2006年11月25日

「市場の論理」にしばられる子供

おはようございます。こんなに読みやすくて、明快な子供論はなかったのだろうと思います。
「子ども」の消滅
学校を中心によりそうおとなは、反面やっきになって子どもを管理、抑圧し、おとな好みの「よい子」づくりに熱中している。

かつての「校内暴力」や現在なお衰えを知らぬ「いじめ」や「登校拒否」といった現象は、こういう「教育」の矛盾のあわられにほかならない。学校が要求する一定水準にまで学習効果のあがらない子どもや、生活の秩序を守れない子どもに対する差別、抑圧、攻撃は巧妙に強化され、その影響は学校外へと拡大している。

学力に不安をもつ子と親は補習塾に殺到し、より高い学歴を手に入れようとする親子は進学塾をめざす。「よい子」でなければやっていけないしくみに適応しようとすれば、よその子よりももっと「よい子」になろうとするのは当然のことで、スポーツクラブやおけいこごとにも精を出し、健康な身体とゆたかな情操を学力にさらに加算して、子どもの商品価値を高めなくてはならなくなるのだ。

子どもたちも、抵抗らしい抵抗を示さずにこれに従う。‥‥スケジュールをはずして自由を拡大すれば、たのしいこともあるだろうが、不安もあるし、面倒くさいこともつきまとう。やりたいことをやるためには、周囲との間に調整しクリアしなければならないことがいっぱいありそうだ、と彼らは感じる。

意味があるかどうかも考えず、「おもしろそう」と感じた自分の直観に殉じるのは、エネルギーの浪費のように思えてくる。

管理と差別の教育は、少数の「問題児」を矯正ないし排除しつつ、圧倒的な「よい子」をつくり出していく。

そして、「登校拒否」にも陥らず、「いじめ」の側に加わることはあっても「いじめられる」ような孤立だけは味わわずにすめば、やがて、子どもではなくなるのである。

しかし、考えてみれば、まさにこの出口なしの閉塞状況こそが、時代をこえた「子ども文化」の核心なのかもしれない。

行間でも、かなり省略してますので、気になる方は本に直接あたってください。続きは晩に‥‥
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