2007年03月24日

不感症の子供たち

今まで挙げてきたコトを、より実務的に関わっている人達の証言でまとめた本があります。
退化する子どもたち
少年法が改正されて厳罰化されても、それが抑止力にはならないと述べています。それは、家庭裁判所調査官や保護監察官、元少年鑑別所所長とか元少年院院長、それに家裁で少年事件を担当した経験を持つ裁判官だったりするワケですが、「抑止効果はナイ」だけでナク、「適切な矯正教育が行われなくなる可能性の方が高い」という、趣旨の話をなさってるワケです。前の本も、前の前の本の著者も述べていたのも、同じ話なのでココでまとめて書こうとしているワケです。

要するに、子供達は他人に対して不感症というか、感じたら傷つくからと感じることを拒否して育ってしまった子供が増えているというコトなのです。両親や教師や仲間から、屈辱をイッパイ受け過ぎて、それを感じなくするタメには、感じること自体を避けようとする。でも、無意識の部分では傷ついているから、抑え込んだものがマグマみたいになっていて、それが溜まりに溜まると爆発する。ただ、意識されてない、無自覚なコトなので、ブレーキが効かず、自分でも何でやったのか分からないママに、重大な犯罪をしてしまう様な子供が発生するというコトらしいです。

そういう子供が刑事裁判で裁かれた場合、逆に軽微な刑になるコトもあるというのです。
「礼儀正しく、すぐ反省して謝り、表面上はきちんと受け答えする非行少年」が刑務所に入り、規律を守って言われたとおりのことをやって刑期を終えるよりも、少年院の矯正教育で、日々少年を自分と向き合わせ、問題は何かを自分で見つけ、それを改めるように自己改革を迫られた方が精神的にはきついそうです。少年院というものは、根性を叩き直し、人間としての歪みを矯正しようとしているらしいので。

不感症の子供にとって、「自分がやったことがどういうことなのか、世の中から見てどうなのかなんていうことは全然考えていない。というより考えられず、被害者がいたとすら理解していない」可能性すらあるというのですから‥‥

『考える訓練』をされてナイ。「何で引ったくりや恐喝をしたか」と聞かれれば、「欲しかったから」と言うだけ。「欲しかったら、何時でも盗るのか?」と聞かれると「そうじゃない」と答える。「じゃあ、何でしたのか?」と聞かれて初めて、「先輩から脅された」などと話す。「どういう圧力だったか、それでどう思ったか?」と聞いていくと、「じゃあどうしたらいいか」という解決方法に考えを持っていけるという、何とも大変そうな話である。

「自分で何かをやろうとして、そのために考えるという経験がナク、みんなに合わせて、みんながこうだからとやっていれば考える必要はナイ。問題を起こした時も、何でそんなことをやったと怒るばかりで、どういう気持ちでやったのかを聞かれないから、考える道筋がつかないと言われると、なるほど、だから今朝のコンビニで万引きしようとした少女達はああいう反応だったのだと、少し納得出来る様になりました。

ちょっと、昔の子供には理解不能なトコがあり、勉強しないと今どきの子供達の気持ちはさっぱり判らないみたいです‥‥
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