さて、本に戻ります。別にこの著者がどうとかと思って今朝の日記を書いたワケではありません。前から、そろそろ書こうと思っていたトコに、「違う本」を読んで、やはり書いておかねばと思ったから書いたので、その辺の話は「違う本」の話のトコで、しっかり書き込みます。
努力すれば必ず報われたり、幸せになれると思いますか?
シンデレラはつらい環境の中で不平ひとつ言わず、がんばってきた。だからこそ幸せをつかんだ、最後に幸せをつかむためには、苦労を苦労と思わず、苦労があるから幸せは倍になってくるはずだ、というようなコトを思っている人もいるようですが、果たしてそうなるでしょうか?
どうも、この本のコトを書いていると脱線したくなってしまうのですが、シンデレラの話は、今まで多くの心理学の本を読んできたワタシの目で見ると、かなり不安を感じる物語なのです。
何故なら、王子さまと結婚したら、幸せになれるとは決まってナイと思ってしまうからです。王子様であったとしても、精神的に優れているとは限らないとか、意地悪されていたシンデレラが、逆にイジワルな人になりかねないとか、そんな心配をツイしてしまったりするものですから‥‥
本の話に戻ると、著者とがんばれば幸せになると思っている人の会話です。
「がんばってさえいれば、幸せになれるの?」
「ええ、そう思って、がんばっています」
「今、幸せですか」
「いえ、まだです」
「幸せをつかめましたか」
「まだ、そこまでいっていませんが、いつかかならず本当の幸せがつかめると信じてがんばっています」
がんばってさえいれば、いつか「誰か(王子)が(ガラスの靴の持ち主として)認めてくれ、幸せにしてくれる」と考えてますが、そういう考え方は、「いつかは」という夢や希望にあふれ、「あきらめない」素晴らしさがある反面、永遠に「いつか」のために、今ある幸せに気づけなかったり、今幸せを味わっていても、「まだまだ、こんなことで幸せになってはいけない」とがんばり続け、いつまでも幸せをつかめないという結果におちいりやすい。
通常、期待は泡のようにはかないものです。期待からは何一つ生まれません。期待は裏切られることが多いようです。
期待という言葉があらわす達成感は自分がつくり出すものではなく、誰かがつくり出す他律的なものだからです。
自分の幸せは自分でつくり出すもので、だれかや、何かがつくり出すものではないと著者は述べています。