今朝の本の内容にいきます。今朝は、全部読み終わってなかったコトもあり、ただ医療サスペンスを得意とする作家なので、あまり深く書くとマズイかなと思っていたので‥‥
案の定、最終章でどんでん返しが待っていました。何作目かなので、結末は既に予想はしてましたが。
ともあれ、老いて来た人生の話を読むと、ワタシは昔からお年寄りの身の上話を聞くのがキライでは無かったので、千差万別とはいうものの、とりたててショックではありませんでしたが、家にお年寄りがいらっしゃらない方とか、肉親のクドクドとした昔話を拒絶している人は、一度読んでみた方がイイかもしれません。第三者の話ならば、そんなに抵抗がナイでしょうから。
とにもかくにも、こういう方々が居て、現在の日本があるのです。
「国を愛する」気持ちというものは、先祖を敬う気持ちから入るのは当然ではありますが、ともあれ、老人が安心して終末医療を受けられなくなっている以上、日本の国は「弱者である老人」を大事にしてはいません。
労働力として国に奉仕し、「産む機械」として尽くしてくれている間は、大事なフリをしてくれるかもしれませんが、政治家の方々にとって、一般大衆など単なる「集票マシーン」に過ぎないのだろうと思います。
故に、終末医療に対する考え方を議論するコトもナク、おそらく政府主導で議論するならば、ココで主題となっている「ターミナル・ケア」よりも、もう一歩踏み込んだ話になるであろうコトは、想像に難くありません。
ワタシの個人的意見としては、臓器移植カードも結構ですが、出来れば尊厳死カードを配布して頂いて、何度でも書き換え可能にして頂いて、自分がこうなったらこう治療して欲しいという意思表示をさせて貰いたいと思います。
臓器移植もソコとリンクすると思うからです。「脳死」になった場合、「完治不能の病」になった場合、「痴呆」になった場合等々で、栄養を経口摂取出来なくなった時にどうするのか、永久的に人工栄養を投与されて生き延びるのか、胃にチューブを付けてまで生きるのか、気管支を切開してまで呼吸を確保して貰うのか、などなどの選択を、ゼヒ意思がはっきりしている内にさせて欲しいものです。
他人に判断して貰う筋合いのものではナイと思いますから。死にそうになって、意見が変わる可能性はあると思いますが、でも元気でいた時の思考が一番その人の意思に近いのだろうと思います。「痴呆」になってからでは遅過ぎるので。無論、家族の意思も尊重されるべきでしょうが、人生の最期くらいは、その人の意思を最大限に尊重して欲しいものだと思います。