個人的に、どちらかというと人権は守るべきだとは思っているのだが、刑法39条の「精神障害者」に対する問題だけは、少しいわゆる人権派と呼ばれる人々とは違うと思っている。
何故なら、大学時代の友人を亡くしていて、その犯人は刑法39条によって無罪になったからだ。無論、犯人はしばらく病院に入院させられたし、犯人と友人は親族だったし、犯人の母親は自殺したので、その犯人は犯罪の代償を払った。
その犯人にも気の毒な部分があったコトも知ってはいるが、ともあれ「結果責任」というコトを考えると、収監されるのが刑務所なのか、医療刑務所なのかは違ったとしても、チャンと服役という形をとった方が、犯人も罪の償いが一応でも出来てイイのではないかと思うのだ。
そして、何より「詐病」により、本来有罪になるべき人まで、無罪にならなくて済むからだ。そして、「再犯のおそれ」などというあいまいな理由で、勝手に拘束される期間を定められるのは、「精神障害者」の方にとっても不都合ではないかと思うからだ。
そんな気持ちを整理してくれる本に出会った。ソレがこちら。
刑法39条はもういらない
タダ、とても難解な本なので読み辛い部分も多いのだが、一番思ったのが、裁判官の心証だけで、精神鑑定が受け入れられたり、受け入れられなかったりと、判決がバラバラだというコト。
これから裁判員制度が始まるというのに、コレでは裁判官になる人はどう判断すべきか迷うコトだろう。
精神障害があろうと無かろうと、犯罪に対して処すべき刑を、情状酌量も踏まえた上で決定して、その収監期間を刑務所なのか、医療刑務所かを決めるという明瞭な考え方の方が、判りやすいのではないか。
ワタシは死刑推進派ではないのだが、とりあえず「死刑」が現在の刑法にある限りは、精神障害者であろうと「死刑」という判決が出るコトは、仕方がナイことだとも思う。タダ、少なくとも、最近増えている「自殺出来ないから、他人を殺して死刑にして欲しい」という殺人者の抑止に、「死刑」が役立た無いコトは明白だと思うが‥‥
とにかく、人を殺すという時に、平然としている人の方が恐ろしいのであって、殺す時に人格が崩れている場合の方が「普通の人間」であろうと思うワタシとしては、殺人時に変だったか否かというコトは、さほど問題ではナク、殺人によって人格が崩壊する人も存在するだろうし、少なくともその時の精神状態など、誰にも本当のトコは理解出来ないと思う。
となれば、「結果責任」と「情状酌量」をもって、正常な人と同じ土俵で裁かれた方が、逆に「精神障害者に対する偏見」が少なくなるのではないかと思う。
精神が病に侵されるコトは誰にも可能性はあるコトだ。ともあれ、身体が病気になって、他人を道連れに心中などというコトも、タマにあるが、そういう場合では、精神が病気と身体が病気で、犯罪に対する罰が違うというコトは、あまりに変だと思う。
とにかく、これから裁判員制度という、本来、裁判とは無縁だった人々に判決を求めるタメには、あいまいな部分を少しでも排除する努力をしないと、おそらく裁判員の方々は混乱すると思う。その辺のコンセンサスをしっかりしてから、「裁判員制度」を始めても遅くはナイのではないかと思うのだが。