おはようございます。本日、これから忙しくなりますので、アワテテ書いてます。
マダ、同じ本の続きです。
われわれは、日々の暮らしはかぎりなくよんなるとかたく信じている。たしかに自動車は速くなったし、携帯電話はどんどん小型化しているし、外国旅行もますますさかんになっている。食生活も信じられないほど豊かになった。
むかしは近づきがたい存在だったテレビやコンピューターも、いまではだれもがもっている。そのうえ競争がはげしいから価格は落ちるばかりである。
しかしわたしは、あるものやサービスが安くなったことを知ると、ほとんどいつも心配になる。なぜならそんなときは、その分だけ質のほうも悪くなっていることが多いからだ。
質の低下は輸送手段も冷蔵方法も改良されている生鮮食料品にも起こっている。早すぎる収穫、産地からの遠すぎる距離、人工的な栽培、それに殺虫剤や保存剤のために、作物に害が多く、そのうえ風味がない。
パッケージ用品のおおかたもそうだ。価格を抑えるために、多くの企業が包装ばかり立派にして、中身の量を減らしている。ときには質まで下げている。薬業界のように、効力のある成分の量を少なくして、薬剤の形態まで変えてしまうところもある。
最新のテクノロジーが生みだした製品についても同じようなことがいえる。たとえばコンピューターは早く買い換えるようにできている。
こんなわけで、製品の価格は下がっても、使うお金はふえてしまう。
大いなる進歩は、口に出せない深いむなしさと居心地の悪さを生んでいるのだ。われわれはよくないとは知りながらそれに目をつぶり、広告や宣伝に踊らされるままになっている。コマーシャルは、市場に最近登場した商品を買えばどんなに得をするかを飽きずに吹き込む。しかし周囲をもう少し注意深く見わたして、あと少しだけ批判力をつけただけで、われわれが向かっているのは夢の国ではないことが、たちまちわかるにちがいない。
人間まで、安物にならないように、お互い注意をして参りましょう。