かなり前の話なので、既に忘れている方もあるかもしれませんが、NHKが自民党の圧力に負けて、番組を改編したという話題がありました。その話は尻切れトンボみたいにしか国民には知らされなかったのですが、真実はこうだったのだという本に、夏休みだから滅多に図書館で行かない棚を歩いてみようとしていて、見つけた本です。
ちなみに、従軍慰安婦の問題については、前に書いたブログの中に、もっとスゴイ証言が載ってたのを抜粋してますので、番組で切り捨てた部分の証言もおそらく真実だったであろうとは思います。世の中には、日本の戦争犯罪は謝罪すべきだと述べると、スグに自虐史観だの、外国のデマを信じているだのという変なコメントが入りますが、アメリカが原爆を謝罪するかしないかに関わらず、同じ人間に原爆を落とすコトがイイのかどうかという問題は存在してますし、戦争中とはいえ非人道的なコトをしたのであれば、謝罪すべきであると述べるのは、あまりに当然のコトで、真実の歴史がどんなに自分の願いと違おうと、真実は真実なので、受け入れるしかナイと思います。少なくとも、ワタシが自虐的でナイことは、このブログを前から読んで下さっている方ならば、弁明する必要もナイと思いますが、一応、この手の話題を書くと必ず、身元不明のコメントが届くので、先に書いておきます。
さて、本題に入ると、この本なのですが、正直、真面目に全部読むコトはかなり大変なコトだと申し上げておきます。なので、速読の上に拾い読みなのですが‥‥
番組はなぜ改ざんされたか―「NHK・ETV事件」の深層
コレは当事者の一方から書かれたモノであるというコトを割り引いても、NHKの予算を国会で承認する仕組みになっているのだから、与党が口を挟むのはおそらく恒例なのだと思って見ていないとダメなんだというコトは、既に知ってはいましたが、その裏付けがされた様な感じです。
で、この本で何よりも意外だったのは、芸術に対しても、過去にものスゴイ圧力が掛かっていたというコトです。そして、そのコトは報道がされたのか、されなかったのかも含めて、日々忙しかったからかもしれないのですが、長野県の隣県である富山県であったコトなのに、全く記憶に無かったコト‥‥
抜粋すると、「富山県立近代美術館」で開催された「86 富山の美術」という展覧会に展示された作品(「遠近を抱えて」という10点連作、四点は二〇万円で購入、残り六点は美術館の要請で作家が寄贈)が、展覧会終了後に与野党の議員から批判され、作品が非公開となり、掲載されていた図録四〇〇冊あまりが販売中止になったという事件です。
不思議なのは、この作品に対して、展覧会期中にはまったく問題にされず、この展覧会を共催した富山新聞が紙面で、各作家と作品を図版入りで紹介した際にもなんら問題を引き起こしていなかったというのにである。
富山県では、問題化してから、他の作品も掲載されている図録をまるごと販売停止にし、美術館の図書室から撤去し、県立図書館でも非公開に、教育委員会に保管されていた資料用の図録から「遠近を抱えて」の図版掲載ページを切り取り、作品公開を求める人たちが出版した「遠近を抱えて」の図版が掲載されている図書は購入しないことに決定し、寄贈すら受け付けず、日本図書館協会などの批判により、やっと90年になって公開するコトになったが、公開初日に作品破棄派が閲覧申請をして、カウンターで館員と警備の警察官の目の前で図録を破り、結果的に新しい図録の購入はされなかったので、事実上の非公開になった。
しかも、93年には富山県は突然、収蔵していた作品を匿名の個人に売却、保管していた図録を全て焼却したというのである。
何と言うか、既に日本には言論・表現の自由などナイのだというコトを改めて知らされた気持ちになり、本当に驚いてしまった。
その様に歪められた報道によって、若者が再び戦場に赴くコトだけは怖いと改めて思ったのだ。当然ながら、今、日本に生きている人間は、戦争で生き残った人々の末裔で、中には祖先が戦争で亡くなった方も存在するかもしれないけど、とにかく自分が戦争で亡くなった方々ではナク、戦死者達はその無念を生きて後世には伝えられなかったワケだ。少なくとも、その方々の犠牲の上に、今の日本があるワケで、想像力を働かせて再び戦争になるコトだけは避けたいと、今年のお盆には改めて決意を固めたのである。一度も、会うコトが無く戦死した伯父は、どういうつもりで最期を迎えたのであろうかと、墓前で聞いても応えてはくれないが‥‥