昨夜の本の続きです。
今の日本の親子関係として指摘されているのは、他の本でも問題視されてますが、「母子密着」。抜粋すると、
日本の家族というのは、母性家族で、父親が外見的な力を振るったとしても、家の中では母親が実験を握っていて、子どもも父を中心としてまとまるというよりも、母を中心としてまとまっていく。
父は外で実力を発揮し、家は単に休む場としか考えていないので、家での実権は得られず、だらしない姿をさらけ出していて、敬意を払われないのが実態である。その父親も、仕事ではそれなりに尊敬され十分な敬意を払われるので、家庭外での生活のほうが楽になってしまう。
父親の関心はますます家庭の外に向かい、母親の関心は、一途に子どもに向かってしまうのである。母親は子どもに期待し、子どもへの多大な教育投資となったり、さまざまな習い事、多様な形態の過保護、ペット化を引き起こす。
母親は自分自身では、子どもに愛情を注いでいる、と思っているであろう。しかし、その愛情の中身というのは夫亡き妻であるだけに、その寂しさをすべて子どもに注ぎ、子どもをその寂しさの慰みにしてしまうことが多い。その結果、子どもの自由を奪い、知らず知らず子どもに対して母親に忠実であることを要求し、子どもは母親に金縛りにあってしまう。
子どもは母親から逃げようにも逃げられない状況に追い込まれる。
現在の日本のように、兄弟が少なく、少子化が進み、そしてまた外での友だちが少ないとなれば、兄弟連合、あるいは仲間連合がないだけに、母親に密着しなければ生きられない状況になってしまっている。
母親に反抗するとなれば、ほとんど死をかけた反抗を試みなければならない。これが極端に進めば、強い母子密着によって、去勢され、母親にペット化された子どもがたくさんつくられてしまうか、非常に凶暴な家庭内暴力に向かってしまう子どもが生まれてしまうのである。
そして、家庭外にその暴力の矛先が向けられるコトもあるのだろうと思います。