今朝の予告は『史記』でしたが、少し飛ばして『六韜(りくとう)』にします。何故ならば、国会で『共謀罪』なる法律が成立しそうになってるからです。
『六韜』は、藤原鎌足の愛読書として、昔から名前だけは知っていたが、ココに釣り人の代名詞として使われている「太公望」と呼ばれた名参謀によると、政治の要諦は「民を愛するのみ」と述べられている。
国民のためにならないことはしない
刑罰を簡略にする
税金を軽くする
浪費を抑制する
人民が腹を空かしていたり苦労していたりするのを見たら、心を痛める。賞罰を加えるにあたっては、我が身に加えるような気持ちで加え、税金を課すにあたっては、自分に課すような気持で課す。これが国民を愛する政治に他ならない。
つまり、国民の気持になって事に当たれというコトである。
『老子』も、「天下を治めるには、無為に徹すべきである。禁令が増えれば増えるほど、人民は貧しくなり、技術が進めば進むほど、社会は乱れているではないか。人間の知恵が増せば増すほど、不幸な事件が絶えず、法令が整えば整うほど、犯罪者が増えているではないか」と述べている。
悪いコトをしようとする人は、地下に潜って悪質化するだろうし、本当に怖い暴力団だとしたら、チクって仲間を裏切った時にどんなに恐ろしいかを理解しているだろうから、密告なんてするのだろうか?
机上の空論によって、世の中が悪化する可能性が逆にあります。共謀罪自体に問題もありますが、法律を強化するだけで、世の中が浄化されるというあまりに楽天的な発想にマズ呆れてしまいます。
少年法の罰則を強化したけれども、不条理な世の少年犯罪が無くなったのでしょうか?
犯罪は、罰則だけでナク、償いを伴って断罪すべきではありますが、罰則の強化だけで犯罪が消えて無くなるホド、甘くないのです。
『六韜』の太公望の様な施策をする政府だったら、おそらくその方が世の中は良くなると思うワタシは理想主義者ですか?
どうしても、そうとは思えないのですが‥‥