2021年09月28日

世が世なら

歴史的に考えると、日本の歴代天皇(上代の実在が確かか判らない人物も含めて)は、政のトップだったり、戦のシンボルだったりしていたので、この国を支配した人物が自分が婿になったり、嫁を迎えたりして、ずっと続いて来た。

タダ、本当に万世一系なのかという点では、冷静に考えると歴史的に見てどうなのかという時も存在しているが、それでも先の王の娘を無理やりかどうかは判らないが、自分か自分の息子の嫁にして自分の子供や孫を正当な王族にして、代々続いて来た。

なので、本当に男系だけで天皇が続いて来たのかという点も疑わしく、全ては天皇陵の発掘など、客観的な歴史調査が行われない限り、真実は不明。

という話を前段階にして置かないと、明治の体制復古によって、以前の歴史教育が激変したという話を判らない人々が一定数存在しているし、高校で日本史が必修では無くなって久しいので、チャンとその辺りの事を理解して無いのに、理解していると自認している人が結構居ると思う。

ともあれ、砂上の楼閣かもしれない事に、ああでも無いこうでも無いと言っても、仕方が無いのでその辺はどうでもいい。

今、皇族に迎えるのに相応しいか、どうかが世の中で色々議論されている小室圭さんという存在を考えるに当たって、個人的にはどうでもいいのだが、歴史的に考えるとハングリー精神に富んだ人だと考えれば、逆に相応しい人物だと言えよう。(揶揄している部分もあるが‥‥)

なのに、税金を使うからどうとか、色々な難癖を付ける人も居るのだが、そうした問題は税金の使い道を審査する政治家に向けてすれば良いのである。

要するに、自分と他人の距離が判らず、岡目八目な議論などしても無意味なだけ。

日本の報道は、しっかり議論するコトを報じないで、どうでも良いコトだけを報じている様だ。

日本が戦争に進んで行く時も、タダ大衆を先導しただけだったみたいに、一気呵成に賛同し、負けたら自分の責任は放棄した戦前と全く変わりが無い。

人間の進歩というモノを、日本人はどう考えているのだろうか。  

Posted by seitaisikoyuri at 15:56Comments(2)

2021年09月19日

日本は年寄王国に近づく

65歳以上の高齢者は、既に人口の三割ほどになっていて3640万人、65歳以上の就業者数は906万人で過去最多だという。

逆に、15歳未満の子どもの人口推計は1493万人で過去最少だと。

この先の、少子高齢化は着実に進んでいる。

高齢者の就業者数の増加は、本人が進んで働くのは喜ばしいが、余裕が無いので働くというのは大変なコト。

前にも書いたけれど、国民年金の給付水準は将来的に三割ほど減額され、満額でも月に65000円程度から月に45500円程度になると言われている。

厚生年金も、多分減らされると思うので、これからの人々は死ぬまで働くのが、より普通になるかもしれない。

今は、四分の一しか働く必要はナイのだが、徐々にその比率が上がって来るのだろう。

将来的に、本人が進んで働くだけで、余裕が無いからという働き方を無くせれば良いのだが、多分、そうはならないだろう。

日本人の雇用賃金が上昇すれば前提が崩れて、未来は明るくなるのだが、どうも今の総裁選を見る限りでは無理っぽい。

アメリカは最低賃金を上げる方に舵を切り、高所得者に増税する方向に行くのではないかと言われているが、日本はどうなって行くのか。我々も真剣に考えないと、歳をしてから『こんなハズでは』と思うのでは遅すぎる。

自分だけは大丈夫という空虚な期待を持たずに、全体的に何とかなろうとしないと、全体的に皆で駄目になる時代はもうソコまで来ているに違いナイ。  
Posted by seitaisikoyuri at 19:35Comments(4)

2021年09月12日

年金も国民皆保険制度も不安

昨日、年金が25年に改正される見込みだと新聞が報じた。ネットの記事では、良く判らなかったけれど、マクロ経済スライドという仕組みによって、国民年金の給付水準は将来的に三割ほど減額されると言われている。国民年金は現在、満額でも月に65000円程度だから、月に45500円程度になるかもしれないと。

低年金で暮らせない人が多数生まれるので、厚生年金から財源を振り分ける予定なのだというが、どうなるのか。

自民党の総裁選で、その辺が争われナイままに、決まって行くというのもどうなんだろう。

コロナで頑張って診療を続けていた、宇都宮市「インターパーク倉持呼吸器内科」の倉持仁院長が、虫垂炎でしにそうになったけど助かったと投稿して、国民皆保険制度が十分に機能していないと怒りを表したという。

去年の一月に、私も九死に一生を得ているので、もし今年だったらと思うと、何時も感慨深いものがある。

2025年問題と言われて、久しいのだが政治はコロナの対応と同じ感じで、不安を正直に明らかにしないで、抜本改革を先送りしているのではないか。

ワクチンを打てば安心というけれど、ワクチンを打っても感染していると、長野市では注意喚起している。闇雲に恐れる必要はナイかもしれないが、政治はボタンの掛け違いをしているのではないか。

アベノマスクを配るより、検査をした方が良かったとか、酸素吸入機を備えたりした方がという反省も無く、国会を休止したままで、選挙に向けて走っている。

本当にコロナに尽力したいのであれば、一日でも早く抜本策を提示して、首相の引き際を美しくするのが一番大事だろうが、このまま時間切れだけを待っていて、少しづつ死亡者が増えても知らん振りというのでは、死んでいく人やその家族が気の毒でならない。

重症者が少なくなっている原因が、死亡者が増えているからというのでは、あまりにも本末転倒。

ともあれ、皆さんは自分がとりあえず生き延びる為に、出来る限りのコトをする様にお願いします。普通の国民は、自助しかナイと言われているに等しいのですから‥‥  
Posted by seitaisikoyuri at 19:58Comments(4)

2021年09月04日

コロナは社会を変革する

それが人間にとって、良い意味になるか、悪い意味になるかは判らない。

人間とは関係なく、コロナは変化し続けている。

人間も生物の仲間なので、進化を続けているのかもしれないが、ウィルスは小さいなのでドンドン変容出来る。

コロンビアでは、「ミュー株」が主流に置き換わって居ると言われているが、世界ではもっと新しい変異も起きるだろう。

初めての事にどう対応するかで、人間の真価が決まる。

日本は、初動も遅く、高齢化で逼迫する医療費をどうするかというコトに囚われ過ぎていて、入院する施設を削減する方に尽力していて、突発的な爆発的感染というコトにどうすべきかと考えられなくなっていた。

官僚などが、前例主義に陥っているからだろうが、政治主導と言われた政治家が、何も出来ずに終わったのが、二年続けて首相が変わる原因となった。

ともあれ、国民である我々は無力で大したコトは出来ないのだが、せめて今年の秋にある総選挙で投票する時に、どうすべきかというコトを自分で良く考えなくてはイケナイ。

これからの社会に於いて、自分がどう扱われるかじっくり考えてみるべきである。

このまま新自由主義で格差を容認しているべきなのか、それとも万が一に失敗した時にセーフティーネットをしっかりするという人に任せるのか。

誰でも、選挙の時は薔薇色公約しか述べないが、誰の言葉を信じて大丈夫なのかを、しっかり考えなくては。

人生は、谷あり山ありだが、順調な時はそういう風には思わない。逆境に立って初めて、あの時こうして居ればと思い知らされるが、それでは遅すぎる。

その時に、自分が間違っていたと思わない行動を、常日頃から心掛ける様にすべきだろう。  
Posted by seitaisikoyuri at 21:35Comments(6)