2007年03月30日

日本人としての誇りを持ちたい

おはようございます。明け方は、スゴイ雨でした。輪島地方の方々は、より大変だろうと思います。困った時こそ、「ドーンと、任せておけ」と政治家に言って欲しいものですが。

ともあれ、靖国神社のA級戦犯を含めた合祀についても、厚生労働省の神社側への働きかけが資料で明らかになったりしてますが、適当に嘘をついて、その場を言い逃れようという姿勢ばかりでは、世界が日本を信用しなくなるだろうと思います。

間違いは間違いとして認めて、どう未来に向かって一歩を踏み出すかだと思うのですが、過去の言い訳に終始している日本政府の醜いコト。

小中学生に「徳育」を教科にして教えようという動きがありますが、子供に規範意識を植え付けたいというならば、まず自らというのが普通ですが‥‥

従軍慰安婦問題を始めとして、変に言い逃れしようとする姿勢が、どれだけ日本人に対する世界の視線を厳しくするのか、普通の感覚を持っていたら、判りそうなものですが。

政府が改正したがっている憲法の前文にも、「世界からの名誉や尊敬を得たい」という趣旨の言葉がありますが、どうしてそう思わずに、今の自分を死守するコトばかりしているのかと不思議になります。

昨日のオウム真理教に対する問題ではないのですが、熱に浮かされた戦前・戦中のコトをちゃんと分析して、今に活かさなければ、必ずや今が再び「戦前」になります。

再び、戦火が日本を覆った時に、順調に再スタート出来る保障はドコにもありません。

日本が世界の各国と仲良くしようとするならば、世界の各国も心を開いてくれるでしょう。でも、世界に疑惑の種を撒き続けていれば、必ずそれは日本に向かって返ってきます。

右とか、左とか関係ナク、「日本人として他国の人々に受け入れられたい」という気持ちは、全ての日本人の心の中にあると思います。

偽りの歴史を学び、メッキで出来た「愛国心」などよりも、過去を真剣に学び、失敗はそれを糧として、本当の「国を愛する心」こそ必要だと思います。「愛する」というコトは、決して強制されるべき筋合いのコトではナイのですから。

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