2008年06月20日

力で全てが抑え込めるのか?

大阪府知事が「職員に自衛隊で研修させたい」と言い出したかと思えば、宮崎県知事も「愛のムチを認める条例を作りたい」と二人揃って、昔の軍国主義の時代が懐かしいらしいのだが、人間を力で抑え込んだとして、どうにもなるまいという気がする。

トップダウン方式で、上位下達なら確かに力を持っている人は楽だろうけど、全く民主的ではナイ。いよいよ、橋下知事並びに東国原知事の本性が覗いてきたのだろうか?
家裁弁護士 ミモザの花言葉のように
ココにDVで崩壊する家族が何家族か出て来るが、その暴力的な夫が全て妻を愛してナイかというと、そうではナイ場合も存在すると思う。無論、純粋な愛ではナク、偏愛なのだが。夫婦でそうなら、学校の教師と生徒であっても「愛があれば暴力だって許される」という問題は、根底から覆されるだろう。人間だから、時として暴力に訴えたくなるコトはあるだろうが、ソレを我慢出来るかどうかでその人間の値打ちが決まると言っても過言ではナイ。無論、正当防衛で教師が生徒を殴るのは「愛のムチ」でナクても許されるだろうが。

「愛のムチ」なのかどうかは、加害者となる教師の側の問題よりも、ソレを受け止めた生徒の側がどう思うかという点に尽きるだろう。本来、「愛のムチ」というモノは被害者である生徒が「自分のタメを思って、こんな真似をした」と思ってこそであって、冷静に殴るというコトはホボ無理なのだから、カッとなって殴った教師の側から「愛が存在した」などと言われても、おそらく生徒はそう思わないだろう。

誰かを殴っても許されるという考え方は、問題が沢山ある。少なくとも、「愛」というモノは無償のモノなのだから、「愛」があったとして殴ったとすれば、ソレで罷免になろうと構わないとまで思わなくては、「愛」などとおこがましい名前を付けて欲しくナイ。

人間は、全てのコトに責任を持つべきで、その罪を問われないからとするコトになど、おそらく何の意味もナイだろう。

殴ってでも躾けるべきだという前に、言葉で何度でも説得するべきだ。力で相手を制圧しようとする関係は不毛でしかナイ。本心で生徒の心に向かって訴えれば、必ずその心には届くだろうし、ソレで届かない生徒には、殴ったからといって教師の気持ちが伝わるとは思えない。

暴力は暴力を生むだけだ。世代間連鎖によって、正常な家庭を維持出来ない配偶者というモノも、第三者として読めば、実に気の毒ではある。だけど、矯正出来ないほどのDVの場合は、離婚など関係の消滅以外に防ぐコトは無理だと思う。

恐怖を持って他人を支配しようとしても、ソレは上辺だけの支配であって、心の底からの尊敬だったり、心酔ではナイ。そんな当たり前のコトすら判らない人々が、知事職に就任出来るのであれば、ソレは愚衆政治というより他はあるまい。

赤字の自治体の給料カットなどは民間でもしかりなのだから、ソレは仕方ナイだろう。しかし、自分の意見を聞けない者は去れ式の、コトをしていては何れ「裸の王様」になってしまうに違いない。何というか、この国の末路が推測されて、あまり気分のイイものではナイ。
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この記事へのコメント
はいはい公務員から賄賂でも貰ってるんですかね
知事批判乙
Posted by K at 2008年06月21日 00:50
Kさん、相変わらずそういう発想をするコト自体が、アナタの精神の貧困さを現してます。

問題の論点が見えない方とは、お話しても無意味ですね。

ちなみに給与削減止むナシという人に、賄賂をくれる人が存在するとは思えませんが‥‥
Posted by koyuri at 2008年06月21日 11:23
 
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