2006年08月28日

「合理的」はオールマイティなのか?

おはようございます。めっきり長野の朝は涼しくなりました。それゆえ、老い先短いと悟ったらしき蚊などの毒虫に刺されて、やたらと腫れ上がるかゆみの箇所にアイシングをして、何とか毎日しのいでおります‥‥

何ゆえ「思いやり」が大事になるのか‥‥現代とは、何ごとも「合理的」に関われるようになった時代。マックス・ウェーバーの見解によれば、伝統的社会から現代社会への移行は、科学、技術、経済、学問の発達を伴った「合理化」による進歩をもたらし、人々を魔術や神秘的なものへの恐怖から自由にする「呪縛からの解放」の過程をもたらした。

現代の素晴らしい科学の発展につながる「進歩」は、確かにこの過程によって私たちにもたらされたものである。しかしそれは、人間の可能性を拡大する方向に導いてくれたのか、と問いかけてみると、手放しの賞賛が得られるものではない。その進歩によって築かれた近代の仕組みは、冷たく、堅く、「たえがたいほどに」人間性を圧迫するものになった、という意見は、現代を生きる誰の心にも響いてくるものではないだろうか。

私たちの社会生活は、この「合理化」に基づいた資本の論理や政治機構が作る巨大な「システム」に取り囲まれている。そしてこの過程は、いまや社会や環境だけでなく、個々人のコミュニケーションの次元にさえひそかに滑りこんで、私たち一人ひとりの「疎外感」をますます増大させるものにさえなってきているようだ。

現代の「スピリチュアリティ」という言葉には、この「大切なもの」を改めて見つめ直す必要性を、切実に自覚しはじめた現代人の意識が映し出されているにちがいない。

個人個人がその重要性を意識的に引き出すことの重要性に気づきはじめているのである。

私たちが心のなかに「気づき」を持てば持つほど、すべてのことが学ぶべきものとして姿を現すようになってゆく。目の前に現れる人やものごとすべてが、教師となり、教えてくれるものになるのである。そして私たちはさらにより深く「学ぶ者」としての自覚を持って、何事に対してもより謙虚な態度を身につけ行動してゆくようになるだろう。経験していること、行なっていることはすべて、どんなことであれ、自分の理解を深めてゆく手段になるのである。
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