2006年12月13日

恐怖心を学ぶ

大阪の姉妹を殺害した犯人に死刑判決が出ましたが、彼が母親を殺した時に、今、話している様な矯正教育をされていたら、無関係の姉妹が巻き添えにならなかっただろうと、とても残念です。

恐怖心や罪悪感というものを、犯罪者は真に理解してないと著者は言います。「恐怖心や罪悪感は、人に対して配慮したり責任ある判断を下したりするための誘因になる。だから、犯罪者を変容させるには、恐怖心や罪悪感を植えつけることが絶対に必要である。人生には恐怖がつきものだということを、犯罪者は学ばなくてはならない。人は恐怖心があるからこそ、ダイエットに励む。恐れるがゆえに運動に精を出し、恐ろしいから安全運転をする。恐怖心はよりよいことをするための誘引なのである。人を傷つけるのがこわいから慎重に行動するし、将来に不安があるから家族や自分のために、生命保険に入り、貯金をし、定期的に健康診断をうけ、車を整備するなど、やらなければならないことをやるのだ。」

確かに、言われてみればその通りです。

恐怖心や罪悪感がなければ、責任ある人生を送ることはできない。思慮分別のない考え方と徹底的に向き合い、そのうえで、正しい考え方を必死に理解し、そして最後にそれを実行に移せるようになってはじめて、恐怖心や罪悪感が芽生えます。

分別ある人間になっても、悩みの種は尽きず、死なない限り緊張感からは解放されません。

行き当たりばったりの生活を送っていてはダメなのだと気付き、将来について考えること、高まる欲望のままにしたら、人生を投げ打ち、どん底まで落ちてもいいのかと、自問自答すべきなのです。

想像するだけで済む人間と、浮かんだ考えを行動に移すのは別です。その切り替えが出来ない人が、犯罪者になります。モラルの点検をして、自分の生き方の反省をする習慣がなければ、少しも進歩しません。かなりの忍耐力も要求されますが、生きること、それ自体、相当な忍耐力が必要です。

人生とは何なのか? 自分はどういう人間なのか? 人に何を期待するのか? どういうふうになりたいのか? 人にどういう影響を及ぼしているのか? 自分の思考についても考えることは重要な意味を持っています。

傷つけるのは、どういうことなのかを学ぶことは、自分自身を知るために絶対に欠かすことは出来ません。単に身体的な危害だけでなく、金銭的な損失、精神面での痛手、犯行後に社会にみなぎる犯罪を恐れる風潮や、人生をめちゃめちゃにされる人もいます。些細な法律違反でも、その影響ははかりしれません。

とりあえず、本日はここまで。
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