2006年11月07日

社会が変わると、立ち位置も変わる

おはようございます。それにしても、「日本も核を持てる論議を」とかやってますが、ワタシの若い頃には、考えられないコトですよね。

ちなみに若い頃はノンポリ(政治に無関心な人をそう呼んだのです)で、大学時代は、TVも新聞もホトンド読まず、見ずにひたすら大学の図書館の本を、今ではとても読まないだろう硬いモノを読み、文庫本の新刊を漁る毎日だったのですが、それでも大した危機感を覚えませんでした。

当時、労働組合は異常に強く、ストライキは毎年の恒例行事に近かったし、京都駅の国鉄のキップ売り場の人なんか、イヤイヤ切符やおつりを投げつけて売ってたし(それがイヤさに少し早く下宿を出て、旅行会社で気分良く買って家に帰ってた。長野駅はまだ我慢出来る対応だったけど)、というコトで、どちらかと言うと保守的な考え方をしていたのだが、ソビエトのアフガニスタン侵攻で、「モスクワオリンピック」のボイコットあたりから、世の中が変になり始めて来た。

「武力には武力」という考え方が、台頭し始めて、「防衛費はGDPの1%未満」という実際、何ゆえGDPなのかが良く判らなかったが、それでも一応歯止めにはなっていたのに、そんな枠は撤廃され、ドンドンとアメリカ軍との連携が増大してきた。

それでも、湾岸戦争の時は御金を出しただけだったのに、それに対する感謝が少ないコトを契機に、ドンドン目に見える貢献をと言い出したと思ったら、今度は、「核武装」まで話題になっている。

日本は、世界で唯一の被爆国で、しかも、既に全世界を何度でも、何十回でも滅ぼせるだけの核兵器が、世の中に存在しているというのに、遅ればせながら核を所有したがっている人々の存在がクローズアップされている。

若いコロの映画に
太陽を盗んだ男
というのがあり(試しに検索したら、今でもソフトが手に入るのにちょっとビックリ)、少し頭のイイ理系の高校生クラスの人間ならば、プルトニュウムさえ手に入れば、核爆弾など作れると言ったのに衝撃を受けたものだが、それにしても、世の中が右傾化し過ぎているんじゃないかと思う。

当時の世の中では、右寄りだったワタシが、今では左寄りだと思われるんだろうなと思うし、積極的に政治系の発言をしなくてもイイ、ホトンドの人々が「平和思考」だった昔の日常に戻りたいと思うだけなのだが‥‥
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この記事へのコメント
理想的な考え方ですが日本が戦後、平和でいられたのは憲法と核兵器を保持せず外交努力をしてきた結果だと思います。

世界の国々で核保有をしていますが、これを次元を下げて考えますと「殺人凶器」ですね。

かりに一個人が、この「殺人凶器」もっていたなら刑法にひっかかり罰せられます。
国家が持っても、となるとどうでしょうか・・・・。

自国防衛の為の核保有
     私を守るタメの拳銃保持
理屈は一緒と思います。
      いつの日も平和でありますように。
Posted by takachan at 2006年11月08日 06:22
takachanさん、何時もナイスなコメントありがとうございます!!

例えば持ったと仮定しましょう。そしたら、必ず今度は相手より沢山持たないと危険だと思うようになります。

すると、相手もなんてやっていたら、結局いたちごっこの繰り返しになるのは、目に見えてます。

だから、持ったとしても、そんなに脅威に変わりはナイというコトは、自明の理だとワタシは思うのですが‥‥
Posted by koyuri at 2006年11月08日 08:13
 
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