2006年10月06日

自分自身の固有の物語を生きるために

ユングは、「人間にとって決定的な問いは、彼が何か無限なものと関係しているかどうかということである。これは人間の生涯に対する試金石である。真に問題とすることが無限性にあることを知ったときにのみ、われわれは不毛なことに興味を固着させてしまうことを避け、真に重要でない色々な目標にとわられることを避けることができる」と述べているそうです。

五 超越的な世界との接触

1 死を体験する‥‥現代の日本社会において、「死」はわれわれからまったく遠ざけられている。「死の体験」の疎外、あるいは剥奪は、象徴的、心理的な世界に及んでいる。例えば、停滞、沈滞、怠慢を極端に恐れる風潮、不潔恐怖症、洗浄恐怖などに示される汚いもの、臭いもの、醜いものを極端に嫌悪する心性、あるいは抑うつに陥ることを恐れつねに走り回っていないと不安な躁的防衛の行動などの中に、現代社会における「死の体験」の疎外、剥奪、その結果としての恐怖を見て取ることができる。夢は貴重な機会を与えてくれるといえよう。

2 知恵を授かる‥‥夢はときどき、自我には考えもつかないような「無意識」の知恵といったものを示してくれることがある。とても不思議な気持ちにさせられるのだが、大変に理性的に頭をひねって真面目に考えた内容よりも、同一人物の夢の方が、はるかに面白く、ユーモアがあり、深い知恵に溢れているようなことがある。

「無意識」には(精神病を引き起こすほどに)非常に横暴な面があり、神格化することは出来ないが、少なくとも頑なな「自我」が思いもつかない知恵を持っており、「無意識」の声に耳を傾けることは重要である。

3 あるべき本来の姿をうかがい知る‥‥「あるべき本来の姿をうかがい知る」こころの作業を行なうような夢もある。ユングは、「本来的自己の感知は、いって見れば非合理的なものである。定義しがたい存在で、自我はそれに対立するのでもなければ、服従するのでもなく、それの味方となる。地球が太陽のまわりを回るように、いわばそのまわりを回るわけである」と述べている。

「自己」そのものに到達できなくとも、「本来の姿をうかがい知る」ことは可能なのである。
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