2008年08月17日

報道はどう歪められたのか

かなり前の話なので、既に忘れている方もあるかもしれませんが、NHKが自民党の圧力に負けて、番組を改編したという話題がありました。その話は尻切れトンボみたいにしか国民には知らされなかったのですが、真実はこうだったのだという本に、夏休みだから滅多に図書館で行かない棚を歩いてみようとしていて、見つけた本です。

ちなみに、従軍慰安婦の問題については、前に書いたブログの中に、もっとスゴイ証言が載ってたのを抜粋してますので、番組で切り捨てた部分の証言もおそらく真実だったであろうとは思います。世の中には、日本の戦争犯罪は謝罪すべきだと述べると、スグに自虐史観だの、外国のデマを信じているだのという変なコメントが入りますが、アメリカが原爆を謝罪するかしないかに関わらず、同じ人間に原爆を落とすコトがイイのかどうかという問題は存在してますし、戦争中とはいえ非人道的なコトをしたのであれば、謝罪すべきであると述べるのは、あまりに当然のコトで、真実の歴史がどんなに自分の願いと違おうと、真実は真実なので、受け入れるしかナイと思います。少なくとも、ワタシが自虐的でナイことは、このブログを前から読んで下さっている方ならば、弁明する必要もナイと思いますが、一応、この手の話題を書くと必ず、身元不明のコメントが届くので、先に書いておきます。

さて、本題に入ると、この本なのですが、正直、真面目に全部読むコトはかなり大変なコトだと申し上げておきます。なので、速読の上に拾い読みなのですが‥‥
番組はなぜ改ざんされたか―「NHK・ETV事件」の深層
コレは当事者の一方から書かれたモノであるというコトを割り引いても、NHKの予算を国会で承認する仕組みになっているのだから、与党が口を挟むのはおそらく恒例なのだと思って見ていないとダメなんだというコトは、既に知ってはいましたが、その裏付けがされた様な感じです。

で、この本で何よりも意外だったのは、芸術に対しても、過去にものスゴイ圧力が掛かっていたというコトです。そして、そのコトは報道がされたのか、されなかったのかも含めて、日々忙しかったからかもしれないのですが、長野県の隣県である富山県であったコトなのに、全く記憶に無かったコト‥‥

抜粋すると、「富山県立近代美術館」で開催された「86 富山の美術」という展覧会に展示された作品(「遠近を抱えて」という10点連作、四点は二〇万円で購入、残り六点は美術館の要請で作家が寄贈)が、展覧会終了後に与野党の議員から批判され、作品が非公開となり、掲載されていた図録四〇〇冊あまりが販売中止になったという事件です。

不思議なのは、この作品に対して、展覧会期中にはまったく問題にされず、この展覧会を共催した富山新聞が紙面で、各作家と作品を図版入りで紹介した際にもなんら問題を引き起こしていなかったというのにである。

富山県では、問題化してから、他の作品も掲載されている図録をまるごと販売停止にし、美術館の図書室から撤去し、県立図書館でも非公開に、教育委員会に保管されていた資料用の図録から「遠近を抱えて」の図版掲載ページを切り取り、作品公開を求める人たちが出版した「遠近を抱えて」の図版が掲載されている図書は購入しないことに決定し、寄贈すら受け付けず、日本図書館協会などの批判により、やっと90年になって公開するコトになったが、公開初日に作品破棄派が閲覧申請をして、カウンターで館員と警備の警察官の目の前で図録を破り、結果的に新しい図録の購入はされなかったので、事実上の非公開になった。

しかも、93年には富山県は突然、収蔵していた作品を匿名の個人に売却、保管していた図録を全て焼却したというのである。

何と言うか、既に日本には言論・表現の自由などナイのだというコトを改めて知らされた気持ちになり、本当に驚いてしまった。

その様に歪められた報道によって、若者が再び戦場に赴くコトだけは怖いと改めて思ったのだ。当然ながら、今、日本に生きている人間は、戦争で生き残った人々の末裔で、中には祖先が戦争で亡くなった方も存在するかもしれないけど、とにかく自分が戦争で亡くなった方々ではナク、戦死者達はその無念を生きて後世には伝えられなかったワケだ。少なくとも、その方々の犠牲の上に、今の日本があるワケで、想像力を働かせて再び戦争になるコトだけは避けたいと、今年のお盆には改めて決意を固めたのである。一度も、会うコトが無く戦死した伯父は、どういうつもりで最期を迎えたのであろうかと、墓前で聞いても応えてはくれないが‥‥
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この記事へのコメント
情報操作はかなりされているんでしょうね。特にテレビとかは!最近はネットでそのあたりも随分暴露されているのでしょうけど、多すぎる情報も困ったものです。しかし、訳の分からん情報操作で戦争に突入なんてことだけはならないように、しっかり見張っていないといけませんよね。でも突出して活動すると眼を付けられて命の危険があってもいけませんし、全体的に多くの人が正しい情報を共有できるようボトムアップすることが大切でしょうね。
Posted by 鍼医K at 2008年08月18日 00:31
鍼医Kさん、正におっしゃる通りです。

知らないでいれば、情報操作されまくりでしょうね。そして、ソレが真実だと認識してしまう。恐ろしいコトです。

ともあれ、世界の面積のほんの少ししかナイ日本なのですから、他国と争っては生き残れる可能性は大変低いと思います。

昔と違って、ミサイルの弾道も、戦闘機の滞空距離も伸び続けているのですから、真面目に世界平和を考えるのが、本物の「愛国心」だと思います。
Posted by koyuri at 2008年08月18日 10:13
はじめまして。
2001年1月のNHKのETV特集から削除された証言がウェブで公開されています。ご参照まで。

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/syougen/nhk_special.htm
Posted by kmiura at 2008年08月18日 22:35
そんなことがあったんですか
確かに「言論の自由」なんて言葉が笑えちゃうような事ですね

自虐的なんて言われちゃうんですか
やったことを謝るのも受け入れるのもある意味当然なんですけどね、それが出来ない人が多い今の社会や社会のシステムは大間違いです!

俺には中国や韓国の騒ぎようは理解できないですししたいとも思いません、ああいった行為こそ自国を貶めてると思ってます
それこそ野蛮だとも!
しかし一方で、誰かが謝っても別な誰かが失言したり、やられたほうにしたら憤慨してしかるべきだとも思います
中国・韓国・ロシアだってしっかり教え込んでるじゃないですか数字的なこととか嘘っぽいことも多いけど、それさえも満足にしてこなかった日本にはあまり強く言う権利は乏しいかと
Posted by 小太郎 at 2008年08月18日 23:13
kmiuraさん、教えて頂き有難うございます。

本にも、削除されていた部分は書かれていましたが、御蔭で本を読んでない方々にも、御理解頂けると思います。
Posted by koyuri at 2008年08月19日 19:58
小太郎さん、驚きですよね。日本は、我々が知らないだけで、色々なベールが既に掛けられているみたいです。

とにかく、犯した罪に対しては謝罪する。しかし、言うべきコトははっきりと言うというのが、あるべき外交だと思うのですが、謝罪も曖昧、抗議も曖昧では‥‥

外交官には、頭のイイ人も結構ですが、もっとタフな駆け引きが出来る人になって欲しいモノです。

Posted by koyuri at 2008年08月19日 20:02
 
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