北朝鮮が、核実験をこれみよがしにするのを見ていると「何と馬鹿げたコトだ」と思うものの、北朝鮮のコトを考えると太平洋戦争前の日本と、とても類似している様に思う。
無論、時代が違うので、当時の日本は核兵器なんか持っていなかたし、逆に世界唯一の被爆国になってしまったのだけれど‥‥
「あの戦争は仕方なかった」という説を唱える人々は、日本が世界からつまはじきにされ、経済封鎖されたコトをあげる。今の北朝鮮と似た様なものだ。無論、他国のお札を偽造しようとする様な卑劣な真似はしてないが、満州国を作ったり、朝鮮半島を併合したりと、他国の主権を侵害したコトは間違いない。
第三者としてみれば冷静になれるのに、当事者となるとどうしても正しい判断が出来ないものです。
今朝の本の舞台はインドネシア。事件を調べる刑事は、未だに神頼みをしている国民に対して、
「よその国の連中なら、時代遅れも甚だしいって笑うだろうよ。でも、我がインドネシアの国民に限れば、おれやおまえをふくめてその大半が今も神の力を信じたがっている」
それもこれも、国が貧しさと矛盾をごまかそうとしているからだ。満足に医者にかかれる者など多くなく、農村部の医療自体も遅れていた。だから、神に祈るほうが近道だと考える者が少なくない。医療だけに限った話ではなかった。たとえ親族が殺されても、警官の中には民衆から金をせびることばかりを考える者がいて、捜査の進展はおぼつかない。だから、犯人逮捕を神に祈る者がまた増えていく。進学や就職だって、コネを持たない一般市民は神頼みをするほかはなかった。見上げた宗教国家じゃないか。
こう考えている。こうしたインドネシアの現実を非難するのはたやすい。しかし、考えてみれば、インドネシアといい、北朝鮮といい、民衆のタメにならず、特権階級のフトコロが潤うだけなのを知りつつ、援助してきたコトが日本になかったのか?
今回の核開発の資金にすら流用されたかもしれないのだ。結果だけを見て、色々言うコトはたやすい。しかし、そうなるまでの経緯をじっくり考えるならば、決してその責任は他国にだけあるワケではないと納得するのではナイだろうか。