2008年07月30日

あるがままに生きる

全部書いたのが、消えてしまって‥‥頼まない時には、バックアップが残ってますとあるのに、本日はそうはいかず。だったら、コピーしておいたのにという嘆きはさておき、再び書き直しですが、眠くなってしまったので、かなりはしょって。

森田療法というモノは、ブログを始めた時にも書いたので、ある程度のコトは知ってましたが、その創始者の伝記を読んだのは初めてでした。
森田正馬 癒しの人生
という本なのですが、森田療法として知られる独自の療法を編みだした精神医学者の森田正馬が、自らも神経症状に苦しんだ体験者であったというコトはホトンド知りませんでしたし、絵画の巨匠大観が森田療法を受けたコトがあったというのは全く知りませんでした。

まるで、アドラー理論の「人は自分の欠点を克服して大成する」という実践をした方の様な。

夏目漱石が神経症だったのは、ある程度知ってましたが、とにかく、「神経質」であるコトをマイナスとして捉えるのではナク、細かいトコに気を配れる素晴らしい性格と捉えて、性格を矯正しようとするのではナク、タダ、「あるがままに、自らを受け入れるコト」こそが、人生の扉を開く鍵なのだと言われると、『ナルホド』と思います。

これからするコトに対して臆するよりも、「為すべきコトを為す」と集中して行動するコトの方が、確かに意味が有ると思います。

「禅の言葉で説明はするが、決して宗教ではナイ」という言葉にも、世の真理は共通という想いがします。

我々は、神経症であるとかナイとかに関わらず、「せねばならないコトに対して、なるべく雑念を捨て、ひたすら行動あるのみ」であり、自らの心に正直に「あるがままに自分を認める」というコトは、今の理不尽な犯罪に対する救済になるかもしれません。

どんなに悪いコトを思ったり、考えたりしても、実行さえしなければヨイという考え方は、罪悪感を持ちやすい人々には免罪符になるかもしれません。

人間の心の中の、良い部分も悪い部分も全て受け入れて、その中から為すべきモノを為すというコトは、誰にでも実行可能なリラックスの方法かもしれません。

【追記】頑張って書いたら、前のが投稿されてました。同じ部分もありますが、全く違う部分もありますので、二つ共このまま残しておくコトにします。
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この記事へのコメント
森羅万象に表裏があるのが当たり前で、都合の良いものだけを得ようとしていてはひずみが生まれるのですよね。相反するものが存在し、それを認めて生きるともう少し人生は楽かもしれません。損得の問題ではないですが、自身にとってそこで立ち止まってへこんでいるのと、一歩を踏み出してみるのとどっちが得かなんて、考えてみるのもいいかもしれません。
Posted by 鍼医K at 2008年07月31日 01:24
神経質と神経症は違うのですか?

同じように使ってるのですか?

私は本来はおおらかな性格だと思ってるけれど

ガスの元栓や戸締りなんかは神経質かも知れないなぁ
Posted by 松じゅん at 2008年07月31日 12:51
森田療法を勉強したことありますよ。
あるがまま・・・なかなか出来ないです。
日本の川は短い、それだけ流れも急だし水位も増すということをよく頭に入れておくべきですね。
Posted by としき at 2008年07月31日 18:17
鍼医Kさん、「立ち止まってへこんでいるのと、一歩を踏み出してみる」確かにそうですね。

失敗を恐れず、前に行くコトが大事なんですね。
Posted by koyuri at 2008年07月31日 22:43
松じゅんさん、簡単に言えば「神経質」なのを病気と思ったら「神経症」ってコトですか。

問題ありと思うと、病気に分類されてしまうのですが、「神経質でも、別に平気」と思えれば、大丈夫ってコトですかね。
Posted by koyuri at 2008年07月31日 22:46
としきさん、「あるがまま・・・なかなか出来ない」のが普通でしょう。

もし、皆が簡単に出来たら、話題にもナラナイんでしょうし。

でも、勉強されたコトがあるんですね。それでも、スグに出来なくても、その内になんとなく出来る時もあると思えればおそらくイイんでしょう。

ナカナカ出来ないとワタシも思ってます。でも、「流水行雲」を目指す気持ちがあるので、何となく心引かれる療法ですね。ちなみに、努力してドンドンとズボラになっている内に、かなりズボラな人間になってしまったので、ワタシには必要がナイかもしれませんが‥‥
Posted by koyuri at 2008年07月31日 22:52
 
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