おはようございます。日本ほど、親と子で殺したり、殺されたりする国はないんじゃないかと思います。
心中の時に生き残った人に対する罪も欧米と比べれば、かなり軽い。お互いが、自立してなくて、もたれかかって生きているからだと思います。互いにもたれかかって生きるコトを全く止めるべきとは思いませんが、ある程度の距離を取るコトは必要だと思います。
これからの日本
久々に河合さんの本です。
ココに書いてある中で一番、心に残ったのは、「イニシエーション」としての「親殺し」だったり、「子殺し」。無論、それは実際の殺人とは違い、「心の中の幻影」を殺すのですが。
学園紛争も一種の「エディプス・コンブレックス」の裏返しという説には、『なるほど』と思いました。
子供時代に見る大人は、「親」に限らずとても大きく感じるものです。第二次反抗期の親子や教師の葛藤も、子供の体格が親や教師に追い付いてきて、巨大だと感じていた大人の存在が、さほどではナイと思うのだが、といって子供が一人で生きてはいけないという現実もあり、ストレスが溜まるのだろうと思います。
元服は、首切りの象徴的表現で、「子供時代の自分が一回死んで、新しい大人としての出発」を意味してたのでしょうが、今の成人式は、まだ親の庇護の元で学んでいる人も多く、ココで大人にという、厳然とした「けじめ」ではなく、だから、子供として親に保護されていた人は、今度は会社に保護されて、自分というものを確立させなくても生きていけてしまうのだと思います。
親子の一体感を一度断ち切って、一個の人間同士として関係を結びなおすコトが本当は大事で、親離れを経験しない人が増えているコトが、現代の人間関係の問題なのだと、やさしく解説して貰うと、ボ〜ッとそうかもしれないと思っていた世界が、霧が晴れてすっきり見える様な気がします。
やっぱり、タマには読みたい心理学者です。