2007年01月13日

感情を自然に発散する

おはようございます。長野は雪がチラつく、寒い朝です。では、仕事もあるので、チャッチャと本題に入ります。

私たちは、小さい頃から怒るにはいけないこと、泣くのは恥ずかしいこと、怖がるのは臆病な証拠などと、「感じること」そのものを否定されてきました。
「そんなことで泣くんじゃない」「それぐらいなことで怒るのか、短気なやつだ」と一度や二度くらいは言われた経験があるでしょう。

しかし、感情は自然なものなのです。

ところが、その感情を人はなかなか上手には受けとってくれないのです。また、感情表現の仕方を学校でも家庭でも誰も教えてくれません。「大人になる」ことを「否定的な感情を表現しなくなる」ことと考えている人たちも少なくありません。

何度も言いますが、感情の中でも、怒り、悲しみ、恐れ、喜びは人間にとってとても自然な感情です。「感じてはいけない」とか「感じないようにする」ものではありません。

しかし、感情を抑圧し、「感じなく」なったのが自慢の人も居ると著者は述べています。

抑圧し、本人が感じないようにしても、自然のエネルギーは体内にたくわえられ、スポーツとか、情熱に転化されて外へ出ていけばよいのですが、抑圧が過ぎると、突然爆発したり、体内で爆発させることで病気になってしまうこともあるそうです。

抑圧し続けることで、自然な怒りは憎しみや恨みに変化していくからです。

否定的な感情を自由に表現しなくなっていくと、うれしい、楽しいといった喜びの感情も表現できなくなります。

本人なのに、自分の感情をつかめなくなり、こうしたうっ積が、コンブレックスを形成することもあるのだそうです。

晩はその発散方法について。
人気blogランキングへ←応援よろしくお願いいたします

この記事へのトラックバックURL

この記事へのコメント
感情のコントロールと表現は大切ですね。
コミュニケーションには豊かな感情表現は大切ですけれど、
マイナスの感情を引き起こす相手は誰にもいるものです。
そのまま出すと、自分の品位は下がるので、押し殺すこと
なく、上手に表現するのが、社会における処世術ですね。
驚くことですが、感情をぶちまけながら、仕事をしている
人々が存在しています。そういう環境にない方々が
うらやましいです。
Posted by なえちゃん at 2007年01月13日 16:20
なえちゃんさん、本当にそうですね。

>感情をぶちまけながら、仕事をしている人々
確かに居ますよね。

ともあれ、そういう人々とケンカしても何の得にもなりません。可哀想な人だと思って、諦めるコトも大事です。

一歩引いて見ると、そんなに気にならなくなったりします。同じ土俵に上ってしまうと気になりますが、勝手に土俵に上がらせて、独り相撲をとらせておいてください。実に滑稽に見えますよ。

自分は変えるコトが出来るけど、他人は変えるコトが残念ですが、出来ません。でも、自分の見方だけは、練習すれば必ず変わります。そうしてストレス発散してくださいね。
Posted by koyuri at 2007年01月13日 21:09
感情は吐き出すことを忘れれば身体に溜まっていくんですよね、発散場所も時と場所によるから我慢すること多いし;;
ためるのはよくないとは思ってるんですけどね^^;
以前はよく壁殴ったり競技で使ってたパイプ殴ったり発散してたんですが最近は溜まる一方で^^;
Posted by 小太郎 at 2007年01月14日 00:36
小太郎さん、でも、それって殴る手足が痛そうって思ってしまいます‥‥

『それだけ、ストレスが溜まってたから、御病気になられてしまったのかな?』とも思ったり。

ムチ打ちで苦しんでいる時に、「治る力癒される心(?)」という題名の本を読んで、「怪我や病気を、自分の新たな一面を発見するキッカケとして、与えられた試練だと思った時から、治る力は湧いて来る」という趣旨の言葉が書かれていました。

今までの生き方を「改めるべきトコは改めよ」という天啓として受けとめると、世の中はそれなりに違って見えます。
過去の自分から完全脱皮するコトは難しいコトですが、出来るコトから始めれば、徐々に人生は変わっていくものだと思っています。
Posted by koyuri at 2007年01月14日 10:00
 
にほんブログ村 健康ブログへ