2007年03月18日

どうすれば傷ついた若者は救えるのか?

遅い午前の更新になりました。農水相のトンデモ発言について、「子供に高い倫理水準を求めるのなら、こちらの問題はどうなのか?」という趣旨の質問に対して、「それはこれと別の問題」などと一国の最高権力者と自称する人物が述べているのですから、世も末なのだと思います。

地道にひたすらに傷付いた若者を更生させようとなさる方々もいらっしゃるのに、ダブルスタンダードの社会は、その気持ちを萎えさせるコト請け合いです。

それでも、ひたすらに何とかしようとなさっている人が居る。その代表的な方の本です。
さらば、哀しみの青春―伝えたい。闇に沈む子どもたちの哀しみを…
NHKとかで、時々再放送などもされていますから、夜の街とかで子供を諭し、全国各地を講演して麻薬の害を説き、なんとかして真っ当な道を歩かせようと努力してらっしゃるのを知る度に、こういう人こそが正しい教育の筋道の話が出来るハズなのに、ロクに教育の何たるかも知らない様な、つまらない人物が教育基本法を歪めようとしているコトは本当に残念です。

本当に教育を建て直したいのであれば、誤った教育をなしたと思われる教師を公正に吟味すればイイのであって、単に上から押さえつけようとするだけで、全てがコト足りるワケではありません。

私は今までの教員生活を、常に子どもたちの側に立って生きようと努力してきました。子どもたちを育て、子どもたちの明日を拓(ひら)くのは私たち大人であり、大人たちが作った社会です。この意味では、許すことのできない犯罪を犯してしまった少年も被害者です。彼らをきちんと育てることのできなかった社会、そこにいたる前に何らかの手を差し伸べることのできなかった私たち大人こそ、加害者なのではないでしょうか。この現状を変えず、言い換えれば、大人自身が、大人の作った社会が変わらずに、ただ子どもたちにのみ変わることを求めることは、私には非常に許し難い責任転嫁に思えます。

「夜回り先生」と呼ばれる水谷修さんの上記の言葉をよく噛み締めてください。ワタシもそうだと思います。大人が私利私欲に走っていながら、子供達に自己犠牲だの、我慢などを教えようとしても暴発するだけです。

子どもたちはとても敏感なセンサーです。彼らは、私たち大人が失ってしまった繊細な感性で、私たちの社会の矛盾を感じ取ります。

というコトを思わなくなったとすれば、それは大人の方が鈍感になっているからです。渡辺淳一さんも「鈍感力」を「無責任な政治」を推奨する様なつもりで書いたワケではナイはずです。我田引水に走る、厚顔無恥な方々には、その様にしか受け取れないのかもしれませんが‥‥
人気blogランキングへ←応援よろしくお願いいたします

この記事へのトラックバックURL

この記事へのコメント
「それはこれと別の問題」ってたしかに別は別ですけど本質は何も変わらないんですよね;;
本当に子供にものを教えたいなら手本がしっかりしてないと。。

Posted by 小太郎 at 2007年03月18日 21:37
小太郎さん、普通はそう思いますよね。

他人の痛みの全く判らない人が増殖しているというのは、子供だけでナク、大人の世界でもですし、まして手本が悪くでは、どうしようもナイと思いますが‥‥
Posted by koyuri at 2007年03月19日 07:48
 
にほんブログ村 健康ブログへ