結局、どうしてなのかというコトになると、やはり「ペルソナ(仮面)」の付け過ぎあたりに問題があるのではないかとしか思えない。
ペルソナという言葉を初めて読んだのは、三島由紀夫の「仮面の告白」だったが、今やかなり多くの人々が、それを意識するかしないかに関わらず、多少の仮面を被って生活するコトを余儀なくされているのかもしれない。

の中から、少し引用させて頂くと、
たとえば、周りの人の期待に合わせながらやってきて、ある人と一緒のときはこの顔、また別の人と一緒のときはこの顔というように、相手に合わせて仮面(ペルソナ)をかぶり替えているうちに、どれがほんとうの自分かわからなくなったり、あるいは気がついたら仮面の下にはのっぺらぼうしかないことに気づいたりということもあるかもしれない。‥‥中略‥‥たとえば、親と子供の性格が極端に違う場合、親は子どもをなかなか理解できず、自分と気の合う子どもばかりを可愛がることになる。すると無視されがちな子どものほうは、母親が自分のほうを向いてくれるように、母親の期待に沿った行動をとるようになるというわけだ。つまり、自己の人格を仮面で隠して、相手に合わせた行動を取るコトばかりしている人が、自分の中に抑えられた強い衝動を現したのが、「いきなり」殺人という可能性もある。
そうしたコト以外に、周囲の人々が「あまりに唐突にして、青天の霹靂」みたいな事件が続発するコトを説明するのは難しいだろう。
人間は、自分の気持ちも全部を理解するコトは難しいし、まして、他人だったらなおさらだろう。
他人を自分の型にはめ込もうとせず、なるべく相手のありのままを見ようとする以外に、他者の理解は難しい。
強制して創り出した性格は、本来のモノではナイ。ソレを忘れて、相手を支配しようとするのは、やはりかなり危ないコトなのだと思う。