2006年08月15日

よい手本と悪い手本

おそようございます。本日は終戦記念日、多くの方々の犠牲の上に、今の日本の繁栄があることは紛れもない事実です。多くの戦没者に哀悼の意を捧げるのは当然ですが、政治的に利用するのは頂けません。宗教は心の問題であり、パフォーマンスに利用しようというのは、戦没者を冒涜するものです。

真に宗教心からお参りしたいのであれば、毎日、肩書きを外してお参り頂きたいものです。

現在、書き込みしている本の中にも、こう書かれています。

立派な行動や言葉は、それが結局は実を結ばないものであっても、いつまでも人の心に生きつづける。悪しき行動や言葉の場合も同じだ。まったく取るに足りない人間でさえ、その言動はよい手本と悪い手本のいずれかに分類される。

人間の精神は不滅である。それは、われわれと共に生き、われわれと共に歩みつづける。

現在は、その根を過去の中に持ち、祖先の生活と手本はわれわれにいまなお大きな影響を及ぼす。同時に、われわれの日々の行動も子孫の人格形成に貢献している。現代に生きる人間は、それに先立つ幾世代の文化によって育てられた果実に他ならず、はるか遠い過去とずっと先の未来とを行動と手本によって結びつける磁石の役割をになっている。
人間の行動は、完全に滅びたりはしない。たとえ肉体は露のごとく消え去っても、善悪の行動はそれぞれに相応の実を結び、将来の世代に感化を与えていくだろう。
人間が生きていくことの大きな責任と危険とは、まさにこの重大かつ厳粛な事実から生じるのである。


唯一、軍人でも無かったのに、総理大臣であったとして、A級戦犯の汚名を拝受した方のお孫さんが、「しかるべき地位に居たのですから、責任は逃れられません」とおっしゃっていらしたのは、とても立派でした。正しい考え方は、脈々と受け継がれていくのだと感服致しました。

同様に、逆の考え方も受け継がれていくのだと不安にもなりましたが‥‥
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