2008年11月06日

他人を裁くコトは簡単か?

いよいよ裁判員制度が始まろうとしてますが、この二冊を読んだ限りでは、果たして裁判で冤罪事件を裁くコトになった時に、かなり寝覚めが悪いと思います。

どちらも、素晴らしいミステリーなので詳しくは書けませんが、同じ作者の二冊をゼヒ読んで、『それでも自分は裁判員になれるだろうか?』と問いかけてみてください。
目撃

審判

人間の証言というモノが、かなりいい加減だったりするコト。そして、真実が全て明らかにされるとは限らないコト。その二つを実感すると思います。

裁判員制度が始まろうとする時、親戚の弁護士は「多くの事件は、ホトンドが争わずに結審するコトが多いので、そういう事件を裁判官でナイ人達が裁けば、日本の裁判は時間が掛かり過ぎるという問題をクリア出来る」と言ったコトを述べてました。もう二十年近く前のコトですが。

でも、かなり入り組んだ事件も、裁判官以外の人が裁くというのは、少なくとも刑事裁判では、どうなんでしょうか。

事実を争わない事件ならともかく、複雑な事件となると、別に裁判官が正しく裁けるとも思いませんが、間違った証拠で間違った判決を出してしまったコトに対して、責任を取る覚悟があるのか‥‥

そういう点をしっかり詰めずに、裁判員制度を始めるのは時期尚早なのではないかと思います。少なくとも、現在の時点では、仕事を休んで裁判員に付くのは無理なので、選ばれても個人的には辞退するつもりでおりますが、果たして日本で裁判員制度について、その問題点とかを皆で討論したりするコトなく、淡々と進められるのが正しいとは到底思えません。

皆様は、どう思われますか?
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この記事へのコメント
裁判員自体は手を上げてでもやりたいけど、そんな俺でも冤罪か否かの時は・・

また、今の裁判官も間違いは犯してるけど、自分の意見以外の多数の意見が出た際に「決心」したとしてはたしてどれほどの覚悟があるんだろう?と思いますよね。

今よりも多くの直接的な感情にさらされ、よりシビアな「決心」が迫られるわけだから
Posted by こちきん at 2008年11月06日 22:58
 裁判員制度は法曹界の近代化にはなると思いますが例えば死刑判決を出すような場合には、果たして民間人の判断はかなり難しいと思うのです。

 当初は比較的軽い事件の審理からやってみたらいかがでしょう。

 以前あった福岡の飲酒運転事件のような判決では世間は納得いたしませんでした。このことは法律論以前の裁判官の世間を知らない机上の法解釈のような感じがしてなりません。
Posted by takachan at 2008年11月07日 15:33
こちきんさん、場合によっては民間の人だからこそ、公平な判断を下せるコトもあると思います。

タダ、問題を先送りしておいて、一気に実施するとなると、「後期高齢者保険」みたいに、問題が噴出した場合に、被告人の人生を左右するワケですから、もう少し色々と考えておいた方がイイんじゃないかと思います。
Posted by koyuri at 2008年11月07日 21:57
takachanさん、正におっしゃる通りで、当初予定していたみたいに、「当初は比較的軽い事件の審理からやって」問題点などを整理した上で、というのが正しい進め方だろうと思います。

日本は制度導入に対して、かなり「無理をしがち」なのではないかと思います。何事も、じっくりやって欲しいものですね。
Posted by koyuri at 2008年11月07日 22:00
 
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