2006年08月10日

宗教は買い主の危険負担!!

おはようございます。昨日の本の続きです。

詐欺や搾取を理由とするカルトに対する訴訟はほとんど成功しない。それは大部分の裁判所が宗教的教義や活動を含む問題を扱うことをしぶるからだ。カルトは相手が疲弊するまでどんどん上訴して彼ら自身を防衛するだけでなく、訴訟を煽動することもできる。訴訟好きなカルトと闘うための十分なエネルギーや財源をもつ原告は希である。多くの過激なカルト宗教の莫大な財産は、彼らに批判者以上の大きな有利さを与えるのだ。

大カルトの教祖たちは、瞑想的な生活のために現代文化の物質主義と縁を切るどころか、絶えず継続的に多角的な収入源を追求する。きわめて多くの宗教のカルトは、それが何であれ、金もうけの作戦本部であることは疑問の余地がない。彼らが主に強調するのは、募金と巨大な見返りを意図した投資である。教祖たちはあらゆる気まぐれな欲望を満足させながら贅沢に暮らしている。彼らのほかにも教団のなかで最も高い地位にある役員たちは貧しさとはほど遠い贅沢な生活をしている。

宗教的背景のなかで、幻影をつくのだして態度と信念を操作することは、完全に保護されている。法律は、信仰の誠実な宣伝と、富と権力を集める目的のためにのみ使われる戦略的なイデオロギーとを区別することができない。要するに、法律は破壊的説得に対処するには完全に無力であるばかりか、それを使う宗教団体に憲法上の保護さえ与えているのだ。幻影を永続化させることに対抗する法律はない。しかし、自分たちの目的を達成するため破壊的説得を使う教団に干渉することに対抗する法律は多い。数多くの規制機関によって人々は世俗的範囲では、インチキな取引や詐欺から保護されているが、宗教に関しては、あらゆる人間は自らを守らなければならない。「買い主の危険負担」[商業用語で、買った商品に対して売り手は責任を負わず、買い手が注意をしなければならない、という原則]というわけである。

米国の著者の話ですが、詐欺で失ったお金もマズ戻っては来ません。社会は厳しいものです。何事もヨク考えてから行動すべきというコトなのです。とにかく「イイコトがあったら、教祖様の御蔭、悪いコトがあったら信心が足りない」という様なトコには近付かないコトです。「イイコトも悪いコトも同じ人の行動の結果」でなければ、話は矛盾します。こうした『論理のすり替え』を行なっている人を信頼するのは、とても危険だというコトだけは覚えておいてください。
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