなのだ。

どんな職に就いていようと、どんな実績があろうと、人間の中には悪魔の心も天使の心も住んでいるというコトを必ず認識していないと、世の中を生き抜くのは難しい時代が来ているらしい。  
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2007年10月02日

富を奪い取るモノ

経済の話は、このブログではあまり人気がありませんが、それでも最終的に貧困が暴動とか世界経済の混乱をもたらすと、生命にも災いが及ぶので、時々はその話をさせてください。(ワタシもタマにしか、こんな難しい本は読めませんから)日本も世界の一部であるコトを再確認するタメにも。

では、昨日の本から、もう少し。
広がりつづける貧富の差は、ますます増える第三世界の貧困層に、一日一ドル以下の生活を強いてきた。二十世紀最後の一〇年間、繰り返し貧困の緩和が約束されてきたにもかかわらず、実際の貧困層の数は約一億人増えていた。その一方で世界全体の収入は年に平均二・五パーセントずつ上昇しているのだ

欧米はグローバリゼーションのお題目を唱えながら、その恩恵を自分たちばかりにゆきわたらせ、発展途上国を犠牲にするようなことをしたのだ。

職を失い、生活は不安定になって、多くの人の暮らし向きは実際に悪くなった。彼らは自分たちにはどうすることもできない力にたいして無力感をつのらせている。民主主義がゆらぎ、文化がむしばまれるのをただ眺めているしかなかったのだ。

グローバリゼーションが今後もこれまでと同じやりかたで進められ、われわれが間違いから学ぼうとしなければ、グローバリゼーションは開発の促進に成功しないばかりでなく、貧困と不安定を生みだしつづけるだろう。改革がなされなければ、すでにはじまっている激しい反発が高まり、不満はさらに大きくなるだろう。これはわれわれすべてにとって悲劇であるし、とりわけ、そうでなければ利益を得ていたはずの何十億もの人にとって悲劇である。
ミャンマーでカメラマンが射殺された話題は、ニュースの扱いが小さくなり、日本政府はホトンド関わろうとしてナイが、人道問題だけでナク、グローバリゼーションによって石油価格が高騰したコトも、問題の根底にある。

金儲けだけを企む、投資家の投機によって、原油先物市場が高騰し、その結果、実需の石油価格が上がり、多くの庶民の暮らし向きを悪くしている。

身を粉にして働いても僅かな報酬を与えられず、一方で、金を右から左へ動かすだけで巨利を得る人間が居て、その人間に有利なルールで世の中を動かそうとする限り、世の中のモラルは崩壊し、全世界的な繁栄は幻になるだろう。我々は、ダブルスタンダードには「No!」と言うコトをはっきりと言わないと、再びハゲタカファンドの餌食になってしまうかもしれないのだ。  
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2007年10月01日

健康には富も必要

いよいよ今日から郵政民営化になりましたが、果たして前評判通りに便利になるのか?、それとも不便になるのか?

おそらく後者になるだろうというのが、ワタシの意見なのですが、どうしてグローバリゼーションというものは、改革と呼ばれつつ改悪になりやすいのかというコトについて、実に明快に教えてくれる本を読みました。
世界を不幸にしたグローバリズムの正体
著者は2001年のノーベル経済学賞受賞者。世界銀行の上級副総裁兼チーフ・エコノミストを勤めた人物なのだが、国際通貨基金(IMF)が押しつけた貿易の自由化や民営化、グローバリズムの考え方に異議を唱えた本だ。

かなり難しい本なのだが、この部分を読んだだけで、グローバリズムが世界に何をもたらしているのかが、簡単に理解出来るだろう。
貿易の自由化は成長をうながすかもしれないが、それと同時に職を失う労働者がでて、少なくとも短期的には貧困が拡大するだろう。場合によっては、さして成長もしていないのに不平等だけが大きくなる「両損」政策もある。多くの国にとって、その一例は資本市場の自由化だろう。成長か貧困かという議論は、言わば開発戦略についての議論だ。その戦略に求められるのは、成長を促進しながら貧困を軽減する政策を見つけること、たいして成長しないのに貧困ばかりが増す政策を避けること、そして代償がどうしても必要な場合には貧困層への影響を重視することである。

それぞれの選択肢を理解するには、貧困の原因と本質を理解していなければならない。貧困層が怠惰なわけではない。貧困層は富裕層よりも長時間、身を粉にして働いている。彼らの多くは悪循環におちいっているのだ。食料がないから健康に支障をきたし、健康でないから稼ぎが十分に得られず、稼ぎがないからまた健康が損われていく。生きていくのにぎりぎりの生活だから、子供を学校にやれず、教育のない子供は生涯にわたって貧乏でいることを運命づけられる。貧困は世代から世代へと受け継がれる。貧しい農民は肥料も多産な種子が買えないから生産性がいつまでも高まらない。
この話は別に日本について書かれたものではナイのだが、北九州市で生活保護を打ち切られて死亡した男性のコトを思い出させる話ではないか。

ネットカフェで寝泊りしなければならない若者やフリーターと呼ばれる人々、リストラされて困っている人々を思う時、日本もこのグローバリゼーションというものは、素晴らしい改革と呼ばれて、世の中を一世風靡したものの改悪になってしまっている現状の説明になっている。

「市場万能主義」という言葉で、済まされるホド世の中は単純ではナイというコトだ。「成長を促進しながら貧困を軽減する政策」、「たいして成長しないのに貧困ばかりが増す政策を避ける」、そして「代償がどうしても必要な場合には貧困層への影響を重視する」というどれ一つをも日本の政策が目指しただろうか?

おそらく、グローバリズムによって、経済が悪化する典型が「郵政民営化」によってもたらされるのではないかというのが、考えられる最悪のシナリオだったりするのだが、この予想だけは外れることを祈りたい。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:54Comments(2)TrackBack(0)