
本日も長野は猛暑日。それでも、一番暑い時に避暑出来たので、少し良かったかも‥‥主人の仕事が入ってたので、トンボ帰りでしたけどね。
さて、何度もこの事件の話題を不思議がっていますが、それを理解しようと借りてきた本の中から、読んだのがコチラ。

正直、この著者の本も何冊も読んではいるモノの、あまり書き込みたくナイ感じだったのですが、この本はかなり自分のコトもさらけ出しているので、とても共感が持てます。(しかし、この方もアドラー心理学ではナイですけど、自分の弱い部分を克服したいがタメに精神科を選んだのかしらと思う部分もありますが‥‥)
幸福の回数が決まっていそうなので、10円玉は拾わないという話(著者もそうらしいのですが)もありますが、ワタシはこの本に出て来る筋金入りのギャンブラーの友人と一緒で、そういう幸運は「ツキの波」への足掛かりと思う方ですね。
ちなみに宝くじが当たっても、賞金を取りに行かないというコトはナイと思うけど、あぶく銭によって、人生が変になると怖いので、宝くじは当たらない確率が高いコトもあって買わないという慎重さは持ち合わせているのですが‥‥(何十億円も当たるのであれば、残り何億かで目が醒めそうな気がするけど、数億円だと浪費癖が付くだけマズイ気がするタメ)
とにかく、ココにはワザワザ自分から不幸になりたがる感じの方々が数多く取り上げられていて、おそらくカナダでの殺人者もそうだったのであろうとしか思えないのです。
基本的に昔も今も「日常のごくささいな死の欲望」や自虐指向や破滅願望はヒトの心に普遍的に潜在していて、ただしそうしたものの析出の仕方が世間の風潮や精神傾向に呼応して変わってきただけなのかどうか、明確な答えは出ませんが、とにかくそういう人々は存在するのだと考えて、割り切ってしまった方が楽なのかもしれません。
とりあえず、「些細な幸福を喜ぶ」コトから始めて、自分の心のバランスを崩すコト無く生きるのがイイかなとだけは思いました。