2006年06月17日

独りでいるコトは、そんなに悪くない

さて、この本の最後です。

「もしかすると、私は、とてつもなく孤独なのではないか」
そんなさみしさや空虚感を感じることが少なくない。と著者は言う。

でも、ワタシは今は、ホトンドそんなコトを感じない。

独りでいる時、本を読んでいるコトがとても多いのだが、そういう時は、本を書いた人と対話している様なものだから、少しも淋しくない。そうでない時は、疲れているので、何も考えず頭を空っぽにして、寝ていたい気分なので、淋しがっているヒマが無い。

加えて、職業柄、他人と違うからイイというコトを実感している。それは、相手の痛みを想像するだけなので、多少我慢してもらってでも、凝っているトコを刺激するから、コリがほぐれるのであると思っているので、自分自身だったら、痛過ぎて出来ないコトが出来るのだ。当然のコトながら、自分のコリは自分ではホトンドほぐせない。主人に頼んで、少々(我慢出来ないホドではツラ過ぎるけど)の痛みは我慢しても、ほぐしてもらうと、それなりに身体が軽くなる。

違う肉体だから出来るコトだと思うが、意識もそうだ。他人と必ずしも意見が一致するとは限らない。皆、ワタシと同じ考え方をするならば、話をする楽しみも、本を読む楽しみも無くなってしまうだろう。

違うから、こうじゃないかと自分の意見を話し、他人の意見も聞くのがイイのであって、タマの意見の一致が嬉しかったりするのだが、それが全て一致していたとしたら‥‥考えるだけでもオソロシイ。皆、一人一人別々の考え方を持っていて、それなりに生きているからイイのだと思う。

目指す人生の方向もバラバラだろうし、興味も関心も全然違うから、思いもよらないコトを聞くコトが出来る。違う肉体だから、抱き合えば、他人のぬくもりを感じるコトが出来る。それでイイのだと思う。

独りで生まれて来て、独りで死ぬ。だからこそ、「縁」があって一緒になれた人に優しく出来るのではないだろうか。誰しも、その人のオリジナルの人生を生きるコトが宿命なのだ。

それを受け入れて、死ぬ瞬間まで、たった一つの自分の人生をひたすら生きる以外に方法はナイ。そんなに人生は長いものでもナイようだ。歳をすればするホド、時間は加速度的に速く過ぎ去って行く。今年、一年始まったと思ったら、もう半年が過ぎようとしている。おそらく、もう既に人生の半分を終えてしまったのではないかと思っている。(長生き出来れば別だが)過ぎてしまえば、人生の半分と思われる時間も、アッという間だったような気がする。

人生は、突然、死神に呼ばれるコトすらある。ワタシの母がそうであったように。有限の時間を悲しんでいる余裕は、もうワタシには残されてナイ様だ。この世は仮の世だという思想もある。虚しいというならば、全てが虚しいのかもしれない。だとしても、この瞬間、瞬間を生きる以外に方法はナイのだから、生かされているコトを感謝しつつ、来るべき死の瞬間まで、自分自身の人生を生きるしかないのだと思っている。
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