2006年07月01日

国と宗教を考える

おはようございます。忙しいのに、寝坊しておりました。ササッと書かせて頂きます。
山折哲雄対談集―日本人のこころの旅
山折哲雄さんという方が、様々な人と対談しています。正直、宗教学者だという山折さんのお名前を知りませんでした。この本を読みつつある現在、もう一度、この歳になったからこそ、様々な宗教書をヒマを見つけて読み直し、考えるべきだろうと思いました。とはいえ、若いコロにそれなりに考え抜いて、全ての宗教者の考えを読むコトはあっても、特定の宗教に帰依するコトはナイだろうと思いますし、全ての宗教は根で繋がっているので、そんなに大きな違いはナイと、勝手に思い込んでいるコトも変わらないだろうとは思ってます。

ともあれ、読み始めて、その前段階になるべき本だと感じております。様々な、宗教やその背景について対談されています。

トップを飾る、梅原猛さんは、はっきりモノをおっしゃる方なので、ストレートにこう述べられています。

教育基本法改正というのは、一つにはやはり憲法を改正するためにそういうことをすると。憲法九条に従えば自衛権や交戦権を持てないのではないかというのを変えるために教育基本法も変えなくてはならないという人がいますが、そういう考えに対しては、私は反対なんです。

国を愛するといっても、どういうことが国を愛することなのか。例えば、靖国神社にお参りすれば国を愛することになるのか。靖国神社に参って、中国人や韓国人を怒らせて、日本外交に支障をきたす。あるいは靖国にお参りしたいという心はあっても、それを抑え、隣人の心を考えて、靖国には参らずに、中国や韓国と仲良くして国益を図る。どっちが愛国心かというと大変難しい問題です。しかし靖国に参ることだけが愛国心じゃないと思いますけどね。

おっしゃる通りだと思いますけど‥‥
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この記事へのコメント
こんにちはkoyuriさん。今日はアケで今起きまして「愛国心」を考えてみました。私この「愛」と言う言葉とっても好きなのです。これは、思いやるとか、信じ合う、いとおしいなど色々な感情だと思うのです。家族の愛、友人の愛、仕事の愛、地域社会の愛など日常の暮らしの中で育まれるものでして、国家が声を大にして「愛国心」と云ってもカラ念仏ではないのでしょうか。だって国というものは個々が集まって形成されておりますから時の権力者が掛け声や法律で強制するのは、いかがなものでしょうか。
愛しなさいと云う前に民から信頼される国家でなければ・・・。
Posted by takachan at 2006年07月02日 11:48
takachanさんのおっしゃる通りだと思います。
強制からは、決して心からの愛情なんて生まれません。イヤイヤ愛したのでは、「愛」とは別物だと思います。
Posted by koyuri at 2006年07月02日 20:11
 
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