2009年01月13日

延命治療はドコまで?

老人デイケアのクリニックにお勤めになったコトがあり、在宅医療専門のクリニックにお勤めで、前に何冊か小説を紹介した方の本です。

日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか (幻冬舎新書)

確かに、意識が薄れてまで、胃に点滴を直接入れやすくして生き延びるコトには、あまり賛成しかねるのですが、老人の言葉は素直には聞けないモノだったりするので、医師としてではナク、家族として御老人と同居なさった経験はおありなのかしらという疑問はどうしても、浮かんでしまうのですが‥‥

正直、主人の母親はヒマさえあれば、「早くお迎えが来ればイイのに」等々の言葉を述べはしますが、果たしてそれが本心なのかというと、かなりビミョ〜だったりするので。

老人の一番悪いトコは、自分を卑下して、それを他人に否定して欲しいという気持ちが強い様な気がしますね。

少なくとも、真面目に応対すると疲れるので、我々家族は適当に「死にたい」という言葉を聞き流しておりますが‥‥

老人になって、体力や知力、気力が衰えてくると、こんな自分で生きてたくはナイという気持ちになるのは、当然ありえるコトで。

でも、だからと言って本当に『死にたい』と考えているかは、別の問題だと思います。

何故なら、「パッと死にたい」とか「延命する必要はナイ」とは何度も口では言っていても、「お医者さんが困るから、そういう話は一筆書いておいて欲しい」と言うと、「そうだね、一筆書いておくから」とは言うけれど、何年経っても書いたコトはナク。

別に、長生きしてくれていて全然構わないので、無理にそう書いて欲しくもナイし、亡くなった主人の父親が「ワレは百歳、百歳」と主人の母をからかってたので、誰か他の人でも迎えに来ない限り、『多分、寿命は百歳』と思ってるので、見送るのも大変だろうから、『出来ればワタシの方が、先に逝かなければイイが』とは思うものの、子供達が面倒を見る可能性もあるので、それなりの金銭的な用意のお金は大事に別にしてあります。介護には、お金も必要ですしね。

実の母親は、六十歳で突然死した友人を心から羨ましいと思っていたらしく、七十歳で突然死しましたが、本人はそれで良くても、周囲には何となく心残りですからね。

ちなみに、ワタシの理想的な死に方とは、突然倒れて多少意識があって、皆にお別れしてから、数日後に亡くなるというのがイイとは思いますが、果たしてどうなるやら。

ともかく、何事も「天命」だと思うので、自分の寿命など考えても仕方がナイと思ってます。基本的に、『人生はなるようにしかならない』と思ってますから。

でも、自分の死について全く考えない人には、一読をオススメします。人間の命は永遠ではナイので、今を大事に生きようと思うタメにも、読むとイイかと思うので。
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この記事へのコメント
久坂部さんはクセのある人物らしいので、ちょっと用心しないといけなさそうですね。ただ、全く本人に判断能力がない状態で胃ろうで1年余の最晩年を送った我が義父のような人を何人も見て書いているだろうとは思いました。あの世への案内人はすごくいろいろな姿をしているのに、現代人は彼らとの接触を医療関係者に集中させている、と思った記憶があります。
Posted by あきこ♪ at 2009年01月14日 14:59
あきこ♪さん、医療関係者としてお年寄りに接している方ならではの感じはするので、それはソレで本当の部分なのだと思いますが、老人というのはある意味、一筋縄ではいかない方々だったりするので、これが正しいという答えは見つけにくいかもしれませんね。

おそらく、個人個人が正解かどうかはともかくとして、自分自身で最期の時は決断するしかないのではないかと思います。
Posted by koyuri at 2009年01月14日 21:26
 
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