2008年08月10日

歳はしたくナイものよ

男子66キロ級で内柴正人選手がオリンピックで連覇をし、19歳の中村選手が52キロ級で銅メダルという嬉しいニュースを喜ぶからこそ、昨夜の日記に書いたコトを思い返しつつ、本当に歳はしたくナイものよと思いました。

19歳の中村選手のつややかな肌、若いってイイなと改めて思いました。とはいうモノの、体力が衰えるからこそ、判るコトも色々とあるもの。そんな気持ちになれるのが、この本。
なぜ若者は老人に席を譲らなくなったのか (幻冬舎新書 お 4-1)
タイトルとはあまり関係なく、色々な現代論が書かれていねのですが、一番感動したのが、この言葉。
今の日本を美しい国にするために必要なのは、まちがいなく「正義」でなく「正気」です。「正義」という言葉は一見絶対的に正しいイメージがありますが、そこにとらわれてはいけない。「正気」こそが人の良心・本質だと思うのです。
「正義の人」は国を守ろうとするでしょう。しかし、その正義も行き過ぎれば、「国を守るために犠牲になる人がいても仕方がない」という考えに至ってしまうかもしれない。政治家は国家を守る立場の人ですから、そう考えても不思議はない。
「正義の人」が政治家になれば、憲法九条を変えようと考えてもおかしくない。理屈としてはそう考える方があたりまえですから。
それでもぼく個人としては、たとえ国が滅びるとしても狄佑鬮甬澆うという考え方を貫きたい。なぜなら、犢颪鬮甬澆うとすればするほど、結果的に、立場の弱い人が犠牲になるということを身をもって学んできているからです。これが「正気の人」の選択です。
別に、大林監督が国が滅ぶコトを望んでいるワケではありません。タダ、「全体を救うためならば、弱い人が犠牲になるのは仕方ない」という考えを理屈でもって押し進める人の危うさを戦前から生きて来た人間として、つぶさに見ているからこそ述べた言葉だと思います。

戦前の本当に良きものを残して、戦後の平和を守り抜きたいという気持ちがジワジワっと伝わってきます。

「年寄りには席を譲るべきである」というワンパターンな考え方が示されるコトは全くありません。

「永遠の少年」であろうとする監督の心意気に、『監督の作品をしっかり見直さなくてはイケナイかも‥‥』と思ってしまいました。

マラソンの野口選手には、無理をしてまで出場をして欲しくはナイですね。スポーツ選手の華の時代は本当に短いですが、スポーツ人生が終わっても、人生の幕が下りるワケではありません。これからの人生のタメにも、「金メダルで無かったが故に自殺してしまった時代」に逆戻りして欲しくはありません。やるだけのコトをやって、それでもダメだったのであれば、不正なコトをしたのではナイ限り、それで充分ではナイでしょうか。

潔いというコトは大事です。ダメだと思ったら、スパッと諦めるコトこそ、人生には一番大切だと思います。
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この記事へのコメント
「国」を「企業」に置き換えてみて、う〜んと考えてしまいました。

「企業」を守る「正義」
「弱きもの」を犠牲にしない「正気」。

後者はかなり軽視されているのが現実。


「社会」が主語には決してなってほしくないですね。
Posted by セサミ at 2008年08月10日 23:41
セサミさん、確かにそうですね。

一般市民など、どうでもイイって感じのトコ多そうですね。
Posted by koyuri at 2008年08月11日 21:45
 
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