さて、いよいよこの本の最終回になります。
人生の満足度と寿命は社会の公平さに比例するのだそうです。
つまり長生きをする秘訣は絶対的な豊かさではなく、富が分配され、公平に分配されていることにあるのです。不公平がひどくなっているところでは、寿命も短くなっていきます。
豊かさと幸せの間には矛盾する関係があるのです。一定の生活程度が保障された場合、豊かだからといって必ずしも幸せにはならないというのに、豊かさがどのように配分されているかは大きな意味を持つのです。
世界の多くの国々で貧富の差が広がりました。新自由主義的な世界観に従えば、金持ちがさらに金持ちになっても、そうでない人々の収入が減らない限り、問題はないことになります。経済状態だけを尺度にするならそう言えるでしょう。けれども幸せと健康について考えれば、これは間違いです。社会の中で対立が大きくなれば、裕福な人も貧しい人も失うものは大きいのです。
大量の失業も社会に不安を与えます。失業は社会のメンバー全ての幸福感によからぬ影響を与える。これは失業してない人にも、自分も仕事を失うのではないかという不安が蔓延することと、連帯感が失われるためです。
アメリカのペンシルベニア州の小さな町は、イタリア移民の町で仲良く暮らして長生きしていました。しかし、1970年以降、多くの若者が勉学のためにこの地を去り、アメリカ的な価値観を抱いてもどってきました。そして、この町がごく普通のアメリカの小都市に似てくればくるほど、病気になる率や死亡率も平均に近付いていきました。
昔、日本人のホトンドが、中流であると幻想を抱いていた時には、それなりに日本は平和で、共同体は機能し、まぁ幸せ気分で生きてきました。今と比べたら、貧しかったものの、皆貧しかったので、それは気になりませんでした。バブルの到来と、その崩壊、そしてグローバル化という名の下に、貧富の差が拡大している現在、日本は不幸せへの道をまっしぐらに進んでいると言っても間違いないでしょう。
我々は幸せになりたいのか? それとも不幸な金持ちになりたいのか?
足を地につけて、一歩一歩踏みしめながら生きるのも、決して悪いことではないのです。