歴史的に考えると、日本の歴代天皇(上代の実在が確かか判らない人物も含めて)は、政のトップだったり、戦のシンボルだったりしていたので、この国を支配した人物が自分が婿になったり、嫁を迎えたりして、ずっと続いて来た。
タダ、本当に万世一系なのかという点では、冷静に考えると歴史的に見てどうなのかという時も存在しているが、それでも先の王の娘を無理やりかどうかは判らないが、自分か自分の息子の嫁にして自分の子供や孫を正当な王族にして、代々続いて来た。
なので、本当に男系だけで天皇が続いて来たのかという点も疑わしく、全ては天皇陵の発掘など、客観的な歴史調査が行われない限り、真実は不明。
という話を前段階にして置かないと、明治の体制復古によって、以前の歴史教育が激変したという話を判らない人々が一定数存在しているし、高校で日本史が必修では無くなって久しいので、チャンとその辺りの事を理解して無いのに、理解していると自認している人が結構居ると思う。
ともあれ、砂上の楼閣かもしれない事に、ああでも無いこうでも無いと言っても、仕方が無いのでその辺はどうでもいい。
今、皇族に迎えるのに相応しいか、どうかが世の中で色々議論されている小室圭さんという存在を考えるに当たって、個人的にはどうでもいいのだが、歴史的に考えるとハングリー精神に富んだ人だと考えれば、逆に相応しい人物だと言えよう。(揶揄している部分もあるが‥‥)
なのに、税金を使うからどうとか、色々な難癖を付ける人も居るのだが、そうした問題は税金の使い道を審査する政治家に向けてすれば良いのである。
要するに、自分と他人の距離が判らず、岡目八目な議論などしても無意味なだけ。
日本の報道は、しっかり議論するコトを報じないで、どうでも良いコトだけを報じている様だ。
日本が戦争に進んで行く時も、タダ大衆を先導しただけだったみたいに、一気呵成に賛同し、負けたら自分の責任は放棄した戦前と全く変わりが無い。
人間の進歩というモノを、日本人はどう考えているのだろうか。