元旦の日記にも書いた「年越し派遣村」、希望者が多過ぎて厚生労働省の講堂が使える様になったのはイイのだけれど、正直、遅過ぎる対応だと思う。それでも、しないよりはマシだとは思うものの、「支援は本来、行政が仕事としてやるべきこと。ボランティアに頼ることではない」という実行委員会の方の考え方は、既に書いてありますが、全くその通りだと思います。
本日の「信濃毎日新聞」の社会面にも、派遣切りをされて長野に来て、必死になって住居を捜して、礼金敷金などを負けて貰った上に、月割りで支払うコトになった方の話が載っていましたが、その方が「派遣切り」されて困った人には、180万円の緊急融資が受けられると聞いて、申請に行ったら「既に住居が決まった人は対象外」と断られたとか‥‥
長野みたいな寒い地域で、野宿なんかしたら凍死しかねないのですから、何としてでも住む場所を必死で見つけるのは当然なのに。しかも、こんなに景気が悪いのだから、負けてでも入居して欲しい大家さんは沢山いらっしゃるだろうし。
制度を知っていて利用出来る人と、知らずに損をする人が出るのは、これ又「自己責任」として切って捨てられるのでしょうか。
世の中、本当に得をする人と、損をする人が存在するとは思いますが、行政とはその格差を均すのが勤めだと思うのですが、学力問題などを見ても、格差を助長する方向に行こうとしているきらいがあり、心配です。
誰だって、得意な方がイイに決まってますが、そうはいかないのが世の常で。
だけど、しっかり考えてみれば、今回の金融危機だって、頭が良くて教養もあって高級取りだった方々が、ローンを返せそうもナイ人々に、融資としてジャブジャブしたのが最大の原因で、彼らはそれによって儲けた上に、そのしわ寄せを結局、弱者に押し付けているだけです。
そうやって考えると、本当にいわゆる底辺で必死に働く人々が間違っているのか、どうか。
大会社は「潰れると社会的影響が大きいから」と救済され、中小が犠牲になるシステムが正しいとは、どうしても思えません。
大会社こそ、潰れてしまっても、再生出来る場合も多いのですから、下手な手助けは考え物だと思います。
日本の失われた10年が、20年にならないタメにも、世の中の過った思考を変えて、底辺からの底上げこそが、確実に世の中を良くなるのだという考えを広めるべきだと思うのですが‥‥
日本の政府の対応は「遅過ぎて、小さ過ぎる」と外国から避難されますが、それは真実に近いと思います。