こんな感じだったとしたら、その種は既に芽生えているのかもしれないと思うのが、こちらの本。
影絵の騎士
おそらく、近未来というコトに時期を設定するコトで、現在進行形のマスコミの暴走を描きたかったのだろうという気もする。
何故なら、最近はどんなに正当な報道であっても、「名誉毀損」あたりで裁判に訴える人が増えているので、大きなバックが付いてなければ、おいそれと危ない話を書くコトは無理だろうし。
ともあれ、幾らプライバシーがあると言っても、公人になったからには、清廉潔白である必要性があるので、本来はプライバシーが多少制限されても仕方がナイのに、日本では逆で、事件に巻き込まれた被害者の方が、一般人だというだけでプライバシーを踏み付けにされてしまったりする。
犯罪報道が視聴率を上げるのは、自分がその犯罪に巻き込まれなかったという幸福を味わいたいからという、シリアルな見方には『なるほど』とも思う。
確かに、暇な方々には繰り返される残虐な出来事も日々の退屈しのぎになるコトもあるのかもしれない。
そうした報道を繰り返し見るコトは、ワタシはゴメンだが‥‥大体、事件を蒸し返したトコロで、我々みたいな視聴者が細部を知ったところで、どうなるものでもナイと思ってしまうので。
過ぎた報道は模倣犯を産むだけだと思うし。
にも、関わらず視聴率みたいな、曖昧なモノに迎合している内に、マスコミもボロボロになって来ているというコトを暗喩しているのだろうとすら思う。
インターネットの時代になって、TVなどの映像に映ったモノを瞬時に買える時代が来れば、世の中は確かに変わるだろう。
どんなに時代が変わっても、人間が欲望をコントロールしない限り、「満足」を手にするコトは絶対に出来ないと決まっているのに‥‥