2006年09月07日

健康幻想

おはようございます。昨夜の本に健康について、適切な説明がなされています。

そもそも健康とは何かが厳密には分からないではないか。確かに病気でないことは健康の条件だろうが、病気がなければ健康だとは必ずしも言えない。だからこそ、より完璧な健康という幻想に取り憑かれる。ややもすると、生理現象である老化にすら対抗しようとし、そのことで精神的な不健康を招くこともある。まずは、生活をみつめ直すことで十分ではないかと思うのだが、どうもそれでは納得できない人もいるようである。

先のことに関しては、「絶対」という言葉が出てきたらまず怪しいと思うことである。たとえば、「絶対に治ります」「絶対に美しくなります」「絶対にやせます」「絶対に儲かります」など上げればキリがない。どのようなこともいくらかのリスクがあるわけで、むしろそれらの情報が正直に提示されることが大切である。ところがリスクを提示されると、絶対を求めたい人は途端に迷う。人は曖昧なものを曖昧なまま受け入れるより、絶対を求めてしまうものなのかもしれない。

人類は、訳の分からない先のことになんとか法則性を見出し、より正確な予想ができるように努力し、科学はそれによって進歩してきた。今後もさらに解明されることが増えるだろうが、それでも絶対ということはない。この状況から逃れられない以上、人は不確実さの中で生きてゆくしかないのである。あくまでも確実を求め、保証がないと先へ進めないのか。少しでもリスクが少ない程度で納得するのか。何も考えないのか。人の考えを鵜呑みにするのか。不確実なものへの対処の仕方で、人々の行動は変わる。

若い時に「純粋だ」と言われやすいのは、「世の中に絶対を求めたがる」からだとワタシは思います。人生において「絶対」を求めようとすると、矢折れ力尽きてしまいます。そんな時に「絶対」だと思われるものを見つけると、それにすがり付きたくなるのは当然です。でも、その全ては「まやかし」にすぎません。

幻想を真実と偽りたがる人の多い世界ですが、悩みや迷い、不安は苦痛かもしれないけど、その不安を解消するために、人はさまざまな知識を編み出して共有し、発明や開発をしてきたのです。

絶対のない混沌とした世界を生きるのは大変かもしれません。でも、悩んだり苦しんだりしながら、自分の人生は自分で道を見つけて生きていくしかありません。それでいいのだと思いますし、それでこそ生きている意味があるのだと思います。一歩一歩しっかり踏みしめて歩いて行くことに‥‥
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