2006年05月31日

無用の用

明日は、いよいよ県立図書館が開館します。で、返す前に書くべき最後の本がこれ。
飲食男女―老荘思想入門
他にも、借りた本はありますが、読んだ本の全てを書くよりも、ゼヒ、というモノに絞込みたいので。

老子と荘子について、トルストイや仏教、親鸞やキリスト教、源氏物語や夏目漱石、松尾芭蕉から聖徳太子、福沢諭吉の考え方と、リンクして説明してくださってます。正に、老荘思想の入門書と呼ぶにフサワシイ本です。

ちなみに、≪無用の用≫とは、荘子が唱えた思想で、「曲がりくねっていて使い物にナラナイ木がある」と尋ねられた時に、「世間から無用というレッテルを貼られたからこそ、マサカリや斧によって切り倒されるコトもナク、天然の齢(よわい)を全うしている。そこには、つきることのナイ彷徨の歓喜がある。世間的に無価値とされたとて、何も気に病む必要はナイ」と答えました。世俗の実利的・功利的な考え方だけに捕らわれると、見えなくなるものがあります。でも、本当に大切なモノは、目に見えない(「星の王子さま」の有名な言葉ですけど)し、お金があれば、99パーセントの欲しいモノは買えると思いますが、残りの1パーセントのお金ではどうしても買えないモノの中に、本当に欲しいモノがあったりするのです。

無論、お金がナイゆえに、大変な暮らしを強いられる人々もいるのですから、金銭を軽んじているワケではありませんが、お金だけあれば、何もかもウマクいくワケではないのです。

あればあったなりに、近付いてきた人々の求めるものが、自分なのか、それとも自分のお金なのかの心配をしなければならなくなるコトもあり、猜疑心に捕らわれ、他人に心を開かないので、人との間に壁を作ってしまう場合もあります。

生きるタメに必要なお金は、働きさえすれば、それなりに手に入ります。それを人生に活かして使うか否かで、人生の深みが違ってくるコトだけは、間違いないでしょう。
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