2006年09月09日

科学とモラル

今日は、気温が久々に34℃まで上がったので、とても疲れました‥‥では、続きです。

科学は、どうして夢や欲望をもつかを、生物学や化学の立場から説明することはできる。将来は、視床下部や大脳皮質を都合のいいように刺激して、好きなときに夢や欲望を製造することができるようになるかもしれない。

しかし、宗教やモラルや芸術は科学の範疇とは別のところに属している。科学はこのようなものも支配していると考えるのはナンセンスだ。われわれが毎日活動し、ものを創り、仕事をするのは、欲望や夢や価値観に押されるからである。

科学には、何が善で何が悪か、何に意義があって何にはないかを示すことはできない。現象を観察してそれを支配する法則を見つけることはできるが、善悪をきめることはできない。

経済界で起こることがまさにそれで、そこでだれもがしていることは、経済的利益を最大限に退きだすことだ。生物界でも同じで、環境にもっとも適するものが生きのびる。

自然は善悪や苦痛や正不正には無頓着である。しかし人間は、自然のなかで生物学の法則に従って生きながら、それとは別の領域にも目を向ける。ものごとの価値や正義や善意や平和について考え、理想的な世界を夢見るのだ。

カール・シュミットは、政治は戦争と同じで、見方と敵を分けることから成り立っていると説いた。戦争と同じように、倫理的判断は客観的に公正にされるのではなく、方便の一種として使われるのだ。味方はつねに勇敢で私欲がなく寛大である。ところが敵は貪欲で凶暴で非人間的で残酷なのだ。

われわれはふつう、ライバルに愛される人でも尊敬できる。ところが政界ではそうではない。

真の客観性は、そんなわけで、科学やモラルにはあっても、政治にはない。味方の恥ずべき行為に目をつぶらず、敵の善行に敬意を払うことは、少数の人だけが長年の鍛錬の末に身につけた資質なのだ。精神を磨いたたまものなのだ。

是非とも、皆様にはその少数になって頂きたいとワタシは思います‥‥
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