2007年03月09日

自分を主語にストーリーを語ろう

おはようございます。我々は他人の事柄を話すことに慣れていて、他人の意見を紹介しやすいと言われたら、どう思いますか?

「イイヤ、そんなコトはナイ。私は自分を主語に話している」と言い切れる人は、そんなに多くないと思います。

ただ、それをしたとして、カウンセリングの場合は「話すことのすべてはOK。それを批評したり、批判しません」が、問題のある人の場合は、「自分」を主語にして語るストーリーをちゃんと聞いてくれる人に巡りあってきてナイのです。

ゆえに、他者の評価に脅え、とまどってきた人には、「自分が主語のストーリー」を語るというコトは難しい場合もあるというコトです。

「自分と親」、「親と自分」について繰り返し語ると、その話は少しづつ変化します。新しい記憶が甦ったり、親についての新しい発見があるからです。

自分が思う過去の記憶と、実際の記憶が違うコトはママあることです。例えば、幼少期に心の傷となった出来事も、親にしてみれば些細な出来事というコトもあります。

ともあれ、その時の傷を親が理解し謝罪してくれるなら、本当は一番イイのでしょうが、親は些細なコトだと思っていたり、子に対しての謝罪という観念自体がナイ人も居るワケで、ナカナカそれは望めません。

あまりに辛すぎる記憶は、忘却や否認するコトでしか生きられないコトもあります。「悲惨な人生だった」と思いつつ、「どう悲惨だったのか?」というコトには触れず、ただそう思って生きて来た人はいると思います。

どのように酷かったかというコトをツライかもしれないが、思い出すうちに楽しい記憶も甦る場合があり、それが過去の許容量の拡大につながり、自分の中のストーリーの書き換えが起こるというコトです。

人の評価を気にせず、自分で殺してきた感情を「私」を主語にして語ることで、自分がここにいることを結果的に肯定するストーリーができます。


自分はこう生まれ、こう生きてきたという物語を話し、私はこの世に生まれてもよかったのだと、物語が書き換えられるのです。

過酷と思われるドラマをくぐりぬけ、生きていることを肯定出来れば、ACだった自分が「生き残った」コトに感謝できるというのです。

晩は、グループ・カウンセリングについて詳しく。
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